エイズを発症しない人々のHIVゲノムは深い眠りについている
Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 12 | doi : 10.1038/ndigest.2020.201238
原文:Nature (2020-09-10) | doi: 10.1038/d41586-020-02438-7 | HIV enters deep sleep in people who naturally control the virus
HIV感染者のごく一部は、抗レトロウイルス療法を受けなくてもウイルスを制御し続けている。今回、こうした人々では、宿主ゲノムに組込まれたウイルスDNAが完全に転写抑制された状態にあることが分かった。
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革新的な抗レトロウイルス療法(ART)の登場で、我々はHIVを制御下に置くことができるようになった。しかし、ARTによって病気を治癒させることはできない。HIVゲノムは宿主DNAに組込まれ、ARTが数十年にわたって奏功した後も、静止状態で細胞内に潜伏することができるからだ1–3。このような「ウイルスリザーバー」からHIVのリバウンドが起こるのを防ぐためには、ARTを生涯にわたって継続しなければならない。けれども、HIV感染者のごく一部(0.5%未満)は、ARTなしでウイルスの複製を制御している(エリートコントローラーと呼ばれる)。こうした人々を研究することで、HIVのリバウンドを防ぐ方法を見いだせるのではないだろうか? このほど、ラゴン研究所およびブリガム・アンド・ウィメンズ病院(米国)のChenyang Jiangら4は、エリートコントローラーのウイルスリザーバーと、ARTを受けているHIV感染者のウイルスリザーバーを比較した結果について、Nature 2020年9月10日号261ページで報告した。この研究から、エリートコントローラーは、HIVが再活性化しにくい小さなリザーバーに関連していることが示唆された。
Jiangらはまず、次世代塩基配列解読技術を用いて、エリートコントローラーとARTを受けているHIV感染者という2つのグループについて、数百万個の細胞のウイルスゲノム(プロウイルス;宿主の染色体DNAに挿入された状態のウイルス)を比較した。その結果、HIVゲノムのコピー数は予想通り、ARTを受けているHIV感染者よりもエリートコントローラーの方が少ないことが明らかになった。しかし、エリートコントローラーで見られたプロウイルスの多くは遺伝的に無傷であった。これは、転写が起こると感染性ウイルス粒子が生じる可能性があることを意味している。
Jiangらは、エリートコントローラーでは、ウイルスゲノムの同一コピーが多く存在することを観察した。この観察結果は、エリートコントローラーの感染細胞も、ARTを受けているHIV感染者6–8の感染細胞と同様に増殖する能力を持つ5ことを支持している。エリートコントローラーは、HIV感染細胞に対して強力な免疫応答を開始することが知られている9。それについてもJiangらは、エリートコントローラーの細胞内に存続するプロウイルス配列が、この強力な応答の標的となるウイルスタンパク質を作り出すと予測されることを見いだした。
では、これらのプロウイルスはどのように免疫応答を回避しているのだろうか? Jiangらはこの疑問に答えるため、最近開発された手法10を用いて、宿主ゲノムにウイルスが組込まれた部位を、対応するプロウイルス配列と結び付けて解析した。この解析から、エリートコントローラーに見られるプロウイルスは、ARTを受けているHIV感染者のプロウイルスよりも深い潜伏(静止)状態にあることを示唆する特徴がいくつか明らかになった。
1つ目の特徴として、エリートコントローラーのプロウイルスは、宿主ゲノムのタンパク質非コード領域に組込まれていることが多かった。2つ目として、エリートコントローラーのウイルスゲノムは、セントロメアと呼ばれる染色体構造に多数存在するDNA反復配列内、あるいはDNA反復配列の間に位置していることが多かった。宿主ゲノムは、DNAとタンパク質からなるクロマチンと呼ばれる複合体にパッケージングされている。セントロメアでは、クロマチンは極めて密にパッケージングされているため、転写が強力に抑制されている。3つ目として、エリートコントローラーのHIVゲノムのかなりの部分は、ジンクフィンガータンパク質ファミリーの因子をコードする遺伝子に組込まれていた。その部位のクロマチンは、転写抑制に関連する多くの分子修飾を受けていることがよく知られている11。
Jiangらはまた、接近可能なクロマチン領域(転写が可能な領域)の解析を行った。その結果、エリートコントローラーのDNA中のウイルス組込み部位は、ARTを受けたHIV感染者と比べて、接近可能なクロマチンからかなり離れていることを明らかにした。この結果から、エリートコントローラーのゲノムは、ウイルスの転写産物やタンパク質を活発に産生している可能性が低い、という考えが裏付けられた。実際に、エリートコントローラーの無傷のプロウイルスが産生するウイルス転写産物量は、ARTを受けているHIV感染者のHIVゲノムの10分の1であった。
エリートコントローラーで見いだされた独特なプロウイルスの全体像の説明として、2つのシナリオが考えられる。1つは、エリートコントローラーにおけるHIVの組込みは、ゲノムの特定の領域で優先的に起こるというもので、もう1つは、タンパク質非コード領域や転写抑制領域に組込まれるプロウイルスは、時間の経過とともに選択を受け、ウイルスの転写に対してより寛容なプロウイルスが排除されるというものだ。
これら2つの可能性を明確に見極めるためには、エリートコントローラーを長期間追跡する必要があるが、これは今回の研究では行われていない。しかしJiangらは、エリートコントローラーの細胞とARTを受けている人の細胞にin vitroでHIVを感染させても、組込みパターンに有意な差がないことを確認した。よって、1つ目のシナリオの可能性は低いと考えられる。一方、2つ目のモデルは、エリートコントローラーではHIV感染細胞に対する非常に強力な免疫応答が高い頻度で観察されることを考えると魅力的である。こうした強力な免疫応答により、ウイルスタンパク質を産生すると考えられるプロウイルス含有細胞が徐々に除去されるのかもしれない(図1)。このような選択が何年にもわたって行われた結果、再活性化しにくいプロウイルスのみで構成されるリザーバーが残った可能性がある。
HIV感染者のごく一部は、抗レトロウイルス療法(ART)を受けなくてもHIVウイルスを制御できる。Jiangら4は、エリートコントローラーと呼ばれるこうしたHIV感染者では、ウイルスDNAが宿主ゲノムの至る所に組込まれているという証拠を示した。すなわち、宿主のクロマチンと呼ばれる複合体中で、タンパク質と共に緩くパッケージングされている部位の宿主DNAに組込まれているウイルスゲノムもあれば(この場合、転写が生じることがある)、密にパッケージングされていて転写が抑制されている宿主部位に組込まれているウイルスゲノムもある。ウイルスを転写する(ウイルスのメッセンジャーRNAとタンパク質が産生される)細胞は、免疫系のT細胞によって効率的に標的とされる。これが観察されるのはエリートコントローラーのみである。ウイルスを転写する細胞が殺傷されるので、時間の経過とともに、深く潜伏しているHIVゲノムを含む小さな細胞プールが進化的に選択されている可能性がある。 | 拡大する
この考えは、エリートコントローラーでは複製能力のあるウイルスのプールが非常に少ないことを示した以前の研究12によって支持される。その上、Jiangらの研究に参加した1人のエリートコントローラーでは、10億個以上の細胞を徹底的に解析したにもかかわらず、複製能力のあるHIVを全く検出できなかった。この被験者の体内からHIVが完全に根絶されているかどうかを証明するのは難しいが、この症例はHIVが治癒したというこれまでの報告を彷彿とさせる13,14。
エリートコントローラーは、HIV感染者のごく一部にすぎない。とはいえ、Jiangらの研究は、エリートコントローラー以外のHIV感染者にも関係するさまざまな知見をもたらした。例えば、ARTによるウイルス抑制を数年間行った後は、特にHIVに対する免疫応答を維持している人では、深く潜伏しているプロウイルスが優先的に存続している可能性があると考えられる。おそらく、数年にわたる継続的な免疫圧を受けることで、HIV複製が再燃しにくい小さなリザーバーが選択されるのであろう。しかし、深い眠りについているウイルスゲノムが、ARTを中断すると再活性化されてウイルスのリバウンドに寄与するかどうかは、明らかになっていない。
いずれにせよ、この研究の結果は、ウイルスのリバウンドを引き起こす可能性のある持続的なHIVリザーバーのサイズを測定する際には、ウイルスゲノムの無傷さと活性化の可能性の両方を評価する必要があることを示唆している。ウイルスリザーバーのサイズを推定するために現在使用されている方法は、一般に、無傷のHIVゲノムの数、あるいはin vitroでのRNAやタンパク質の産生能のどちらかを測定している。Jiangらの研究から、無傷のゲノムの多くは容易に再活性化されない可能性があるため、両方の測定を組み合わせる必要があることが示唆された。両方を測定することで、研究者や臨床医たちにART中断後のウイルスのリバウンドについてのより良い予測因子をもたらすかもしれない。
今回の研究は、継続的かつ長期の細胞への免疫圧によって、再活性化しにくいHIVゲノムを含む小さな細胞プールが選択されることにより、HIVリザーバーのサイズが時間の経過とともに大幅に減少する可能性を示している。このことはさらに、免疫細胞療法(HIVリザーバーを制御するために現在開発されている、CAR T細胞を用いた治療法15など)が、ART中断中の患者においてウイルスのリバウンドを制御するだけでなく、ウイルスリザーバーを、深く潜伏するプロウイルスプールへと縮小させられる可能性があることも示唆している。もちろん、これがHIV感染の長期寛解につながるかどうかはまだ明らかになっていない。
(翻訳:三谷祐貴子)
Nicolas Chomontは、モントリオール大学病院研究センターおよびモントリオール大学(カナダ)。
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