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海洋生物にしのび寄る放射能汚染

原文:Nature 472, 145-146 (号)|doi:10.1038/472145a|Radiation release will hit marine life

Quirin Schiermeier

損傷した福島第一原子力発電所から海への放射性物質の流出が続いている。生態系への影響を見きわめるには、できるだけ早い時期に広い範囲で海洋調査を実施する必要があるだろう。

日本の沿岸で収穫される褐藻類(上)は放射性ヨウ素を取り込む。
日本の沿岸で収穫される褐藻類(上)は放射性ヨウ素を取り込む。

Credit: JIJI PRESS/AFP/GETTY IMAGES

「太平洋は広い」―これは、福島第一原子力発電所から放射性物質が海に流出していることが明らかになって以来、何度も繰り返されている言葉だ。

海に流出した放射性物質が高度に希釈されることについて、異論はない。それでも研究者たちは、福島周辺の海域の生態系が受ける被害を評価するために、できるだけ早い時期に海洋調査を開始する必要があると考えている。今回の放射能汚染が、海洋生物にただちに悪影響を及ぼすとは考えにくい。だが、半減期の長い放射性物質は食物連鎖を通して生体内に蓄積していくと考えられ、魚類や海洋哺乳類の死亡率の上昇などの問題を引き起こす可能性があるのだ。

ウッズホール海洋研究所(米国マサチューセッツ州)の海洋地球化学者 Ken Buesseler は、こう語る。「ある海域で放射性物質が検出されたからといって、そこが危険であるというわけではありません。とはいえ、今回のケースは、最大規模の人為的な放射性物質の海洋流出になります。我々は、何が起きているのか評価できるだけのデータをまだ見ておらず、さらなるモニタリングが行われるなら、どんなものでも歓迎します」。

3月下旬から4月上旬にかけての調査では、福島第一原子力発電所周辺の海域だけでなく、30km沖合で採取した海水からも、きわめて高濃度の放射性ヨウ素131(半減期8日)とセシウム137(半減期30年)が検出され、3月末時点での濃度は、事故前の数万倍の高さになっていた(グラフ「放射性同位体による海洋汚染」参照)。このほかにも、半減期が長いものから短いものまで、多くの種類の放射性物質が海に流出していると考えられる。

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これまでに海に流れ込んだ放射能の総量は不明である。(4月21日の東京電力の発表によると、少なくとも2号機取水口付近から流出した高レベル汚染水の放射性物質の総量は、4月1日に流出が始まったとして4月6日の止水まで4700兆ベクレル、やむを得ない対策として放出された低レベル汚染水中の放射性物質の総量は、1500億ベクレルという。)今後、原発でさらなる問題が発生すれば、かなりの量になる可能性もある。

このようにまだ不透明であるが、放射線医学総合研究所(NIRS;千葉市)では、海洋生物の筋肉、器官、卵、骨に蓄積される放射性核種のモニタリング調査、さらには、海洋環境における放射性物質の長期的な挙動のモデルや海洋生物の総被曝線量のモデル作りを計画している。NIRSの海洋放射線生態学の専門家、青野辰雄(あおのたつお)は、「放射性ヨウ素と放射性セシウムが海洋生物に及ぼす影響を評価するには、それぞれの濃度が具体的にわかっている必要があります」と言う。

図1
放射性同位体による海洋汚染 | 拡大する

フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN;シェルブール)の Dominique Boust 所長が率いる研究チームは、現在、原発から流出した放射性同位体の量の見積もりと、発表されている海水の測定値から算出したこれらの放射性同位体の比率を用いて、海洋生物と海底堆積物の汚染レベルの予測を行っている。

それによると、原発から300mの海域の放射能濃度は、1L当たり約1万ベクレルで、約50種類の放射性同位体が関与しているという。事故前のこの海域の放射能濃度は、セシウム137が1L当たり0.003ベクレル、ヨウ素131は未検出だった。IRSNによると、これらの測定値を元に、現時点で、同海域の海底堆積物の放射能濃度は1kg当たり1万~1000万ベクレル、魚類では1kg当たり1万~10万ベクレル、海藻類では1kg当たり最大1億ベクレルに達している可能性があるという。政府が規定している食品衛生法の暫定基準値では、食用とする魚類に含まれる放射能濃度の上限値は、セシウム137については1kg当たり500ベクレル、ヨウ素131については1kg当たり2000ベクレルである。

IRSNの放射線生態学・生態毒性学・環境モデリング研究所(フランス・カダラッシュ)の Thoman Hinton 副所長は、「これ以上の放射能漏れが起こらなければ、放射線量は時間の経過とともに、そして、原発から遠くなるほど、速やかに低下していくでしょう。けれども、福島周辺の海域では、ある種の核種による低線量放射線が長期にわたって検出され続ける可能性があります」と言う。「その影響を正確に見きわめるには、国際的な長期評価が必要です」。

コロラド州立大学(米国フォートコリンズ)で環境衛生学と放射線衛生学を研究している Ward Whicker も、こうした評価の価値を認めている。「流出ポイントの近くだけでなく、もっと離れた場所でも、非常に多くのサンプリングが必要になります。海水、海底堆積物、プランクトン、軟体動物、甲殻類、海藻、魚類に含まれる放射性核種の濃度を測定し、生態系の健全性をモニタリングしなければならないのです」。

しかしながら Whicker は、魚介類や海藻に含まれる放射性物質の濃度は、今後数週間は食用としての上限値を超える可能性があるものの、海洋生物への遺伝的影響を特定することは不可能だろうと考えている。影響を受けた生物は、広い太平洋に拡散していったり、健常な個体よりも早く死んだりするだろうというのだ。さらに、それ以外のストレスの影響(従来の水質汚染や津波による損傷など)と放射線の影響を区別することは、非常に難しいだろう。

もう1つのアプローチとして、代表となる生物種を1つ選んで、集中的に調査を行うことが考えられる。IRNSの Bruno Fievet は、「個人的には、褐藻類の調査を最優先するべきだと考えています」と言う。なかでもコンブ科のLaminaria digitata は日本の太平洋沿岸に広く分布し、海洋汚染などの環境ストレスから身を守るためにヨウ素を取り込む性質があり、その濃度は、周囲の海水の約1万倍にもなることがある。「この種の褐藻はヨウ素の取り込みにかけては世界一であり、海洋生物の放射能汚染のよい指標となるはずです」と Fievet は言う。

しかし、福島第一原子力発電所の危機はまだ去っておらず、これがサンプル採取を妨げている。ライプニッツ海洋科学研究所(ドイツ・キール)の海洋生物学者 Ulf Riebesell は、こう話す。「どんな調査でも大歓迎です。けれども私は、この危機的状況の中、フィールドワークを目的に自分の学生を日本に行かせることは絶対にできません」。

(翻訳:三枝小夜子)

この記事は、Nature ダイジェスト 2011年6月号に掲載されています。

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