次世代の細胞運命を決める記憶
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細胞説の基本原理は、「全ての細胞は既存の細胞から生じる」というものである。精子と卵以外の全ての細胞は、細胞分裂により2つの新しい細胞(娘細胞という)になる際、娘細胞に自身のゲノムのコピーを渡す。そのため娘細胞は、分裂以前の母細胞のゲノムと本質的に同一のゲノムを受け継いでいる。その細胞自身が細胞分裂する際には自身のゲノムを次の世代の2つの娘細胞に伝える。しかし、母細胞から受け継ぐのはゲノムだけではない。タンパク質やRNA、その他の生化学的な産物や標識の形で、さまざまな「記憶」も受け継いでいる可能性がある。だが、これらの分子記憶を特定し、さらにそれらが細胞の振る舞いにどのように影響を及ぼすかを理解することは、長い間難しかった。このほど、スタンフォード大学医学系大学院(米国カリフォルニア州)のHee Won Yangら1は、母細胞が獲得した分子記憶が、娘細胞が増殖するか可逆的な休止状態(静止状態として知られる)に入るかを決定する際に影響を及ぼす仕組みを明らかにし、Nature 2017年9月21日号404ページに報告した。
細胞の増殖は、個体の発生にも、組織の維持にも欠かせない。細胞が増殖シグナルに応答すると、増殖の最初の段階(G1期として知られる)に進み、その後DNA合成を開始する(S期)。そして母細胞は、第2の増殖期(G2期)を経て有糸分裂と呼ばれる過程に入ると、内容物を2つの娘細胞に分配する。しかし、全ての細胞がこれらの過程を迅速に通過するわけではなく、S期の前に細胞周期から一時的に脱出して静止状態に入る細胞もある2。
では細胞は、増殖するか静止状態になるかをどのように決定しているのだろうか? 1970年代のある研究で、この決定がなされるのはG1期の間、つまり細胞がDNA合成を行うよう運命拘束される前であることが示唆された3。このモデルに従うと、それぞれの細胞はまっさらな状態であって、細胞周期に入るかどうかは、曝露されるシグナル伝達分子に基づいて娘細胞が自立的に決定できる、ということになる。しかし、2013年にこの考えに異議が唱えられた。一部の細胞は、S期に迅速に進入する傾向を備えていることが明らかになったのだ4。こうした細胞では、細胞周期に入るという決定が、母細胞のG2期の経験の影響を受けてなされていた。だが、母細胞の記憶が娘細胞に伝達される仕組みは、正確には解明されていなかった。
Yangらは、異なる組み合わせの増殖シグナルやDNA損傷シグナルで母細胞を刺激した後、それらを除去してから、娘細胞の増殖–静止状態を生細胞イメージングにより追跡した。その結果、新しく生じた娘細胞は、母細胞が経験したシグナル伝達の履歴を「記憶している」ことが分かった。具体的には、増殖シグナルに曝露された母細胞から生じた娘細胞は、サイクリンD1(G1期からS期への進行を促進するタンパク質5)の発現が高かった。対照的に、DNA損傷シグナルに曝露された母細胞から生じた娘細胞は、p21タンパク質(G1期進行の強力な阻害因子6)の発現が高かった。実際に、これらの2つの因子のバランスから、細胞が増殖するか静止状態になるかをよく予測できた。分子レベルでは、サイクリンD1とp21は競合してRbタンパク質(がん抑制遺伝子の転写産物で、細胞がS期に進入するかどうかを決定するスイッチとして機能する)のリン酸化を制御する。
しかし、p21タンパク質やサイクリンD1タンパク質の寿命は短いため、これらの因子が「細胞の記憶の基盤」として娘細胞に受け継がれるとは考えにくい。そこでYangらは、細胞には、母細胞のG2期から有糸分裂期を経て娘細胞のG1期まで持続する、より持続性の高い形の記憶が必要であると考えた。サイクリンD1をコードするメッセンジャーRNA(mRNA)分子は、そのタンパク質産物よりも寿命が長い。p21の活性化因子であるストレス応答性タンパク質のp53も同様に、DNA損傷によって活性化して安定化する。p53は、活性型になると、不活性型よりも約10倍長く存続できるとされる。
だが、活性型p53やサイクリンD1 mRNAが母細胞から娘細胞に伝達される際に、それらを直接視覚化することは技術的に難しい。そこでYangらは、この難問を解決するための間接的な証明として、寿命の長い両因子が母細胞で産生され、また、生じた直後の娘細胞で両因子を検出できることを示した。さらに、母細胞におけるこれらの因子の量の変化が娘細胞の運命に影響を及ぼすことも明らかになった。従って、サイクリンD1 mRNAとp53タンパク質は、相反する作用を持っていて、娘細胞の増殖–静止状態の決定を変化させる分子記憶であるといえる(図1)。娘細胞の運命に直接競合して影響を及ぼす分子が明らかになったのは、我々の知る限り、今回が初めてである。
図1 細胞の記憶を作り出す
細胞分裂はG2期と呼ばれる増殖期を経て進行し、続いて有糸分裂が起こる。新たに生じた娘細胞は、次の増殖期(G1期)に移行し、増殖するか静止状態になるかの運命が拘束される。母細胞に増殖因子を添加すると、細胞内にサイクリンD1 mRNAが蓄積する。一方、母細胞にDNA損傷が起こるとp53タンパク質が活性化する。赤色の矢印の太さは、母細胞が曝露されたDNA損傷の程度や添加した増殖因子の量を示す。Yangら1は、母細胞のサイクリンD1 mRNAとp53が有糸分裂を経て娘細胞まで持続し、その後サイクリンD1 mRNAはタンパク質に翻訳され、p53はp21タンパク質の産生を促進することを報告した。また、娘細胞が増殖するか静止状態になるかが、p21/サイクリンD1比によって正確に予測できることも示された。
Yangらの研究からはもう1つ、予期していなかった知見も得られた。単一細胞の振る舞いを、2つの分子の量のみで、非常に優れた精度で予測可能なことである。増殖–静止状態の決定は、p21/サイクリンD1比の変化に非常に高い感度で応答することが示された。この比率がわずかに変化することで、娘細胞の運命決定が劇的に切り替わる可能性がある。この知見は、サイクリンD1とp21が、上流の因子群が媒介する増殖促進や増殖阻害の多数のシグナルをまとめ、単一の出力に集約する複雑な分子漏斗の終点であることを示しているのかもしれない。またこの成果は、幹細胞が自己複製するか分化するかを決定するといった細胞運命の二択が、受け継がれ競合する比較的少数の記憶シグナルセットによって事前に決まっている、という可能性も開く。
Yangらの研究では、DNA損傷の場合に母細胞から娘細胞に伝達されるのは、損傷そのものではなく、損傷の記憶のみであることも興味深い。母細胞の複製ストレスは、有糸分裂の間続くDNA損傷となって娘細胞の静止状態を引き起こすことが2017年に報告されて7,8、今回の知見はそれとは一致しない。この矛盾は、YangらがDNA切断の影響を調べるために、自然界で起こるよりも大量のDNA損傷を誘導したことに起因する可能性がある。DNA損傷の程度が大きいほど効率的な応答が引き起こされる、つまり、G2期で一時的に細胞周期を停止させて損傷を修復してから有糸分裂へと進むため9、損傷が伝達されないのかもしれない。いずれにせよ、DNA損傷の履歴は、細胞の増殖–静止状態の決定の重要な要因であると考えられる。DNAの損傷とその記憶はどちらも、静止状態を誘導して、増殖中の組織でがんを引き起こす可能性のある変異の蓄積を減らしている。
競合する分子記憶という概念は魅力的だが、個々の細胞の振る舞いに関する疑問が浮かび上がる。例えば、一対の娘細胞が互いに異なる決定をすることがあるのはなぜだろうか? 1つの可能性としては、p53とサイクリンD1 mRNAは分裂の際に娘細胞に等しく分配されないことが考えられる。この仮説は、これらの因子の相対的な量を分裂直後の姉妹細胞間で比較することで調べられるかもしれない。また、分子記憶が外因性のシグナル(例えば、G1期でのさらなるDNA損傷、隣接細胞からのシグナル、機械的な力10)とどのように協調するのだろうか? これらの外的要因はおそらくin vivoにおいて役割を担っていて、in vivoでは複雑な組織の不均一な構成によって、個々の細胞の記憶を増強するか、抑制するかのどちらかに機能すると考えられる。
翻訳:三谷祐貴子
Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 12
DOI: 10.1038/ndigest.2017.171231
原文
The persistence of memory- Nature (2017-09-21) | DOI: 10.1038/nature23549
- Katarzyna M. Kedziora & Jeremy E. Purvis
- Katarzyna M. Kedziora & Jeremy E. Purvisは、ノースカロライナ大学チャペルヒル校(米国)に所属。
参考文献
- Yang, H. W., Chung, M., Kudo, T. & Meyer, T. Nature 549, 404–408 (2017).
- Temin, H. M. J. Cell Physiol. 78, 161–170 (1971).
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