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造血幹細胞を実験室で安価に大量増幅させる新技術

今回の技術が実用化されれば、造血幹細胞を骨髄から採取する必要がなくなるかもしれない。 Credit: Morsa Images/DigitalVision/Getty

液体のりに含まれるポリビニルアルコール(PVA)と呼ばれる極めて単純な化合物を用いることで、実験室で造血幹細胞(HSC)を大量に増幅(自己複製)できることが、Nature 2019年7月4日号117ページで報告された(A. C. Wilkinson and R. Ishida et al. Nature http://doi.org/gf3h99; 2019)。この増幅HSCをマウスに注入すると、血液系の重要な細胞が産生されるようになった。この研究は、中内啓光が率いる東京大学とスタンフォード大学(米国カリフォルニア)のチームと、理化学研究所との共同研究による成果で、東京大学の山崎聡が中心となって進めた。

「全く予想もしなかった素晴らしい結果です」と、プリンスマーガレットがんセンター(カナダ・トロント)の幹細胞生物学者John Dickは言う。

この増幅技術をヒトに適用することができれば、白血病などの血液がんに対する化学療法により免疫系が傷害された患者へ増幅したHSCを移植するという手法がとれる可能性がある。また、増幅HSCを大量に移植する手法は、血液疾患の患者を治療するためのより安全な方法になる可能性がある。というのも、鎌状赤血球症のような血液疾患では現在、骨髄移植前に免疫系を抑制する前処置を受けなければならず、これにはリスクが伴う。

HSCは、自己複製するだけでなく、他の血液細胞を作り出すことができる。このため、実験室で増幅させて大量のHSCを得ようとする取り組みは数十年にわたって行われてきた。しかしこれまでのところ、HSCを体内に再導入した際に、HSCが確実に生着する(つまり血液細胞が産生されるようになる)のに必要な細胞数まで増幅させることができなかった。

研究チームは今回、実験室でマウスHSCを大量に増幅させる培養法を確立し、この増幅HSCをマウスに大量に移植することで、HSCを移植前処置なしにうまく生着させられることを示した。具体的には、彼らはまず、マウスのHSCクラスターをたった1カ月の培養で最初のレベルの約900倍に増幅させた。次に、この増幅HSCを複数のマウスに移植した。するとこの増幅HSCは、マウスの体内で生着して血液細胞を産生し始めた。「この成果は私の人生の目標でした」と中内は言う。

通常、動物の免疫系は、遺伝的に一致しないドナー細胞を破壊しようとする。そのため、多くの場合、移植の前に免疫系の除去あるいは抑制を行わなければならない。しかし、中内は、「無傷の免疫系を持つ健康なマウスにHSCを注入し、生着させることができました。これはおそらく大量のHSCを移植したためです」と言う。中内は現在、この技術をヒトHSCの増幅に適用しようと取り組んでいる。

ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)の幹細胞生物学者で、HSCの増幅を研究しているGeorge Daleyは、「この研究は、実験室で増幅させたHSCが数日以上生存し、体内に再び戻すと生着できることを示したこれまでで最良の証拠です。見事なデータです」と言う。

アルバートアインシュタイン医科大学(米国ニューヨーク市)の血液学者Paul Frenetteは、「この増幅レベルは、臨床で非常に大きな意味を持つと思います」と言う。

夢の材料

実験室でHSCを大量に増幅させる方法を探索してきた研究者たちは、増殖因子を用いる方法を試してきたが、これまで大きな成功は得られていなかった。しかし今回、中内らは、細胞培養液に加えるアルブミンに原因があることに気付いた。彼らは、精製過程で残存した微量の混入物が細胞を分化させたり、また、タンパク質の酸化反応が細胞老化を誘導したりするため、HSCの長期間の増幅を維持できなかったことを突き止めたのだ。「このような混入物は主に免疫細胞から放出されるタンパク質で、これが細胞の増幅を妨げていたのです。こうした混入物のために、どれほどのお金や時間、努力が無駄に費やされてきたことでしょう」と中内は言う。

中内らは、アルブミンの代替になると考えられる一連のポリマーについてスクリーニングを行った。すると、液体のりによく使用されるポリビニルアルコール(PVA)と呼ばれる合成化合物が、アルブミンの代替物質として適していることが見いだされた。PVAは、胚や胚性幹細胞の培養や錠剤のコーティングにすでに使用されており、規制当局が毒性はないと見なしている物質である。

テリー・フォックス研究所(カナダ・バンクーバー)の幹細胞・がん研究者Connie Eavesらも、この細胞増幅法をぜひ試したいと考えている。しかしEavesは、この手法がヒト細胞で機能するかどうかはまだ分かっていないと注意を促す。

中内らの発見により、HSCを人工多能性幹(iPS)細胞から作製するという手法に再び注目が集まるかもしれない。2017年に、Daleyらはヒトの皮膚細胞を再プログラム化してiPS細胞を得て、次に、そのiPS細胞をHSCに非常に類似した細胞に発生させた(R. Sugimura et al. Nature 545, 432-438; 2017)。iPS細胞を用いる方法では患者自身の細胞からHSCを作り出せるので、ドナーからの骨髄移植によってHSCを得る方法に比べて、遺伝的に適合するドナーを必要としないという点で有利である(2017年7月号「研究室でついに血液幹細胞の作製に成功」参照)。しかし、実のところDaleyは、HSCを実験室で大量に増幅させるのに苦労していた。中内らの細胞増幅法はこの状況を変える可能性がある。「今回の方法がヒト細胞に適用可能であるならば、非常に有用でしょう」とDaleyは言う。

中内らの研究チームはまた、マウスにおいて、免疫系を破壊・抑制することなく、ドナーHSCを生着させられることを初めて示した。

鎌状赤血球症などの遺伝学的血液疾患の患者は、ドナーからの骨髄移植によって治療できることがある。ただし、ドナーの細胞を移植する場合、(血縁関係にある兄弟姉妹であっても)遺伝的に完全には一致しないので、患者は最初に移植前処置を受け、体がドナー細胞を拒絶するのを防止しなければならない。しかし移植前処置により、ドナーHSCが宿主組織を攻撃するリスクが高まり、致死的な疾患が引き起こされることがある。また移植前処置によって不妊になったり、子どもの場合には成長が妨げられたりすることもある。

「数百万という数のHSCを移植することで、移植前処置の必要性を低減させるという考えは魅力的ですが、まずはマウス、そしてヒトにおいて、さらなる検討が必要でしょう」とサンラファエレ病院(イタリア・ミラノ)でHSCを用いた遺伝子治療を研究しているLuigi Naldiniは言う。

翻訳:三谷祐貴子

Nature ダイジェスト Vol. 16 No. 9

DOI: 10.1038/ndigest.2019.190906

原文

Blood stem cells produced in vast quantities in the lab
  • Nature (2019-05-30) | DOI: 10.1038/d41586-019-01690-w
  • David Cyranoski