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水のパラドックスと生命の起源

水は、生命にとって欠かすことのできない物質である半面、DNAやその他の重要な分子を分解してしまう。地球で最初に生まれた細胞は、危険だが不可欠なこの物質に、どのように対処していたのだろうか?

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PLANET OBSERVER/UNIVERSAL IMAGES GROUP/GETTY

Nature ダイジェスト Vol. 18 No. 3 | doi : 10.1038/ndigest.2021.210322

原文:Nature (2020-12-10) | doi: 10.1038/d41586-020-03461-4 | How the first life on Earth survived its biggest threat — water

Michael Marshall

2021年2月18日、NASAの探査機が火星の大気圏に突入し、逆推進ロケットに点火して急激に減速してから、6輪の探査車「パーサビアランス」(Perseverance)を吊り下げて着地させた。場所は、火星の赤道付近にある直径45kmの巨大クレーター「イェゼロ(ジェゼロ)」の中だ。ここはかつては液体の水をたたえた湖だったと見られている。

パーサビアランスに声援を送る地球人の中でこの場所に誰よりも熱い視線を注ぐのは、John Sutherlandだろう。MRC分子生物学研究所(英国ケンブリッジ)の生化学者である彼は、探査機をイェゼロ・クレーターに着陸させるようにNASAに働き掛けを行った科学者の1人である。彼は、火星であろうと地球であろうと、生命が誕生するならこのような場所だったに違いないと考えている。

このクレーターが着陸地点に選ばれたことは、数個の分子を最初の生物細胞へと変化させた化学的段階についての考え方が変わってきたことを反映している。多くの科学者は、長年、先駆けとなる細胞は海の中で誕生したと推測してきたが、近年の研究は、生命にとって重要な分子とその核となる過程は、イェゼロ・クレーターのような場所でしか生じ得ないことを示唆している。つまり、流れ込む水によって形成された、比較的浅い湖だ。

そのように考える理由は、生命の基礎となる化学物質が形成されるためには、太陽光の紫外線が降り注ぐことと、水環境が時々高度に濃縮され、極端な場合には完全に干上がったりする必要があることが、いくつかの研究によって示唆されているからである。Sutherlandをはじめとする科学者たちは、実験室で単純な炭素系化合物を穏やかに加熱し、紫外線を照射し、断続的に乾燥させることで、DNAやタンパク質などの細胞の主要な成分を作り出してきた。一方、化学者たちはまだ、海水を模した環境中では、これほど多様な生体分子を合成することはできていない。

新たな証拠を目の当たりにした多くの研究者が、生命は海で生まれたという考えを捨て、陸上で濡れたり乾いたりを繰り返す環境に注目するようになった。全員が同じ見方をしているわけではないものの、生命は陸で生まれたという考えを支持する科学者たちは、このように考えることで彼らを長年悩ませてきたパラドックス、すなわち、水は生命にとって欠かせないものであると同時に、生命の主要な構成要素を破壊するものでもある、という矛盾が解消されると言う。

ワシントン大学(米国シアトル)の惑星科学者David Catlingは、表面の湖や水たまりは非常に有望だと言う。「過去15年間に行われた多くの研究が、その方向を支持しています」。

原始のスープ

生命の標準的な定義はないが、ほとんどの研究者は、いくつかの要素が必要であることに関して同意している。1つは情報を担う分子で、DNAやRNAなどがこれに当たる。こうした分子の指示を複製する方法も必要だが、その過程は不完全で、進化的変化のもとになる複製ミスを生じるものでなければならない。餌を食べて体を維持する手段も必要で、おそらくタンパク質からなる酵素を使っていただろう。そして最後に、これらの異質なパーツをひとまとめにして、環境から切り離された状態を保つものが必要だ。

生命の起源に関する実験が本格的に始まった1950年代には、多くの研究者は、生命は原始のスープと呼ばれる炭素系化合物を豊富に含む海で生まれたのではないかと考えていた。

この仮説は、ソビエト連邦(現ロシア)の生化学者アレクサンドル・オパーリン(Alexander Oparin)と英国の遺伝学者J. B. S. ホールデン(J. B. S. Haldane)によって、1920年代に別々に提唱されたものである。彼らはどちらも、誕生して間もない地球を、原始の海に各種の炭素系化合物が溶け込んだ巨大な化学工場に見立てていた。ここで徐々に複雑な粒子が形成されるようになり、ついに炭水化物やタンパク質が形成されるに至ったのだろうと、オパーリンは推測した。彼はこれらの分子を「生命の基礎」と呼んだ。

スタンリー・ミラーは1950年代の実験で、単純な構成要素からアミノ酸を合成した。 | 拡大する

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そして1953年、シカゴ大学(米国イリノイ州)のスタンリー・ミラー(Stanley Miller)という若手研究者が、ある実験について報告した1。彼は、海を模した水を入れたフラスコと、原始大気を模したメタン、アンモニア、水素を入れたフラスコの2つを用意して管で接続し、雷を模すために電極から放電を行った。数日間加熱と電気ショックを繰り返すと、タンパク質を構成するアミノ酸の中で最も単純なグリシンを作ることができた。この実験は、生命が原始の海から生まれたとする仮説をついに裏付けたとして有名になり、この論文を読んだ多くの研究者が、生命は海面の近くで生まれたと考えるようになった。

しかし、今日の科学者の多くは、この仮説には根本的な問題があると考えている。タンパク質や核酸(DNAとRNA)などの生命の基礎となる高分子は、連結部が脆弱で、水中で分解されてしまうからだ。タンパク質はアミノ酸が連結した鎖から、核酸はヌクレオチド(窒素を含む有機塩基と糖とリン酸の化合物)が連結した鎖からできていて、これらの鎖を水中に入れると、水が連結部を攻撃して鎖を切断してしまう。生化学者ロバート・シャピロ(Robert Shapiro)は、生命の起源を巡るさまざまな仮説を批判的に検証する1986年の著書『生命の起源』において、炭素化学の世界では「水は可能な限り厳しく排除すべき敵である」として、原始の海仮説を批判している2

これが「水のパラドックス」だ。ミネソタ大学(米国ミネアポリス)の合成生物学者Kate Adamalaは、現代の細胞は内部の水の自由な動きを制限することによってこの問題を解決していると説明する。この点で、人々が細胞質(細胞内の物質)について抱いているイメージは間違っていることが多い。「私たちは、細胞質はいろいろなものが入った袋にすぎず、その中身は自由に泳ぎ回っていると教わってきました」と彼女は言う。「それは本当ではありません。細胞内の全てのものは、しっかりした足場に支えられています。細胞質は、袋に入った水ではなく、ゲルの中に組まれた足場なのです」。

多くの研究者は、生命が水を制御下に置いているのであれば、それが意味するところは明らかだと言う。生命はおそらく、陸上の、水が断続的にしか存在していない場所で形作られたのだ。

陸上での始まり

この説を支持する重要な証拠のいくつかは、2009年にもたらされた。RNAを構成する4種類のヌクレオチドのうち2種類を作ることに成功したと、Sutherlandらが報告したのだ(2019年12月号「試験管内の『原始スープ』からRNA塩基を合成」参照)3。彼らはリン酸塩と、シアナミドというシアン化物塩を含む4種類の単純な炭素系化合物から出発した。これらの化学物質は水全体に溶けていたが、高度に濃縮されており、重要な段階には紫外線の照射を必要とした。このような反応は深海では不可能で、日の光が降り注ぎ、化学物質が濃縮される、小さな水たまりや小川の中でしか起こり得ないと彼は言う。

Sutherlandのチームはその後、同じ出発物質の処理の仕方をわずかに変えると、タンパク質や脂質の前駆体も作り出せることを明らかにした4。研究チームは、シアン化物塩を含む水が日光を浴びて干上がり、その後に残った乾燥したシアン化物関連物質の層が地熱活動などによって加熱されて、こうした反応が起きた可能性があると提案する。彼らは2020年にも、太陽光のエネルギーと、同じ高濃度の化学物質を使って、それまで不可能だと考えられていたDNAの構成要素を作り出すことに成功している5(2020年9月号「最初に合成された遺伝子アルファベットの有力候補」参照)。

NSF-NASA化学進化センター(米国ジョージア州アトランタ)の生化学者Moran Frenkel-Pinterらは、このアプローチをさらに推し進めた。彼らは2019年に、アミノ酸を乾燥させると、自発的に連結してタンパク質のような鎖を形成することを示した6。さらに、今日のタンパク質を構成する20種類のアミノ酸では、他の種類のアミノ酸と比較して、こうした反応が起こりやすいことも明らかになった。つまり、断続的な乾燥は、生命が数百種類あるアミノ酸のうちのわずか20種類しか使用していない理由の説明に役立つ可能性があるのだ。「今日のアミノ酸が選択された理由が分かるのです」とFrenkel-Pinterは言う。

湿潤と乾燥

断続的な乾燥はこれらの分子に、より複雑で生命の構成要素に近い構造を形成させる。

この系統の実験の古典とされているのは、当時カリフォルニア大学デービス校(米国)に在籍していた研究者David DeamerとGail Barchfeldが1982年に報告した実験である7。彼らの目的は、これも長鎖分子である脂質が、どのように自己組織化して細胞を包む膜を形成するかを調べることにあった。彼らはまず小胞(水やDNA鎖を2重の脂質層で包んだ球体)を作った。この小胞を乾燥させると、脂質が再編成されてパンケーキを重ねたような多層構造になった。乾燥前は水中に浮かんでいたDNA鎖は、層の間に挟み込まれた。ここに再び水を加えると、DNAを包んだ小胞が再形成された。これは単純な細胞への一歩であるといえる。

現在はカリフォルニア大学サンタクルーズ校(米国)に在籍するDeamerは、「こうした湿潤-乾燥サイクルは、どこにでもあります」と言う。「例えば、岩を濡らした雨水が蒸発すればよいのです」。けれどもそこに脂質などの生体化合物があると、驚くべきことが起こると彼は言う。

ニュージーランド・ロトルア近郊にあるヘルズゲート・ジオサーマルパークで行われた研究により、熱水だまり由来の試料は、RNA様の分子を生成する化学反応を促進する乾燥-湿潤のサイクルを経ることが報告された。 | 拡大する

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Deamerのチームは2008年の研究で、水にヌクレオチドと脂質を混ぜて湿潤-乾燥サイクルにかけた。これにより脂質が層状になると、ヌクレオチドは連結してRNAのような鎖を形成した。補助がなければ水中では絶対に起こらない反応だ8

他の研究は、生命の起源のカギを握っていると思われる別の要因を指し示している。それは光だ。マサチューセッツ総合病院(米国ボストン)の合成生物学者Jack Szostakのチームは、「原始細胞」を使った研究から、この結論を導き出した。彼らの原始細胞は、数種類の化学物質しか含んでいない単純化した細胞だが、成長し、競争し、自らの複製を作ることができる。原始細胞は、陸上に似た条件にさらされると、より生物らしい行動を示すようになる。Adamalaが共著者となったある研究9では、原始細胞が光のエネルギーを利用して分裂できることを明らかにした。これは単純な形の繁殖である。同様に、現在MRC分子生物学研究所に所属しているClaudia Bonfioらは、2017年に、紫外線の照射が鉄硫黄クラスターの合成を促すことを明らかにした10。鉄硫黄クラスターは、エネルギー貯蔵分子ATPの合成を駆動して全ての生細胞にエネルギーを供給する電子伝達系のタンパク質など、多くのタンパク質に欠かすことのできない要素である。鉄硫黄クラスターは、水にさらされると分解する。ところがBonfiocのチームは、これがアミノ酸3〜12個からなる単純なペプチドに取り囲まれると、より安定になることを明らかにした(2019年2月号「生命を1から組み立てる」参照)。

適量の水

こうした研究は、「生命は、日当たりが良く、水の量が限られている表面で誕生した」という仮説に勢いを与えてきた。しかし、関与した水の量や、生命の誕生にどのように関与したかについては、まだ議論の余地がある。

Deamerと同様、Frenkel-Pinterもまた、湿潤-乾燥サイクルが決定的な役割を果たしたと主張している。乾燥した状態は、タンパク質やRNAなどの鎖状分子が形成される機会となったと彼女は言う。

けれども、単にRNAやその他の分子を作るだけでは生命とはいえず、自立した動的な系を形成している必要がある。Frenkel-Pinterは、水の破壊作用がその原動力になったのではないかと提案する。食べられる側の動物が捕食者から逃れるために進化した結果、より速く走ったり毒素を分泌したりするようになったように、最初の生体分子は、水の化学攻撃に対処し、さらには水の反応性を利用できるように進化したのかもしれない。

以前の研究でアミノ酸が乾燥すると自発的に連結することを示した6Frenkel-Pinterのチームは、2020年に、原始タンパク質がRNAと相互作用すると、その両方が水中でより安定になることを発見した11。ここで水は、事実上の選択圧として作用していた。水中で生き残れない組み合わせの分子は破壊され、生き残れる組み合わせの分子だけが存続できるからである。

これは、湿潤-乾燥サイクルを繰り返して水に濡れるたびに、弱い分子(他の分子と結合して身を守ることができない分子)が破壊されることを意味する。Bonfioのチームは2020年に、単純な脂肪酸を、今日の生物の細胞膜に見られるものに似た、より複雑な脂質へと変換する研究を行い、このことを実証した12。彼らは脂質の混合物を作成し、単純な脂質は水によって破壊されてしまい、より大きく、より複雑な脂質が増えていくことを明らかにした。「ある時点で、膜を形成するのに十分な量の脂質ができます」と彼女は言う。つまり、水の量は多過ぎても少な過ぎてもいけないのだ。多過ぎれば生体分子がすぐに破壊されてしまうし、少な過ぎれば何の変化も起こらない。

小さく暖かい池

こうした反応はどこで起きたのだろう? この点については、同じ分野の研究者の間に世代間の溝がある。年配の研究者の多くは何らかのシナリオを強く支持しているのに対し、若い世代の研究者は、議論の余地はまだまだ大きいと主張する。

Frenkel-Pinterは、生命が外洋で生まれた可能性はないと言う。外洋では化学物質が濃縮される方法がないからだ。Bonfioも、「その点は本当に問題です」と言う。

海を舞台とするもう1つの仮説は、1980年代に地質学者Michael Russellによって提唱された。かつてジェット推進研究所(米国カリフォルニア州パサデナ)に所属し、現在は特定の機関に所属していないRussellは、生命は「海底の下の地質層から暖かいアルカリ性の水が浸み出している熱水噴出孔から始まった」と主張している。暖かい水と岩石との相互作用によって生じる化学エネルギーは、最初の単純な代謝サイクルを回し、それがのちにRNAなどの化学物質を作ったり利用したりするようになるという(2019年3月号「岩石と熱水によるアミノ酸合成」参照)。

RussellはSutherlandのアプローチに対して批判的で、「化学実験としては素晴らしいものです」とは言うものの、そのどれもが生命の起源とは無関係だと考えている。今日の生物は、全く異なる化学過程を使ってRNAなどの物質を作っているからだ。彼は、先に生じたのは物質ではなく、化学過程であるはずだと主張する。「生命は非常に特殊な分子を使っています。分子は実験室の作業台から持ってくるのではなく、ゼロから作らなければなりません。それが、生命がやっていることなのです」。

NASAの火星探査機「パーシビアランス」は、イェゼロ・クレーターで生命の兆候を探す。 | 拡大する

ESA/FU-BERLIN

これに対してSutherlandは、ひとたびRNAやタンパク質などの分子が形成されれば、後のことは進化の手に委ねられ、原始生物がこれらの分子を作る新しい方法を見つけ出し、存続できるようにしただろうと反論する。

また、多くの研究者は、Russellのアルカリ熱水噴出孔仮説には実験的な裏付けがないとして懐疑的である。

一方、地表の状態を模した化学実験では、核酸やタンパク質や脂質の構成要素が作られている。Catlingは、「これらの合成はどれも、深海熱水噴出孔仮説には存在していません。単にまだ合成されていないだけですが、おそらく合成できないのでしょう」と言う。

Frenkel-Pinterも熱水噴出孔仮説には批判的だ。彼女が調べている分子は、そのような条件下では長くは生き残れないからだ。「原始ペプチドの形成は、熱水噴出孔とは両立しにくいのです」とFrenkel-Pinterは言う。

2020年5月、デュッセルドルフ大学(ドイツ)のポスドクである地球化学者のMartina Preinerらによって、この問題の解決策が提案された。彼女は、熱水噴出孔の下にある岩石の中では、熱と化学反応によって水分子同士が結合したり離れたりして、乾燥した空間を作っていると主張する13。「岩石と水の相互作用によって、ある程度、水が除去されるのです」と彼女は言う。断続的に、さらなる海水が流れ込み、「湿潤-乾燥サイクルのようなもの」が生じる。Preinerは、まだ仮説にすぎないと認めながらも、深海の岩石は重要な分子の形成にはるかに適した状態になるはずだと主張する。「もちろん、これにより何らかの反応が起こる可能性があることを証明するためには、それなりの実験が必要です」。

けれども現時点では、その証拠は存在しない。一方で、生命が陸上の小さな水域で生まれたという考えについては実験による裏付けが集まってきている。

Sutherlandは、生命が生まれた場所として隕石の衝突クレーターを支持している。クレーターは日光や衝突時の残留エネルギーによって熱せられ、側面の傾斜を流れ落ちてきた水が底に溜まっていく。これは複雑な3次元環境であり、表面の鉱物は触媒として作用し、炭素系化合物は水に溶けたり太陽に焼かれて干上がったりを繰り返しただろう。「ある程度自信を持って言えるのは、地表でなければならないということです。深海や深さ10kmの地殻の中では駄目なのです」とSutherland。「それからリン酸塩と鉄が必要ですが、鉄ニッケル隕石が大量に持ってきてくれます」。衝突クレーター仮説にはもう1つ長所がある。Sutherlandによると、隕石の衝突は大気に衝撃を与え、シアン化物が生成するという。

Deamerは、以前から別の仮説を主張している。火山性温泉仮説だ。彼が同僚のBruce Damerと行った2020年の研究では、自らの以前の実験が示唆しているように、温泉の湯の中で脂質から原始細胞が形成されたという14。温泉の周囲の湿潤-乾燥サイクルは、RNAなどの核酸の形成と複製を促しただろう。

Deamerは、自分の仮説を検証するために、現代の火山性温泉でいくつかの実験を行っている。2018年の実験では、温泉の湯の中では海水中では決して形成されない小胞が形成され15、核酸を包み込むことさえできることを示した。これに続いて2019年に行われた研究では、温泉の湯の中で形成された小胞を乾燥させると、ヌクレオチドが連結してRNAのような鎖を形成することが明らかになった16

生命が生まれた場所を絞り込むには、多くの種類の反応がどのように組み合わされるのか、そうした反応はどのような範囲の条件下で起こるのかなど、前生物化学の全体像の理解が必要だ。米国インディアナ州ハイランドのスタートアップ企業Allchemyの社長である化学者のSara Szymkućが率いるチームは、その途方もない課題に挑んでいる。研究チームは、既知の前生物反応の巨大なネットワークから今日の生物が利用する生体分子の多くがどのようにして生じたかをコンピューターアルゴリズムを用いて探る網羅的な研究の成果を2020年9月に発表した17

このネットワークは冗長性が高いため、複数の反応が阻害されても、主要な生体化合物は形成される。このような理由から、Szymkućは、生命が生まれた場所に関するどのシナリオも除外するのは時期尚早だとしている。特定のシナリオを除外するためには、多様な環境を系統立てて検証し、どの反応がどこで起こるかを確認する必要がある。

地球外生命の誕生

生命の起源に関する仮説の中には、熱アルカリ水を噴出する海底の通気孔の周りで始まったとするものもある。写真は、大西洋中央海嶺付近の海底にある熱水噴出域「ロストシティー」にそびえ立つ炭酸塩のチムニー。 | 拡大する

Image courtesy D. Kelley and M. Elend/University of Washington

Sutherlandが行ったような実験から地球上での生命の始まり方が見えてくるなら、地球以外の天体においても生命が生まれた可能性のある場所を探る際に役立つはずだ。

これに関して火星が最も注目を集めているのは、かつてその表面に液体の水が存在していたことを示す明確な証拠があるからだ。NASAの探査機「パーサビアランス」の着陸地点としてイェゼロ・クレーターが選ばれた理由の1つは、ここが以前は湖だったと考えられ、Sutherlandが調べたような化学反応が起きた可能性があるからだ(2020年11月号「NASAの探査車「パーサビアランス」が火星へ」参照)。彼は、Catlingのチームが2018年にNASAに対して行ったプレゼンテーションの原稿執筆に協力した。前生物化学の知見を要約し、パーサビアランスが調査を行うべき場所について助言する内容の原稿だ。Sutherlandは、「私たちは生命の起源の化学を説明し、この反応が起きた可能性が最も高いのはイェゼロ・クレーターだと述べました。そして、ここが着陸地点に選ばれたのです」と言う。

火星に到達したパーサビアランスが試料を採取し、まだ名前もなき将来のミッションによってそれが地球に届けられるまでには、何年もかかるだろう。別の言い方をすると、火星に生命がいるのかどうか、あるいは数十億年前にはいたのかどうかが明らかになるまでには、まだまだ長い時間がかかる。しかし、たとえ生命が存在していなかったとしても、前生物化学の痕跡は見つかるかもしれない。

Catlingは、パーサビアランスが火星の堆積物層の中に、脂質やタンパク質などの複雑な炭素系分子や、これらの分解物を発見できれば最高だと言う。彼は、湿潤-乾燥サイクルの証拠が見つかることも期待している。その証拠は、湖が干上がったり満たされたりを何度も繰り返したときに形成された炭酸塩の層という形で見つかるかもしれない。彼は、火星の生命はあまり繁栄しなかったのかもしれないと考えている。人類はいまだ火星で、明らかにそれと分かる化石や、有機炭素を豊富に含む黒色頁岩など、生命の存在を示す明白な兆候を目にしたことがないからだ。「私たちが探しているのは、ごく単純なものです。細胞までいかない、前生物的なものと言ってよいかもしれません」。

火星は、生命の誕生に向けて最初のいくつかの化学的段階を進んだところで止まってしまった可能性がある。その場合、私たちが見つけるのは生物の化石ではなく、生物以前のものの化石かもしれない。

(翻訳:三枝小夜子)

Michael Marshallは、英国デボン州在住のサイエンスライターで、『The Genesis Quest』の著者である。

参考文献

  1. Miller, S. L. Science 117, 528–529 (1953).
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  3. Powner, M. W., Gerland, B. & Sutherland, J. D. Nature 459, 239–242 (2009).
  4. Patel, B. H., Percivalle, C., Ritson, D. J., Duffy, C. D. & Sutherland, J. D. Nature Chem. 7, 301–307 (2015).
  5. Xu, J. et al. Nature 582, 60–66 (2020).
  6. Frenkel-Pinter, M. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 116, 16338–16346 (2019).
  7. Deamer, D. W. & Barchfeld, G. L. J. Mol. Evol. 18, 203–206 (1982).
  8. Rajamani, S. et al. Orig. Life Evol. Biosph. 38, 57–74 (2008).
  9. Zhu, T. F., Adamala, K., Zhang, N. & Szostak, J. W. Proc. Natl Acad. Sci. USA 109, 9828–9832 (2012).
  10. Bonfio, C. et al. Nature Chem. 9, 1229–1234 (2017).
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  12. Bonfio, C., Russell, D. A., Green, N. J., Mariani, A. & Sutherland, J. D. Chem. Sci. 11, 10688–10697 (2020).
  13. do Nascimento Vieira, A., Kleinermanns, K., Martin, W. F. & Preiner, M. FEBS Lett. 594, 2717–2733 (2020).
  14. Damer, B. & Deamer, D. Astrobiology 20, 429–452 (2020).
  15. Milshteyn, D., Damer, B. Havig, J. & Deamer, D. Life 8, 11 (2018).
  16. Deamer, D., Damer, B. & Kompanichenko, V. Astrobiology 19, 1523–1537 (2019).
  17. Wołos, A. et al. Science 369, eaaw1955 (2020).

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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