フィラエが見て、触れて、嗅いだもの
2014年11月12日、欧州宇宙機関(ESA)の着陸機フィラエは、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星への着陸という歴史的偉業を達成した。ところが、想定外の場所に着地したことで、フィラエは約3日間の活動の末に休眠状態に入ってしまった。その後、彗星が太陽に近付いた2015年6月13日、再起動に成功して世界を沸かせたものの、母機である探査機ロゼッタへの通信は断続的でなかなか確立されず、7月9日を最後に途絶えている。その間、彗星はフィラエを乗せたまま8月13日に近日点を通過し、太陽から遠ざかり始めた。残念だが、地球の科学者たちがフィラエからの便りを受け取ることは、もうないのかもしれない。
けれどもフィラエは休眠前に、その貴重な観測データ全てを地球に送り届けていた。このたび、フィラエがロゼッタから分離された後、63時間にわたって行った初期観測のデータを分析した初めての結果が、8編の論文として発表された1–8。だが、その不可解な内容に科学者たちは当惑している。彗星はこれまで、太陽系の黎明期をそのまま閉じ込めたタイムカプセルのような天体だと考えられていたが、そうではない可能性が出てきたからだ。
フィラエに搭載されている軽元素分析装置Ptolemyの共同研究者で、オープン・ユニバーシティ(英国ミルトンキーンズ)の物理化学者Geraint Morganは、「知れば知るほど分からなくなる、といった感じです。それほど、この彗星は予想以上に複雑だったのです」と言う。
ハードな問題
Science 2015年7月31日号に掲載された論文によると、まず最初の難問は、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の表面が、科学者たちの予想をはるかに超えて硬かったことだという。ロゼッタから分離されたフィラエは、着陸点として選ばれた「アギルキア(Agilkia)」と呼ばれる地点でバウンドし、クレーターの縁に軽く接触した後、再び大きくバウンドして、最終的に「アビドス(Abydos)」と呼ばれる崖の陰の暗い地点に静止した(Natureダイジェスト 2015年2月号「フィラエの64時間」参照)。このとき、フィラエの脚の緩衝システムがどのように圧縮されたかを測定したデータ1と、フィラエに搭載されたMUPUS(表面・表面下科学多目的センサー)のハンマー機構が彗星表面にプローブを差し込むのに失敗したときのデータ2から、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星が強固な地殻を持ち、ところどころ塵や氷からなる軟らかい層に覆われていることが分かった。MUPUSのデータからはさらに、アビドスでの1日の気温変化は当時90~130K(-183~-143℃に相当)であったことが明らかになった2。またROMAP(ロゼッタ着陸機磁力計・プラズマモニター)のデータからは、彗星には検知可能な磁場が存在しないことが確認されている3。
フィラエのプロジェクトマネジャーであるドイツ航空宇宙センター(DLR;ケルン)のStephan Ulamecは、今回の発見をきっかけに、将来の彗星着陸機の設計が大きく変わるかもしれないと考えている。というのも、NASAの彗星探査ミッション、ディープインパクトおよびスターダストで得られた結果はいずれも、彗星の表面が非常に脆い物質で覆われていることを示唆しており、フィラエの着陸前には「軟らかい塵の中に何mも埋まってしまうのでは」と危惧する声もあったからだ。「今後は、かなり硬い物質にも対応できるような装置を考えなければならないでしょう」とUlamecは言う。
彗星のこうした硬い表面は、氷の粒が圧縮されて固まったり、太陽放射を受けて再結晶化したりして形成された可能性がある。MUPUSチームのメンバーであるベルン大学(スイス)の惑星科学者Karsten Seiferlinは、こうしたプロセスが彗星表面で起こり得ることは1990年代に行われた彗星のシミュレーションですでに示されている、と指摘する。
Seiferlinはまた、「彗星は形成後も変化し続けてきた可能性がある」という概念は、ミッションの大部分に影響を及ぼすだろうと考えている。今回のミッションは、彗星のような天体は太陽系が誕生した当初からほとんど変化していないという前提で計画されたからだ。今回明らかになった、彗星を覆う硬い地殻も、表面の物質や構造の多様性も、最近の変化によって生じた可能性がある。
例えば、Ptolemyの質量分析計による彗星の表面物質の分析結果からは、H2OやCO2、CO、N2などの他、「ポリオキシメチレン」と呼ばれるポリマーの存在を示すスペクトルが見つかっている4。こうしたポリマーは、彗星の表面に太陽光が当たり、単純なホルムアルデヒド分子の重合反応を誘起することによって形成されたと考えられる。こうしたポリマーの生成プロセスは複雑な有機分子の生成プロセスと似ていることから、Ptolemyチームのメンバーであるオープン・ユニバーシティの惑星科学者Andrew Morseは、彗星の表面では他にも複雑な有機分子が生成されており、そのため白いポリオキシメチレンが存在しながら黒っぽく見えるのかもしれないと言う。Morseはまた、こうした比較的新しく形成された有機物の存在によって、彗星の歴史の早い段階で形成された他の興味深い化合物からのシグナルが隠されている可能性があるとも考えている。
「太陽系の歴史について何らかの結論を導き出すには、現在進行中の物理過程や化学反応を理解する必要があるということです」とSeiferlin。
空洞だらけ
フィラエには、ROLIS(ロゼッタ着陸機撮像システム)とCIVA(彗星赤外線可視光分析装置)の2種類の撮像装置が搭載されており、ROLISはフィラエがチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星に向かって降下する間の彗星表面の様子を、CIVAは着陸後のフィラエを取り巻く状況をそれぞれ撮影した。ROLISの画像には、数cmから5mまでとさまざまなサイズのレゴリスの他、風によってできたと思われる筋状の模様も確認され、彗星の表面が風食作用により形作られていることが示唆された5。一方、CIVAのパノラマ画像は、彗星の表面がサイズや質感、アルベド(反射率)の異なるさまざまな物質に覆われており、また複雑な構造を伴う断裂や亀裂(アビドスの崖に代表される)の存在も示している6。ミッションチームが首をかしげるほど、この彗星の風景は不均一で多様だが、CONSERT(彗星核の電波伝搬実験装置)を使った実験の結果はかえって謎を深めるものだった。チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星は、よくアヒルのおもちゃに見立てられるが、その「頭部(小さい方の塊)」を挟む形でフィラエとロゼッタ間で電波を送受信したところ、その内部が少なくとも数十mのスケールで非常に均一な組成になっていることが分かったのだ7。
CONSERT実験からは、彗星内部が孔だらけであることも明らかになった。なんと75~85%が空洞なのだ。ロゼッタに搭載されている撮像システムOSIRISチームのメンバーであるメリーランド大学カレッジパーク校(米国)の天文学者Michael A’Hearnは、彗星の密度の低さと表面の硬さは矛盾しているわけではないが、両者の折り合いをつけるためには何らかの説明が必要だと指摘する。
一方、COSAC(彗星サンプル採取・組成分析)の質量分析計による分析では、アルコールやアミンなど計16種類の有機化合物が検出された8。そのうち、イソシアン酸メチル、アセトン、プロピオンアルデヒド、アセトアミドの4種類は、これまで彗星上で発見されたことのない物質である。COSACの主任研究者であるマックス・プランク太陽系研究所(ドイツ・ミュンヘン)のFred Goesmannはこの結果について、彗星から直接得られた最初のデータとしては興味深いが、とりたてて驚くようなものではないと言う。地球で生命を誕生させた材料物質は、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星のような彗星によってもたらされたという仮説があり、確かに今回フィラエが見つけた物質は生命のもとになり得るものだが、この仮説を裏付ける証拠としては不十分だったからだ。
COSACもPtolemyも質量分析計を備えた装置だが、ドリルを使ったサンプル採取ができなかったため、「スニッフィング(嗅ぐ)」と呼ばれる機器中に自然と入ってくる物質を分析するモードしか使えなかった。そのため、COSACはこうした有機分子が地球上の生命を構成する分子と同じ掌性(キラリティー)を持つかどうかを調べることができず、Ptolemyも彗星のサンプルと地球のサンプルの同位体比を比較することはできなかった。
最後まで諦めない
だが、COSACとPtolemyがデータを得られたのは幸運だった。というのもこれらの装置が分析したサンプルには、フィラエが彗星表面でバウンドした際に巻き上げられた塵が偶然装置内に入り込んだものも含まれていたからだ。また、Ptolemyの排気管がフィラエの上部に上向きで設置されているのに対し、COSACの排気管は底部に下向きで設置されているため、装置内に入り込んだ彗星表面物質の量も異なっていたと考えられる。実際、COSACではPtolemyよりも多くの窒素含有化合物が検出されており、これは、ガスよりも塵の方が窒素を多く含んでいた、というハレー彗星の研究結果とも一致する。なお、硫黄含有化合物については、Ptolemyと同様COSACでも検出されなかった8。これらの分析は、バウンド後の空中移動中に行われたが、フィラエの最終着陸地であるアビドスにはあまり塵がなかったため、ここで「嗅ぐ」ことができたデータはわずかだった。
現在チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星は、2014年11月のフィラエ着陸時より太陽に近い場所にあり、ガスや塵の放出量は明らかに増えている。フィラエが今実験を行うことができれば、スニッフィング・モードでもさらに多くのデータが得られるはずだが、ミッションチームはフィラエからはもう通信は来ないかもしれないと考えている。
2015年6月、彗星の表面温度が上昇し、太陽光がよく当たるようになったことで、フィラエは太陽光発電が可能になり再起動できたが、通信は途切れ途切れの状態だった。チームは7月5日と9日の2回、フィラエにCONSERT実験再開のコマンドを送信した。最初のコマンドへの反応はなかったものの、2度目のコマンドには明らかに反応し、間もなくフィラエはCONSERT実験の観測データをロゼッタに送信してきた。だが、これを最後に再び通信は途絶えてしまった。ミッションチームは、フィラエの送信機の少なくとも1つに不具合が生じていると考えている。また、フィラエのソーラーパネルに当たる光の量に関するデータは、フィラエがわずかに動いたか、周囲の地形が変化したことを示唆している。ロゼッタとフィラエの間で通信を行うためには、両者のアンテナの向きをぴったりと合わせる必要があるが、6月に通信に成功したセッティングは、もはや適していない。チームはこの状態のまま、実験再開の別のコマンドをフィラエに送信したという。これらのコマンドをフィラエがもし受信していれば、一連の科学実験を行って次に通信が安定するまでそのデータを貯蔵しているはずだ、とオペレーション・マネジャーであるDLRのCinzia Fantinatiは言う。ロゼッタのミッション・マネジャーPatrick Martinは、ミッションの最優先事項はロゼッタによる彗星の科学探査だが、今後もフィラエとの通信は試み続けると話す。
翻訳:三枝小夜子、編集:編集部
Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 10
DOI: 10.1038/ndigest.2015.151005
原文
Philae’s comet discoveries create series of conundrums- Nature (2015-07-30) | DOI: 10.1038/nature.2015.18102
- Elizabeth Gibney
- 関連ビデオ:Why Pluto?
参考文献
- Biele, J. et al. Science 349, aaa9816 (2015).
- Spohn, T. et al. Science 349, aab0464 (2015).
- Auster, H-U. et al. Science 349, aaa5102 (2015).
- Wright, I. P. et al. Science 349, aab0673 (2015).
- Bibring, J-P. et al. Science 349, aaa0671 (2015).
- Mottola, S. et al. Science 349, aab0232 (2015).
- Kofman, W. et al. Science 349, aab0639 (2015).
- Goesmann, F. et al. Science 349, aab0689 (2015).
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