離れた所の変性が酵素の低温適応を助ける
生化学という科学は、約37℃という「生理的」な温度で起こる過程に注目する傾向があった。しかし、地球の表面は海洋や氷、雪に覆われているところが多く、はるかに低い温度で活動する生物はごまんといる。そうした環境の生物は、例えば細胞の化学的環境を維持する酵素などに、環境に適した生物学的適応が必要となる。ジョンズホプキンス大学(米国メリーランド州ボルティモア)のHarry SaavedraらはNature 6月6日号324ページで1、分子レベルで働くそのような低温適応の生物物理学的メカニズムについて説明している。Saavedraらが得た結果は、酵素の活性部位から遠く離れた場所で起こったタンパク質の変化が、酵素を局所的に変性させてその活性を調節する場合があることを明確に示した。つまり、酵素の活性部位に変化を起こさなくても、酵素の構造の一部に揺らぎを生じさせることで、実質的に、酵素反応機構のさまざまな側面が制御され得ることを示している。
化学反応の速度が温度に依存し、一般に温度が低下すると反応速度も落ちることは、物理化学の世界では昔から知られている。この温度依存性は酵素が触媒する反応にも当てはまるため、酵素が仲介する数々の機能を好冷生物(低温で生息する生物)はどうやって維持できているのか、という興味深い問題が持ち上がっていた。好冷生物と中温生物(生理的温度で生息する生物)の近縁酵素は活性が類似しており、触媒する反応は同等の速度で進む2。ということは、低温に適応した酵素では、機能パラメーターが低温を相殺するように調整されているはずだ。
この調整がどのように行われ得るかについては、1998年の報告3から手掛かりがもたらされた。その論文によれば、好冷酵素では、活性部位からはるかに離れたタンパク質表面のアミノ酸残基が、中温生物の類似酵素と比較してグリシン残基に置換されている傾向があるという。しかし、この変化がどのような機構で酵素の活性を調整するかについて、詳細はほとんど分かっていなかった。Saavedraらは、アデニル酸キナーゼと呼ばれる酵素を利用して、この変異が遠くから作用して酵素の働き方を変化させるメカニズムを調べた。
アデニル酸キナーゼは、アデノシンリン酸(細胞のエネルギー通貨として働く分子)のバランス維持を助ける反応を触媒する。Saavedraらがこの中温酵素を選んだのは、この酵素が、酵素の生物物理学、生化学、折りたたみを研究するためのモデル系として、彼が所属する研究室も含め広く研究者に利用されてきたためだ。
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“By making these individual mutations we could either cold adapt the release of the product, or we could cold adapt the pick-up of the substrate.”
今回Saavedraらは、「エントロピー(乱雑さの尺度)の調整が酵素の低温適応の主要な推進力である」という過去に検討された説2を検証した。研究チームは、酵素の全体的な折りたたみ構造を変化させることなくそのタンパク質の「揺らぎ」を変化させると考えられる酵素表面でのグリシン置換の影響(エントロピー効果)を、活性部位から遠く離れた部位に探ろうと考えた。
アデニル酸キナーゼには3つのドメインがある。活性部位の大部分を含むCOREドメイン、活性部位の一部をそれぞれ含むLIDとAMPbdだ。Saavedraらは、生物物理学的技術と構造解析技術を併用して、LIDとAMPbdの両ドメインで局所的にグリシン置換を行った変異体をそれぞれ作製し、その影響を調べた。この研究では、酵素の各変異体の安定性および酵素基質類似物質との結合親和性が測定され、核磁気共鳴分光法を用いてタンパク質の状態と構造的変動がさらに細かく解析された。
総合すると、Saavedraらの研究結果は、アデニル酸キナーゼが少なくとも3種類の状態で存在すること、そして変異の導入により各状態の相対的占有率(安定性)が変化することを示した。野生型のタンパク質と比較すると、LID変異体とAMPbd変異体は、共に完全な折りたたみ構造の占有率が低下する一方、LIDとAMPbdのいずれかのドメインが局所的に変性した2種類の状態の安定性を高めていた(図1)。局所的に変性したこの2つの状態において安定性が高くなるのは、グリシンというアミノ酸残基の占有空間が他のアミノ酸残基と比較して小さく、グリシン変異体のタンパク質の鎖が野生型タンパク質の鎖と比較してしなやかであるという事実に基づいている。注目すべきことに、この2種類の局所的変性は、異なる2つの点で酵素の働き方を変化させる。LIDの変性が結合親和性を低下させる一方、AMPbdの変性は活性を強化するのだ。
図1 酵素機能のエントロピー的調整が低温適応を可能にする
Saavedraら1は、酵素アデニル酸キナーゼについて、LIDドメイン(赤色)とAMPbdドメイン(青色)のどちらかで表面の非グリシンアミノ酸残基がグリシン残基で置換された変異体を作製した。どちらの変異体も、酵素の局所的な変性を引き起こしてエントロピー(乱雑さ)を増大させ、置換部位が活性部位から離れているにもかかわらず酵素の機能的振る舞いを変化させた。LID変異体は基質に対するアデニル酸キナーゼの親和性が低下した一方、AMPbd変異体は酵素活性が強化された。そうしたエントロピー的機能調整は、低温環境でも酵素がその反応速度を維持することを可能にする進化的機構なのかもしれない。
Saavedraらの研究は、遠くから作用して低温適応を支える仕組みの理解に「酵素表面でのグリシン置換」が役立つという点で特に興味深い。この現象は、一見すると不可解だが、アロステリック制御4,5という概念にまとめることができるからだ。アロステリック制御とは、活性部位から離れた部位にパートナー分子(エフェクターと呼ばれる)が結合することで酵素活性に影響が及ぶという機構で、酵素の制御方式として一般的である。従来のアロステリック制御の考え方は、エフェクターの結合が小規模な構造変化を引き起こし、それがタンパク質内を伝わって活性部位の構造を変化させる、というものだった。しかし現在は、アロステリック制御の数多くの事例に関して、構造変化によらず、エフェクターが結合していない状態での力学(エントロピー)的な変化が関わるメカニズムを支持する証拠が得られている6-8。今回の研究は、異なる酵素特性に関して、エントロピー的アロステリック制御の注目すべき検証結果と事例を示した。
Saavedraの成果は、酵素の進化に関して重要な意味を持っている。しかし、彼らの提案する低温適応機構は、わずか1つのモデル酵素について調べられただけであり、低温に適応した他の酵素にもそれが当てはまるかどうかは、これから検証が必要だ。低温適応の生物物理学的機構に関する理解を深めるには、単一分子実験からもたらされる、酵素の構造的変動に関するさらに詳細な姿9,10も役立つだろう。それもさることながら、今回の知見は、自然界における酵素の進化と、バイオテクノロジーを発展させ得る合理的なタンパク質工学11の両面において、さまざまな様式のタンパク質機能を調節するアロステリック制御を探るための新たな道を切り開くものだ。
翻訳:小林盛方
Nature ダイジェスト Vol. 15 No. 9
DOI: 10.1038/ndigest.2018.180931
原文
Enzymes can adapt to cold by wiggling regions far from their active site- Nature (2018-06-14) | DOI: 10.1038/d41586-018-05302-x
- Ashok A. Deniz
- Ashok A. Denizは、スクリプス研究所(米国カリフォルニア州ラホヤ)に所属。
参考文献
- Saavedra, H. G. et al. Nature 558, 324–328 (2018).
- Siddiqui, K. S. & Cavicchioli, R. Annu. Rev. Biochem. 75, 403–433 (2006).
- Fields, P. A. & Somero, G. N. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 95, 11476–11481 (1998).
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- Deniz, A. A., Mukhopadhyay, S. & Lemke, E. A. J. R. Soc. Interface 5, 15–45 (2008).
- Dokholyan, N. V. Chem. Rev. 116, 6463–6487 (2016).
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