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光励起による強力な還元剤の生成

可視光で進行する化学反応は、有機合成において重要な手段となる。 Credit: PepeLaguarda/iStock/Getty

分子は光を吸収すると励起状態になり、基底状態よりも反応性が高まる。そのため、通常は実現困難な化学変換も、光エネルギーを用いて分子の反応性を高めることで可能になる場合がある。こうした光励起を利用して、実際に複数の強力な酸化剤が得られてきたが、強力な還元剤の生成はこれまで難しかった。今回、ノースカロライナ大学チャペルヒル校(米国)のIan MacKenzieら1は、最も強力な還元剤であるアルカリ金属に匹敵する優れた還元特性を示す光生成分子種を発見し、Nature 2020年4月2日号76ページで報告した。

可視光で進行する化学反応は、有機合成において重要な手段となる。こうした反応は、光吸収触媒の助けを借りることで、光合成などの光で駆動される生物学的過程と同じ様式で起こる。光レドックス(光酸化還元)触媒反応2では、光励起された触媒分子が反応相手(基質)と1個の電子をやりとりする。この「光誘起電子移動(PET)」として知られる過程によって、基質は反応性のフリーラジカルへと変換され、続いて起こる反応で1種以上の最終生成物を生成する。光エネルギーを用いることでエネルギー障壁が乗り越えられるため、通常こうした反応過程は常温で進む。

光レドックス触媒反応はこの10年でかつてないほど進歩したが、課題はまだいくつか残っている。その1つが、アルカリ金属(リチウムやナトリウムなど)に匹敵する強さの還元剤を生み出すことのできる光レドックス触媒が、まだ見つかっていないことだ。アルカリ金属は危険を伴う上、不要な副生成物を生成する傾向がある(つまり選択性が比較的低い)が、それに代わる強力な還元剤がないため現在もさまざまな反応に使われている。

光レドックス触媒反応による還元過程の1例に、「アリールラジカル」と呼ばれる分子種の生成がある。アリールラジカルは、有機化合物の合成において、アリール基(ベンゼン環やベンゼン類似体から水素原子を1個取り除いた基)の供給源として用いることができる有用な中間体である。アリール基とハロゲン(塩素、臭素、ヨウ素)原子が結合したハロゲン化アリール化合物は、広く入手可能で取り扱いも容易であることから、アリールラジカルの出発物質として望ましい。中でも、塩化アリールは最もよく使われているが、大きな負の還元電位に反映されるように、この化合物は還元するのが最も難しいハロゲン化アリールでもある。還元電位とは、ある化合物が別の化合物から電子を獲得する傾向を定量化したもので、例えば、単純な塩化アリールであるクロロベンゼンの還元電位は、還元電位測定に用いられる参照電極「飽和カロメル電極(SCE)」の電位に対して-2.78V(-2.78V vs. SCE)である3

可視光による単一のPET過程を用いて塩化アリールを還元することは、今のところまだ不可能である。可視光の光子は、この反応を駆動するのに十分なエネルギーを持たないからだ。他の化合物を還元するには、励起状態の光レドックス触媒の酸化電位(他の化合物に電子を供与する能力の尺度)は、還元される化合物の還元電位よりも低くなければならない。例えば、10-フェニルフェノチアジンは光励起によって最も還元力が強くなる光レドックス触媒の1つだが、この化合物の励起状態の酸化電位は-2.1V vs. SCE4とクロロベンゼンの還元電位よりも高く、これをアリールラジカルに変換するには不十分である。

この問題を克服するため、2つのPET過程を逐次的に用いるさまざまな反応系が報告されてきた5。こうした手法では、最初の段階で生成した励起状態の触媒分子が「犠牲」還元剤によって還元されてラジカルアニオンを形成し、次の段階でこのラジカルアニオンが別の光子によって励起されて強力な還元剤となる。その一例が、ローダミン6Gという触媒から形成される励起状態ラジカルアニオンで、この還元剤の酸化電位は-2.4V vs. SCEと、還元促進基を持つ臭化アリールや塩化アリールを還元できるほど低い6

今回MacKenzieらは、メシチルアクリジニウムイオン(Mes-Acr+)を含む塩を用いる手法で、さらに強力な還元剤を得た(図1)。メシチルアクリジニウム塩は約20年にわたって光酸化反応に用いられてきた化合物で7、可視光で励起されると強力な酸化剤となり、基質から電子を奪い取ってアクリジンラジカル(Mes-Acr+)に変わる。このラジカルは電気的に中性で、次の触媒サイクルで酸化剤によって変換されMes-Acr+に戻る。

図1 強力な還元剤として働く励起状態の中性ラジカル
化学還元剤の強さは酸化電位によって定量化され、酸化電位は飽和カロメル電極(SCE)などの参照電極の電位に対する電位(V vs. SCE)として表される。他の化合物を還元するには、還元剤の酸化電位は相手化合物の還元電位(他の化合物から電子を獲得する能力)よりも低くなければならない。最も強力な還元剤のうち、2つがアルカリ金属(ナトリウムとリチウム)である。「光誘起電子移動(PET)」過程でも有機分子の光励起によって比較的強い還元剤が得られるが、多くの場合、酸化電位の低さが不十分である3。2つのPET過程を逐次的に用いる手法5や、電気化学的手法とPET過程とを組み合わせた電気光還元法8,9では、より低い酸化電位が得られることが示されている。メシチルアクリジニウムイオン(Mes-Acr+)に、犠牲還元剤の存在下で波長450nmの光を照射するとアクリジンラジカル(Mes-Acr+)が生じる。今回MacKenzieら1は、このラジカルに波長390nmの光を照射すると、強力な還元剤である励起状態ラジカル((Mes-Acr+)*)が生成することを報告した。図中のMeはメチル基、tBuは第三級ブチル基を示す。

研究チームは、このMes-Acr+が主に2つの波長域(350~400nmと450~550nm)の光を吸収する、比較的安定な種であることに気付いた。Mes-Acr+は波長390nmの光を照射されると励起状態の中性ラジカルになり、最大酸化電位が-3.36V vs. SCEと極めて低い、非常に強力な還元剤として働くようになるという。MacKenzieらは、この極めて低い酸化電位を、励起状態のラジカル内での電荷移動の結果だと考えている。

光レドックス触媒反応に励起状態の中性有機ラジカルを使うことは珍しい。MacKenzieらは今回の還元剤の有用性を評価するため、Mes-Acr+を可視光で励起した後に犠牲還元剤を用いてMes-Acr+を生成し、これに390nmの光を照射して励起状態のラジカル還元剤を生じさせ、これをハロゲン化アリールと反応させるという還元的光触媒サイクルを考案した。ハロゲン化アリールの還元によってアリールラジカルが生じ(還元的脱ハロゲン化)、還元剤として働いた励起状態ラジカルは反応後Mes-Acr+に戻る。

この触媒サイクルをさまざまな臭化アリールや塩化アリールに適用したところ、いずれの場合も優れた収率で目的のアリールラジカルが得られた(参考文献1のFig.2参照)。この方法は、基質にさまざまな官能基が存在する場合や、4-クロロアニソール(還元電位が-2.9V vs. SCEと極めて低い塩化アリール)を用いた場合でも有効だった。

この触媒サイクルは他にも、トシルアミンからトシル基を外す還元的脱トシル化反応(有機合成でよく用いられる反応の1つ;参考文献1のFig.3参照)に適用できることが示されている。研究チームはまた、標準的な丸底フラスコとLEDランプを用いてグラムスケールの脱トシル化反応を行い、この新しい反応系が実験室規模で進行するほど十分にロバストであることを実証した。

2020年1月には、強力な還元剤を触媒的に生成できる別の方法が、2つの研究グループによって同時に報告された8,9。いずれの場合も中性の有機分子が触媒として使われており、有機分子をカソード表面で電気化学的に還元してラジカルアニオンを生成した後、それを可視光で励起することで、酸化電位が-3.0V vs. SCE以下という強い還元剤が得られている。これらの触媒サイクルの有用性は、電子豊富な塩化アリールの脱ハロゲン化や一連のアリール化反応(他の分子にアリール基を結合させる変換)で実証された。

光励起の代わりに電気化学的還元を用いるラジカル生成は、可視光を吸収しない触媒で有用だ。例えば、上記2報の論文のうちの1報9で使われたナフタレンモノイミドは可視光を吸収しないため、最初の段階であるラジカルアニオンへの変換を光励起で進めることはできない。しかし、いったん電気化学的手法でラジカルアニオンに変換してしまえば、可視光を吸収するようになり、光触媒サイクルに入ることができる。

今回、MacKenzieらによって励起状態の中性Mes-Acr+の強い還元作用が見いだされたことで、今後は他の分子で同様の振る舞いを探る研究が活発になるだろう。また、他の還元的光触媒系への関心の高まりも予想される10–13。今回の研究、ならびに他の複数の研究で光励起による強力な還元剤の生成が実現されたことを踏まえると、新たなアリール化反応の実現や、バーチ還元14(通常はアルカリ金属を用いて行われる古典的合成反応)などへの野心的な応用も期待できる。

翻訳:藤野正美

Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 7

DOI: 10.1038/ndigest.2020.200733

原文

Strong chemical reducing agents produced by light
  • Nature (2020-04-02) | DOI: 10.1038/d41586-020-00872-1
  • Radek Cibulka
  • Radek Cibulkaは、プラハ化学技術大学(チェコ共和国)に所属。

参考文献

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  2. Shaw, M. H., Twilton, J. & MacMillan, D. W. C. J. Org. Chem. 81, 6898–6926 (2016).
  3. Enemærke, R. J., Christensen, T. B., Jensen, H. & Daasbjerg, K. J. Chem. Soc. Perkin Trans. 2, 1620–1630 (2001).
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