カンブリア爆発の「火種」
ナミビアの草原に、高さが80mもある、黒っぽい色をした露頭がごつごつと切り立っている。その頂上のたたずまいは、失われた文明の埋葬塚や、砂に埋もれた巨大なピラミッドの頂点など、何か非常に古いものを連想させる。
実際、この岩石層は、今はなき帝国の記念碑なのだ。ただし、人間の手が彫り込んだものではない。5億4300万年前の「エディアカラ紀」と呼ばれる時代に浅い海底に生息していたシアノバクテリアが作った尖礁なのだ。この礁が広がっていた古代の海は、私たちが知る海とは似ても似つかぬ異世界だった。海中の酸素濃度は非常に低く、今日の魚を入れたら、たちまち動けなくなって死んでしまうだろう。海底は微生物のネバネバしたマットに覆われ、その上には謎めいた動物たちが暮らしていた。動物たちは、キルティングをした薄っぺらい枕のような体を持っていた。そのほとんどが動けなかったが、中には、マットの上を行き当たりばったりに這い回り、微生物を食べているものもいた。動物たちの生活は単純で、捕食者はいなかった。そんな静かな世界に、まもなく進化の嵐が吹き荒れることになる。
この単純な生態系は数百万年後に消滅し、今日の動物と同じ解剖学的特徴を持つ、高い運動能力を備えた動物の世界に取って代わられた。カンブリア爆発と呼ばれるこの変化により、脚と複眼を持つ節足動物や、羽のような鰓を持つ虫、歯に縁取られた顎で被食者を噛み砕く機敏な捕食者が誕生した。生物学者たちは、この爆発的進化の「火種」をめぐって、数十年にわたって議論してきた。ある研究者は、酸素濃度の急激な上昇が突然の変化のきっかけになったとし、別の研究者は、目などの革新的な器官が進化してきたからだと主張した。当時の物理的・化学的環境についてほとんど分かっていないこともあり、正確な原因は分からないままだった。
しかし、この数年間の発見から、エディアカラ紀の終わりの謎を解く糸口がつかめつつある。ナミビアの礁をはじめ、これまでの理論が単純すぎたことを示唆する証拠が集まってきたのだ。それらは、カンブリア爆発が、大きな進化のきっかけになる小さな環境変化がいくつも複雑に相互作用する中で起きたことを示している。
一部の科学者は、酸素濃度が一時的に小さく上昇した際に生態学的閾値(ある生態をこれまでとは違う状態へと急激に変化させる値)を飛び越え、それにより捕食者が出現したのではないかと考えている。肉食の開始によって進化の軍拡競争が始まり、今日見られるような複雑な体制(ボディプラン)や行動が生まれてきたのだ。クイーンズ大学(カナダ・キングストン)の古生物学者Guy Narbonneは、「これは、地球の進化にとって最も重大な出来事でした。酸素濃度の上昇により肉食が普及したことが、カンブリア爆発の主なきっかけだったのだと思います」と言う。
酸素をめぐる論争
現代に生きる私たちは、地球に複雑な動物が登場したのが比較的新しい出来事であることを忘れがちだ。30億年以上前に最初の生命が誕生して以来、地球の歴史のほとんどは単細胞生物に独占されていた。酸素のない環境で生きる彼らは、二酸化炭素、硫黄含有分子、鉄鉱物などを酸化剤として利用することで食物を分解していた。今日でも、地球の微生物圏の微生物のほとんどが、こうした嫌気的経路を利用して生きている。
一方、動物は酸素に依存している。酸素を利用する生き方は、利用しない生き方に比べて格段に豊かだ。酸素の存在下で食物を代謝するプロセスは、ほとんどの嫌気的回路よりはるかに多くのエネルギーを取り出すことができる。筋肉、神経系、防御や肉食に役立つ鉱物化した殻や外骨格や歯などを利用するには、大量のエネルギーが必要だ。動物たちは、こうした革新的な器官を動かすために、酸素を利用する強力な制御燃焼に頼っている。
研究者たちは、動物にとっての酸素の重要性に鑑み、海中の酸素濃度が今日に近いレベルまで急激に上昇したことがカンブリア爆発のきっかけになったのではないかと考えた。この仮説を検証するため、彼らはエディアカラ紀からカンブリア紀にかけての、約6億3500万年前〜4億8500万年前までの海洋堆積物を調べた。
研究者たちは、ナミビアや中国をはじめ、世界中で古代の海底だった場所の岩石を採集して、鉄やモリブデンなどの金属の含有量を分析した。こうした金属の溶解度は酸素濃度に強く依存するため、古代の堆積岩に含まれる金属の量と種類は、堆積岩が形成された時代の海水に含まれる酸素の濃度を反映しているからである。
酸素の代理指標となる彼らの分析結果は、海水中の酸素濃度が段階的に上昇し、カンブリア紀の初め(約5億4100万年前)頃に、今日の表面海水の酸素濃度に近づいたことを示しているように思われた。これは、より新しいタイプの動物が突然出現して多様化していった時期の直前であり、酸素が爆発的進化の引き金になったという仮説を裏付けるものだった。
けれども2015年、古代の海底堆積物を調べる大規模な研究1の結果が発表されて、この仮説に異議をつきつけた。スタンフォード大学(米国カリフォルニア州)の古生物学者Erik Sperlingは、世界中から集めたエディアカラ紀~カンブリア紀の岩石4700点の鉄の含有量を測定した結果をデータベースにまとめた。それをもとに、エディアカラ紀とカンブリア紀の境目となった時期について低酸素水に対する高酸素水の割合を比較すると、統計的に有意な酸素含有量の増加は見られなかった。
「酸素化イベントは、多くの人が考えているよりはるかに小さかったはずです」とSperlingは結論付ける。「ほとんどの人が、酸素濃度はだいたい今日のレベルまで急上昇したと考えていますが、そうではなかったようです」。
他の科学者たちも、この決定的な時期に起こった海洋の酸素濃度の変化について再考を始めている。南デンマーク大学(オーデンセ)の地球生物学者Donald Canfieldは、酸素が初期の動物の限定要因になっていたとする従来の説を疑問視している。彼らが2016年1月に発表した研究2では、酸素濃度は、海綿などの単純な動物が現れる数億年も前から、これらが生きていける程度に高かったとしている。Canfieldは、カンブリア紀の動物たちは海綿などの初期の動物よりも多くの酸素を必要としただろうとは認めながらも、「エディアカラ紀とカンブリア紀の境界で酸素濃度が上昇する必要はありません」と言う。酸素は「もっとずっと前から」豊富にあったというのが彼の考えだ。
カリフォルニア大学リバーサイド校(米国)の地球生物学者Timothy Lyonsは、「動物の出現に関して酸素が果たした役割をめぐる論争は、これまでもありました。けれども、今の論争がいちばん激しいのです」と言う。Lyonsは、酸素は動物の進化に一定の役割を果たしたと見ているが、モリブデンやその他の微量金属を使った彼自身の研究3では、カンブリア紀直前の酸素濃度の急上昇はいずれも数百万年ほどしか続かない一時的なピークでしかなく、酸素濃度は徐々に上昇していったことを示唆する結果が得られている(「生命進化が加速するとき」参照)。
ヒントは今日の海に
Sperlingは、今日の世界各地の酸素欠乏海域を調べることで、エディアカラ紀の海について知ろうとしている。酸素が動物の進化の方向を決定付けてきた過程を調べる際に、生物学者はこれまで間違ったアプローチをとってきた、というのが彼の意見だ。彼は、これまでに発表されたデータと自分で収集したデータとを合わせて分析することで、酸素濃度が極めて低い海底領域でも微小な蠕虫が生きていることを見いだした。その領域の酸素濃度は、世界の表面海水の平均値の0.5%未満であった。こうした酸素欠乏環境の食物網は単純で、動物は直接微生物を食べている。酸素濃度が表面海水の約0.5~3%とわずかに高い海底領域では、動物はもっと多いが、食物網はまだ限定されていて、動物たちは動物ではなく微生物を食べている。けれども3~10%あたりになると捕食者が現れて、他の動物を食べ始めることも分かった4。
Sperlingは、この発見は進化にとって非常に大きな意味があると考えている。カンブリア紀の直前に起こったと考えられる酸素濃度のわずかな上昇は、大きな変化を引き起こすのに十分だったかもしれないのだ。「酸素濃度が3%で、これが上昇して10%の閾値を超えたら、動物の初期の進化に非常に大きな影響を及ぼしたでしょう。動物の生態、生活様式、体の大きさには、酸素濃度がこのレベルになったときに劇的に変化しそうなものがたくさんあるのです」と彼は言う。
酸素濃度の小さな上昇により捕食者が出現したことは、防御機構を備えていないように見えるエディアカラ動物群にとっては大きな災難だったはずだ。「彼らは軟らかい体を持ち、ほとんど動かず、おそらく皮膚から栄養を吸収して生きていたからです」とNarbonne。
ナミビアの古代の礁の研究は、エディアカラ紀の終わりには動物たちが捕食者に食べられ始めていたことを示唆している。エディンバラ大学(英国)の古生物学者Rachel Woodが岩石層を調べたところ、微生物礁の一部がクロウディナ(Cloudina)という原始的な動物に取って代わられているのを発見した。クロウディナは円錐形をした生物で、海底に分散して広がることなく、密集したコロニーを作って生きていた。こうすることで、体の弱い部分を補食者から隠すことができるからだ。このような生態学的ダイナミクスは、今日の礁でも見られる5。
クロウディナは、鉱物化した硬い外骨格を形成した最も初期の動物の1つである。けれども、Woodが調べた礁で部分的に鉱物化した体を持っていた動物は、クロウディナの他に2種類いた。つまり、類縁関係のない複数の種類の動物が、だいたい同じ頃に外骨格を進化させていたのだ。「骨格を作り出すには大きなコストがかかります。動物がわざわざ骨格を作り出す理由としては、防御以外考えられないのです」とWoodは言う。彼女は、クロウディナの骨格は、新たに進化してきた捕食者からの防御に役立ったと考えている。この時代のクロウディナの化石のいくつかは、側面に穴があいていた。科学者たちは、この穴は捕食者の襲撃によってできたものだと考えている6。
古生物学者たちは、エディアカラ紀末期までに動物たちがお互いを捕食し始めたことを示唆する証拠を他にも発見している。ナミビア、オーストラリア、カナダのニューファンドランド島にあるいくつかの海底堆積物には、未知の蠕虫のような生物が作った、風変わりなトンネルの痕跡が保存されている7。この穴はTreptichnus pedumと呼ばれる生痕化石で、微生物のマットの下にいる捕食者が、その上にいる被食者をしらみつぶしに探すように何度も枝分かれしている。Treptichnus pedumは、現代の海底で、よく似た方法で狩りをしている鰓曳動物(エラヒキムシ)という大食いの捕食者が作る穴に似ている8。
この時代に出現した捕食者たちは、エディアカラ紀の動くことのできない大型の動物に大きな被害を与えた。「何もせずにじっとしている動物が不利になってしまったのです」とNarbonne。
三次元に広がる世界
ニューファンドランド島の南端にある古代の氷河に削られた露頭には、エディアカラ紀の世界からカンブリア紀の世界への移行の瞬間が記録されている。境界線の下には、キルトのようなエディアカラ紀の動物たちが地球上で最後に残した跡がある。そこから1.2mだけ高いところには、灰色のシルト岩に、何かが引っかいたような跡が残っている。この跡は、外骨格を持ち、節のある脚で歩いていた動物たち、最も早い時期の節足動物が残したものだと考えられている。
その間にある岩石がどれだけの時間経過を示しているかは分からない。もしかすると、ほんの数百年、数千年かもしれない。けれどもその短い間に、軟らかい体を持ち、動くことのできないエディアカラ動物群は、捕食者により絶滅に追いやられ忽然として姿を消したのだとNarbonneは言う。
Narbonneは、この移行期を生き延びた少数の動物たちを詳しく調べた。彼の発見は、一部の動物たちが、より複雑な行動を新たに獲得したことを示している。いちばんの手掛かりは、微生物マットの上を這い回りながらこれを食べていた、平和な蠕虫様動物が残した生痕化石から得られた。約5億5500万年前の初期の痕跡は、曲がりくねり、でたらめに交差していて、この動物の神経系が、近くにいる仲間や捕食者に気付いて反応できるほどは発達していなかったことを示している。けれども、エディアカラ紀末期からカンブリア紀初期にかけての痕跡はもっと洗練されていて、動物たちは小さくターンし、狭い間隔で平行に進む痕跡を残している。曲線的な痕跡が突然直線になっていることもあり、Narbonneは、捕食者に気付いて逃げたのだろうと解釈している9。
動物たちの行動の変化は、カンブリア紀の初期に始まった微生物マットの断片化の一因となった可能性がある。Narbonneは、これに伴う海底の変化が「地球の生命史を一変させた」と主張する10,11。それまでは、微生物マットが食品保存用ラップのように海底をぴったり覆っていたため、マットの下の堆積物は無酸素に近い状態で、動物が住むことはできなかった。エディアカラ紀の動物たちが深い穴を掘れなかったことは、「生物の世界がマットに阻まれ、二次元的なものにとどまっていたことを意味します」と彼は言う。動物たちの微生物マットを食べる能力が向上したとき、彼らはついにマットを貫き始めた。穴があいたことで、マットの下の堆積物は初めて生物が生きられる状態となった。こうして生物の世界は三次元に広がった。
カンブリア紀初期の生痕化石は、動物たちがマットの下の堆積物に深さ数cmの穴をあけ始めたことを示している。彼らはこれにより、捕食者から避難するための場所とともに、それまで利用できなかった栄養素も手にすることができた。動物たちは、下だけでなく上にも進出していった。Sperlingは、動物たちは捕食者から逃れ、あるいは被食者を追いかけるために、海底を離れて海水の中へと泳ぎ出していったのかもしれないと言う。水深が浅くなれば酸素濃度が高くなるため、泳ぐのに必要なエネルギーが得られるからだ。
酸素濃度の閾値と生態に関する新たな証拠は、進化をめぐるもう1つの大きな問題にも光を当てた。それは、動物はいつ出現したのかという問題だ。動物であると断定できる最初の化石は、ほんの5億8000万年前のものだ。けれども、遺伝学的証拠は、基本的な動物グループが8億~7億年前に出現していたことを示唆している。Lyonsは、最初の動物が出現したのは、酸素濃度が現在のレベルの2~3%になったとき、つまり8億年前あたりではないかと言う。これだけの濃度があれば、今日の酸素欠乏海域と同じように、小さくて単純な動物なら生きていけるはずである。ただ、大きな体を持つ動物たちは、酸素濃度がそれよりも高くなるエディアカラ紀に入るまでは、進化してこられなかっただろう。
複雑な動物の出現に酸素が与えた影響を十分に理解するには、岩石からもっと微妙な手掛かりを取り出す必要がある。「化石を調べている研究者には、化石と私たちが調べている酸素の代理指標とをもっと密接に関連付けてほしいですね」とLyons。そうすれば、古代のさまざまな環境の酸素濃度が明らかになり、同じ場所で見つかった動物化石の特徴を酸素濃度と結び付けることができるからだ。
2015年の秋、Woodはシベリアを訪れて、エディアカラ紀の終わりに近い時期のクロウディナの化石と、同じく骨格を持つSuvorovellaという動物の化石を採集した。これらの化石は、酸素濃度の高い表面海水から、もっと深いところまで、古代の海のさまざまな深さで形成されたものである。彼女は、動物たちが硬い骨格を持つようになった場所と、捕食者による襲撃の有無と、酸素濃度との明確な関連の有無について、何らかのパターンがないか探そうとしている。「パターンが明らかになって初めて、物語を導き出すことができるのです」とWoodは言う。
翻訳:三枝小夜子
Nature ダイジェスト Vol. 13 No. 5
DOI: 10.1038/ndigest.2016.160518
原文
What sparked the Cambrian explosion?- Nature (2016-02-18) | DOI: 10.1038/530268a
- Douglas Fox
- Douglas Foxは米国カリフォルニア州のジャーナリスト
参考文献
- Sperling, E. A. et al. Nature 523, 451–454 (2015).
- Zhang, S. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1523449113 (2016).
- Sahoo, S. K. et al. Geobiology (in the press).
- Sperling, E. A. et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 110, 13446–13451 (2013).
- Wood, R. A. et al. Precambrian Res. 261, 252–271 (2015).
- Bengtson, S. & Zhao, Y. Science 257, 367–369 (1992).
- Seilacher,A.,Buatois,L.A.&Mángano,M.G. Palaeogeog. Palaeoclimatol. Palaeoecol. 227, 323–356 (2005).
- Vannier, J., Calandra, I., Gaillard, C. & Zylinska, A. Geology 38, 711–714 (2010).
- Carbone,C.&Narbonne,G.M.J.Paleontol.88, 309–330 (2014).
- Mángano, M. G. & Buatois, L. A. Proc. R. Soc. B 281, 20140038 (2014).
- Buatois, L. A., Narbonne, G. M., Mángano, M. C., Carmona, N. B. & Myrow, P. Nature Commun. 5, 3544 (2014).