World View

出版社よ、トランスジェンダー学者の名前の修正を認めよ

Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 10 | doi : 10.1038/ndigest.2020.201018

原文:Nature (2020-07-22) | doi: 10.1038/d41586-020-02145-3 | Publishers: let transgender scholars correct their names

Theresa Jean Tanenbaum

発表された論文の著者名変更を禁止することは、傷つきやすい人々を苦しめる。

拡大する

THERESA JEAN TANENBAUM

2019年7月、私は改名した。旧名は、私が赤ん坊だったときの誤りを思い出させるものであった。40代で女性にジェンダー移行した。私は、人間–コンピュータ相互作用の設計者かつ研究者としての20年にわたる業績を、新たな名前に合わせて整理する必要がある。しかし改名に当たって、私は選択不可能と思われる問題に直面した。過去の業績を捨てるか、それとも過去数十年間、監獄のように感じていた旧名から決して逃げられないことを受け入れるか、だ。

私は記録を修正するという3番目の道を選んだ。そこで、出版社に連絡を取った(全部で83の出版物に関して15の法人に対し。うち15の出版物は、このNature を出版するSpringer Natureを通じてのもの)。デジタル・アーカイブで私の名前を改訂してほしいと要求したところ、全ての出版社が現状維持を望んだ。

2020年6月に、米国最高裁判所は、職場でのジェンダー差別を禁止する連邦法は、ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーの人々にも適用されるという裁定を下した。それはうれしい変化である。しかし、よりインクルーシブにする(多様性を尊重して受け入れる)ためにはもっと努力が必要だ。私が最初に要求を出してから1年以上たった今でも、出版社は改名に伴う改訂を許可していない。

私などのトランスジェンダーの学者たちにとって、これがなぜこれほど重要な問題なのか? 私たちの多くは以前の名前を「死の名」と呼ぶ。そうした名前が苦痛を呼び覚まし得ることを強調するためだ。私は死の名に遭遇するたびに、トラウマがよみがえる。そしてこのように感じるのは私だけではない。死の名で呼ぶ行為や、自認とは異なるジェンダーとして扱う行為は、トランスジェンダーに不寛容な人々がトランスジェンダーを攻撃する際にしばしば意図的に用いるからだ。

では、シスジェンダー(生物学的な性と自認のジェンダーが一致している人)の学者たちがなぜ気に掛けるべき問題なのか? 1つには、人は本来の自分でいられるときに、最も創造的で生産的になれるという点がある。また、結婚のため、あるいは虐待者やストーカー、ハラスメントの加害者から逃れるために改名した人々にも関係する。さらに、文献データベースにおいて、同一人物であるにもかかわらず2つの名前がある状態は、計量書誌学上良くないことは明らかである。もちろん、ほとんどの人々が他人の権利と安全を保護したいと考えている。

私の名前と私の死の名とが公に結び付いていることはまた、これらとは別の、より現実的な害を私にもたらす。15の国では、トランスジェンダーであること、またはそれを表明することは犯罪とされ、死刑につながる場合もあるのだ。そして、米国最高裁判所で前述の判決が下されるまで、米国の少なくとも20の州では、トランスジェンダーの個人は雇用差別から保護されていなかった。法律が私たちを保護していたとしても、事実上の差別は現実に存在する。

著作物において自分の名前を変えることが容易に通る要求ではないことが明らかになったため、私は出版社の方針に働き掛けることにした。私はまず、米国計算機協会(ACM)のデジタルライブラリーから始めた。ACMのデジタルライブラリーは、コンピューティング分野における最大の学術リポジトリである。1936年以降の論文280万編以上を収載していて、私の論文の大部分はここにある。私は、1年以上にわたり編集委員会と交渉していたトランスジェンダーの同僚と、ACM内部の討議に参加することになった。そして、素晴らしいことに、編集委員会はインクルーシブな改名方針を起草するためのワーキンググループを立ち上げた。このグループには、編集委員会のメンバーと私の他に3人のトランスジェンダーの学者が含まれている。

しかし、委員会の当初の意見は、改名はPDFには反映させずにメタデータだけに適用するという論ずるに値しないものであった。それでは、改名後の名前が以前の名前と並置されることになってしまう。結果、その論文をどのように引用したらいいか混乱を招くだけでなく、論文を何気なく読んだ人々にその著者がトランスジェンダーであると伝えることにもなる。もし私の死の名が私の業績に関連付けられたままなら、私の論文の読者は、私の名前やジェンダーに関して間違った認識を持つ可能性がある。あるいは論文の内容に行きつく前に、アンチトランスジェンダー的偏見も持つかもしれない。

正しい名前で呼ぶことを求めるトランスジェンダーの人々に対する反論の多くは、その要求は一種の偽りや詐称だと暗に非難するものだ。しかし実際には、偽りや詐称ということは全くない。ACMが改名方針の改訂にためらっているのは、そのほとんどが「歴史的な記録」に対する大きな義務感と、アーカイブをいつ変えるべきかという慎重さから来ている。多くの長い議論を続ける中で、我々のワーキンググループは、検索のされやすさと共著者の権利に関する懸念と向き合い、それを和らげた。そして最終的には、ACMの編集委員会が哲学的に反対する唯一の領域が、法的手続きで使用されている論文に関するものであることが明確になった。その場合には、ACMは、その論文が改変されていないことを確証するために召喚される可能性がある。実施する上での懸念もあった。名前を変更するとページ数表示が変わってしまう可能性があるか? デジタル出版より前に発表された論文の画像ベースのファイルで名前を変更することは可能か? 名前を変更した論文で代名詞をどのように扱うべきか? などである。

16カ月の交渉の末、妥協点が見えてきた。ACMの計画は、改名した著者が関係する全ての公開済みデジタル文献をアップデートするというものだ。旧バージョンは、別のリポジトリに保管され、召喚状が出されたときにだけアクセスできるようにする。この改名方針の草案は2019年後半に回覧され、弁護士によって吟味され、可決された。ただし、まだ完全なものではない。他の著者による引用は更新されないし、もちろん、印刷された文書を変更することはできない。しかしACMの計画が実行されれば、私が知る限り、出版界で初めての、公記録で著者名を遡及的に変更するというトランスジェンダー・インクルーシブなアプローチとなる。

こうした変化によって、死の名で呼ばれたり、トランスジェンダーであることが暴露されたり、自認のジェンダーとは異なるジェンダーとして扱われたりするという問題が完全に解決されるわけではないだろう。しかし、しばしばトラウマとなるような、いらだたしく、人間の尊厳を奪うジェンダー移行のプロセスの悲惨さが軽減されるかもしれない。これによって私のような人々は、研鑽を積んできた学問の追究のためにより多くの時間を使うことができ、本当の名前で呼ばれるための戦いに費やす時間を減らすことができるはずだ。

(翻訳:古川奈々子)

Theresa Jean Tanenbaumは、カリフォルニア大学アーバイン校(米国)の情報学助教授。

キーワード

Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

プライバシーマーク制度