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セシウム使用中止の圧力に苦悩する生物学者たち

Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 8 | doi : 10.1038/ndigest.2016.160816

原文:Nature (2016-05-12) | doi: 10.1038/533156a | Biologists struggle with push to eliminate radioactive caesium in labs

Jeff Tollefson

放射性セシウムの盗難を懸念し、生物医学研究で広く用いられているセシウムγ線照射装置をX線照射装置へと切り替える検討が各国で進む中、研究者たちは、研究結果に影響を与えかねないと憂慮する。

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Oleksandr Marynchenko/Hemera / Getty Images Plus/Getty

ベイラー医科大学(米国テキサス州ヒューストン)のMargaret Goodellの免疫学研究室でマウス実験を実施しようとする研究者は皆、米国連邦捜査局(FBI)による素性調査に始まる多くの安全対策に従わなければならない。というのは、Goodellは、幹細胞移植予定のマウスの骨髄破壊に、セシウム線源を用いたガンマ(γ)線照射装置を使用するからだ。米国政府は、放射性セシウムが盗まれて「汚い」爆弾の製造に使用されることを危惧しているのだ。

現在、米国国家核安全保障局(NNSA)は科学者と共同で、セシウムγ線照射装置を危険性の低いX線照射装置にどうすれば置き換えられるか、またそうした置き換えを実施するかどうかについて検討している。セシウムγ線照射装置は、免疫療法からがん治療に至るさまざまな研究に、何十年にもわたって使用されてきた。一部の研究者は、これをX線照射装置に切り替えることで研究結果に影響が出ることを恐れている。

Goodellは、セシウムγ線照射装置とX線照射装置とでは、マウスの免疫システムの応答の仕方に微妙な違いがあることを見いだし、ベイラー医科大学にあるセシウムγ線照射装置の方が好ましいと考えている。彼女は、X線照射では、リンパ球系細胞の1つであるB細胞という免疫細胞の回復がセシウムγ線照射よりも遅いことを研究で明らかにした。しかし骨髄系の免疫細胞では、X線照射後の方が早く回復した(B. W. Gibson et al. Comp. Med. 65, 165–172; 2015)。つまり、「X線を使った研究と、10年前に実施された研究とを比較することが難しくなります」と彼女は言う。

原子力規制機関側からすれば、セシウムがもたらすリスクは明白だ。セシウムの高放射性同位体の1つであるセシウム137は、粉末状態で扱われるため、空気中や水中に放散する恐れがある。セシウム137からの放射線に被ばくすると、放射線量に応じて、火傷、放射線病、放射線死に至る可能性がある。セシウムγ線照射装置は、長年にわたって血液供給時のリンパ球の不活化や研究に利用されてきた。線源は、放射性塩化セシウムを封入した小型カプセルで、鉛で覆われたケースに収められている。米国の医療施設や研究施設には、800台を超えるセシウムγ線照射装置が置かれている。

フランス、ノルウェー、日本などの国々は、安全上の懸念から、血液バンクでのセシウムγ線照射装置の使用を避ける方向に動いている。そして2015年には、NNSAも同様の策を取ろうと米国内の病院に働きかけを始めた。血液のリンパ球不活化処理だけならば、代替法の探索は比較的容易だ。しかしNNSAは、もっと厄介な問題、つまり、その他の用途では「X線照射装置は従来のセシウムγ線照射装置とどう違うのか」ということをはっきりさせることを目的として、研究者に協力を求めているのだという。

「研究者たちに話すと、我々が装置を取り上げようとしていると思って不安視します」とNNSAの放射線安全保障担当のディレクターMaegon Barlowは言う。「支援しようとしているだけで、強制しようとしているわけではありません」。

NNSAは、X線照射装置とセシウムγ線照射装置を比較する新たな研究を支援しようと、マウント・サイナイ・ヘルス・システム(米国ニューヨーク)と交渉中である。同組織の放射線安全部門のチーフ・オフィサーJacob Kamenは、既に同様の実験を行った研究者もいると指摘する。

マウント・サイナイ医科大学(米国ニューヨーク)で臓器移植研究を率いるPeter Heegerと共同研究者らは、臓器提供を受ける患者の免疫応答を調べる際、セシウムγ線照射装置を用いる。受容者の体が新しい臓器を拒絶するかどうかを予測するため、臓器提供者のB細胞を培養し、受容者の免疫細胞に対する応答を調べる。B細胞の分裂には、結合組織由来の細胞(この場合は繊維芽細胞)が必要だが、こちらが増殖しては困るため、Heegerのチームはこの過程でセシウムγ線照射を行い、繊維芽細胞の増殖を抑制する。チームは一連の未発表実験を行い、繊維芽細胞の増殖抑制に必要なX線の放射線量を決定した。

「必要な情報はもう得られました。この手順に関しては、X線に切り替えてもよいと考えています」とHeegerは言う。

しかし多くの研究者は、長期にわたる実験を行わなければ、X線に切り替えても自信を持って結果を出せると確信できないだろう、とGoodellは言う。彼女は、既に安全対策が実施されていることを考慮すると、X線への移行が必要だとは思えないという。ベイラー医科大学でセシウムγ線照射装置を使用する必要のある者は、セキュリティーバッジを提示し、暗証番号を入力し、虹彩スキャンを受けなければならない。また、照射装置のある部屋も安全対策が施されており、その中でもしも誰かがセキュリティープロトコルに違反したら、自動的に大学のセキュリティーオフィスで警報が鳴るようになっている。

「生物学者の立場からすると、セシウムγ線照射装置に安全上膨大なリスクがあるという主張がどうして通ってしまうのか、私には分かりません」と彼女は言う。

セシウムγ線照射装置の使用中止の支持者は、核物質が悪人の手に渡るリスクを可能なかぎり排除することが目的だと言う。照射装置を保護する安全対策が実施されていても、許可を得て装置に近づくことができる者による核物質の盗難を必ずしも防ぐことはできないからだと、米国科学者連盟(ワシントンD.C.)の理事長Charles Fergusonは言う。核物質を保護する取り組みは、照射装置の廃棄やリサイクルばかりでなく、「内部関係者の脅威」にも重点を置いている。照射装置には、数世紀にわたって危害を及ぼす量のセシウムが含まれている可能性があるのだ。

「人類が科学の恩恵を失うことは望んでいません」とFergusonは言う。「しかし、同等の代替技術を開発することで安全上の脅威をゼロにできるのなら、それがよいと考えています」。

(翻訳:藤野正美)

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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