COVID-19流行初期の潜在的感染伝播の再構築
過去20カ月間に、COVID-19パンデミックによって、490万人以上の死亡が報告され(https://coronavirus.jhu.edu)、SARS-CoV-2ウイルスの拡散を抑える対策が世界中の人々の生活に影響を与えてきた。感染伝播のモデル化は一部の国でエピデミック初期の動態を再構築するのに役立ってきたが、パンデミックが世界的にどのように広がっていったかについての一貫した全体像はまだ得られていない。このほど、Nature 2021年12月2日号127ページで、ノースイースタン大学(米国マサチューセッツ州ボストン)のJessica T. Davisら1は、世界規模のモデルを使用して、米国と欧州におけるSARS-CoV-2の初期の潜在的感染(当時の監視活動ではウイルスの拡散は検出されていなかった)を検討している。
パンデミック発生から数カ月間に起こった出来事を時系列で振り返ると、ウイルスが非常に迅速に世界中に広がり、人々の社会的・経済的生活の大規模なシャットダウンにつながったことが気に掛かる。2020年1月10日、まず中国湖北省武漢で41例のCOVID-19が報告された。中国国外での最初の感染報告は、1月13日(タイ)と1月16日(日本)であった。武漢は1月23日に封鎖され、続いてイタリア(3月11日)、スペイン(3月14日)、オーストリア(3月16日)、フランス(3月17日)がロックダウンとなった。急激な状況の変化に隙を突かれた多くの国々では、多大な死者数が報告された。どうすれば次のケースにはもっとうまく対処できるのか? この問いに答え、将来のパンデミックに直面した場合により良い準備をするには、ウイルスの初期伝播をより明確に把握することが重要だ。しかしこれは簡単なことではない。パンデミック発生当初はウイルス感染を検査する能力が低かったため、多くの場所でSARS-CoV-2感染が検出されなかった可能性があるからだ。
Davisらが使用したGLEAM(Global Epidemic and Mobility)モデルは、確率論的要素(ランダム性を組み込む)と機構的要素(ウイルス感染および伝播に関連する生物学的・社会的メカニズムに関する定義された原則を含む)の両方を備えており、ウイルスの拡散を世界規模でシミュレートする2。このモデルは、さまざまなタイプのデータをよりどころとしており、流行過程の多因子的な性質を捉えることができる。この情報に含まれるデータは、各国の人口統計のようなウイルスが蔓延している集団についてのデータ、国際的および地域的規模での人々の移動(例えば、航空輸送ネットワークや通勤動態など)についてのデータ、そして行動についてのデータ(さまざまな年齢の人々がどのように互いに接触するかを示す情報など)だ。このモデルは、SARS-CoV-2感染の生物学的側面、臨床的特徴(各年齢層の致死率の分析結果など)、および都市封鎖といった医薬品以外の封じ込め措置のタイミングも捉えている。
このモデルを使用して、Davisらはウイルスが世界中でどのように広がっていったかを解明した。例えば、モデルからは、パンデミック初期(2020年1月〜3月ごろ)には米国と欧州の両方で、ウイルス感染の多くが見逃されていたことが確認された(図1)。モデルでは、1月26日の週に米国国内最初の感染がカリフォルニア州で認められた。しかし、実際にカリフォルニア州で感染確認が報告されたのは1カ月後(2月26日)だった。欧州についても、モデルでは、イタリア、英国、ドイツ、フランスで1月末に国内感染が始まったことが示されたが、実際に症例が報告されるまでにはかなりの遅れが見られた。総合的に、Davisらの推計では、2020年3月8日までに米国と欧州でSARS-CoV-2感染が検出されたのは、100人当たり1〜3人にすぎなかったと考えられている。
注目すべきは、調査した欧州30カ国全てと米国の全州で、2020年1月中旬〜3月中旬の約2カ月間という比較的短い期間で国内感染が始まったことだ。こうした国内感染が始まった日にはばらつきがあり、また感染対策の介入のタイミングや強さも異なっていたため、地域によって感染拡大パターンが大きく異なることとなった。感染罹患率(ある地域におけるウイルスに感染した人々の割合)は、2020年7月4日までに分析された地域で約0.2〜15%の範囲に及んだ。
このモデル化は、当時実施されていた検査戦略の性能を評価するのに役立つ可能性がある。こうした検査は、主に中国から到着する乗客に影響を及ぼした。2020年1月に米国と欧州にやって来たSARS-CoV-2感染者の大部分は確かに中国からの入国者だった。だがすぐに、近隣の欧州諸国と米国の州自身が、分析対象地域の感染率の主な原因となった。
感染拡大の第一波では、感染が確認された国や地域に関する確実な疫学的情報が乏しかったので、ほとんどの国での検査方針の範囲は狭すぎて、おそらく実効性がなかっただろう。Davisらは、反事実的シナリオを提示している。検査方針がより広範囲で、米国と欧州の全ての国で国外からの持ち込み感染や局所的感染の50%を検出できていたなら、国内の感染拡大は多くの国で少なくとも1カ月遅れて開始した可能性がある。これにより、政府はもっと長い準備期間を持てただろう。例えば、医療能力を高めたり、防護用品や防護機器を確保したりできたはずだ。しかし、この反事実的シナリオの根底にあるのは楽観的な仮定であることを考えると、各国が全ての初期SARS-CoV-2感染の50%を検出するのに十分な速さで検査能力を高められたとは想像しがたい。
SARS-CoV-2の伝播を再構築する方法は他にもある。例えば、ウイルスのRNA塩基配列決定を行って、拡散したウイルス株の「家系図」を決定する研究だ3,4。これらのアプローチでは、ウイルス株の拡散履歴は分析時までに利用可能になっている全てのデータから情報を得て再構築されており、データと整合している。対照的に、Davisらによって示されたシミュレーションは、パンデミック開始時からのデータとマッチするように初期化されているが、2020年1月21日以降に観察されたものには制約されない。従って、Davisらは系統発生学研究よりも広範囲にウイルスの拡散動向の可能性を探るので、予想された動態のいくつかは実際に起こったことと完全には一致しない。シミュレーションのこうした特徴にもかかわらず、再構築された感染発生率と観察された症例数の間には比較的良好な相関が見られる。
Davisらのアプローチの重要な長所は、このモデルがパンデミックの広がりを機構的に説明できる点だ。
他のアプローチと比較して、Davisらのアプローチの重要な長所は、このモデルがパンデミックの広がりを機構的に説明できる点だ。このため、さまざまな政策オプションが与えられた場合(例えば、上述した反事実的シナリオのように、パンデミックの開始からもっと集中的に検査を行うなど)に、パンデミックがどのように展開したかを示すシナリオをモデル化することが可能になる。そもそもこのようなモデル化が政策決定をサポートするためにますます使用されるようになってきたのは、主として、モデルによって複雑な非線形動態を捕捉・予測して、さまざまな政策オプションによって起こり得る影響を評価できるからである。この傾向はパンデミックによってさらに強まってきた。米国疾病管理予防センター(CDC)による疾病予測センターの創設は、この最新の例にすぎない5。
将来の使用に備えてこれらのモデルを改善するためには、いくつかの意欲的な方法を検討する必要がある。こうしたモデルを疫学的データとウイルス塩基配列決定の両方に合わせて調整する方法は、ウイルス伝播の現状を把握・予測する性能だけでなく、政策の効果をリアルタイムで評価する性能を向上させる可能性がある。モデルの仮定を改善するには、ウイルス伝播に影響を与える要因(人流、人々の交流パターンや行動の変化、気候、集団免疫など)をより詳細に理解する必要がある。モデルは、その基となるデータ以上に優れたものにはならない。パンデミックの間に、COVID-19の監視と関連データセットは大幅に改善されたが、こうした取り組みはCOVID-19パンデミックの後も維持されなければならない。そして、世界的な病気の動態をロバストな方法で評価するために、安定した情報システム6,7(例えば、https://coronavirus.jhu.edu)を継続的に利用できるようにしなければならない。
翻訳:古川奈々子
Nature ダイジェスト Vol. 19 No. 3
DOI: 10.1038/ndigest.2022.220342
原文
A reconstruction of early cryptic COVID spread- Nature (2021-12-02) | DOI: 10.1038/d41586-021-02989-3
- Simon Cauchemez & Paolo Bosetti
- Simon Cauchemez、Paolo Bosettiは共に、パリ大学パスツール研究所(フランス)に所属。
参考文献
- Davis, J. T. et al. Nature 600, 127–132 (2021).
- Balcan, D. et al. J. Comput. Sci. 1, 132–145 (2010).
- Fauver, J. R. et al. Cell 181, 990–996 (2020).
- du Plessis, L. et al. Science 371, 708–712 (2021).
- CDC Stands Up New Disease Forecasting Center. https://www.cdc.gov/media/releases/2021/p0818-disease-forecasting-center.html (CDC, 2021).
- Hale, T. et al. Nature Hum. Behav. 5, 529–538 (2021).
- Hadfield, J. et al. Bioinformatics 34, 4121–4123 (2018).