ダニ媒介性感染症をめぐる問題
2015年6月下旬のある爽やかな日、コネティカット農業試験場(米国ニューヘイブン)の野生生物学者Scott Williamsは、1匹のシロアシネズミ(Peromyscus leucopus)が昏睡状態に陥るのを待っていた。Williamsは、このネズミを罠から出して、麻酔薬を浸した綿ボール入りのプラスチック製容器に移したところだった。呼吸が毎秒1回に低下したらすぐにネズミを取り出し、採血して体重を測り、個体識別用の耳標を付け、体にダニがついているかどうかチェックし、吸血して膨れたダニがいたら保存しなければならない。彼はこの一連の作業を手早く済ませる必要があった。ネズミは2分ほどで目覚めるだろうし、イライラしているかもしれないからだ。
Williamsは現在、米国で発生するライム病の典型的な病原細菌であるボレリア菌の中でもBorrelia burgdorferiに対するワクチンをネズミに投与することで、この細菌に感染しているダニの比率を下げられるかどうかを調べている。公衆衛生当局もこの調査に関心を示している。コネティカット州は全米でヒトライム病の発生数が最も多い州の1つであり、6月は感染が広がるピーク期である。米国疾病対策センター(CDC;ジョージア州アトランタ)によれば、米国では毎年32万9000人がB. burgdorferiに感染していると推定されている。また、早期に治療を受ければ、ほとんどの人はすぐに回復するが(Williamsはライム病に3回かかった)、約5人に1人は長期化して命に関わる状態(心臓や視覚、記憶の障害、および消耗性の関節痛)に陥る。
Williamsの取り組みは、ダニ媒介性感染症の蔓延を阻止するための試みとして試験中の戦略の1つである。これらの戦略の中には、このネズミ用ワクチンと同様に、ライム病を伝播したり病原体を増殖させたりする野生動物を標的にして生態系内でのライム病病原体の循環を遮断しようというものがある。また、ヒトライム病ワクチンを復活させようとする取り組みなど、ヒトを感染から直接防御する目的のものもある。さらに、もっと先進的な取り組みとして、ダニがヒトや動物から吸血する能力を障害する試みもある。この方法は、米国や欧州、アフリカ、アジアで蔓延している数十種類のダニ媒介性感染症に対する防御法にもつながる可能性がある。
ダニ媒介性感染症に対して現在、創造的な解決策が求められていることは確かだ。以前から推奨されている介入法には、殺虫剤の使用や、ダニ成虫の重要な宿主であるシカの個体数を制御することなどがあるが、その多くは科学的研究において成功と失敗が入り交じった結果に終わっている。そして、多くの人々が現在用いている昔ながらの予防法も、科学的証拠に基づいたものではない。「虫除けを身に着け、ダニが体に付いていないかを確認し、ダニのいる野外から戻ったらシャワーを浴びるようにと、人々に呼び掛けています。しかし、こうした方法でヒトの発症例が減ることを示したデータはほとんどないのです」と、CDCダニ媒介性感染症課の細菌感染症部門チーフであるBen Beardは説明する。
ダニによって広がる感染症は世界各地で増加しており、この傾向は、気候変動や農村地域への人口流入といった複数の要因が組み合わさることでさらに強まっている。米国で最もよく見られるダニ媒介性感染症であるライム病の報告症例数は、1992年以降、米国内でほぼ3倍となっているが、この増加には認知度が高まった影響もあると考えられている。また、ライム病は欧州やモンゴル、中国といった国々の一部地域でも徐々に問題化している。しかし、ライム病以上にたちの悪い脅威も増えている。クリミア・コンゴ出血熱と呼ばれる感染症が、アフリカや中東、アジア、欧州南部の各地でダニにより広まっている可能性があるのだ。この出血熱では全症例の40%が死亡している。またセネガルの一部では、住民の20人に1人がダニ媒介性回帰熱の一種にかかっている(訳註:日本でも、ライム病の他、つつが虫病や日本紅斑熱の患者が毎年報告される。また最近では、2011年に特定されたばかりの新しいウイルスによる重症熱性血小板減少症候群の患者が報告されるようになった)。
米国では、ダニが少なくとも16種類の感染症(アナプラズマ病、バベシア症、エールリヒア症、ロッキー山紅斑熱など)を広めており、これらは全て「重篤で命に関わる感染症」だとBeardは話す。また、これらの感染症の多くは発生数の増え方がライム病よりも速い。アメリカ昆虫学会は2015年7月の意見書で、ダニ媒介性感染症と闘うための国家戦略を立てるよう訴えた。この意見書によれば、「近年の環境、生態、社会および人口動態といった要因が重なって、北米全土でより多くの場所により多数のダニが出没するという、ほぼ『最悪の状況』が生じている」という。
裏庭がダニとの戦場に
さて、Williamsは無事にシロアシネズミに標識を付け、体重を測って、麻酔が切れる時間ぎりぎりに何とか野に放した。そのネズミには、研究室に持ち帰って解析するためのダニは付いていなかったが、採集できる機会はまた他にあるだろう。コネティカット州の32家族のメンバーが、所有地の周囲に罠を仕掛けるボランティアを引き受けてくれており、一部の家にはネズミ用の経口ワクチンを混ぜた餌の箱も届けられる。ワクチン入りの餌を置いた場所で、B. burgdorferiを持つマウスやダニが時間とともに少なくなっていってほしいとWilliamsは考えている。
Williamsのこの計画は型破りなものといえる。なぜなら、ライム病対策のほとんどはオジロジカ(Odocoileus virginianus)に集中しているからだ。このシカは米国で過去1世紀の間に個体数が爆発的に増えており、その要因は、人間による環境開発で若い森林が徐々に細分化したことや、大型の捕食者がほぼ根絶されてしまったことにある。クロアシマダニ(Ixodes scapularis)の成虫は通常、シカに咬着してその体表で交尾する。そのため、ライム病を根絶するにはシカを駆除するしかないと多くの研究者が主張している。
しかし、シカ駆除の試みは「非常に一貫性のない結果」に終わったのだと、ケアリー生態系研究所(米国ニューヨーク州ミルブルック)の疾患生態学者Richard Ostfeldは話す。彼は数十年にわたってダニ媒介性感染症を研究してきた。
タフツ大学(米国マサチューセッツ州ノースグラフトン)の疫学者Sam Telfordは、1980年代初めに同僚と、コッド岬のグレートアイランドに生息するシカ個体数を50%減らした。だが、ダニの個体数に大きな減少は見られず、実際には島のダニ幼虫の数が増加してしまった1。Ostfeldによれば、ダニの個体数維持に、たくさんのシカが必要なわけではないのだという。たとえシカの数が減っても、ダニは残りのシカに集まるか、その他の宿主動物を見つけるかして生き延びる。ダニ個体数が激減したのは、グレートアイランドに生息するシカのほぼ全てが排除されたときだけであった。しかし、「シカ個体数をそこまで減らすのは、もはや悪夢といっていい試みです」とTelfordは話す。また、島のような隔絶された環境でなければ、シカ個体数を減らして維持するのは事実上不可能だ。
危険なネズミ
Ostfeldや他の研究者は、ダニ問題にもライム病問題にも「ネズミ」が大きく関わっていると主張する。ネズミはシカと同様に、細分化した森林地帯で繁栄しているが、その理由の1つにキツネやオポッサムなどの捕食者が棲み処を奪われていなくなったことが挙げられる。この状況だとダニはネズミにつく。その上、ネズミは毛繕いをあまりしない。研究によれば、ダニ幼虫がネズミについた場合の生存の確率は50%だが、オポッサムについた場合はわずか3.5%である2。
また、ダニは通常、ネズミに咬着しているときにB. burgdorferiに感染する。ライム病流行地域に生息するネズミの大半は、若いときにこの細菌に感染している。そして、ネズミはこの細菌を特にダニによく感染させるが、その理由はまだ完全には分かっていない。シロアシネズミの血を吸った若いダニはほぼ全てがB. burgdorferiに感染し、それに対してシカの血を吸ったダニでは感染はわずか1%である。ダニからネズミへの感染サイクルを遮断することで、ダニの危険性をかなり減らせるのではないかとOstfeldは話す。
テネシー大学保健科学センター(米国メンフィス)の医学微生物学者Maria Gomes-Soleckiも、Ostfeldと同意見である。彼女はこの理由に基づいてネズミ用ワクチンを考案し、Williamsが現在それを試験しているわけである。このワクチンはシロアシネズミに、B. burgdorferiの表層タンパク質A(outer surface protein A;OspA)という分子に対する抗体を作らせる。OspAは、B. burgdorferiがダニの腸内にいるときに発現する分子だ。このワクチンを経口摂取したネズミは抗OspA抗体を産生し始める。以降、このネズミがダニに吸血されると、抗OspA抗体がダニの腸内の病原体を攻撃して感染を除去する。B. burgdorferiに感染したダニの比率が減るので、その次世代のネズミは、たとえワクチンを投与しなくても保菌率が低くなる。
Ostfeldは2014年に同僚らと、Gomes-Soleckiが作製したワクチンの最初の実地試験について報告した3。その試験では、5年にわたって対象とした区域のシロアシネズミのうち、防御効果のある量の抗OspA抗体を生じたのは29%にすぎなかったが、感染したクロアシマダニ若虫(幼虫と成虫の間の生活段階)の数は75%減少した。この餌型経口ワクチンは、病原体である細菌だけを殺し、動物はダニでさえも殺さず、他の戦略に比べて生態系破壊が少ない点でも魅力的である。
Gomes-Soleckiは、このワクチン製造技術を自身の設立したUSバイオロジック社(US Biologic;米国テネシー州メンフィス)にライセンス供与しており、該当地域の家の持ち主が庭のあちこちにネズミ用ウォークスルー型の餌箱を置くようになってほしいと考えている。あるいは、アライグマやコヨーテを対象にした餌型の経口狂犬病ワクチンと同様に、地方自治体が公園や森林内にこの餌型経口ワクチンをばらまいてもいいだろうと彼女は話す。Williamsによれば、「ネズミはこの餌型ワクチンが好きらしい」とのことで、彼の同僚の1人はこれを「マウスのための『フリトス』(米国のスナック菓子の商標)」と呼んでいる。
研究者の間には、ライム病をもっと直接的に予防する方法を求める声もある。理想的なのはヒトに投与するワクチンだ。現在はペンシルベニア大学(米国フィラデルフィア)の名誉教授となっているワクチン研究者Stanley Plotkinの息子は、35歳のときにライム病にかかった。この感染症ではよくあることだが、医者が診断を誤り、Plotkinの息子は治療を特に受けずに数カ月過ごした。やがて細菌が彼の心臓を侵し、彼はある日、愛犬の散歩中に倒れてしまった。救急医療隊員が到着したとき、彼の心拍数は危険なレベルまで低下していたという。その後息子は回復したが、「この体験で私は痛感しました。ライム病のワクチンがないということは公衆衛生上の悲劇だと」とPlotkinは話す。
Plotkinは1990年代に、ライム病のワクチンについて研究していた。しかし最終的には、英国に本社のあった製薬会社スミスクライン・ビーチャム(現グラクソ・スミスクライン社)が製造するLYMErixという競合製品が、1998年に米国食品医薬品局(FDA)の承認を受けた。LYMErixは臨床試験で、米国内の複数のBorrelia属系統が起こすライム病のリスクを76%低下させた4が、市販開始時からいくつかの問題に突き当たった。まず、米国では公衆衛生当局からのサポートが中途半端で、LYMErix投与が推奨されたのはライム病が流行している地域の15〜70歳の人だけであった。次に、ワクチン被接種者の一部が関節炎など自己免疫関連の副反応を訴えて、スミスクライン・ビーチャム社を相手に訴訟を起こした。同社は2002年にLYMErixを自主的に市場から回収したが、この対応は間違いだったとPlotkinは主張し、「あのワクチンは安全でした」と話す。
現在ようやく、性能向上が見込まれる新しいワクチンが安全性試験を通過した5。この新ワクチンは、ストーニー・ブルック大学とブルックヘブン国立研究所(共に米国ニューヨーク州)の研究者らが開発したもので、バクスター・イノベーションズ社(Baxter Innovations;オーストリア・ウィーン)にライセンス供与済みである。このワクチンはOspAを標的とする点ではLYMErixと同様だが、一部の研究者や消費者が自己免疫応答の原因として疑ったタンパク質領域を含んでいない。また、OspAの変異体をいくつか含んでいるため、ヒトでライム病を起こすことが知られている多くのBorrelia属細菌に対し防御効果を発揮し、欧州でライム病を引き起こしている細菌種にも有効である。
それにもかかわらず、このワクチンの先行きは不透明である。2014年にファイザー社はバクスター社のワクチン製品の多くを販売する権利を買ったが、このライム病ワクチン候補は買わなかった。バクスター社は現在、このワクチンの購入や開発に関心を示しているグレートプレインズ・バイオテクノロジー社(Great Plains Biotechnology;米国ネブラスカ州ロカ)と交渉中である。
ヴァージニア・コモンウェルス大学(米国リッチモンド)の微生物学者でワクチン学者のRichard Marconiは同僚らと現在、よりいっそう優れたワクチンを研究しているところだと話す。OspA型ワクチンの短所の1つは、頻繁な追加接種が必要なことだ。抗OspA抗体は、B. burgdorferiがダニの体内にいるときに発現しているタンパク質に対するものであるため、威力を発揮するのはダニがヒトに咬着しているときである。そのため、ヒトの血中に抗OspA抗体を絶えず循環させておかなければならない。しかしMarconiのチームが開発しているワクチンは、B. burgdorferiが哺乳類の体内にいるときに発現するOspCという表面タンパク質のうち、免疫に関連する部分に対するものだ。このワクチンを接種された人の体は、B. burgdorferiに感染したダニに咬着されたとき、免疫記憶によって抗OspC抗体を産生することができる。つまりこの抗体は、ダニに咬まれる前から血中を循環している必要がないのだ。Marconiと同僚らはすでに、このOspC型ワクチンのイヌ用版のライセンス供与を済ませており、「このイヌ用ワクチンの成功と手法の独自性から、ヒトでもかなり有効と思われます」と彼は話す。
しかし、LYMErixが直面した諸問題を考えると、公衆衛生当局や消費者がヒトに投与するワクチンを受け入れるかどうか、依然として疑問である。「楽観的かもしれませんが、感情的な面は過去10〜15年の間に変化してきたと思います。ライム病の深刻さを知る人が増えていますから」とPlotkinは話す。しかし、社会のライム病への恐れがヒト用ワクチンへの恐れを上回っているのかどうかを測るのは、容易なことではない。
ネズミ用ワクチンだとそういう懸念は起こらないだろうが、Plotkinをはじめとする一部の研究者は、ライム病の増加を抑えるのに十分なほどネズミにワクチンを投与できるかどうか疑わしいと思っている。また、抗OspA型と抗OspC型のどちらのワクチンにも限界がある。なぜなら、現在世界中でライム病以外のダニ媒介性感染症が十数種類も発生しているのに(「ダニ媒介性感染症の現状」を参照)、どちらのワクチンも1種類、つまりライム病しか対象にしていないからだ。
ダニの唾液
こうした問題を全て克服できそうな戦略が1つある。それは、ダニの最も巧妙なツールの1つである唾液を逆手に取ることだ。唾液中の分子は、ダニが宿主に咬着したときに生じる痛みや炎症を抑え、免疫のシグナル類を阻害し、宿主に気付かれずに血を吸うのに役立っている。もし、ワクチンによって唾液中の重要なタンパク質に対する免疫応答を起こすことができれば、ダニの咬着に気付きやすくなるようにしたり、あるいはダニの吸血能力を障害したりできるかもしれない。
実は、Ostfeldは身をもってこの方法の概念を実証している。彼はすでに100回以上ダニに咬まれており、現在では彼の体はダニの唾液に反応するようになっているのだ。「ダニが自分を咬んでいると分かるんです。なぜって、ヒリヒリしますから。かなり強く感じますよ」と彼は説明する。これだと、ダニが自分に病原細菌を持ち込む前にダニを除去する時間が十分にある。ただし、ダニが除去されるまで生きていた場合の話だ。というのは、Ostfeldによると、咬着しているダニを見つけて除去するとき、理由はよく分からないがダニはすでに死んでいることが多いのだという。
欧州委員会の資金提供を受けている 「ANTIDotE(Anti-tick Vaccines to Prevent Tick-borne Diseases in Europe)」というコンソーシアムは現在、ダニの吸血阻害のための標的になりそうな唾液タンパク質の特性解析を進めている。2011年に、このコンソーシアムのメンバーが、ダニに免疫を持つ動物の血清に反応する唾液タンパク質を素早く特定する技術を報告した6。この研究ではさらに、特定した3種類の唾液タンパク質(1種類は吸血時の血液凝固の阻害に、もう1種類は宿主の免疫応答の阻害に使われる)に対するワクチンをウサギに接種したところ、ダニはウサギから血をうまく吸えなくなることが分かった。このコンソーシアムの研究者らは現在、B. burgdorferiの伝播に関与するダニ唾液遺伝子を突き止めるための研究も行っている。「ヒトと動物の両方を防御するという点で、抗ダニワクチンは大いに有用ではないかと考えています」と話すのは、ANTIDotEのリーダーの1人であるオランダ国立公衆衛生環境研究所(ビルトホーフェン)のHein Sprongだ。
USバイオロジック社も、ダニの吸血を阻害することで複数のダニ媒介性感染症を予防できるネズミ用の餌型経口ワクチンの開発を計画している。こうしたワクチンによって、ダニの数も総体的に減っていく可能性がある。幼虫が十分な量の血を吸えず、成虫まで生き延びて繁殖することが難しくなると考えられるからだ。
しかし、これらの取り組みのゴールははるか彼方にあってまるで見えない。問題の一部は資金投入が不十分な点にあると研究者らは言う。米国のライム病やその他のダニ媒介性感染症により表れる症状は数年前まで、「ヤッピー」病と呼ばれる都会に住む高収入の人に特有の病気の1つと見なされていた(ニューヨーク周辺での発生が多かったことに起因する)そうした固定観念もいまだに影を落としている。Ostfeldによれば、助成金申請の審査に際して、この固定観念を思わせる意見があったという。「審査者たちに、『米国北東部の富裕層がかかる病気に税金を投入する価値が本当にあるんでしょうか。海外では、大勢の貧しい人々がさまざまな疾患にかかっているんですよ』という意味のことを言われました」とOstfeld。「それは、ある意味では妥当な見方でしょうが、別の意味では、ライム病が膨大な数の市民に及ぼす影響を軽くみていると思います。ダニ媒介性感染症にかかる市民の全員が裕福なわけではなく、ましてや米国北東部に限定されているわけでもありません」。投入資金の少なさの理由として考えられることがもう1つある。米国のライム病や同様の感染症ではめったに死亡者が出ないことだ。米国では年間にライム病と診断される人の数は前立腺がんと診断される人の数よりも多いにもかかわらず、2014年に米国立衛生研究所が前立腺がんの研究に提供した資金は、ライム病研究への資金の10倍以上だった。
何らかの包括的な解決策が実現するまでは、おそらく、一連の小規模な取り組みによって複数のレベルで少しずつダニ媒介性感染症の抑制を進めていくことが必要なのだろう。「敵」を阻止するために、こうした多様な武器を取りそろえることが必要だとしても、特に驚くことではない。ダニ媒介性感染症の生態学的特性は複雑であり、そうした特性をヒトがどれくらい大きく変化させてきたか、こうした感染症の病原体を保有する寄生生物にどれほど近いところでヒトが暮らしているかを考えると、それくらいは当然なのだ。「我々は自然界のバランスを崩してきました」とTelfordは話す。自然界の天秤を再び安定させることは至難の業なのである。
翻訳:船田晶子
Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 11
DOI: 10.1038/ndigest.2015.151124
原文
The growing global battle against blood-sucking ticks- Nature (2015-08-27) | DOI: 10.1038/524406a
- Melinda Wenner Moyer
- Melinda Wenner Moyerは、米国ニューヨーク州コールドスプリング在住のフリーランスのサイエンスライター。
参考文献
- Wilson, M. L., Telford, S. R. III, Piesman, J. & Spielman, A. J. Med. Entomol. 25, 224–228 (1988).
- Keesing, F. et al. Proc. R. Soc. B 276, 3911–3919 (2009).
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