実験者の性別がケタミンの作用を左右する?!
2017年11月14日、ワシントンD.C.で開かれた神経科学会の会議で発表された研究結果は、強力な気分高揚作用を持つケタミンが脳とどのように相互作用するかについての謎をますます深めた。またこの知見は、マウスの行動実験の再現性に関して疑問も投げかけている。
動物の麻酔薬としてよく知られている麻薬ケタミン。数時間以内にうつ状態を改善できる可能性を秘めていることから、精神科医たちは関心を寄せるようになっている。しかし、この薬が厳密にどのように働くかははっきり分かっておらず、多くの研究者たちが、動物モデルを使ってそのメカニズムを解明しようとしている(Nature ダイジェスト 2016年7月号「うつ緩和はケタミン代謝産物の作用か?」参照)。
メリーランド大学(米国ボルチモア)の神経科学者Polymnia Georgiouもそうした研究者の1人である。2015年に彼女は、ある男性の同僚から「自分が不在の間、代わりにいくつか実験をしておいてくれないか」と頼まれた。実験には、強制水泳試験と呼ばれる抗うつ剤試験の標準的な方法も含まれていた。強制水泳試験では、健康なマウスに薬剤を注射してから水槽の中に入れ、マウスが泳ぐのを諦めて助けを待つようになるまでどれくらいの時間泳ぎ続けるかを測定する。
抗うつ剤を投与された健康なマウスは、未処置のマウスよりもより長い時間泳ぐことができる、というのがGeorgiouの男性の同僚がケタミンを使用した実験で発見した結果だった。
においと脳
しかし、Georgiouが正確に彼のプロトコルどおりに実験を行ったにもかかわらず、ケタミンを投与したマウスがプラセボを注射されたマウスよりも長く泳ぐことはなかった。そこで、彼女を含めた4人の女性研究者と4人の男性研究者が実験を行うことによってこの食い違いを調べたところ、ケタミンが抗うつ剤として働くのは男性の研究者が投与したときだけだということが分かった。
においが関わっているのではないかと考えた研究者たちは、マウスをヒューム・フードに入れ、薬剤を注射した人のにおいをかぐことができないようにした。これによって、実験者の性別の影響をケタミンの効果から完全に排除することができた。ヒューム・フードの中のマウスの横に男性が着用したTシャツを置いておくと、Georgiouら女性研究者にケタミンを注射されたマウスは、プラセボを注射されたマウスよりも長い時間泳いだ。この結果は、ケタミンが作用するには男性のにおいが必要であることを示唆している。
Georgiouの研究室のボスである神経科学者のTodd Gouldは、エール大学(米国コネチカット州ニューヘイブン)の抗うつ剤研究者Ronald Dumanの研究室でも、女性研究者がケタミン投与実験を行った場合に同様の影響を観察していることを知った。そこでGouldは、Dumanに彼の研究室でGeorgiouの水泳試験実験をやってみてくれないかと依頼した。8人の男性研究者と8人の女性研究者がマウスにケタミンを注射したところ、同じ結果が得られた。女性が注射したマウスは、薬剤に反応しなかったのである。
Georgiouらは他の抗うつ剤で実験を繰り返したが、その場合には研究者の性別は重要ではないように思われた。GeorgiouとGouldは、抗うつ作用は、マウス脳内でのケタミンと男性のにおいとの特異的な相互作用の結果ではないかと考えている。
しかし、他の証拠から、研究者の性別が他のタイプの行動実験にも影響を与え得ることが示唆されている。Nature Methodsに2014年に発表された論文1では、男性の研究者に扱われると、マウスはより強いストレスを受け、痛みに対し反応しにくくなることが示された。さらに、神経科学会でGeorgiouの発表を聴いていたサンパウロ大学(ブラジル)の行動神経科学者Silvana Chiavegattoも、彼の研究室で同様の現象を観察しているという。Chiavegattoはうつ病の研究を行っているがケタミンは使用していない。
モデルを再考
「これは非常に面白い結果だと思いますし、私たちの分野に広い意味を持ちます」と、クウィニピアク大学(米国コネチカット州ハムデン)の行動神経科学者Adrienne Betzは言う。しかし彼女は、結果は予備的であり、この作用がケタミンとマウスに特異的であるかどうかはまだ明らかになっていないと慎重だ。
この潜在的含意について異なる意見を持つ人々もいる。何百編もの論文で、女性実験者がマウスでケタミンを含む抗うつ剤の作用を示していると、サウスウェスタン大学(米国テキサス州ダラス)の神経科学者Lisa Monteggiaは述べる。マウスが注射されるときにストレスを感じているかどうかといった他の要因も、マウスの行動に影響を与えるかもしれないと彼女は言う。
GouldとGeorgiouは、彼らの結果は、必ずしも以前の研究結果が無効だと示しているわけではないと言う。彼らはただ、自分たちの研究室におけるケタミン実験では、男性研究者がマウスに注射したときにだけ作用が見られたということを示したにすぎない。ケタミンがヒトに対する強力な抗うつ剤であるという確かな証拠がある。Gouldは、薬剤を投与する人の性別が、うつ病患者でその薬剤がどれくらいよく効くかに影響するとは考えていないが、それついては一度も検証されたことがない。
Gouldは今回の結果について、マウスの行動に対する薬剤の影響を調べている研究者たちは、論文で実験者の性別を報告して、他の研究室でもその結果を確実に再現できるようにするべきだということを示唆していると付け加える。「再現性に影響を及ぼしている要因には、認識されていないものがたくさんあります。この現象もそのうちの1つです」とGouldは言う。「私たちにとって、それは都合の悪い真実なのです」。
翻訳:古川奈々子
Nature ダイジェスト Vol. 15 No. 1
DOI: 10.1038/ndigest.2018.180105
原文
Sex matters in experiments on party drug — in mice- Nature (2017-10-31) | DOI: 10.1038/nature.2017.23022
- Sara Reardon
参考文献
- Sorge, R. E. et al. Nature Methods 11, 629–632 (2014).
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