再生医療製品の早期承認制度は果たして得策か
日本は、再生医療の研究と臨床応用で最先端の地位を守ることに無我夢中で取り組んでいる。患者の成熟細胞を再プログラム化して体内のさまざまな組織に分化できるようにした人工多能性幹(iPS)細胞の研究に数十億円の予算が計上され、薬事法の改正により医薬品や医療機器とは別に「再生医療等製品」という分類が新設され、当該製品の迅速な実用化のための条件および期限付きの「早期承認制度」が創設された。
この戦略はある程度奏功している。2015年9月には改正法の下で最初の再生治療製品が複数承認された。日本国内で再生医療関連事業を強気に展開する会社によれば、早期承認制度こそが患者のニーズに最も迅速に応える方法であり、これがなければ、再生治療製品の開発は数年にわたって数百億円の費用を要する第I~IV相の臨床試験で行き詰まるという。しかし、早期承認制度が患者に恩恵をもたらすものか、あるいは日本の医療制度の過大な負担の軽減に役立つものかは、現時点では明らかではない。
この新制度によって承認を受けた再生治療製品の1つである「ハートシート」(テルモ株式会社製)は、患者の大腿部から採取した骨格筋に含まれる筋芽細胞(未分化で単核の筋細胞)を培養してシート状にした製品で、重症の心不全患者の心臓表面に移植される。このハートシートは、第II相臨床試験で7人の患者について安全性と有効性が示唆されたところで、薬事当局が製造販売の「条件付き承認」とした(Y. Sawa et al. Circ. J. 79, 991–999; 2015)。
これによってテルモ社は、ハートシートのマーケティングと販売ができるようになった。この承認に付けられた条件は、ハートシートによる治療を受けた患者60人以上と対照者120人のデータを5年以内に提出して、この製品の有効性を実証することだ。このデータの検討は従来の第III相臨床試験並みに厳しく行われることになると、新しい医薬品、医療機器、再生医療等製品の承認審査を行う独立行政法人医薬品医療機器総合機構の職員は話す。
こうした条件付き承認は、日本政府が執念を燃やす2つの目標の実現を後押しするためのものだ。第一が、日本は再生医療分野で世界最先端の国家であるべしというもので、日本人科学者のノーベル賞受賞につながったiPS細胞が国家プロジェクトになって以降、そのための努力が根気強く積み重ねられてきた。第二が、経済成長を駆動する新たなエンジンを見つけなければならないというもので、これまでのところバイオテクノロジーでの成功はわずかなものだったため、再生医療には期待が集まっているのだ。
この条件付き承認には、世界中のバイオテクノロジー企業が色めき立っている。かつて再生医療の先駆的企業であったバイオテクノロジー企業ジェロン社(Geron;米国カリフォルニア州メンロパーク)は胚性幹(ES)細胞療法を断念してしまい、また、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸市)の高橋政代プロジェクトリーダーは現在、iPS細胞由来の網膜の移植による加齢黄斑変性治療の2例目の臨床試験を中断している。こうした中、商業化の話は明るい材料として歓迎されたのだ。
治療を希望する患者は医療費の支払いを進んで行うだろうが、ハートシートによる治療は約1500万円と高額だ。そこで厚生労働省は、2015年11月にハートシートを用いる手術に対する国民健康保険の適用を決定した。この決定は患者の役に立つものと考えられるが、それでもなお、患者は現時点で有効性が確認できていない製品の代金の10~30%を負担する。つまり患者は、実際にはテルモ社の臨床試験を助成することになるのだ。
投資とそれに伴うリスクは製薬会社が負うのがこれまでの通例で、長期的に見れば製薬会社に利益が生じることがその理由である。しかし日本は、創薬モデルの一大転換を図った。このモデルでは、リスクを製薬会社以外のものに負わせており、製薬会社は新製品の有効性が明確になる前から収入が得られるようになっている。
この制度には、有効性が認められる可能性のある再生治療製品の上市を企業に奨励する効果がある、と日本政府は主張する。少なくとも小規模な初期の臨床試験に合格するまではうまくいくと考えられる。多くの新薬はそこまでは行くのだが、第III相試験で大部分が頓挫するのだ。
海外のバイオテクノロジー企業はこの新制度に乗り気で、自国の規制当局に対して日本に追随することを求めている。だが、これは得策ではない。世界各国の規制当局は、少なくとも日本で早期承認制度がうまくいくことが分かるまで、そうした制度創設を求める圧力に抗するべきだ。時間がかかるだろうが、医療制度が新しい再生治療法の費用負担に耐え、患者が「裏切られた」という気持ちにならないことが日本で実証されなければならないのだ。将来、早期承認制度によって承認された製品に効果が見られないということが、きっと起こる。そのときはどうなるのだろう? そうした有効性のない治療法に最大450万円(残りは国民健康保険が適用される)を支払った患者がいても、患者に対する補償はないと企業の役員や政府関係者は話す。
日本の薬事当局は、早期承認制度によって承認された製品に関する市販後の検証を当初表明したとおり厳格に実施することを保証しなければならない。通常の承認でも条件付き承認でも、いったん承認された製品に制限を加えるのは容易でないからだ。きちんとした検証が行われないために、有効性の乏しい製品を発見できず、そうした製品に対する販売中止措置が実施されないのなら、役に立たない製品が日本国内にあふれる恐れがある。患者、政府やバイオテクノロジー企業は、真に効能・効果がある医薬品だけが「医薬品」と表示されることを求めており、効果のない製品が大量に生じる状況は決して望ましいものではない。
翻訳:菊川要
Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 3
DOI: 10.1038/ndigest.2016.160334
関連記事
Advertisement