自閉スペクトラム症研究から「個性」の探求へ
–– 「個性」に関する新学術領域研究プロジェクト(文部科学省)の領域代表になられましたね。
大隅: 人間の「個性」とは何か、どのように形成されるのか。その解明に向けて、2016年にこの研究プロジェクトを立ち上げました。私は近年、自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害(以下、ASD)の病態モデルについて研究してきましたが、その中で、「個性」を強く意識するようになったのです。
–– ASDとは、どのような疾患なのか、改めて教えてください。
大隅: ASDは神経発達障害といわれる病気です。詳しい病因メカニズムはまだよく分かっていませんが、脳の神経系が発生・発達するときに生じたちょっとした不具合が原因で起こると考えられています。この脳の発生・発達とは、産生されたニューロンが互いに複雑な配線を形成し合うもので、お母さんのお腹の中にいるときから生じ、生後も続きます。繊細で複雑な過程なので、さまざまな段階で不具合が生じる恐れがあるのです。
ASDについては、2007年頃からリスク遺伝子(や遺伝子座)が発見され始め、今では約800もが見つかっています。親から受け継いだリスク遺伝子に、さまざまな環境要因(エピジェネティックな作用)が加わった結果、脳の発生・発達での不具合が生じるといえるでしょう。
ASDと出合う
–– 大隅先生は、どのようにASDを研究されてきたのですか。
大隅: あるとき、ASDのリスク遺伝子座のリストを見ていて、PAX6遺伝子もその1つかもしれないと気が付きました。Pax6は脊椎動物の胚発生期に中枢神経系などを作るのに重要な遺伝子で、私は、ラットやマウスを実験動物に用いて、このPax6について長年研究してきたのです。
そこで行動の解析をしてみると、Pax6変異体ラットが、ASDに関する動物モデルとなりえることが分かり、2010年末に論文を発表しました1。
その翌年3月、東日本大震災が起きたのです。東北大では1カ月くらい実験が全くできませんでした。しかし、それもASDの研究に、さらに注力するきっかけとなりました。
–– それは、どういうことでしょうか。
大隅: 実験ができない期間に、ゆっくり考える時間が持てたのです。Pax6がASDのリスクとなり得るとしても、それは多数のリスク遺伝子の1つにすぎません。もっと大きな、解かれていない問題は何かを模索しました。その頃、NatureでASDが先進国で大きく増加していると論じたエッセイを読んだのです。その記事には、近年のASD増加の背景としては、診断法の変化などの原因の他に、結婚年齢が上がったことによる親の加齢といった生物学的要因もあるのではないかと書かれていました。実際、ASDの疫学調査に当たってみると、父親の加齢の明確な影響が報告されていました。若い父親の子どもがASDになる確率を大ざっぱに1%とすると、40〜50代の父親では1.6〜2%に上昇するとのことでした。このような生物学的な要因であれば、動物モデルを用いて検証することが可能です。
ちょうどその頃、ラボのメンバーとディスカッションしていたとき、実験データが大きくばらついたことから、ふと思いついて、父親マウスの月齢に分けてデータを取り直してみるように勧めたところ、解析結果に明らかな違いが表れたので驚きました。詳しく検証したところ、野生型でもPax6変異型でも、親マウスの加齢によって仔マウスのADSの発生率が高くなることが分かりました。特にPax6変異マウスでは、父親の高齢とPax6変異という2つの影響の相乗効果により、その傾向が加齢で早めに表れたことは興味深いと思っています。
–– 父親加齢の影響は社会的なインパクトも大きいですね?
大隅: そうですね。ただし間違えていただいては困ると思うのは、子どもの健康に父親の加齢の影響があるから高齢の男性は子どもを持ってはいけない、と言っているのではないということです。こういう事実を知った上で、それぞれに判断していただくことが重要だと思います。
また、マウスやラットを実験に用いる研究者にとっても、ぜひ知っておいた方がよい事実と思えたので、実験結果の素早い公表に努めました。
個性を探る
–– ASDの研究から、どのように「個性」を意識するようになったのでしょうか。
大隅: ASDの症状は多様なのですが、それぞれの脳機能などの指標を健常集団と比べてみると、その指標の変化は連続的で、2集団の境界も曖昧ということに気が付きました。そのときに、健康と病気とに区分せずに研究を行い、「個性」として捉える視点も重要なのではないかと考えるに至ったのです。ASDを「個性」として捉えて研究することは、行動や性格を探究する手段となり、それにより人間とは何かの解明につながると思っています。
–– 「個性」の研究プロジェクトにおいて、大隅先生はどのように研究を進める計画ですか。
大隅: まずは、父親加齢の仔マウスへの影響がどのようなメカニズムで起こるのかを、ASDモデルを中心に解析していこうと思います。今回、マウスのさまざまな行動への影響を網羅的に調べてみたところ、Pax6変異という発達障害のリスクが仔へ伝わるときに、父親の年齢によって、仔に表れる行動の種類(症状)が異なっていることを発見しました。若い父親の場合は、仔が母仔分離コミュニケーションの異常を示したのに対し、高齢の父親の場合は多動傾向を示しました2。この現象は、多様なリスク遺伝子と環境要因の協調作用の結果であり、今後は精子のエピジェネティックな変化に着目して、この分子メカニズムを詳しく解析していくつもりです。それにより、父親のリスクが子どもにどのように伝わり、「個性」の基盤となるかを解明していきたいと思っています。
また、遺伝的背景の上に加わる環境要因の個体差を分析するためには、多様な個体の平均値のデータを使うだけではなく、1個体ずつのデータを追跡して比較する方法も重要です。最新の装置を用いて1個1個の精子のデータを分析・追跡することも計画しています。
–– マウスやラットの行動はどのように分析するのですか。
大隅: 齧歯類の行動を解析する試験方法は、いろいろ開発されています。例えば、超音波発声(USV)試験。生まれてすぐの仔マウスを母親から離すと、体温低下や不安から、仔マウスは鳴き出すのですが(鳴き声は超音波)、その声を聞くと母マウスが仔マウスを巣に戻します。この鳴き声は、母仔間コミュニケーションの方法と見なせるため、鳴く回数(コール数)がASDの行動の評価として使われているのです。
また、オープンフィールド試験は、新しい環境に置いたときのマウスやラットの活動量を測定するもので、多動や抑うつ、不安などの評価に用いられています。他にも多様な行動検査が確立されています。
–– 他の研究者の方々はどのような研究をされるのですか。
大隅: このプロジェクトは、ヒトでの研究、動物での研究、技術の開発という3グループに分かれて、脳の神経系の発生・発達における多様性や行動に及ぼす影響を解明していきます。現在の研究を簡単に紹介すると、ヒトでの研究については、まず、乳幼児における自己意識の発達や言語の獲得過程の個人差に関する解析を行います。また、パーソナリティ(性格)を心理学的に解析することにより、個人差を測定するためのモデルを作成し、それを脳画像の指標と結び付けて、発達障害の早期発見などに役立てようとする研究もあります。
動物での研究では、ASDや統合失調症に強く関連することが知られているAUTS2遺伝子の解析や、胎仔期のバルプロ酸(抗てんかん薬)暴露という環境要因の影響をエピジェネティックな変化として解析する研究があります。また神経発生や神経新生過程における「ゆらぎ」が表現型に及ぼす影響をモデル化する計画です。マウスの超音波発声の研究を人間の言語の研究に結び付ける可能性も探りたいと思っています。
技術の解析では、脳活動のわずかな変化として表れる個体差を膜電位により網羅的に計測する方法や、神経科学のビッグデータを解析する数理モデルの開発、さらに霊長類を用いたゲノムの個体差と脳画像解析を結び付けた脳画像ゲノミクス、あるいはマウスの行動解析システムの開発などを考えています。
–– 多彩な分野の研究者により構成されているのですね。
大隅: 大きな方針として、いわゆる文系研究者と理系研究者が協働することが大切と考えています。私たち理系は、例えば、パーソナリティを心理学的にはどのように分類するかといったことをよく知らないままに「個性」という言葉を使っています。一方、文系の方たちは、最新のゲノム解析技術やエピジェネティックなメカニズムについて、あまりご存じなかったりする。両者の活発な対話が、研究を深めていく上で、非常に重要になってくると考えています。
また、動物モデルの開発や活用も重要視しています。例えば、マウスやラットのような、“高等でない”と見なされる動物は、ヒトの行動の解析には応用できないと考えている人が意外と多いのです。しかし実際には、脳・神経系の発生・発達に及ぼすさまざまな要因の影響を分子レベルで調べたり、ヒトの行動を進化の枠組みの中で解明したりするには、こうした動物モデルが非常に重要となるのは明らかです。
私たちはこのプロジェクトを、個性の客観的・科学的解明の第一歩にしたいと考えています。そして、得られたデータは今後も幅広く活用してもらえるように、データベースとして公開していくつもりです。ここで開発された個性を探るための方法やデータベースを生かせば、「個性学」が確立できるのではないかと期待しています。
–– ありがとうございました。
聞き手は、藤川良子(サイエンスライター)。
Author Profile
大隅 典子(おおすみ・のりこ)
東京医科歯科大学歯学部を卒業後、同大学大学院で基礎研究の道へ。国立精神・神経医療研究センター神経研究所室長を経て、1998年より現職。自身の性格を「アクセル踏みっぱなしのような」と評する。そのため、周囲にはブレーキ役を配し、バランスをとっているとのこと。今回のプロジェクトでは、高校生の頃から興味があった心理学や言語学に触れられるため、楽しみだという。一般向けに書いた著書『脳からみた自閉症』が好評。
Nature ダイジェスト Vol. 14 No. 2
DOI: 10.1038/ndigest.2017.170220
参考文献
- Umeda, T. et al. PLoS ONE e155500 (2010).
- Yoshizaki, K. et al. PLoS ONE e0166665 (2016).
関連記事
Advertisement