抗ヘビ毒血清不足に立ち向かうための新手法
ヘビの毒液を絞り出す作業は、従来の抗ヘビ毒血清の製造過程で重要な部分を占めている。 Credit: CAMILLA CARVALHO/INST. BUTANTAN
2015年9月に国境なき医師団が「抗ヘビ毒血清の世界的な不足は公衆衛生の危機だ」と呼びかけたとき、ブタンタン研究所(ブラジル・サンパウロ)の生化学者Paulo Lee Hoは特に驚かなかった。彼はこの研究所で、毒ヘビの中でも特に強い毒を持つサンゴヘビ属(コブラ科で神経毒作用が主)による咬傷を治療する抗毒素の新しい作製法を探し求めてきたからだ。
従来の作製法では、天然のサンゴヘビの毒液が必要だ。だが、サンゴヘビは飼育が難しく、1回に産生する毒液の量も少ないため、毒液の入手は困難である。そこでHoらは、プロテオミクスと合成生物学を利用して抗毒素の品質を向上させ、供給量を増やすことに取り組んでいる。「保健省が要求する量の抗毒素を供給するためには、新しい製造法が必要です」と彼は言う。
今、彼らの長年にわたる努力が実を結ぼうとしている。2016年3月、Hoらは、マウスに注射することでサンゴヘビ毒に対する抗体産生を誘導できる短いDNA断片を設計したと報告した1。これをマウスに投与した後、この配列を基に大腸菌で合成した小さな毒素タンパク質を追加投与することで、免疫応答を高めることができたという。また、同ブラジルの国立研究機関オズワルド・クルス財団(ブラジル・ポルトペジョ)の研究チームはこれとは別の研究で、合成抗体断片を用いて、ヤジリハブ属のハララクス(Bothrops jararacussu;クサリヘビ科で出血毒作用が主)による咬傷の影響を中和することに成功した2。
リバプール大学熱帯医学校(英国)のアラステア・リード毒物研究ユニットを率いるRobert Harrisonは、発展途上国でのヘビ咬傷による医療費負担の重さを考えると、このような研究の進歩は非常に心強いと言う。世界では今でも毎年約9万人が毒ヘビに嚙まれた後に死亡しているのだ3。
実は、抗ヘビ毒血清は、いまだに100年以上前と変わらない方法で作製されている。大型動物(多くはウマ)にヘビの毒液から抽出精製したタンパク質を少量注射することを繰り返して抗体を作らせ、抗体を含む血清を動物から採取する。これをヘビに嚙まれた人に投与するのだ。
けれども、この救命治療には重大な欠点がある。まず、それぞれの抗ヘビ毒血清は、1種かせいぜい数種のヘビの毒にしか効果がない。それに、抗ヘビ毒血清は冷蔵保管の必要があるが、熱帯諸国は電力供給が不安定だ。アリゾナ大学(米国トゥーソン)のVIPER(Venom, Immunochemistry, Pharmacology and Emergency Reponse)研究所のLeslie Boyerは、「抗ヘビ毒血清の弱点を考えると、これで治療できていたことの方が驚きです」と言う。
サンゴヘビ属はコブラ科に属し、強力な神経毒を持つことで知られる。 Credit: Mark Kostich/E+/GETTY
また、抗ヘビ毒血清はあまり利益が出ない。そのため、これを製造する製薬会社の数は減少している。2010年には、製薬会社大手のサノフィ社(フランス・パリ)が、アフリカで最も毒性の強い10種のヘビによる咬傷を治療できる抗ヘビ毒血清Fav-Afriqueの生産を終了した。
Hoは、自分のアプローチがこの空白を埋めるのに役立つことを期待している。彼の手法は、生きたサンゴヘビの毒液を使わずに免疫応答を誘導するというものだ。まず、このヘビ毒タンパク質の一部(抗原性を有するエピトープ)をコードする小さなDNA断片をマウスに注射し、1カ月後に、このDNA断片の配列を基に合成したタンパク質を追加投与する。
Hoの実験的措置を受けたマウスに致死量のサンゴヘビ毒を注射したところ、その生存率は60%だった。既存の抗ヘビ毒血清を投与した場合の生存率はほぼ100%なので、それに比べるとかなり低い数字であるが、Hoは強気だ。「この結果は、従来の手法以外にも中和抗体を得る方法があることを実証するものです。より良い結果を得るためには、抗原の投与量をもっと増やして、もう一度試してみる必要があるのかもしれません。現時点ではまだ分からないのですが」。
一方、生物医学研究機関オズワルド・クルス財団の分子生物学者Carla Fernandesが率いる研究チームは、Hoらとは違った技術を検証した。ハララクスの抗毒素は現在はラマに毒液を注射して得ているが、彼らはファージディスプレイ・ライブラリーという手法を用いて毒素とラマ血清中の抗体の相互作用を調べて有望な抗毒素を探しだし、それを合成した。この抗体をヘビに嚙まれた被害者に投与することができれば、動物の血清を使用する必要はなくなる。また、合成抗体は従来の抗ヘビ毒血清に比べて分子が小さく組織内に浸透しやすいため、嚙まれた部位の筋肉の損傷や組織の壊死を抑えられるはずだ。
新しい抗毒素への道のりは容易ではないが、研究者たちは速やかな動きがカギになると考えている。「この分野は目覚ましい進歩を遂げていますが、もっと速く進める必要があります。本来予防できるはずの病気で、あまりにも多くの人が死亡しています」とHarrison。
けれどもBoyerは、抗毒素不足の原因が科学にあるとは考えていない。「米国で1瓶1万4000ドル(約150万円)する抗毒素の製造コストはわずか14ドル(約1500円)です」と彼女は言う。「それより安くなることはありません。科学的なことで高価なのではなく、利益の分け前を求めて群がってくる人々が抗毒素の価格をつり上げ、その結果、発展途上国の人々は手が届かなくなってしまうのです」。
翻訳:三枝小夜子
Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 7
DOI: 10.1038/ndigest.2016.160719
原文
Synthetic biology tackles antivenom- Nature (2016-04-21) | DOI: 10.1038/nature.2016.19755
- Carrie Arnold
参考文献
- Ramos, H. R. et al. PLoS Negl. Trop. Dis. 10, e0004484 (2016).
- Prado, N. D. R. et al. PLoS ONE 11, e0151363 (2016).
- Harrison,R.A., Hargreaves,A., Wagstaff,S.C., Faragher, B. & Lalloo, D. G. PLoS Negl. Trop. Dis. 3, e569 (2009).