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うつ病の分子機構解明に向けて

Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 2 | doi : 10.1038/ndigest.2015.150217

原文:Nature (2014-11-13) | doi: 10.1038/515189a | Depression needs large human-genetics studies

Steven Hyman

世界的に深刻な問題となっているうつ病の分子機構を解明するためには、10万人以上の人の遺伝的データを分析する必要があると、米国立精神衛生研究所のディレクターを務めたSteven Hymanは提案する。

ILLUSTRATION BY DENIS CARRIER

半世紀にわたる抗うつ剤の研究にもかかわらず、いまだにうつ病を完全に治せる薬は開発されていない。薬物療法と精神療法によって改善が見られるうつ病患者も一部にはいるが、多くの患者には効果がない。実際の臨床的セッティングで行われた研究1によれば、ある一般的な抗うつ剤に反応したのは被験者の半分に満たず、完全な寛解が見られたのはわずか28%だった。

薬の有効性が向上しない原因は、うつ病の分子機構がいまだに解明されていないことにある。一方、自閉症や統合失調症などの他の疾患では、疾患特有の遺伝的多様体を明らかにする取り組みによって進歩が見られていることから、手掛かりを得るには、うつ病に関連する特定の遺伝的多様体を明らかにすることが最も有望な道と考えられる。ただ、うつ病研究を成功に導くことのできる「統計学的に有意なシグナル」を見つけるには、他の疾患よりもはるかに大量のヒトDNA試料を集めなければならないだろう。しかし、足掛かりがない今、それに対する投資には十分な価値があると言える。

セレンディピティの呪い

今日使われている抗うつ剤は全て、50年以上前に行われた2個の分子に関する臨床試験でのセレンディピティ(偶然の発見)的知見に端を発している。抗精神病薬候補として合成されたイミプラミンと、結核治療薬として設計されたイプロニアジドだ。どちらも本来の標的疾患には効果を示さなかったが、うつ病の症状を緩和した。その後、20種類以上の抗うつ剤が後に続いたが、どれもが最初の2つとほぼ同じ作用機序で働く。主にノルアドレナリンやセロトニンなどの神経伝達物質によるシグナル伝達の促進である。後発の薬剤は毒性が低くなっているものの、1950年代に見つかった最初の薬より効力が高いものは1つもない2

何が問題だったのか? 新しい抗うつ剤を作ろうと試みていた研究者たちは齧歯類の行動分析法を開発したが、それは健康な実験動物に対するイミプラミンとイプロニアジドの効果に基づいたものであった。分析結果から選択される新しい化合物は、当然ながら、分析法の基盤となった薬剤に似た作用をするものばかりだったのである2

もっと多くの患者を救うことができる「より効果的な薬剤」を見つけるためには、異なる機序で働く薬剤を探さなければならない。過去10年間に、一部の研究者はうつ病患者で薬剤の効果を観察するやり方に戻った。その結果、例えばケタミン(神経伝達物質グルタミン酸の受容体の1つを遮断する薬剤)は、1回の静脈注射だけでうつ病の症状を急速に緩和し、それが最長1週間続くなどといった発見があった。このような観察結果は新たな治療法に通じる可能性はあるが、うつ病の分子レベルのメカニズムに関する深い洞察をもたらすことはなさそうだ。

脳は複雑な系であり、脳の回路や細胞種をかく乱させる薬剤はどれも、非常に多くの異なる作用を脳にもたらす。こうした無数の作用のうち、うつ病の原因を打ち消す可能性がある薬剤の作用を特定するためには、「脳でどんなことが起こるとうつ病が発生するか」という情報が複数必要で、それらは独立した事象である必要がある。イミプラミンは時としてうつ病の症状を緩和することがある。だが、50年経った今も、その仕組みについてはまだよく分かっていないのである。

乗り越えなければならないハードル

うつ病の研究は難しい。焦点を合わせるべき脳の特徴を見つけにくいからだ。アルツハイマー病患者の脳に見られるアミロイド斑や神経原繊維変化から、アミロイドβとタウタンパク質に関する重要な初期の手掛かりが得られた。他の多くの脳の異常とは対照的に、うつ病は特有の病理所見を欠いている。統合失調症で見られる大脳皮質の薄化のようなものすら見られない。

当面は、動物モデルから得られる結果は手掛かりよりも混乱のもととなるだけだろう。ヒトの思考や感情、行動を司る「認知的な制御」における細胞レベル・分子レベルのメカニズム(ひいては、薬剤標的候補)は、マウスやラットのものとは著しく違う。齧歯類には、ヒトの認知的制御にとって極めて重要な脳領域である前頭前野背外側部がないのだ。

ヒトでのシグナル解読もまた、現状では厳しいだろう。『精神疾患の診断・統計マニュアル第5版(DSM-5)』によると、大うつ病性障害(MDD)の患者は、発病年齢がさまざまで、症状や障害も入り交じっており、治療に対する反応もまちまちである。9つある診断基準のうちのどれか5つに当てはまった場合、大うつ病と診断され得る。従って、研究に登録された何人かの被験者で重なっている診断基準はたった1つのみで、しかもそれが同一の診断基準というわけではないという可能性もあるのだ。その上、DSM-5では、疾患かどうかの閾値は任意に決められていた。高血圧などと違って、医学的診断の規準となる数値を設定しようにも、実験的な研究が全くなされていなかったからだ。

隠れていた手掛かり

こうしたいくつもの落とし穴の間で、うつ病の分子機構の手掛かりの1つが長い間、私たちに合図を送り続けていた。遺伝的分析である。この手法はここ最近の技術開発により進歩し、自閉症、統合失調症、および双極性障害で、強力な手掛かりをもたらし始めている3,4

しかし、うつ病の遺伝的解明もまた、重大な障害に直面している。遺伝的分析には疾患の遺伝率(遺伝子によって説明される表現型分散の割合)が重要で、この手法の有効性が非常に高いことが証明されている精神疾患の遺伝率は65~80%であるのに対し、MDDは35%である3,4。さらに、うつ病のリスクは多遺伝子性が非常に高い、つまり、数百もの遺伝子が関わっていることが、いくつかの証拠から示唆されている。これに、MDD患者の不均一性と誤診断という診断的「雑音」を加えると、有意な遺伝的関連を発見するために必要な被験者の数は増える。これまでも候補遺伝子と遺伝子-環境相互作用の探索が行われてきたが、信号対雑音比が極めて小さいこととうつ病の疾病のメカニズムが分かっていないこととがあいまって、研究はうまくいかなかった5

SOURCE: REF. 7

その後、うつ病の全ゲノム関連研究(GWAS)が行われたが、最も大規模なメタ解析(約9500症例)ですら、重要な知見を全く得られていない6。ほとんど全ての他の疾患では、同様の規模の研究からかなり有望な遺伝子座が少なくとも数カ所浮かび上がっている(「シグナル探索」参照)。例えば、統合失調症では、全ゲノムで関連が認められる108の独立した遺伝子座がこれまでに明らかになっている7

うつ病の遺伝的分析は難航しているが、私は、うつ病の遺伝的多様体を見つけることは可能だと確信している。2型糖尿病の遺伝率も35%以下であるが、1万未満の症例を研究するだけで多くの一般的な遺伝的多様体を特定できている。ただし、このタイプの糖尿病は容易かつ客観的に診断できるという利点がある。MDDの場合、生物学研究と治療に役立つ知見を得るのに十分な遺伝子座を見つけるには10万人以上の被験者が必要だろう。この規模のデータセットを集めるのは難しいが、やる価値は十分にあり、また不可能でもない。2014年の前半に、成人の身長に関する全ゲノム関連研究のメタ解析8が発表された。この研究には25万人以上の被験者が参加しており、これまでのところ697の一般的な多様体が見つかった。これによって身長の遺伝率の20%近くが説明付けられた。

科学的足掛かり

もちろん、MDDの診断は身長の測定よりも難しい。だが、うつ病は今や世界の最も重大な障害であり、その源を明らかにするための努力や費用を惜しんでいる場合ではない。そして、必要な数の試料を集めるためには国際的な連合が必要であろう。精神障害の一般的な遺伝的多様体の評価にかかる費用は現在、1人当たり100ドル(約1万2000円)以下である。被験者の募集、そしてDNA試料を入手して出荷する計画・実行にはコストがかかるが、試料は、うつ病の多くの既存研究やスカンジナビアでの大規模精神疾患研究の登録者から入手可能である。他の民族の試料も現在集められている。

精神疾患ゲノミクスコンソーシアムが約4万の統合失調症症例を集めることから分析を終えるまでに約5年を要した。うつ病に関する同様の取り組みは、すでに準備段階にある。精神障害の遺伝的分析のステップについては現在理解が進んでいることから、マイクロアレイ(DNAチップ)が利用可能であり、さらに経験豊富な科学者が分析を実行する準備をしていることから、スムーズに進行するだろう。

やがて、遺伝子座が特定されて科学共同体内で共有されれば、生物学的に利用できる手掛かりの出現によって引き寄せられてきた多くの研究者が、こぞってこの情報を使って研究を始めるだろう。これが、自閉症研究で過去10年間に起こったことである。私が米国立精神衛生研究所(NIMH;メリーランド州ベセスダ)のディレクターを務めていた1996年から2001年にかけて、自閉症の子を持つ親のグループと米国議会はNIMHに対し自閉症研究への助成金増額を強く求めてきた。目の前にはっきりとした科学研究の道筋が見えなかった私は積極的に応じることができなかった。実際、研究の提案を募っても、有望な交付金申請はほとんど集まらなかった。

しかし、脆弱X症候群(自閉症と似た症状を示す精神発達疾患)に関する「遺伝学的手掛かり」9が得られたことによって、つかみどころのない漠然とした景色が科学的な足掛かりのある景色へと変わった。この研究成果から新しい治療法はまだ生まれていないが、道筋ができ、治療薬の臨床試験につながりさえした。これらの治験は成功には至らなかったものの、製薬会社は現在、この病気を薬理学的治療で治せるものと考え始めている。

批判家たちは、ある種の自閉症スペクトラム障害で見つかるのは、大きな影響を及ぼすまれな遺伝子変異であるのに対し、うつ病で予想される遺伝学的発見は、リスクに対して小さな影響しか及ぼさない一般的な多様体だろうと反論するだろう。だが、リスク対立遺伝子を明確に特定することができれば、そこから発病に関わる遺伝子が明らかになるだろうし、発病に関わる遺伝子が見つかれば、治療標的候補を提供する生物学的経路を明らかにすることができるだろう。また、候補薬物によってそうした経路の活動が増大するのか減少するのか、あるいはそれ以外の変化を受けるのかも、リスク対立遺伝子から明らかにできるだろう。2012年に、βアミロイド前駆体タンパク質を作り出す遺伝子の多様体はアルツハイマー病を防御していることが突き止められた。これは、アミロイドペプチドを標的とする薬剤がアルツハイマー病に効く可能性がある、という強力な根拠となった。

特に有用と考えられるのは、うつ病の遺伝子座が他の神経精神病学的異常にも関わっている多様体であった場合である。ちょうど炎症性疾患と自己免疫疾患には、共通するリスク対立遺伝子と共通しないリスク対立遺伝子があるように、MDDも、双極性障害や統合失調症、そしてその他のいくつかの精神障害とオーバーラップするリスク多様体を持つだろう。そうした複数の疾患に共通する遺伝子群と、たった1つの疾患としか関連しない遺伝子群の影響を比較すれば、多くのことが分かると期待される10

遺伝学研究結果の生物学的意義を評価するには、ヒトの皮膚繊維芽細胞のニューロンへの再プログラム化と、遺伝子編集技術が非常に役に立つと考えられる。ヒトの皮膚細胞は現在、いろいろなタイプのニューロンに変換することが可能になっており、リスク多様体を細胞に遺伝子導入したり、あるいは細胞から遺伝的に除去したりすることもできる。その結果、何百個もの多様体について、ヒト細胞への影響を調べることができ、初めて、in vitroで精神障害治療薬をスクリーニングできるようになった。細胞表現型をうつ病患者の症状に関連付けるのは難しいだろうが、動物とヒトにおいて、in vitroで神経回路を調べることのできる新技術が役立つかもしれない。

特定のリスク対立遺伝子の個々の影響はおそらく非常に小さいだろうが、それらがもたらす情報は莫大である。そのおかげで研究者たちはただ運に任せるのではなく、知識に基づいて、人間の苦しみの最大の原因の1つであるうつ病の解明に果敢に取り組むことができるのである。

(翻訳:古川奈々子)

Steven Hymanは、ブロード研究所(米国マサチューセッツ州)のスタンレー精神医学研究センターのディレクター。1996〜2001年、国立精神衛生研究所(NIMH)のディレクター、2001〜2011年、ハーバード大学(米国マサチューセッツ州)の学長を務める。2014年より北米神経科学会長。

参考文献

  1. Trivedi, M. H. et al. Am. J. Psychiatry 163, 28–40 (2006).
  2. Hyman, S. E. Sci. Transl. Med. 4, 155cm11 (2012).
  3. Sullivan, P. F., Daly, M. J. & O'Donovan, M. Nature Rev. Genet. 13, 537–551 (2012).
  4. Schizophrenia Working Group of the Psychiatric Genomics Consortium Nature 511, 421–427 (2014).
  5. Duncan, L E. & Keller, M. C. Am. J. Psychiatry 168, 1041–1049 (2011).
  6. Major Depressive Disorder Working Group of the Psychiatric GWAS Consortium Mol. Psychiatry 18, 497–511 (2013).
  7. Levinson, D. F. et al. Biol. Psychiatry 76, 510–512 (2014).
  8. Wood, A. R. et al. Nature Genet. http://dx.doi.org/10.1038/ng.3097 (2014).
  9. Jamain, S. et al. Nature Genet. 34, 27–29 (2003).
  10. Cross-Disorder Group of the Psychiatric Genomics Consortium Nature Genet. 45, 984–994 (2013).

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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