世界初のナノカーレース開催!
2017年4月、金でできたレーストラックを走るユニークなカーレースが、南フランス・トゥールーズで開催された。このレースには3大陸から6つのチームが出場を決め、どのチームもこの日のために準備を進めてきた。といっても、豪華なスーパーカーのイベントではない。レーサーたちが走らせたのは「ナノカー」というナノサイズの分子の車で、レースが行われたのは、フランス国立科学研究センター 材料精密化・構造研究センター(CEMES-CNRS;トゥールーズ)にある実験用の走査型トンネル顕微鏡(STM)の中だ。各チームの目標は、真空に維持され絶対零度より数度高い温度に冷やされたレーストラック上で、100nm(人間の髪の毛の太さの約1000分の1)の距離を36時間以内(準備時間含む)に完走することだ。
今回のコンテストは「世界初のナノカーレース」と宣伝された。その目的は、人々にナノテクノロジーや分子マシンの面白さを知ってもらうことだと、CEMESの化学者で共催者のChristian Joachimは語る。ナノカーレースのアイデアは、ジャーナリストから取材を受けたJoachimが、その後、ナノテクノロジーの基礎に関する自分の研究よりも、ナノカーの方がはるかに世間の注目を集めると気付いたことから生まれた。そこで彼は、ポール・サバティエ大学(フランス・トゥールーズ)の化学者Gwénaël Rapenneとともにレースコンテストを企画したのだ。
このコンテストは、参加者にとっても魅力的だ。レースを通して、個々の分子が表面とどのように相互作用するのか理解を深めるのに役立つ科学的知見が得られる可能性があるからだ。そうした知見は、触媒の設計に役立つかもしれないし、長期的には、積み荷や情報を運ぶ分子スケールの技術を開発するという目標の達成を後押しするかもしれないと、参加者たちは話す。「これは多くの研究者が一緒に行う大きな実験なのです」とJoachimは言う。なお、Nature Nanotechnologyはこのレースのスポンサーの1つだ。
燃料は電子
今回のレースに使用された分子はモーターを備えていないため、厳密には「ナノカー」という表現は正しくないかもしれない(未来のレースでは、モーター付きの分子が参戦しているかもしれないとJoachimは言う)。しかも、エントリーした分子の中には車軸や車輪が存在しないものもあり、自動車のように進むかどうか定かではなかった。このようにナノカーの形状は各チームさまざまだが、どのチームの操縦者もSTMの探針を使ってナノカーに電子を注入することで進ませる。1度の注入につき、ナノカーは大体0.3nmずつ動く。従って、100nmは「とても長い距離なのです」と、グラーツ大学(オーストリア)の物理学者で米国・オーストリアチームの共同代表者でもあるLeonhard Grillは指摘する。
レースでは、STMの探針で分子を直接押すことは禁止されている。注入電子によってエネルギー状態を高め、振動や構造変化を起こさせて前進するように分子を設計したチームもあれば、電子からの静電反発力が主な駆動力になると考えたチームもあった。物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(MANA-NIMS;茨城県つくば市)の有機化学者、中西和嘉は、2組の「フラップ」を持つナノカーを設計した。この分子は、STMの探針からエネルギーをもらうとチョウが羽ばたくようにフラップが動く仕組みだ(「分子カーレース」参照)。レース出場の理由の1つは、CEMESの最先端のSTMを使ってこの分子の振る舞いをより深く理解することだと彼女は言う。
オハイオ大学(米国アセンズ)の化学者Eric Massonは、自身のチームのナノカーの「車輪」(かぼちゃ形の原子団)が表面で回転するのか、それともただ滑るだけなのかを明らかにしたいと考えた。「分子と表面の相互作用の性質をより深く理解したいのです」とMassonは話す。
チームの仕事は、単にレースの経過を見守ることだけではない。各チームは、電子を注入するごとに3分かけてSTMでレーストラックを走査し、さらには、1時間ごとに短いアニメーションを作成して直ちにインターネット上に掲示することになっているのだ。そうすることで、誰もが「ほぼライブ」でストリーミング配信されたレースを閲覧できるとJoachimは言う。
ナノスケールのレース
化学者たちは過去に、分子ローターや分子スイッチだけでなく、車輪と車軸の付いた小さなナノカーなども作製している。そして、2016年にナノマシンのクリエーターたちにノーベル化学賞が贈られたことをきっかけに、この分野に新たな関心が寄せられることとなった(Nature ダイジェスト2015年12月号「分子マシンの時代がやってきた」、2016年12月号「ノーベル化学賞はナノマシンに」参照)。ただし、ノーベル賞受賞者たちが主として扱ってきたのは、溶液中の多数の分子である。それに対し、このレースの参加者たちは、単一分子と固体表面との相互作用に注目していると、Joachimは説明する。
「ナノスケールの車は、その形をした実際の自動車とはまるで異なる動きをしますから、適した使い方を見つけるのが難しいのです。ナノスケールでは、静電力が支配的になり、不規則な熱振動によって絶えず分子が揺さぶられます。結局、ナノカーは予想外で予測不可能な動きをするのだと思います」と、Grillは話す。またJoachimは、「参加者は、コンテスト中、分子が行方不明になったり、立ち往生したり、多くの障害に直面することでしょう。最も難しいのはレーストラックの2つのカーブをうまく曲がることかもしれません。100nmの距離を走りきるまでに、何回か再スタートが必要になるでしょう」と語っている。
そして、4月28日現地時間午前11時、戦いの火ぶたが切られた。
ナノカーレースに参戦して
Japan チーム チームリーダー 中西和嘉 物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(MANA-NIMS)
2017年4月28日~29日、フランス・トゥールーズのCEMES-CNRS研究所で、ナノサイズの車によるレースが世界で初めて開催されました。このレースでは、分子でできた車「ナノカー」を、金表面に自然にできるジグザグの溝にそって走らせます。100nmの距離をいちばん早く走ったチーム、あるいは制限走行時間29時間でいちばん長い距離を走ったチームが優勝です。ナノカーをSTMの探針で押すのは禁止されているので、ナノカー分子を電気パルスによって励起し、振動させて動かすなどの、より難度の高い操作が求められます。 レースには6カ国から6チームが参戦しました。日本を含む4チームがCNRSの4探針STMを使い、その他の2チームは外部のSTMをインターネットを介して遠隔操作することで、全チームが1部屋に集まって同時にレースを戦いました。なお、CNRSの装置を使用するチームは、各制御PCにて4本の探針のうちの1本を操作し、同一の金板上の別々の箇所に配備された各チームのナノカーをそれぞれ動かしました。 いちばん早く、そして、ゴール後もいちばん長く走り続けたのは、ナノカーの生みの親James Tour・ライス大学教授のいるアメリカ・オーストリアチームでした。実はこのチーム、速すぎて金表面では観測できず、動きが抑えられる銀表面を150nm走るという特別ルールで参戦していました。それでも圧倒的な速さでゴールし、ゴール後も走行を続け29時間の走行距離は約1µmに達しました。本来のレーストラックである金表面での優勝者は、シンプルな構造で着実にレースを進めたスイスチームで、6時間でゴール。2位は、大きな車体で車輪がいくつか脱輪しながらも43nmを走ったアメリカチーム、3位は、金上に分子を配置する条件が悪く、本来の四分子集合体でなく、三分子集合体で戦いましたが、11nmを何とか走ったドイツチームです。 フランスチームは美しい4輪の車の形が見えたものの、スピンして動かず途中棄権しました。日本チームの車はしなやかに形を変えるのが特徴で、折りたたまれた状態にある分子を平たく引き延ばして動かします。レース開始直後に1nm進みましたが、制御PCのトラブルと、それによるナノカーやレースコースなどの破壊に2度見舞われてしまいました。他チームへの悪影響を回避するため、残念ながら途中棄権となりましたが、あきらめずに復旧作業を続けたことに対し、日本チームに「フェアプレイ賞」が贈られました。 複数の分子カーを同一の装置で同時に動かすことの難しさに由来する困難も多くありましたが、各チームがユニークな車を持ち寄り、その構造独自の形や動きを見ることにチャレンジできたことは非常に有意義でした。
翻訳:藤野正美
Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 7
DOI: 10.1038/ndigest.2017.170709
原文
Drivers gear up for world’s first nanocar race- Nature (2017-04-20) | DOI: 10.1038/544278a
- Davide Castelvecchi
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