遺伝子編集で動物の「代理父」を作り出す
生殖生物学の分野では現在、望ましい形質を持った家畜を作り出すための斬新な方法が開発されているところだ。遺伝子編集技術を使って自身の精子を作れないようにした「代理父」個体に、別の雄個体の精子形成幹細胞を移植し、その「優秀」な遺伝子を子孫に伝えるという方法である。この処置をした後、代理父個体が作る仔は遺伝学的には自分の仔ではなく、幹細胞を提供した雄の仔ということになる。
この方法の目的は、病気や暑さに強いといった望ましい形質の遺伝子を、従来の育種法で可能な世代数よりも少ない世代数で家畜集団に行き渡らせることだ。まだ残っている技術上の壁を乗り越えることができれば、この手法は、人工授精による育種が難しいブタやニワトリなどの家畜に対して非常に有効かもしれない。「遺伝子特性を改良する機会に乗じることのできなかったものがあるのです」と、ワシントン州立大学(米国プルマン)の生殖生物学者Jon Oatleyは説明する。「代理父」を作り出す手法は、多くの鳥類など、精液の貯蔵が難しい種の保存の取り組みにも役立つかもしれない。
米国の酪農乳業界では、優秀な雄ウシから採取した精子を使って雌ウシに人工授精をしながら、慎重に遺伝子を選択していくことで、1940年代(この方法の導入前)の4倍もの乳を出す乳牛が作り出された。しかし、肉牛では人工授精があまり行われていない。肉牛は牧草地を自由に移動できる形で飼育されており、繁殖サイクルの適切な時期にある雌個体を見つけることが難しいからだ。また、ブタでは精子が保管中に死んでしまうことが多いため、人工授精による育種はあまり有効ではない。
父親は誰?
Oatleyは現在、同僚らと共に、代理父となる雄ブタの開発に取り組んでいる。2017年にOatleyらは、遺伝子編集ツールであるCRISPR–Cas9系を使って、ブタのNANOS2 という遺伝子を無効化したことを報告した。この遺伝子の無効化したコピーを2つ持つブタは精子を作れないが、それ以外に影響はないため、理想的な代理父となる(K.-E. Park et al. Sci. Rep. 7, 40176; 2017)。
一方、別の雌個体に由来する卵を形成できるような代理母を作り出したいと考える研究者もいる。エディンバラ大学ロスリン研究所(英国)のMichael McGrewのチームは2017年に、CRISPR–Cas9系ではない遺伝子編集システムTALENを使って父方のDDX4という遺伝子を無効化し、不妊の雌ニワトリを作り出したことを報告した(L. Taylor et al. Development 144, 928-934; 2017)。この無効化した遺伝子を受け継いだ雌は不妊となり、代理母として使える可能性がある。
McGrewのチームはすでに、無効化したDDX4 遺伝子を持つ発生中の雌の胚に幹細胞を移植する段階へと研究を進めている。この処置によって、不妊であるはずの代理母個体は卵を産むようになるとMcGrewは話す。チームは現在、これらの卵から生まれたヒナが確かに移植幹細胞に由来するかどうかを検証しているところだという。
McGrewは、この代理母の手法を2020年に、エチオピアやガーナなどのアフリカ諸国の局所的条件に高度に適応した小規模個体群のニワトリ種に対して使いたいと考えている。また、インドや英国の希少なニワトリ品種もこの手法を使って保存したいと考えている。
ニワトリの胚は哺乳類の胚よりも入手や取り扱いが比較的容易なので、幹細胞を移植しやすいのだとMcGrewは説明する。彼によれば、ニワトリの卵の殻に小さい孔を1つ開けて、発生中の胚の血管系に細胞を注入するだけでいいのだという。注入した幹細胞は、そこから適切な場所へと遊走して増殖することになる。
しかしブタでは、技術的難題はもっと大きい。Oatleyは、2019年1月に米国カリフォルニア州サンディエゴで開催された植物および動物ゲノム国際会議(PAG XXVII)で、代理父候補の雄ブタに精子形成幹細胞を移植した研究の結果を発表した。移植細胞は生着し、見たところ正常な精子を作り出したが、その数は通常の雄ブタで予想される数よりもはるかに少なかった。
「役目を果たすには、精子の数が明らかに不十分でしたが、間違いなく概念実証となりました」と、この発表の場にいたカリフォルニア大学デービス校(米国)の遺伝学者Alison van Eenennaamは話す。Oatleyはその後、2019年4月に神戸で開催されたトランスジェニックテクノロジー会議(TT2019)で、遺伝的に異なる系統のマウスに由来する精子形成幹細胞を移植した場合でも、代理父役の雄マウスが正常な生殖能力を発揮できることを示すデータを発表した。今後のポイントは、家畜でこの代理父システムをうまく機能させることだという。
それはかなりの難題かもしれないと、カルガリー大学(カナダ)の生殖生物学者Ina Dobrinskiは言う。マウスやラットの精子形成幹細胞の数を、培養下で増やす方法はすでにいくつかある。ところが、ヒトなどのもっと大きい動物だと、こうした方法はうまくいかないのだとDobrinskiは話す。がん治療を受けた男児の生殖能力を回復させる方法を見つけようと、熱心な取り組みが続いているにもかかわらず、現状はそうした段階なのだ。
Oatleyは難題の存在を認めているが、精子形成幹細胞が少なくても、それらが移植後に十分な数まで増えればよいのではないかと話す。また、メリーランド大学カレッジパーク校(米国)の生殖生物学者Bhanu Teluguは、代理父となる雄ブタを作る手順を少し調整(例えば、より若い代理父個体に移植)することで、形成される精子の数を増やせるのではないかと述べている。
Oatleyの見積もりでは、彼の手法はあと5年ほどで実用化できるという。しかし、こうした手法が一般市民や規制当局に受け入れられるかは不明だ。Oatleyは、米国食品医薬品局(FDA)に研究の概要を説明するために2回出向いており、McGrewのチームはインドの規制当局とこの問題について話し合っている。肉用として売られるのは、代理父である雄の仔であって、仔は遺伝子編集を受けていないのだが、一部の国の政府は、生まれてくる仔を遺伝子編集を受けているものとして規制するのではないかとMcGrewは警戒している。
「遺伝子編集の対象は、代理父となる雄個体であって、その個体が作り出す精子はもともと遺伝子編集を受けていない個体のものです。あなたや私はそのことを分かっていますが、規制当局や消費者には説明が必要なのです」とDobrinskiは話す。「ただし、遺伝子を無効化した動物個体が、受け入れられるかどうか私にも分かりません」。
翻訳:船田晶子
Nature ダイジェスト Vol. 16 No. 6
DOI: 10.1038/ndigest.2019.190610
原文
Bull ‘super dads’ are being engineered to produce sperm from another father- Nature (2019-03-14) | DOI: 10.1038/d41586-019-00718-5
- Heidi Ledford
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