アルツハイマー病を発症前に治療する
脳内の有害なタンパク質を除去する目的で、発症前の人に薬を投与する試験が行われている。
拡大するMATT MILLER/WASHINGTON UNIVERSITY SCHOOL OF MEDICINE
Nature ダイジェスト Vol. 19 No. 6 | doi : 10.1038/ndigest.2022.220628
原文:Nature (2022-03-10) | doi: 10.1038/d41586-022-00651-0 | Could drugs prevent Alzheimer’s? These trials aim to find out
米国コロラド州デンバーに住む43歳のMarty Reiswigは、2週間に1度、自宅を訪れる看護師にガンテネルマブ(gantenerumab)という治験薬を注射してもらう。また月に1度、車で街に出て、頭部のCTを撮ってもらう。薬による脳出血がないことを確認するためだ。そして年に1度、飛行機でミズーリ州セントルイスに行き、4日間かけて脳スキャン、脳脊髄液と血液の検査、記憶能力と認知機能の検査を受ける。
現在、Reiswigは心身共に健康で、地元で2つの会社を経営している。しかし、ほぼ確実に早発性アルツハイマー病を発症することになる、珍しい遺伝子変異を持っていた。そのため、こうした面倒な治療を受けているのである。9年前に国際的な臨床試験に参加したことで、数年のうちには発症するはずだったアルツハイマー病を防ぐことができれば、あるいはせめて発症を遅らせることができればと、Reiswigは願っている。「研究のお役に立てるのであれば、できる限りのことはしたいと思っています。私自身の病気には間に合わなかったとしても、子どもたちは恩恵を受けられるかもしれませんから」と彼は言う。
社会に重大な損失をもたらしているアルツハイマー病だが、症状が出始める前に根本的な原因を治療すれば管理できるかもしれない。それを検証する目的で、いくつかの臨床試験が実施されている。Reiswigが参加している試験もその1つだ。アルツハイマー病では、アミロイドβタンパク質が凝集してアミロイド斑と呼ばれる集塊を形成し、神経毒性を示す。現在試験中の薬は全て抗体薬で、脳内のアミロイドβタンパク質を標的として除去するために開発されたものだ(「アミロイドβタンパク質に対する抗体薬」参照)。これらの抗体薬は、バイオジェン社(Biogen;米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)が開発したアデュカヌマブ(aducanumab)と同じタイプのものである。アデュカヌマブは2021年、アミロイドβタンパク質を除去する効果が認められることを主な理由に、軽度アルツハイマー病の治療薬として米国食品医薬品局(FDA)による条件付き承認を受けた。
アルツハイマー病臨床試験コンソーシアムの幹部メンバーでもある南カリフォルニア大学(米国サンディエゴ)の神経学者Paul Aisenは、アミロイドβタンパク質のような神経毒性タンパク質は、いくつかのタイプの認知症に共通して認められる特徴的な病理所見であることから、世界中で5500万人にも達する認知症患者を治療するための手掛かりも、抗体薬の研究から得られるかもしれないと話す。ほとんどのタイプの認知症は65歳以降に発症し、治療は極めて難しいことが知られている。世界中で行われている100件以上の臨床試験のほとんどは、認知症の根本的な原因の治療ではなく、症状の改善を目的としている。
だがAisenは、アルツハイマー病の発症予防がほぼ実現した未来を予見している。それは、ほんの10年ほどで実現するかもしれない。「中年期を過ぎた人を血液検査でスクリーニングし、アミロイド異常が見られたときはアミロイド斑の形成を抑える薬で治療する方向に向かっているのです」と彼は言う。「私は楽観主義なんですよ」。
Aisenの楽観的な予見を実現させるためには、多くのことがうまくいく必要がある。治療の有効性を大規模臨床試験で証明しなければならないし、アミロイドを除去する薬は安全で安価でなければならない。数十年も前から挫折と臨床試験の失敗を経験してきた認知症研究者の中には、慎重な姿勢を示す者もいる。メイヨークリニック(米国ミネソタ州ロチェスター)の神経学者David Knopmanは、「何十億ドルもかかるような臨床試験を実施するだなんて、とてつもないリスクを背負い込むことになりますよ」と警告する。
答えが出るまでには、まだしばらく時間がかかりそうだ。アルツハイマー病予防のための臨床試験には始まったばかりのものもあり、現在進行中の試験でさえ結果が出るまでには今後10年以上を要する可能性がある。
できるだけ早く治療を始める
英国ノッティンガムに住むCarol Jenningsが遺伝学者のJohn Hardyに手紙を書き、研究のお役に立てないだろうかと申し出たのは1986年のことだった。Reiswigの場合と同じように、Jenningsの親族には若いうちから認知症を発症した人が多かった。現在はロンドン大学ユニバーシティカレッジ(英国)に所属しているHardyの研究チームは、アルツハイマー病の遺伝学に興味を抱き、Jenningsの親族に研究のための採血を承諾してくれるよう依頼した。
それから数年後、研究チームは発症した親族全員に見られる変異の特定に成功した1。アミロイド前駆体タンパク質(APP)と呼ばれる、神経細胞の細胞膜に見られる大きなタンパク質をコードする遺伝子の変異だった(2014年9月号「忘却の遺伝子」参照)。
脳内のAPPは一連の酵素によって切断され、アミロイドβタンパク質などの短鎖アミロイドタンパク質が生成する。これらは、健康な人の脳では有用な機能を果たしているのかもしれないが、時間の経過とともに(おそらく除去機構が働かなくなって)蓄積し、凝集してアミロイド斑を形成する。APPをコードする遺伝子に変異を持つ人の場合、アミロイドβタンパク質の凝集性がより高いか、より大量に生成され、変異を持たない人よりもアルツハイマー病の発症が早くなる。
アミロイド斑形成プロセスは、アミロイド前駆体タンパク質(APP)が酵素によって切断されることで始まる。生成したアミロイドβタンパク質は会合してアミロイド線維を形成し、さらに凝集してアミロイド斑となる。抗体薬が凝集のどの段階でアミロイドβタンパク質に結合するかは、薬によって異なる。 | 拡大する
NIK SPENCER/NATURE
APP変異を特定したHardyらは、この考え方に基づき、アルツハイマー病の「アミロイド仮説」を初めて提唱した。この仮説が正しいとすれば、発症の引き金となるアミロイドβタンパク質の蓄積を防ぐことで、病気の進行を遅らせることや、さらには発症を予防することさえ可能になるはずだ。
製薬企業やバイオテクノロジー企業は、アミロイドタンパク質を標的とする治療の研究に取り掛かり、APPを切断する酵素を阻害する薬の開発や、アミロイドβタンパク質に結合する抗体の作製を進めた。だが、臨床試験はことごとく失敗した。APPを切断する酵素であるβ-セクレターゼの阻害薬の第Ⅲ相臨床試験は5件実施されたが、全て中止に追い込まれた。認知機能を一時的に悪化させる副作用が認められたためである。類似の機能を持つγ-セクレターゼの阻害薬の試験もうまくいかなかった。アミロイドβタンパク質に結合するように設計された抗体薬についても、多くの臨床試験が実施されたが、いずれも患者の臨床症状を改善する効果を証明できなかった。大手製薬企業のファイザー社ですら、2018年にはアルツハイマー病治療薬の分野から撤退した。
相次ぐ失敗を受けて研究コミュニティーは二派に分かれた。一方は、アミロイドを標的とした治療がうまくいかないのであれば、アミロイド仮説は間違っているに違いないと主張した。Knopmanは、APPの切断が病気の発症過程に何らかの形で関わっていることは認めているが、アミロイドβタンパク質そのものの役割はまだ証明されていないと指摘する。「例えばですよ、それ以外のAPP切断産物の方が、病気の発症過程で重要な働きをしているという考え方もできるでしょう?」と彼は言う。
もう一方は、臨床試験のデザインが不適切であり、アルツハイマー病の初期症状が既に出始めている患者を対象にしたことが特に問題だと主張した。
「アミロイドを効率的に除去するためには、できるだけ早く治療を始める必要があります」とAisenは言う。アミロイドβタンパク質の沈着は、そのダメージが症状を引き起こすようになるよりも何年も前から、ゆっくりと静かに破壊活動を始めるのだという。「アルツハイマー病の自然経過は25年以上にも及びますが、神経変性が急速に悪化していく最後の10年間の患者でしか臨床試験は行われてきませんでした」。
この考えは動物実験でも裏付けられている。APPを過剰発現するアルツハイマー病モデルマウスを使って、アミロイドβタンパク質の脳への沈着が検出可能になる前の若齢マウスにアデュカヌマブを投与したところ、6カ月後の時点で検出される沈着は対照群と比較して有意に少なく、変性を起こした神経細胞の数も少なかった2(2016年11月号「アルツハイマー病新薬候補で認知機能低下が鈍化」参照)。
2021年6月、FDAがバイオジェン社のアデュカヌマブを承認したことは物議を醸したが、FDAは長期的な見通しを視野に入れていた。つまり、アミロイドβタンパク質を除去する効果が認められたアデュカヌマブによって、長期的にはアルツハイマー病の症状を軽減できる可能性があると判断したということだ。バイオジェン社が軽度アルツハイマー病患者を対象に実施したアデュカヌマブの大規模プラセボ対照臨床試験では、臨床症状の明確な改善は認められなかったが、脳内のアミロイド斑を除去する効果は確かに確認できた。その試験結果を受けて、FDAは「アデュカヌマブはアルツハイマー病の生物学的原因に作用する初めての治療薬である」と宣言した。
アデュカヌマブを承認するという決定は、多くの研究者を立腹させた(Knopmanはこの問題でFDAの諮問委員を辞任した)。彼らは、FDAは審査のハードルを意図的に下げたと抗議の意を表明した。しかし、それから数カ月の間に、別の薬の臨床試験で、アミロイドβタンパク質の除去により認知機能の低下がやや緩やかになる傾向が認められることや、例えばタウというタンパク質の蓄積のような、アルツハイマー病進行の指標となる別のバイオマーカーが減少することを示すデータが得られてきたのである(2018年7月号「認知症に脳の炎症の影」参照)。その年のうちに、さらに3つの抗体薬の迅速審査が始まった。ジェネンテック社/ロシュ社のガンテネルマブ、バイオジェン社/エーザイ社のレカネマブ(lecanemab)、イーライリリー社のドナネマブ(donanemab)である。これら3つの抗体薬はいずれも、アデュカヌマブと同様に、アミロイド斑を除去する効果が初期臨床試験で確認されている。
「これらの薬は大きな、大きなゲームチェンジャーです」と、ロンドン大学ユニバーシティカレッジ英国認知症研究所(英国)の所長を務める神経科学者Bart de Strooperは言う。「アミロイド仮説の明確な検証が可能になるでしょう」。
この仮説を検証するための、そしてアルツハイマー病の進行を食い止めるための最良の方法は、症状が出始める前の早期から薬を投与することだと多くの研究者が考えている。
投与のタイミングが重要
最初期に実施された臨床試験の計画立案者たちでさえ、参加者のアルツハイマー病が進行し過ぎていることに気付いていたのではと、Hardyは疑っている。「データは当時、既にあったのです」。1980年代、カリフォルニア大学サンディエゴ校(米国)の病理学者George Glennerらは、ダウン症候群の患者が比較的若いうちに認知症を発症することを発見した3。ダウン症候群の患者はAPP遺伝子が位置している「21番染色体」を1本余分に持っているからだと彼らは考えた。剖検研究4では、認知症の症状が現れる何年も前からアミロイド斑が形成されていることが示された。
症状の出たアルツハイマー病に対する治療薬を見つけることの重要性を無視しているわけではないと、Aisenは話す。しかし現在、臨床研究者がより大きな興味を抱いているのは、発症前のアルツハイマー病に対する治療薬の臨床試験だ。そのような試験の参加者を探すのは簡単ではない。今は無症状だが、試験期間のうちに症状が出始める可能性が高い人でなければならないからである。そのような人を見つけるには2つのアプローチがある。Reiswigのような珍しい遺伝的素因を持つ人を見つけるか、あるいは、脳内に既にアミロイドβタンパク質が検出され、アルツハイマー病を発症するリスクが高いと考えられる人を見つけるかである。
Reiswigのような珍しい変異を持つ人を特定する目的で、2008年、NIH傘下の国立老化研究所(NIA;米国メリーランド州ベセスダ)は、優性遺伝アルツハイマー・ネットワーク(Dominantly Inherited Alzheimer Network;DIAN)の立ち上げのための資金を拠出した。DIANには現在、早発性アルツハイマー病に関連している3つの遺伝子のいずれかに変異を持つ20カ国の約300の家系から、600人以上が参加している。これらの家系に属している人たちは、50%の確率で変異を継承している。
DIANはすぐに追加の資金を調達して研究協力者を増員し、観察プログラムにReiswigの家系を含む早発性アルツハイマー病の家系を登録し始めた。参加者には定期的にポジトロン断層撮影法(PET)による脳スキャンを実施して、アミロイドβタンパク質やその他のアルツハイマー病のバイオマーカーを調べ、家系の中で遺伝子変異を持っている人と持っていない人とを比較した。また、それぞれの家系でいつ頃から症状が出始める傾向があるかも記録した。DIANの2018年の報告によれば、アミロイド異常の最初の兆候は、症状が出始めるよりも25年近くも前から表れているという5。
DIANコンソーシアムは、アミロイドβタンパク質に対する抗体薬の臨床試験を2012年に開始した。7年間にわたったこの試験は、認知症の症状はないものの、アルツハイマー病の主要なマーカーであるアミロイド斑が脳内に生じ始めている患者を対象に実施され、病気の進行を遅らせることを目的としていた。さまざまな進行段階の194名の参加者を募集し、ガンテネルマブ、ソラネズマブ(solanezumab)という2つの抗体薬のいずれか、またはプラセボの投与を受ける群に割り付けた。
しかし、2020年に発表された試験の結果は期待を裏切るものだった。抗体薬が認知機能の低下を遅らせることを証明できなかったのだ。抗体薬の投与を受けた群では認知機能の低下がほとんど見られなかったものの、プラセボ群でも同様にほとんど低下が見られなかった6。試験を実施したDIAN臨床試験ユニットを率いるワシントン大学医学系大学院(米国ミズーリ州セントルイス)のRandall Batemanは、「つまり、治験薬が無症状の人に本当に役立つのかどうか、判断できなかったわけです」と話す。
それでも、一方の抗体薬であるガンテネルマブは、アルツハイマー病の生物学的マーカーに顕著な影響を及ぼした。アミロイド斑が減少しただけでなく、タウタンパク質や、神経変性のもう1つのマーカーである血中の神経細胞タンパク質のレベルも低下したのである。
これらの結果を受けて、BatemanとDIANコンソーシアムは、ガンテネルマブ群の試験を3年間延長し、ソラネズマブ群とプラセボ群の試験は中止することを決めた。中止した群の参加者の一部はガンテネルマブ群に組み入れ、これから投与する薬の名前も知らせた。
この決定はReiswigをジレンマに陥れた。最初に遺伝子変異の有無を調べる検査を受けたとき、彼は結果を知らされないことを選択していた。しかし、延長された試験では遺伝子変異のある人だけを対象とすることになったので、参加を希望すれば自ずから変異の有無が分かってしまう。「知る時が来たのだと覚悟を決めましたが、計画は慎重に立てました」と彼は言う。妻と一緒にコロラド州の貸別荘に引きこもり、そこで遺伝カウンセラーからの電話を受けることにした。「自宅で知ってしまうのは嫌だったんです。せめてそれくらいは、自分でコントロールしたかった」。遺伝子変異を持っていることをついに知ったReiswigは涙を流しながら、このまま試験に参加し続けるしかないと決心した。
DIANコンソーシアムは2021年、認知症の症状がなく、脳にアミロイド斑も見られない人を対象に試験を実施することを決定した。「これはアルツハイマー病の予防に関する究極の試験になるでしょう」とBatemanは言う。変異の保有者160人の登録を今後数カ月の間に開始する予定だ。参加者の中には18歳の若さで、今後11~25年は症状が現れないと予想される人もいる。プラセボ対照試験は4年間行われ、定期的にアミロイドの状態を調べる予定だ。その後の数年間は、プラセボ群は中止して参加者全員が治験薬の投与を受ける「オープンラベル試験」に移行し、病気の進行の指標となる他のバイオマーカーも測定する。
治験責任者であるワシントン大学のEric McDadeは、参加者に症状が出るまで何十年もかけて臨床試験を行うのは現実的でないと話す。そこで、アミロイドβタンパク質やタウタンパク質などのバイオマーカーの変化を追跡することにした。これらを利用すれば、長い無症状期のうちに症状の発生を予測できることが分かっている。「介入の標的にできるバイオマーカーの数が多ければ多いほど、発症を予防したり、少なくとも大幅に遅らせたりできるようになる可能性が高くなります」。第Ⅱ相試験の終了後も、できるだけ多くの参加者のモニタリングを継続する予定とのことだ。
早発性アルツハイマー病の治療薬の臨床試験はDIANコンソーシアム以外でも進行中で、既にアミロイドがある程度蓄積している人を対象に、試験が行われている。ジェネンテック社/ロシュ社はコロンビアのある大家系に属する人々を対象に試験を実施中だが、彼らの半数はAPPを切断するγ-セクレターゼの一部をコードする遺伝子に有害な変異を持っている。クレネズマブ(crenezumab)という抗体薬を用いたこの試験は、2022年中に終了する予定である。ダウン症候群の患者を対象としたアルツハイマー病治療薬の試験も準備が進められている。
発症を予防する
アルツハイマー病の予防に関する臨床試験の参加者を見つける第二のアプローチは、晩発性アルツハイマー病の発症リスクが高い人を見つけることである。カリフォルニア大学サンフランシスコ校に本部を置く官民連携組織、国際アルツハイマー病ニューロイメージング・イニシアチブ(ADNI)では、数百人を対象にアルツハイマー病バイオマーカーの変化を追っている。そのデータによれば、認知機能が正常な65歳以上の人の約3分の1で脳にアミロイド斑が見られ、そのうち85%以上が10年以内にアルツハイマー病を発症する7。
この結果を受けて、認知機能は正常だがPETスキャンでアミロイド斑が見られるそれぞれ1000人以上の人を対象とした、3つの大規模プラセボ対照臨床試験が進行中である。それぞれ異なる抗体薬を試験しており、いずれもアミロイドが蓄積し始めてから、認知機能の低下が測定できるようになるまでの4年間にわたって実施される予定だ。
Aisenが名誉所長を務める研究所は、イーライリリー社が開発したソラネズマブの効果を検証するA4(Anti-Amyloid treatment in Asymptomatic Alzheimerʼs)試験を統括しており、2023年に結果が得られる予定だ。2020年に始まったレカネマブを用いたAHEAD 3-45試験でも、Aisenは治験責任者の1人となっている。同じ年、イーライリリー社はドナネマブを用いたTRAILBLAZER-ALZ 2試験を開始した。ロシュ社は2022年中にもガンテネルマブの第Ⅲ相試験を独自に開始する予定で、6年間にわたって実施される計画だ。
このような臨床試験を実施するのにかかる費用は、「通常、数億ドルです」とAisenは言う。A4試験の1169人の参加者を募集するだけでも、1回当たり平均7000ドル(約90万円)の費用がかかるPETスキャンをおよそ4500回も行う必要があった。「しかし、患者の苦しみや死亡、経済的な影響といった、この病気による社会的損失の大きさを考えれば、効果的な治療薬を見つけるために投入される莫大な費用も正当化されるのではないでしょうか」とAisenは言う。
近年、測定が容易なアルツハイマー病の血中バイオマーカーの開発が大きく進展している(2018年4月号「脳のアルツハイマー病変を血液で検出可能に!」参照)。3つの大規模試験のうち2つでは、PETスキャンの対象者を血中バイオマーカーであらかじめ選別し、費用を節約するとともに参加者の負担を軽減している。バイオマーカーの1つでは、わずかに異なる2種類のアミロイドβタンパク質の比率を測定する。もう1つではタウ関連分子を測定する。
これまでのところ、臨床試験には全て、アミロイドβタンパク質に対する抗体薬が用いられている。これらの薬には2つの欠点がある。1つは微小な脳出血や軽度の脳浮腫といった有害事象が見られることで、多くは問題にならないが、深刻な事態を引き起こす可能性も否定できない。2つ目は高価なことである。バイオジェン社は当初、アデュカヌマブによる1年間の治療費を5万6000ドル(約730万円)に設定していたが、2021年12月にこれを半額に引き下げた。
現在、抗体薬よりもはるかに安く製造できる低分子薬が再び注目を集めている。Aisenによれば、初期の臨床試験で失敗したセクレターゼ阻害薬の構造に手を加えたり、投与法の改良を検討したりするなど、再びセクレターゼを標的にすることを検討し始めている企業もあるという。
複雑な原因
認知症に対処するためには、アミロイドβタンパク質以外の要因に対する取り組みも必要であることは、研究者たちも認識している。アデュカヌマブの開発者の1人であるチューリヒ大学(スイス)の神経生物学者Roger Nitschは、「アルツハイマー病はもっと複雑です」と話す。「この病気を引き起こすアミロイドは非常にゆっくりと作用する神経毒ですが、脳細胞は、血管に連絡しているものや免疫系の細胞も含めて、これに反撃を加えるのです」(2014年6月号「高齢者の脳を保護する因子」参照)。発症してしまったアルツハイマー病の治療アプローチはもっと考えられるはずだと彼は言う。また、アルツハイマー型認知症は認知症全体の約3分の2を占めるにすぎず、その半数はアミロイドやタウタンパク質に加えて他の神経毒性タンパク質が脳内に認められたり、脳血管障害の兆候が見られたりするなど、混合型の病理所見を呈することが剖検研究で判明している8(2020年8月号「アルツハイマー病では脂質担体が血液脳関門を破壊する」、2021年2月号「微生物感染がアルツハイマー病の引き金に?」参照)。
「予防のための臨床試験は重要であり、かつ有望です」と、NIAの所長であるRichard Hodesは言う。「しかし私たちは、既に病気を発症している患者さんを見捨てたわけではありません」。認知症の発症には、おそらく複数の要因が関わっていて、それは1人の患者においても当てはまるとみられる。そのため、さまざまな治療薬が必要になるだろうと彼は話す。NIAは認知症に関する72件の臨床試験に資金を拠出し、さまざまな標的を狙った薬を試験している。例えば、細い脳血管が破れるリスクを減らすために血圧を下げることを目的としているものもあれば、タウタンパク質を標的とするものもある。アミロイドを標的にしているのは20件に過ぎない。NIAはまた、認知機能訓練、運動療法、食事療法のような非薬理学的介入の効果を検証するために、少なくとも120件の臨床試験を支援している。
2021年には、少なくとも126種類の薬が世界中の臨床試験で検証されていると推定されていて9、その中にはNIAによる試験も含まれている。
ボランティアとして試験に参加しているReiswigは、それによる特別な負担を受け入れなければならなかった。時間的な拘束はもちろんだが、治験薬が効かなかった場合に自分を待ち受けている運命を常に意識させられるのもつらいことだ。年に1度、世界各国から参加者が集まって経験を共有することができる場を、DIANコンソーシアムが設けてくれているのが救いだと彼は話す。「私たちは素晴らしいコミュニティーを作り上げ、科学に大きく貢献していると実感しています」。
(翻訳:藤山与一)
註:2022年5月3日、バイオジェン社はアデュカヌマブの事業縮小を発表した。
Alison Abbottはドイツ・ミュンヘン在住のライター。
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