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遺伝子改変技術に新時代到来!

マーモセットは近く、標的遺伝子改変が可能な初めての霊長類モデルになるかもしれない。

Credit: 実験動物中央研究所 井上貴史

エモリー大学(米国ジョージア州アトランタ)の遺伝学者Anthony Chanは、2年の歳月を費やして、ヒトの変異(ハンチントン病の変異)を持つ遺伝子改変サルを、世界で初めて作出した。しかし、作出した5頭のうちの3頭は、予想よりもはるかに速く重度の症状を呈して生後1カ月以内に死亡したことが、2008年に報告された1。変異導入の際にウイルスを用いたため、無作為に余分なコピーがゲノムに挿入されて症状が増強されたことが原因と考えられる。Chanのこの結果から、霊長類で特定の遺伝子機能を標的とした疾患モデルを作出するのに、ウィルスを使った手法だけでは限界があることが浮き彫りになった。

そこで注目を集めているのが、近年開発された「ゲノム編集」だ。この手法では、ウイルスの代わりにDNAを切断する酵素とガイドRNAなどを用いて、ゲノム内の狙った場所を高い精度で「編集」する。現在、この技術による「遺伝子改変サル」の作出に大きな期待が寄せられている。マウスに比べ、ヒトの遺伝学的疾患をより忠実に再現でき、薬剤開発研究が格段に進むと考えられるからだ。また神経科学分野でも、非ヒト霊長類モデルを用いることで、単純な生物では見られない行動を司る複雑な神経回路のマップ作成や検討が可能になり、基礎研究が加速するとも言われている。「これまで遺伝子改変サルの作製なんて、想像すらできませんでした」と、Chanは言う。

霊長類ほどの複雑な認知能力や社会性を持たないマウスでは、自閉症、統合失調症、アルツハイマー病などの疾患は完全に再現できず、また、マウスで有望とされた神経刺激薬の多くは、ヒトでの臨床試験で失敗に終わっている。神経科学者は長い間、遺伝子改変サルが作出されるのを待ち望んでいた。

遺伝子改変非ヒト霊長類を作出する取り組みは、すでに始まっている。慶應義塾大学(東京都)および実験動物中央研究所(神奈川県川崎市)に所属する遺伝学者佐々木えりかは、レンチウイルスを用いて、改変遺伝子を子孫に伝達できる遺伝子改変マーモセットを世界で初めて作出した2。2013年11月11日には、米国神経科学会年会(カリフォルニア州サンディエゴ)において、佐々木が免疫不全マーモセット、岡野栄之(慶應義塾大学)が自閉症マーモセットモデル作出に向けた取り組みを行っていることを発表した。この分野への関心は高く、翌月には、ソーク生物学研究所(米国カリフォルニア州ラホヤ)主催によるワークショップが開催され、分子生物学者、バイオエンジニアおよび神経科学者たちが集まった。「この分野はとてつもない可能性を秘めています」と、ソーク研究所の計算論的神経生物学研究室を率いるTerrence Sejnowskiは言う。

しかしその一方で、現在もマウスを使った研究が盛んに行われている。現時点で標的遺伝子の編集が可能なためだ。マウスでの標的遺伝子編集法は、自然発生率の非常に低いDNA交換事象である「相同組換え」を基盤として、特定の遺伝子の変更や機能不全を生じさせる。

ただし、標的遺伝子改変マウスを得るまでには困難な段階をいくつも踏まねばならない。①目的とする変異を設計し、胚性幹(ES)細胞に導入する。この段階は相同組換えに依存しているため、組換えが成功する確率はかなり低く、変異が導入されるのはES細胞のごく一部だ。②変異が導入されたES細胞を、発生中のマウス胚(レシピエント)に注入する。③生まれた仔マウスが、レシピエントの遺伝子を持つ細胞と変異が導入された遺伝子を持つ細胞から構成されていれば、「パッチワーク」状のキメラマウスとなる。④キメラマウスの精子あるいは卵に変異が保持されていてようやく、標的遺伝子が改変された子孫マウス作出が可能になる。

確率は極めて低いにもかかわらず、この手法で標的遺伝子改変マウスが得られる理由は、マウスの幹細胞の維持やスクリーニングが比較的安価で行えることにある。さらに、マウスは数週間で性成熟に達し、1回の出産で10匹前後の仔を産むなどの利点がある。「サルではマウスのようにはいかないのです」と、ソーク研究所の神経科学者Edward Callawayは説明する。マーモセットは、性成熟に15カ月を要し、妊娠期間は5カ月で、1回の出産での産仔数は2頭であることが多い。マカクザルに至っては、性成熟に3年、妊娠期間5.5カ月、1回の出産で通常1頭しか産まないため、この手法では非常に長い年月がかかる。

SOURCE: FENG ZHANG/MIT

しかし、胚を1つずつ操作できる効率的な遺伝子編集技術が開発されたおかげで、遺伝子改変サルが現実になりつつある。例えば、ジンクフィンガーヌクレアーゼは、ゲノム上の特定の配列を認識して遺伝子を切断するので、標的遺伝子の機能の破壊あるいは外来DNAでの置換が可能である。またCRISPRシステムでは、カスタマイズ可能なRNA断片を用いて、DNA切断酵素を正確に標的位置に誘導できる(「CRISPRシステムによる切断」参照)。マサチューセッツ工科大学(MIT;米国ケンブリッジ)の合成生物学者Feng Zhangは2013年5月に、CRISPRシステムを用いてマウス胚の複数の遺伝子に正確に変異を導入できることを示した3。彼は、CRISPRシステム によって、複数の遺伝子が関与するヒト脳疾患のサルモデルの開発が可能になるかもしれないと話す。

また、MITマクガバン脳研究所の所長Robert Desimoneは、「遺伝学を基盤とする疾患の治療法のいくつかを、ようやく霊長類で試験できるかもしれないのです」と語る。

現在MITは、オレゴン国立霊長類研究センター(米国ビーバートン)との共同研究で、サル受精卵でのCRISPRシステムによる遺伝子編集に取り組んでいる。目標は、まず遺伝子を機能不全にすることだ。Zhangの共同研究者の1人であるMITの神経科学者Gouping Fengは、ヒトの自閉症でいくつかの症例に関与しているSHANK3遺伝子を破壊したいと考えている。ただ、ある遺伝子をサブタイプの異なる遺伝子と交換するなどの遺伝学的変化を起こさせるには、さらなる研究と技術が必要だとZhangは話す。

またZhang は、CRISPRシステムを使えば、マウスのニューロンで現在行われているように、サルでも特定の種類のニューロンを標識したり、光で制御したりできるようになるかもしれないと付け加える。

特に基礎神経科学者は、霊長類でCRISPRシステムが成功するかどうか注視している。ニューヨーク大学(米国)でサルの視覚を研究しているAnthony Movshon は、この10年間、マウスやハエで遺伝学的ツールを用いた神経活動の刺激、抑制および記録が行われるのを見守ってきた。しかし、認知、注意、記憶および意思決定などの神経科学の重要な領域では、多くの場合、マウスやハエは「それほど興味深い生物ではない」とMovshonは言う。

遺伝子改変サルへの期待が高まる一方で、実際はサルを使った研究がますます困難になっているのが現状だ。動物愛護運動家の数年に及ぶ活動により、2013年1月、ユナイテッド航空が研究用サルの輸送停止を発表した。その結果、霊長類研究者が利用できる北米航空会社が皆無になった(Nature 2013年3月22日号381〜382ページ参照)。また、2013年4月には、米国立衛生研究所(NIH;メリーランド州ベセスダ)が支援する8つの霊長類研究所のうちの1つであるニューイングランド霊長類研究センター(米国マサチューセッツ州サウスボロ)の閉鎖が決まり、同施設は動物を他の施設に段階的に移送することになっている。

議論はあるが、ヒト脳疾患の治療の検索や、意識を生み出すニューロンネットワークの研究では、遺伝子改変サルの使用こそが最善の道ではないかと話す研究者もいる。「知りたいことに対して適したモデル系で研究を行いたいのです。マウスでの実験系が適していないのにマウスで実験を行うことは、非倫理的な行為でしかありません」と、Movshonは言う。

翻訳:三谷祐貴子

Nature ダイジェスト Vol. 11 No. 2

DOI: 10.1038/ndigest.2014.140210

原文

Precision gene editing paves way for transgenic monkeys
  • Nature (2013-11-07) | DOI: 10.1038/503014a
  • Helen Shen

参考文献

  1. Yang, S.-H. et al. Nature 453, 921–924 (2008).
  2. Sasaki, E. et al. Nature 459, 523–527 (2009).
  3. Wang, H. et al. Cell 153, 910–918 (2013).