Article

人類学:古DNAで明らかになったアバール期の文化共有の中での生殖障壁

Nature 638, 8052 doi: 10.1038/s41586-024-08418-5

東アジア系統のアバール人は、長距離移動の後、紀元567~568年にヨーロッパ中央部の東側に到達し、そこで全く異なるヨーロッパ系統の集団と遭遇した。今回我々は、オーストリア・ウィーン南部の、近接して存在する紀元7~8世紀の大規模な墓地から得られた古代の722個体のゲノム規模のデータと詳細な学際的分析を用いて、この遭遇がもたらした数世紀にわたる影響の解明に取り組んだ。その結果、一方の遺跡(レオバースドルフ)では移住から200年を経ても圧倒的に東アジア様の系統が維持されていたのに対し、もう一方の遺跡(メートリンク)には在来のヨーロッパ様の系統が見られることが分かった。地理的に近いこれら2つの遺跡は、独特な後期アバール文化を共有しているにもかかわらず、生物学的な関連性がほとんど認められなかった。両遺跡について、最大で450人の近親者が含まれる6世代分の家系図を復元することにより、これらの地域社会の世代ごとの人口統計学的プロファイルが得られた。系統は異なるが、これらの家系図は遠い血縁関係の大きなネットワークと共に、近親婚の欠如、女性の族外婚による父系パターン、複数回の婚姻(レビレート婚など)、そして社会的地位の考古学的指標と生物学的な関連性との直接的な相関を明らかにしている。世代規模の遺伝的障壁は、アバール文化地域の他の場所から系統の近い配偶相手を意図的に選ぶことによって維持されていた。レオバースドルフではメートリンクよりもアバールの中心地との生物学的なつながりが強く、メートリンクは系統がヨーロッパ様のウィーン盆地の別の場所とつながっていた。場所間の移動は概して女性の族外婚によるものであり、これは、婚姻ネットワークの差異が遺伝的障壁の維持の大きな駆動要因となっていたことを示している。

目次へ戻る

プライバシーマーク制度