古代ゲノミクス:北ポントス地域の新石器時代から青銅器時代のゲノム史
Nature 639, 8053 doi: 10.1038/s41586-024-08372-2
北ポントス地域は、古代ヨーロッパの農耕民がユーラシアステップの狩猟採集民や牧畜民と遭遇した地域であり、ヨーロッパ全域へのさらなる移動の起点であった。今回我々は、先史時代の北ポントス地域の81人のゲノム規模データを報告し、これらの人々の遺伝的構成を明らかにする。北ポントス地域の狩猟採集民の祖先系統には、バルカンや東部の狩猟採集民に加え、ヨーロッパの農耕民が含まれており、まれだがコーカサスの狩猟採集民も含まれていた。銅石器時代に、コーカサス–ヴォルガ川下流地域からの移住者の波が、現地の狩猟採集民と交わることなくトリピッリャの農耕民と同等の割合で交雑し、紀元前4500年頃にウサトヴェ文化の人々を形成した。コーカサス–ヴォルガ川下流地域からの移住者の時間的に重複する波は、農耕民ではなく狩猟採集民と混合することで、スレドニ・ストグの人々を形成した。3つ目の波はヤムナ(ヤムナヤ)の人々で、これらの人々は、紀元前4000年頃に交雑によって形成され前期青銅器時代(紀元前3300年)に拡大したスレドニ・ストグの人々の子孫である。スレドニ・ストグ人とヤムナ人の間の時間的な空白は、ウクライナのミハイリウカで発見された遺伝的にヤムナ人である1個体(紀元前3635~3383年)によって埋められた。この地域は、銅石器時代から青銅器時代への移行期にわたって考古学的連続性が見られる場所で、ヤムナ人形成の中心地であった可能性が高い。これら3つの移動の波はそれぞれ、外部の系統を取り入れながら独特の祖先系統を広めており、こうした柔軟な戦略が、北ポントス地域の人々がユーラシア全域に遺伝子と文化を広めるのに成功したことの説明になる可能性がある。

