TOOLBOX: 科学者のためのメッセージングアプリ活用法
マサチューセッツ工科大学(MIT)とハーバード大学が共同で運営するブロード研究所(米国ケンブリッジ)に所属する遺伝学者のDaniel MacArthurが研究室に着いて最初にするのは、ビジネス用メッセージングアプリ「Slack」を立ち上げることだ。彼はSlackで、研究室の23人の科学者がさまざまなチャンネルに投稿した数百件のメッセージやファイルにざっと目を通す。プロジェクトの進捗状況の報告もあれば、助けを求めるメッセージもある。2014年4月以来、彼の研究室のメンバーはSlackに40万件以上のメッセージを投稿しているので、1日当たり500通近く投稿している計算になる。Slackの導入により、MacArthurの研究室が論文やプロジェクトについてやりとりする際に用いていた方法の多くが不要になった。その代表が電子メールだ。
MacArthurは、「メールは本当にひどいツールで、グループ内のやりとりに使おうとすると悲惨なことになります」と言う。彼の受信箱には、業者からの広告や、管理部門からの通知や、あれこれの依頼のメールがごちゃ混ぜに入っていて、未読分が1万7500通もある。これに対して、Slackに投稿されるメッセージは絞り込まれている。全ての投稿が研究チームのメンバーから来ているので、SN比(信号対雑音比)が高いのだ。MacArthurは、大抵の場合、その日に投稿された全てのメッセージを読んでいる。「情報が最新であるよう、これまで以上に心掛けています」と彼は言う。
Slackは2013年8月に公開されたばかりだが、今や世界中に300万人以上のアクティブユーザーがいて、報道機関や技術系企業では絶大な人気を誇っている(日本語版提供が2017年11月17日より始まった)。「21世紀のチームコミュニケーション」を謳うSlackは、グループがファイルやデータ、ニュースやジョークを共有し、その仕事を広く追跡できるようにするためのプラットフォームだ。基本的な機能は無料プランでも利用できるが、直近1万件以上のメッセージを保存しておくには有料プランに加入する必要がある。MacArthurの研究室がそうしているように、ユーザーは自分たちの招待専用ページを設定し、検索可能なパブリックチャンネルやプライベートチャンネルに会話をまとめることができる。MacArthurの研究室の遺伝学者でポスドクのKonrad Karczewskiは、「思い付いたことはその場で投稿するようにしています。ネットワークを経由していますが、対面で会話をしているのと同じ感覚です」と言う。
この感覚は、メンバーの仕事場が分散しているチームや交代制で仕事をしているチームには特に貴重なものかもしれない。IMS研究所(フランス・ボルドー)のコンピューター技術者Guillaume Delbergueは、自宅やボルドーの外でも仕事をすることもあるという。研究室にはカナダ在住のメンバーもいるが、「MatterMost」というSlackに似たメッセージングツールで、常に緊密にやりとりできている。「チャットツールの共有により、人と人がつながりやすくなります」と彼は言う。
MacArthurによると、Slackのようなメッセージングアプリはいくつかあり、Slackでなければ果たせない機能というものは特にないという。MatterMostの他に、アトラシアン社(オーストラリア・シドニー)の「HipChat」や、より古いものでは「Googleチャット」(現Googleハングアウト)などがある。しかし、多くの研究室はSlackを気に入っている。研究者たちは、シンプルで多目的に使えるユーザーインターフェースと、「ボット」を組み込める点をその理由に挙げる。ボットとは、外部の情報をプラットフォームにインポートしたり、特定のコマンドが入力されると他のソフトウェアを立ち上げたりする自動スクリプト(プラグインとも呼ばれる)のことだ。
以下では、研究室でのSlack活用事例を8つ紹介しよう。
論文に磨きをかける
MacArthurらは、約6万人のエキソームの塩基配列データを収集したデータベースExACに関する論文をNatureで発表している(M. Lek et al. Nature 536, 285-291; 2016)。この論文を準備する際にもSlackが大いに役に立った。彼らは執筆中の原稿のための専用チャンネルを設置し、グループの全員が本文と図表の作成に参加できるようにした。例えばグラフを作成する際には、Slackに投稿された原案に対して、他のメンバーがグラフの形式や説明文の文章、統計的なアプローチについて、微調整を提案するコメントを投稿すると、コメントを反映したグラフが再投稿される、というやりとりが、大体いつも1時間に5~10回ほど繰り返された。MacArthurによると、最終的に、論文専用チャンネルだけで約1万件のメッセージが投稿されたという。それでも、週1回のミーティングで変更点を話し合いながら進めるよりも、論文の仕上がりは早かった。「Slackは、今回の論文のように非常に複雑で微妙な議論になることが多い科学的トピックについて、驚くほど迅速に合意を形成できるようにしてくれます」と彼は言う。
学会に参加する
イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(米国)の原子核工学者Clair Sullivanの研究室では、9人の大学院生と1人のポスドク、数人の学部生に数人の旧在籍者を含む計28人が、Slackを利用している。Slackは7つのチャンネルに分かれていて、研究室の2つの主要なプロジェクト用のチャンネルが1つずつある他、研究室のGitHubファイルリポジトリに関するプロジェクトや研究室の実務全般用のチャンネル、ジョークやピザの半額情報などを投稿できる「何でも」チャンネル、研究室のランニングチームのチャンネル、学会用のチャンネルがある。学会用チャンネルは、学会に参加中のメンバーが他のメンバーの邪魔にならないように、口頭発表やポスター発表、交流会について話し合ったり、学会に関心のあるメンバーに最新情報を教えたりするための場所だ。「それに、飛行機で高度1万mの空を飛んでいるときでも、口頭発表に使う図を受け取れます」とSullivan。
実験を監視する
合成生物学企業Ginkgo Bioworks(米国マサチューセッツ州ボストン)では、100人以上の従業員が全員Slackを使っている。ソフトウェア技術者のDan Cahoonによると、そのほとんどが「リアルタイムのメッセージングとリアルタイムのアップデート」のためだという。装置の稼働状況の監視にもSlackを利用している。これには、特定のメールアドレスにメッセージが届くとSlackの特定のチャンネルに投稿を行う、専用のプラグインを使う。同社のワークフローの中核を担う液体分注ロボットには、ジョブステータスが変わるときにメールを送る機能が備わっているため、特別なプログラミングは必要ない。そのメッセージの宛先に所定のアドレスを入力するだけで、Slackを通じて作業を追跡できるようになる。こうした単純な統合が非常に大きな力を発揮する、とCahoonは言う。「ロボットはメッセージを送れるのですから、間をうまくつないでやれば、彼らが何をしているのか人間がいちいち解釈して文章を書く必要はないのです」 。
カスタムプラグインの作成
Slackはさまざまな既成のプラグインを提供しているが(slack.com/app)、研究者が独自にプラグインを作成することもできる(詳細なチュートリアルはgo.nature.com/2htqpgx参照)。例えば、Ginkgo Bioworks社の開発者は、IDカードを机に置き忘れて外出してしまった社員を助けるために、カードキーで開閉するオフィスのドアを制御するカスタムボットを作った。「Slackを立ち上げて、ボットに『東27ドア開錠、正面ドア』とメッセージを送れば、カードキーを使ったときと同じようにドアが1分間だけ開きます」とCahoon。
同僚にお礼をする
ペンシルべニア大学ペレルマン医学大学院(米国フィラデルフィア)の計算生物学者Casey Greeneの研究チームでは、自分を助けてくれた同僚にBonuslyというプラグイン(go.nature.com/2h0ljip)を使ってポイントを贈り、謝意を示している。例えば、研究室のあるメンバーが特定のチャンネルに質問を投稿し、別のメンバーがそれに答えてくれたとしよう。質問者はSlackに「/give[ポイント数][ユーザー名][理由][#ハッシュタグ]」と入力して相手にポイントを贈り、お礼をすることができる。同僚にインフルエンザの予防接種を勧めた(#集団免疫)ことでポイントをもらったメンバーもいる、とGreene。Bonuslyのポイントは、ギフトカードなどのアイテムと交換できる。Greeneは、ポイントを使って研究室のメンバーに昼食をおごっている。
研究室全体のTo Doリストを作成する
Slackのプラグインを利用して、研究室のチャンネルごとやユーザーごとにTo Doリストを管理することもできる。脳画像処理ソフトウェア会社Vidrio Technologies(米国バージニア州アッシュバーン)の首席ソフトウェア開発者Nathan Clackは、Slackのリマインダーを使っている。「/remind me to check the incubator at 4pm(午後4時にインキュベーターを確認)」と入力しておけば、午後4時にSlackから自分にリマインダーメッセージが届く。「/remind @jeff to check the incubator at 4pm(午後4時になったらジェフはインキュベーターを確認)」などと入力すれば、チームの他のメンバーやチャンネル全体にリマインダーが送られる。一定の時間が経過したら特定の投稿を見直すように指示することもできる。「本当に便利です。とても気に入っています」とClackは言う。
新規メンバーにブリーフィングを行う
ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)のGeorge Churchの研究室でゲノムエンジニアリングとバイオインフォマティクスを研究している博士課程学生のGleb Kuznetsovは、Slackのチャンネルは検索することができるので、研究室に新メンバーが加入したときや、他のプロジェクトに従事しているメンバーが特定の研究に興味を持ったときに、研究の概要を説明するのが容易になると言う。彼らをチャンネルに招待して、これまでの投稿を読ませるだけでいいからだ。過去のメールの中から必要なものを探したり、同僚に重要なメッセージスレッドを転送してもらったりするよりずっと楽だとKuznetsovは言う。
ガス抜きをする
Giphyというウェブサイトの中から特定のキーワードに合うGIFアニメを探してくれるプラグインから、登録されている絵文字やカスタマイズできる絵文字の詰め合わせ(その1つ、Cult of the Party Parrot go.nature.com/2hipfpi)まで、多くの研究室が遊び用のチャンネルを設定している。Ginkgo Bioworks社には、Youtubeに投稿されたPaul Ruddのスキットばかりを集めたチャンネルがある。「私たちは『お笑い専用チャンネル』と呼んでいます」とCahoon。MacArthurの研究室には、「最高に怖い」クモの写真を動画にしたものを集めたチャンネルがある。MacArthurは、「このチャンネルがある理由は正直よく分かりませんが、これを見るたびに、なぜだかうれしくて仕方がないのです」。
翻訳:三枝小夜子
Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 12
DOI: 10.1038/ndigest.2017.171228