物語を描いた人類最古の洞窟壁画か
インドネシアで発見された洞窟芸術の一部分。アノアと呼ばれる小型のスイギュウの傍らに複数の小さな獣人が描かれている。 Credit: Ratno Sardi
インドネシア・スラウェシ島の洞窟の壁に広がる幅4.5mの岩のキャンバスには、武器を手にした人間のような生き物がイノシシや小型のウシ科動物を狩る様子が、赤褐色の顔料で描かれている。物語の一場面のように見えるこの壁画の年代は4万4000年以上前と、これまで物語を表す世界最古の絵画とされてきた欧州の洞窟壁画よりもはるかに古い。今回の研究を共同で率いたグリフィス大学(オーストラリア・クイーンズランド州)の考古学者Adam Brummは、「この地域で何百という岩絵を見てきましたが、狩猟の場面のようなものは今回が初めてです」と語る。人類の芸術表現の歴史を塗り替える可能性のある今回の成果は、Nature 2019年12月19日号442ページで報告された1。
今回発見された岩絵は、実在する物体や生き物の姿を具体的に描いた「具象絵画」の記録として最古であることからも重要だという。一方で、この絵が物語の1つの「場面」を表しているとするBrummらの主張については、誰もが納得しているわけではない。この絵が、全て一度に描かれたのではなく、長い年月にわたり何度も描き足されたものである可能性があるというのだ。岩絵の専門家であるダラム大学(英国)の考古学者Paul Pettittは、「1つの場面だとするには疑問の余地があります」と言う。
太古の芸術
フランス南西部のドルドーニュ渓谷にある、かの有名なラスコー洞窟を訪れたパブロ・ピカソは、壁一面に描かれた壁画の見事さに圧倒され、「私たちはこれ以上のものを創り出していない」と語ったと伝えられている。1940年に発見されたこの洞窟壁画には、約1万7000年前に描かれたとされる動物画が数百点含まれる。また、人間と動物の性質を併せ持つ空想上の存在である「獣人」を描いた絵もあり、物語の場面を描いた既知最古の芸術作品の1つだと広く見なされている。欧州では他にも、フランスのショーヴェ洞窟やスペインのエル・カスティーヨ洞窟などで、4万~3万年前というさらに古い年代の動物画や手形が発見されている。
これに対し、アフリカやオーストラリア、アジアで発見された岩絵の数々は、欧州の作品よりも年代が新しいと見なされてきた。これは、そうした岩絵が木炭などの非常に古い天然素材で描かれていて、作品そのものの年代測定が特に難しいことによる。そんな中、Brummらは2014年と2018年に、それぞれインドネシアのスラウェシ島2とボルネオ島3の洞窟で3万5000年前もしくは4万年以上前に描かれたと考えられる動物画や手形を発見したことを報告し、考古学界を驚かせた。
2017年12月、オーストラリアにいたBrummの元に、インドネシアの共同研究者から、スラウェシ島南部の鍾乳洞リアン・ブルシポン4(Leang Bulu’ Sipong 4)の壁に描かれた岩絵を写したという数枚の画像が送られてきた。「スマートフォンに表示された画像を見た私は、思わずスラングを叫んでしまいました」とBrummは当時を振り返る。それは、スラウェシ島在住の考古学者で洞窟探検家の共同研究者Hamrullahが、別の洞窟の天井にある狭い通路へと向かう途中、イチジクの木を登った際に見つけたものだという。
壁一面に広がる岩絵には、スラウェシ島に固有のイノシシと小型のスイギュウ「アノア」に似た動物が描かれており、その傍らには、人間のようだが尾や口吻といった動物の特徴も持つ小さな獣人の姿がある。また、1頭のアノアの近くに槍を構え縄のようなものを携えた複数の獣人が並んで描かれている絵もあった。
獣人は伝説や神話に登場する空想上の存在であり、壁画にその姿が描かれていたことは、スラウェシ島の初期人類が自然界に存在しないものを思い描く能力を持っていたことを示唆しているという。「この絵の意味は分かりませんが、狩りに関係するようです。神話的あるいは超自然的な意味合いがある可能性もあります」とBrummは語る。
獣人の欧州最古の例は、ドイツで発見された頭部がライオンで体が人間という象牙彫刻で、年代は4万年前とされているが、それよりはるかに新しい可能性もある。一方、頭部が鳥で体が人間という獣人にバイソンが襲い掛かっている様子を描いた約1万7000年前のラスコー洞窟の壁画は、物語の一場面であることが明らかな欧州最古の岩絵の1つと考えられている。
「ポップコーン」の年代測定
フランスのラスコー洞窟の壁に描かれた獣人とバイソン。 Credit: Arterra/Universal Images Group via Getty Images
今回発見された岩絵の年代を特定するため、グリフィス大学の考古学者Maxime Aubertの研究チームは、壁画の表面に形成された「ポップコーン」と呼ばれる小さな方解石の結晶を分析した。方解石に含まれる放射性ウランは崩壊してトリウムになるため、それらの同位体比を測定することで年代が得られる。分析の結果、イノシシの絵の表面の方解石は4万3900年前に、アノアの絵の表面の方解石は4万900年以上前に形成されたことが分かった。
これらの年代からは具象芸術の起源に関する手掛かりが得られると、サウサンプトン大学(英国)の考古科学者Alistair Pikeは評価する。「具象絵画の伝統は欧州で始まったと考えられてきましたが、今回その起源が欧州ではなかったことが示されたのです」。しかしPikeは、今回年代が測定されたのは動物画の部分だけであることから、獣人は後から描き加えられた可能性もあると指摘する。Aubertによると、獣人の絵の表面には方解石は見つかっていない。
Pettittによれば、欧州やアフリカ、北米などで動物と人間がよく一緒に描かれるようになったのは、約1万年前になってからだという。そのため、「獣人画の確実な年代が分からないとすれば、私ならそれが他の部分よりもはるかに新しいものだと結論付けるでしょう」とPettittは言う。
だが、Aubertは動物と獣人が同時に描かれたと考えている。両者の色は似ており、風化の状態も同様だからだ。また、一帯の他の洞窟芸術も全て年代が同じだという。
モナッシュ大学(オーストラリア・メルボルン)の考古学者Bruno DavidはAubertの解釈を支持する。それでも、動物と獣人が同じ顔料を使って描かれたのかを調べる価値はあると話す。
今回の岩絵の全てが4万4000年以上前のものであるとすれば、初期人類が東南アジアに到達したときには、すでに象徴的な表現能力や物語を創り出す能力が備わっていたことになる、とDavidは言う。実際、アフリカ南部では、初期人類が作ったとされる絵の具のパレットのようなものや抽象的な模様が刻まれた卵殻などが発見されている。「アフリカで、さらに古い年代の物語的な絵画が発見されるのも、おそらく時間の問題でしょう」。
翻訳:小林盛方
Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 2
DOI: 10.1038/ndigest.2020.200208
原文
Is this cave painting humanity’s oldest story?- Nature (2019-12-11) | DOI: 10.1038/d41586-019-03826-4
- Ewen Callaway
参考文献
- Aubert, M. et al. Nature 576, 442–445 (2019).
- Aubert, M. et al. Nature 514, 223–227 (2014).
- Aubert, M. et al. Nature 564, 254–257 (2018).
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