News in Japan

ゲノム×医療 — うねりの中で日本は

Nature ダイジェスト Vol. 16 No. 8 | doi : 10.1038/ndigest.2019.190816

医学ではゲノム解析の重要性が増している。病気の原因解明や創薬においてはもちろんのこと、個別化医療や予防医学への応用に至るまで、医学のさまざまな側面でゲノム解析の利用が進んでいる。特に、患者のゲノムデータを集めて行う病気の研究では、データベースの規模が研究成果に直結してくることが多いといわれる。精緻な医療の実現を目指し、ゲノム情報を活用する国が出てきている中、日本におけるゲノムデータの収集と活用の状況はどうなっているのか、徳永勝士氏と岡野栄之氏に聞いた。

拡大する

ANDRZEJ WOJCICKI/SPL/Getty

―― 医学研究においてゲノムデータの活用が進んでいるようですが、詳しく教えてください。

徳永: 患者さんのゲノム配列を解読し、そのゲノム情報を診療で用いたり、病気の研究に利用したりすることは、世界的に非常に活発に行われています。こうしたゲノム解析は、以前は、ごく一部の専門家が行うものと考えられていましたが、今は、医学のさまざまな領域で、日常的に行われています。解析コストも下がりました。

よく知られた例に、薬の効き方や副作用の検査があるでしょう。患者さんは、1人1人が少しずつ異なるゲノムを持っており、その個人差に応じて、薬の効きやすさや副作用に違いが生じることが多いので、患者さんのゲノムを解析して事前にチェックするのです。また、診断のサポートに使う場合もあります。例えば、結核と風邪の症状は初期段階では区別しにくいのですが、患者さんのゲノム(この場合、発現データ)を解析すると、明確に診断できるようになります。その他、ゲノム解析が、病気の原因を探ったり、治療法開発のヒントとなったりすることは、言うまでもありません。医学研究において、患者のゲノム情報を用意することが、今後はミニマムエッセンシャルになっていくと思います。

岡野: 私の研究室では、脳を含めた中枢神経系の研究を行っています。その1つとして、iPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った創薬研究を進めていますが、その際にも、ゲノム情報が不可欠です。

具体的に説明しますと、研究対象とした疾患は、パーキンソン病やアルツハイマー病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)で、これらに対して治療効果のある薬の候補を探しました。これらの疾患の90%は孤発性というタイプで、効果的な薬が見つかっていなかったのです。方法としては、まず、iPS細胞技術を利用して患者の神経細胞を作り、その神経細胞にいろいろな薬を投与して治療効果を調べ、薬の候補を挙げていきました。これから薬の効果を実際の患者で検証していくことになるのですが、その際には、徳永先生が説明されたように、治療効果のある患者群とそうでない患者群を、ゲノム情報で層別化し、検証するのが有効だろうと考えています。

徳永: 最近、ゲノム解析は、予防医学という分野にも応用されています。その例を1つご紹介しましょう。

私は、多因子疾患というタイプの病気を専門に研究しているのですが、多因子疾患には糖尿病や高血圧なども含まれ、たくさんの遺伝要因と環境要因が複雑に関与していて、原因となる遺伝子を突き止めることが難しい疾患でもありました。ところが、2018年後半に報告されたポリジェニックリスク・スコアと呼ばれる方法を使うと、個人のゲノム情報から、その人が糖尿病などにかかる遺伝的リスクをかなり正確に予測できることが分かり、話題になっています。例えば欧米では、ポリジェニックリスク・スコアの計算から、糖尿病の発症リスクが4倍以上高い人たちが一般集団の中に0.2%存在すると予測され、このデータをどのように予防医学に生かすべきか、議論されています。

―― ゲノム解析ではサンプル数の大きさが重要と聞きますが?

徳永: はい、特に多因子疾患のゲノム解析においては、ゲノムデータの規模、つまりサンプル数が決定的に重要です。それが大きくないと、原因遺伝子や遺伝的リスクなどの推定を正確に行えません。統計学的に有効なモデルの検証を行うためには、非常に大きなサンプル数が求められるからです。世界的には、50万人もの住民コホートからなる英国のバイオバンクをはじめ、米国やアイスランドなどで、大きなサンプル数のデータベースが構築されています。ところが、日本の場合には、そのように大きな住民ゲノムコホートが存在しません。これは、今後研究を進めていく上で、大変不利な状況といえます。

岡野: サンプル数は確かに重要ですね。サンプル数を大きくするために、海外の研究グループとの共同研究を目指している研究者も多いと思うのですが、これが順調に進まないという苦情もよく耳にします。例えば、特定の疾患の患者データを日本で収集し、それを持って国際的コンソーシアムに参加しようと計画しても、患者のゲノムデータの海外への提供を、病院や大学の倫理審査委員会がなかなか許可しません。ゲノム情報は個人情報ということで、許可が下りにくいようなのです。

徳永: そうなのですよ。研究者が所定の手続きを正しく踏んでも、海外へのゲノム情報の提供が許可されにくいケースが多いと聞いています。

ゲノム情報の扱いは、「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」(略して、ゲノム指針)に従うように日本では定められています。現在の指針は、個人情報保護法の改正時に改訂されたのですが、それにより国内と国外でゲノムを扱う際の手続きが異なるようになったのです。さらに、指針の文章表現が複雑なこともあり、各機関の倫理審査委員会の方たちが、国外へのゲノム情報の提供を抑制する方向に判断を下しがちになってしまいました。しかし、これではゲノム研究が停滞してしまいます。そこで現在、ゲノム指針の再度の見直し作業が進められており、私はその委員でもあります。今後は、ゲノム情報の匿名化などの所定の手続きが取られていれば、海外への情報提供がスムーズに進められるようになると期待しています。

岡野: ぜひ、国際コンソーシアムへの参加可能を前提とするような指針の改訂をお願いします。

徳永: 国際共同研究に抑制がかかるのは、本当にまずいですからね。国際間でのデータのやり取りが消極的になることは、ゲノム研究では極めて不利なことなのです。

岡野: 幹細胞研究の場合でも、不利以外の何ものでもありません。

―― 日本でのゲノムデータ収集の現状はどのようですか?

徳永: 先ほど住民コホートの規模が小さいことを申しました。実は、日本にも患者データのバイオバンクがあり、日本の6つのナショナルセンターが収集した細胞や組織の試料が含まれています。7万6千人の患者から得られた24万の試料があり、各試料について、臨床情報はしっかりと記録されています。ところが、肝心のゲノム解析がほとんど行われていないのが実情です。なぜ行われていないかというと、ゲノム解析の予算の不足が、主な原因と考えられます。しかし、ゲノムには民族ごとの多様性があり、日本人のゲノムの特徴を解析していくことは、日本人に合った薬や治療法を考えていく上で必須です。これは大変残念なことといえるでしょう。

岡野: 本当に残念ですね。試料にゲノム配列情報が付いていないと、研究利用価値は大きく下がってしまいます。多くの研究者がそう考えるのではないでしょうか。欲を言えば、エピゲノム情報もあるといいのですが、エピゲノムを解析する場合でも、まずゲノム配列情報がないと、話が始まりません。

徳永: 海外では、製薬企業がゲノム解析に大規模な資金提供をするケースが多く見られます。製薬企業にとっても、ゲノム情報はそれだけ貴重なのでしょう。ゲノム解析結果は、製薬企業が自社のみで1年間ほど使用し、その後は、一般公開することが多いようです。

―― 公的資金を用いたゲノム研究は、論文発表後に、ゲノム情報を公共データベースで公開することが義務付けられていると聞きましたが?

徳永: 日本の全ての研究資金プロジェクトがそれを義務付けているわけではありません。また、罰則もないので、全研究者が公開しているわけでもないですね。日本にはいくつかの公的ゲノムデータベースがあるのですが、そこへの登録は、まだ不十分であると感じられます。

岡野: データベースを維持する側にも、資金不足の苦労があるでしょう。データは蓄積してこそ価値が高まると思うのですが、データベースを長期に維持していくにはそれなりの運営資金が必要です。例えば、公共事業として橋や道路が建設される場合、その建設後も長期にわたって維持管理に費用がかかります。それと同様に、データベースにも維持費がかかるのです。それは、科学研究の競争的研究資金とは別の枠組みとするのが妥当でしょうが、いずれにしてもデータベースのサステナビリティ(持続可能性)を確保して、ビッグデータを活用する時代にふさわしくしないとなりません。

徳永: 世界はまさに、データシェアリングの時代になってきました。大阪大学の岡田随象教授の行ったリウマチの研究を紹介します。私もこの大規模国際共同研究の一員ですが、研究成果は、主として岡田先生が米国のブロード研究所に在籍していた時のものです。

岡田先生は、世界各地で大規模に行われた研究データをまとめ、つまりサンプル数を大幅に増やしたデータセットを使用して、情報学的手法で再解析を行ったのです。このような手法をメタ解析と呼ぶのですが、その結果、これまでに見つかっていたものと合わせて、101の遺伝因子が見つかりました。そして、現在リウマチの薬として使用されている薬がいくつかあるのですが、それらはいずれも遺伝因子のどれかに関連していることが分かったのです。ということは、101のうちまだ創薬に結び付いていない多くの遺伝因子から、今後新たな創薬ターゲットが見つかるかもしれないということです。これは、ゲノム解析から創薬につながる典型的な研究例です。

岡野: 蓄積されたビッグデータから発見が導かれる時代になったのを痛感しますね。日本でナショナルコンソーシアムを作り、特定の疾患に関する国内の情報を一括し、海外との情報交換を活発に行って、研究をどんどん進めて行くべきであると、私は考えており、そこにためらいはありません。また、そのような研究を進めやすい環境が、日本で整備されることを期待しています。

聞き手は藤川 良子(サイエンスライター)。

徳永 勝士

国立国際医療研究センター ゲノム医科学プロジェクト長
東京大学大学院医学系研究科人類遺伝学教室教授として、長年、多因子疾患のゲノム解析を主導してきた。2019年より現職。「症例データを収集している臨床家と共同研究を行って、ゲノム解析を進めたい」と意気込む。

岡野 栄之

慶應義塾大学医学部 生理学教室教授
脊髄損傷の幹細胞治療をはじめ、中枢神経系の疾患を幅広く研究。最近はALSの治験も開始した。臨床研究法の改正もあってヒト研究の審査手続きが煩雑になっているが、「臨床研究に積極的にチャレンジする人が増えてほしい」と願っている。

キーワード

Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

プライバシーマーク制度