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生体分子を「見たい!」

難波 啓一

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 8 | doi : 10.1038/ndigest.2012.120818

筋肉の収縮は、アクチンとミオシンの相互作用で生じる分子レベルの力が積み重なって起こる。このミクロの動きを実際に見たい。難波啓一教授は学生の頃、そう思った。だが、アクチン繊維の太さはわずか10nm。これを見るなんて、ほとんど不可能に近かった。それから30数年、ついにアクチン繊維を「見る」ことに成功。そして、今年、日本学士院賞と恩賜賞を受賞。難波教授にお話をうかがった。

–– このたびは、学士院賞、恩賜賞受賞おめでとうございます。タバコモザイクウイルス(TMV)、細菌べん毛、アクチン繊維の立体構造の解明はもちろん、そうした生体超分子の構造を高解像度で分析できるようにしたことも、受賞の大きな理由になっていると思いますが。

難波: 研究を始めた頃は、X線を使って解析していました。これで、TMVの構造を解析したのですが、べん毛やアクチン繊維の場合、回折像から立体像を再構成するのは、変換の複雑さなどの問題で相当難しいものがあります。そこで、低温電子顕微鏡を使おうと考えました。

図1:難波教授と研究室のメンバー

–– 解像度は、X線ほどではないですよね。

難波: ええ。でも、電子顕微鏡は位相情報が得られるし、分解能は意外と高いんですよ。ただ、強い電子線は生体分子の構造を壊してしまうので、照射量を抑えなければなりません。弱い電子線ではノイズを除去するために、何万枚もの像を収集し、投影方向をそろえる必要があります。そのために分解能を伸ばすのが難しい。

–– そこで改良をした。どこがポイントですか。

難波: まず、電子分光装置による非弾性散乱電子の除去です。これによりノイズが大幅に下がりました。それから、試料を閉じ込める氷の厚みを可能なかぎり薄くし、また試料温度を4Kから50Kに上げました。4Kでの氷の密度は1g/cm3よりも大きく、タンパク質密度と差が少ないのです。結果、合計で5倍近くもコントラストが上がりました。そのうえ、50Kでは電子線による帯電に起因する像の揺れが起こりにくく、5%以下だったデータ収集率が95%以上にまで向上しました。さらに、CCD を使うことで、撮った画像をすぐに確認できるようになり、大幅に時間が短縮されました。こうして、これまで数年もかかっていた解析が、数日でできるようになったのです。

–– 画期的ですね。

難波: 解像度のよい画像があっという間に現れるのですからね。現在は4Å程度の解像度ですが、2Åまで上げて配位している水分子まで見たいと思っています。

–– 配位している水分子!? これはすごい。こうした研究意欲は、いったいどこから生まれてくるのですか。

難波: とにかく「見たい!」という気持ちですね。これが僕の研究のエネルギーになっています。わからないものを目で見て確かめる、これこそ科学の基本でしょう。

–– なるほど。きっと、好奇心旺盛なお子さんだったんでしょうね。

難波: 何でも知りたがりの好奇心の塊でした。僕が研究者になったのには、おもしろい話があるんです。僕が生まれたとき、祖父が大阪の天満の天神さん近くの易者さんに名前の候補をもらったそうなんです。そのとき易者さんが、「この子は研究者になる」と予言したそうで、親もそうなるんだろうと思っていたようです。高校時代は物理が好きでね、物理の時間は本当にワクワクしていました。

–– それで、大阪大学基礎工学部生物工学科へ進学した。

難波: ええ。そこですばらしい出会いがあったのです。大沢文夫先生と中村伝先生です。この2人の講義は本当におもしろかった。学問の楽しさを教えてもらいました。特に大沢先生の講義は、生物のおもしろい仕組みを物理的な側面から見るというもので、知らず知らずに脳に刷り込まれていたらしいです。最近、当時の講義ノートが出てきたんですが、僕のこれまでの研究テーマが全部書いてありました。

–– 大沢先生との出会いが大きかったのですね。

難波: そうです。学生時代は、三井利夫先生の研究室でX線回折法を習いましたが、ポスドクの後、大沢先生が顧問を務める宝谷超分子柔構造プロジェクトに携わる機会を得ました。大沢先生は、おおらかで、放任主義、学生と同じ目線でディスカッションする方でした。それから、忘れてはならないのが、ポスドク時代の指導教官Donald L. D. Caspar先生。彼も自由放任。研究も私生活も自由な雰囲気、さまざまな人とのディスカッション、最高の装置を使って研究に打ち込める環境。このポスドク時代があったからこそ、今の自分があると思います。世界が一気に広がりました。

–– こうした経験は、今の学生指導にも役立っているのではないですか?

難波: もちろんです。僕も放任主義です。こちらがピリピリしていたら、学生が萎縮してしまいます。何も言わないようにしていますが、おもしろいデータが出たらいつでも持ってきてもらって、ディスカッションできるよう心がけています。僕が学生にしてあげられるのは、自分の持っている知恵を提供することですから。それに、学生にはこうしたいい出会いとさまざまな人との交流をしてもらいたいですね。研究室間の垣根を低くして、いろいろな人と交流することは重要だと思います。そうした中から新しい考えが生まれるのです。海外にも積極的に行って欲しいですね。設備環境だけを考えれば日本で十分かもしれませんが、海外へ行くことの重要性は、考え方の幅を広げ、多くの人とつながりを持つところにあると思います。

–– でも留学には、経済的な問題がありますよね。

難波: 幸い、これまではグローバルCOEの予算で援助できたのですが、今後はいろいろ策を講じて続けていきたいと思っています。政府も考えてはいるようですが。

–– 近年の科学政策は、研究所統廃合案、緊縮財政など、疑問を感じる点があるのですが。

難波: 実は、科研費は微増しているんです。でも、米国の足もとにも及びませんし、中国や韓国での投資の伸びはものすごいですからね。確かにロケット事業なんかも重要ですが、基礎科学にももう少し目を向けて欲しいですね。昨今は産学連携も盛んですが、すぐにお金にならなくても、将来何かの役に立つかもしれないといった研究も重要だと思うんですよ。意外性があるのが科学ですから。短期的な目だけで見ないで欲しいですね。

–– ここまでのお話ですと、ハッピーな研究生活だったように思えるのですが、実際はどうだったのでしょうか。

難波: これといったデータが出ないときもありましたよ。そんなときでも少しずつ進んでいるという信念がありました。だから、停滞しているとは全く思いませんでしたね。いちばん辛かったのは、大学院の前半の頃。どうしたら見たいものが見えるようになるか、五里霧中のような状態でしたから。米国に渡ったときも、先の保証なんてなかったし。でもね、学生時代の教育実習のとき、とても楽しかったんですよ。だから、もしうまくいかなかったら、高校の物理の先生になろうと腹をくくっていました。

–– ポジティブ・シンキング、これが未来につながるという感じがしますね。

難波: こういう能天気な性格だからこそ、難しい研究ができるんですよ。根底にあるのは「見たい」という気持ちです。アクチン繊維が見えたときは本当にうれしかった。長年の夢が叶ったのですから。でも、まだ見たいものがあります。原子分解能での生の生体分子です。細胞の中で実際に分子がくっついたり離れたりするのを見られたら、おもしろいじゃないですか。

図2:アクチン繊維の電子顕微鏡写真とそれを解析して得られた立体像。

–– さて、最後になりますが、若い学生に望むことは何でしょうか。

難波: まずは、何をしたいのかを見つけること。いったん見つけたら、それにつぎ込めるエネルギーはめちゃくちゃ大きい。少々のことは苦に思わないし、ご飯を食べることだって忘れてしまいます。長期的な視点を持つことも必要です。そして、お金にならなくても、人に感動を与える研究をして欲しいです。僕もそうなりたいと思っています。科学は文化と同じで、飯の種にはならなくても、人間の心に必要なものだと思います。長い人生の中で1つでも皆が感動してくれる成果が得られたら、本当にハッピーじゃないですか。

–– ありがとうございました。

聞き手は田中明美(サイエンスライター)。

Author Profile

難波 啓一(なんば・けいいち)

大阪大学大学院生命機能研究科教授・研究科長。1980年大阪大学大学院基礎工学研究科物理系専攻博士課程修了。ブランダイス大学 ・ヴァンダービルト大学でのポスドクを経て、ERATO 宝谷超分子柔構造プロジェクトグループリーダー。その後、松下電器(株)国際研究所および先端技術研究所でリサーチディレクターを務め、2002年より現職。2012年より日本生物物理学会会長。大阪科学賞、The 2009 Biophysical Society Founders Award など、受賞多数。

難波 啓一氏

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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