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病原体は風に乗って太平洋を渡る?

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1981年にワイオミング州から1人の重症の赤ちゃんが飛行機で搬送されてきたときのことを、30年たった今もJane Burnsはよく覚えている。当時、彼女はデンバーにあるコロラド大学医学系大学院で小児科レジデントの3年目だった。到着の21日後、その女の赤ちゃんの皮膚にあった発疹はほとんど消えたが、発熱はいっこうに治まらず、いったい何の病気なのかBurnsにはまるで見当がつかなかった。

「これは川崎病ではないか」。そう言い出したのは、コロラド大学の同僚であったRichard Andersonだった。彼もまたこの幼い患者を担当していた。

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それを聞いてBurnsは驚いた。川崎病は1960年代初頭に日本で初めて見つかった病気だが、日本でも珍しい病気だったうえに、米国ではほとんど前例がなかった。この疾患は非常に謎が多い。患者は主に5歳未満の乳幼児で、全身の血管に炎症が起こり、さまざまな激しい症状が現れる(「不可解な病気」を参照)。Burnsはたまたま前年に2人の川崎病患者に遭遇しており、この疾患については知っていた。しかし今度は、Andersonが目の前で3人目の患者を教えてくれたのだ。

それから12時間も経たないうちに、その赤ちゃんは死亡した。「私は、この病気の患者に3度も出会ったことに驚き、病理解剖を行いました。その子の胸部を切り開いて心臓を調べ、冠動脈瘤を見つけたときのことは、決して忘れないでしょう」とBurnsは振り返る。

成人で、特に糖尿病や高血圧などのリスク因子を持つ患者であれば、冠動脈瘤の風船のような膨らみはごく普通に見られるものだ。しかし、それまで健康だった乳児に冠動脈瘤が見られるのは異常だ。Burnsは現在、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の小児科研究医となり、UCSD小児病院の川崎病研究センターの所長でもある。そんな彼女にとって転機の1つになったのがこの赤ちゃんの死であった。それ以降、Burnsは研究助成金が得られれば常に川崎病の研究を進めてきた。そして今、川崎病の研究を行っているのは彼女1人ではなくなった。「川崎病は報告されて以来ずっと、感染症研究者の関心を集めてきました」と話すのは、コロンビア大学感染免疫センター(米国ニューヨーク州)の所長を務める疫学者Ian Lipkinである。「この病気は感染症のようですが、犯人である病原体がいっこうに捕まらないのです」。

現在、疫学者たちが新たに注目しているものがある。中央アジアから吹いてくる風だ。Burnsを含む医学研究者と気候学者からなるチームは、2011年11月に発表したScientific Reportsの論文1で、川崎病の病原因子がこの風に乗ってアジア大陸から日本に到達するだけでなく、太平洋を渡ってハワイや北米大陸の小児にも感染しているようだと報告した。

もし、川崎病が何らかの病原体によるもので、風による拡散が事実だとしたら、川崎病はヒト感染症の生きた病原体が、飛行機や船で運ばれるのではなく、自然現象によって海洋を数千kmも渡る初めての疾患になる。そうなら、風で運ばれる病原体はこれだけではないかもしれない。実際、太平洋を渡る風が、インフルエンザ拡散の要因の1つになっているのではないかという疑いも出始めているのだ。

最初の兆候

1960年に日本の小児科医、川崎富作は川崎病の最初の症例を見つけたが、彼はそれがいったい何なのかまるで見当がつかなかった。しかし非常に印象的な病態だったので、患者のデータ表を作成し、症状の詳しい記録を取り続けた。

「彼はジョークで、記録用紙を入れるフォルダーをGOKと呼んでいました。つまり、神のみぞ知る(God Only Knows)です」とBurnsは話す。

川崎は1967年に、この病気の初めての正式な記載報告を日本語の学術誌に発表した2。それ以降、日本では大きな流行が1979年4月、1982年5月、1986年3月をピークとして計3回起こっている。また日本では、出生率が低下しているにもかかわらず、川崎病の患者数は徐々に増加している(「季節的な周期」を参照)。現在、日本の患者数は年間平均で約1万2000人となっており、この数値はかつての大流行のピーク時に匹敵する。サンディエゴでも、Burnsは年に80〜100人の新しい患者を診ている。

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川崎病が実際にどう広まっているのか、まだよくわからない。なぜなら、子どもというのは原因不明の発疹をしょっちゅう起こすものだし、おそらく日本以外の国では、大半の患者が正しく診断されていないからだ。ただし、川崎病の場合は深刻な後遺症が残ることがある。Burnsが1981年の病理解剖で目にしたような冠動脈瘤は、未治療の患者の4分の1で見られ、約100人に1人はこれが原因で命を落としている。加えて、生体の修復機能により、瘢痕組織の形成や動脈狭窄が起こる場合もある。

「冠動脈の障害は数十年もの間全く症状として現れず、あるとき突然表に現れる可能性があります」とBurnsは言う。「患者の成人初期に、ひどい心臓発作という形で症状が現れる場合もありますが、なぜそのような発作が起こるのか、本人にはまるでわからないのです」。

これには遺伝的特性が大きくかかわっているようだと、Burnsは説明する。アジア人の子どもはほかの民族集団の子どもに比べて川崎病になりやすいからだ。また、免疫系とも深い関わりがある。川崎病は全身性の炎症を特徴とするが、特に心臓などにある中動脈の壁を作る平滑筋細胞に大きな影響を及ぼし、時に動脈瘤を生じる。唯一の有効な治療法はヒト免疫グロブリンGの静脈注射である。これによって冠動脈瘤の発生確率が25%から1〜5%に下がる。ヒト免疫グロブリンGは血液中に最も多く存在する抗体だが、これが有効な理由はまだ完全には解明されていない。

川崎病の原因はいまだに「GOK」であり、病原体としてのウイルスや細菌、そしてあらゆる種類の病原生物が数十年にわたって探索されてきたが、いまだに見つかっていない。LipkinはBurnsとともに20年にわたって病原体を追い求めており、新しい分子診断ツールが登場するたびにそれを試してきたが、毎回空振りに終わっている。Burns自身も1980年代の大半を、川崎病とカーペットクリーニングという当初有望視された関連性(カーペット洗剤やダニとの関連性が疑われた)について研究するのに費やしたが、何の成果も得られなかった。

2000年代半ばになってBurnsは、UCSDスクリプス海洋研究所の気象学者であるDaniel Cayanとともに、川崎病が気候と結びついている可能性に注目した。Burnsは日本に照会することで1987〜2000年の患者約8万5000人の詳細な記録を入手し、それをもとに川崎病の都道府県別の患者数を解析することで、最初の成果が得られた。解析結果から、1つの傾向がはっきりと見て取れたのだ。患者数のピークは冬季から初春まで、そして初夏に現れた。このように、明らかな季節変化があることから、環境要因が関係していると考えられた3

資金が底を突いたため、研究はいったん途絶えてしまった。しかしその後の2007年、CayanはXavier Rodóの講演を聞く機会があった。Rodóはカタルーニャ気候科学研究所(スペイン・バルセロナ)の所長で、UCSDで研究休暇中だった。Rodóは、気候がコレラなどの感染症にどのように影響を及ぼすかを解明したことがあり、また、信号対ノイズ比が低いと推定されるケース、あるいは信号は非常に強いが継続時間が短いと推定されるケースで、その原因変数を拾い出す数学的手法や統計学的手法を設計したこともあった。

講演の後、Cayanは、Burnsのことや彼女が日本の大規模な川崎病患者データベースにアクセスしていることについてRodóに話した。「そのとき彼は、たくさんの人間がこの病気に挑戦してきたが誰も重要なことを見つけられなかったと言っていました」とRodóは振り返る。「この難題はあまりに魅力的であったため、私はそれに取り組まずにはいられませんでした」。

Rodóは自分自身の持っていたプログラムに、日本人患者24万7000人以上の記録を取り込み、さらに気温や降水量、湿度といった気候のさまざまな変数を組み込んで、ソフトウェアを動かしてみた。すると、1つの傾向が浮かび上がった。中央アジアから日本へ風が吹いたとき、川崎病の患者数が急増していたのだ。日本で起こった3回の大流行のすべてがこのパターンに従っており、通常の流行であってもこのパターンが認められた。そして、風向きが太平洋から吹くように変化すると、患者数は激減した1。また、中央アジアからの風がハワイやカリフォルニアへ向かって進んだときには、その風の行き先でも患者数が急増した。

「この結果は衝撃的で、非常に驚きました」とRodóは話す。気候と疾患が相関しているという結果が、驚くほど簡単に導き出されたからだ。またこれは、ヒト疾患の病原体が風に乗って太平洋を横断した後もまだ生きて活動している可能性があることも意味していた。これは前代未聞の話だった。

もし川崎病の病原因子が生きている生物体だとわかれば、今回の解析結果は一般通念と真っ向から対立することになる、とBurnsは言う。微生物学では一般に、感染性微生物が海洋を横断するとしても、高い高度で紫外線照射や極低温にさらされるため、渡り切る前にすべて死滅してしまうと考えられているからだ。しかし、そうではないかもしれないと彼女は話す。「私は分子ウイルス学を専攻しました。研究室でウイルスを保存するときは、乾燥させて−80℃で冷凍保存します。これって、まさに対流圏上層の環境条件なんですよ」。

アルバート・アインシュタイン医科大学(ニューヨーク州)の微生物学者Arturo Casadevallによれば、短い距離なら風が病原体を運ぶ例は確かにあるという。米国南西部で、砂塵嵐の後や、地震で胞子が土壌中から空中へ放出された際に、コクシジオイデス症(渓谷熱とも呼ばれる)という真菌症がよく見られることを彼は指摘する。また、もっと長い距離の例としては、コウジカビ属真菌のAspergillus sydowiiがアフリカから砂塵嵐に乗って西へ向かい、カリブ海のウミウチワ類に病気を生じさせることも明らかになっている4

米国地質調査所(フロリダ州タラハシー)の環境・公衆衛生微生物学者のDale Griffinは、アフリカの砂塵嵐を詳しく調べたことがある。大西洋中央海嶺での海水の動きを調べる航海で、Griffinは調査船の真上の空気試料を採取し、数百種類もの微生物を培養した。その中には、植物病原体である2種類の真菌や、やけど患者に致死的感染症を引き起こすことのある緑膿菌(Pseudomonas aeruginosa)、血液感染を起こすことのある細菌Brevibacterium caseiなどが含まれていた。

Griffinは、砂塵嵐の培養試料の約10〜20%は病原体だと見積もっている。彼は、成層圏の高度18kmで採集した試料から微生物を培養するプロジェクト5にも参加したことがあり、川崎病が風に乗って運ばれるというRodóたちの主張はもっともだと考えている。「砂塵に伴うにしろ伴わないにしろ、未知の病原体が大気中を移動したとしても不思議ではありません」と彼は話す。「大気中には非常に耐性が高く、長旅のできる生物種が非常にたくさんいることもわかっています」。

犯人を見つけ出す

Casadevalは、川崎病が風によって運ばれるという考えに強力な論拠があることは認めるが、相関性イコール因果関係ではない点を強調して譲らない。このことは、Burnsたちの説に懐疑的な研究者たちも指摘していることだ。「この種の理論は過去にも主張されていますが、すべて状況証拠なのです」と、コネティカット農業試験場(ニューヘイブン)の植物病理学者Donald Aylorは言う。彼は、風による植物病原体や花粉の拡散を35年にわたって研究している。特定の疾患が現れたときに特定の方角へ風が吹いていたからといって、その病気が風で運ばれた病原体のせいだと実証するのは難しいのです、と彼は話す。特に、川崎病のように病原体の正体がまるでわかっていない場合、実証はいちだんと難しくなる。「川崎病が流行しているとき、ほかに何が起こっているかを考えてみてください。数えきれないほどの出来事が起こっているわけですよ」。

この反論に対抗する最上の方法は、実際に風で運ばれている病原体を見つけることであり、Burnsたちもそれを理解している。彼らはLipkinとともに、1つの実験を計画した。それは、病原体が存在すると推測される時期に日本上空のさまざまな高度で空気をフィルターにかけ、「メタゲノミクス」の手法で、採集されたすべてのもののDNA塩基配列を解読するというものだ。

2011年3月上旬、汚染を防ぐための保護服を着たスペイン人のエンジニアが、バルセロナのRodó研究室で組み立てた空気フィルターを乗せた飛行機で出発した。飛行ルートは、リアルタイムの風データをもとにRodóが考えたものだ。飛行機が戻ると、採集した試料はドライアイスの中に封入され、コロンビア大学のLipkinの研究室に送られた。

コロンビア大学では生物学者Brent Williamsがメタゲノム解析を行っているが、高い高度で採取した大気試料内のDNAがごく少量であるため、解析に時間がかかっている。しかし、研究の成果は出始めているとLipkinは話す。Williamsは、川崎病の病原体候補を複数見つけており、じきに免疫測定法へと進む予定だ。免疫測定法では、「容疑者」の微生物が発現すると予想されるタンパク質に対する抗体を、川崎病にかかったことのある小児やかかったことのない対照群から採取した血清試料と混合する。もし、抗体が対照群試料よりも川崎病患者試料のほうと有意に強く相互作用すれば、その「容疑者」が川崎病を引き起こす「真犯人」だという確証が強まることになる。

次のステップは、罹患した子どもの血液試料に含まれるDNA塩基配列の中から、大気試料で見つかったDNAと一致するものを探すことだろう。「それが見つかれば強力な状況証拠になり、我々が歩んでいる道が正しいという確信も持てます」とLipkinは言う。病原体を突き止めれば、川崎病に関する多くの疑問に取り組めるようになる。例えば、自然界での病原体の居場所はどこなのか。動物の宿主はいるのだろうか。この病原体はどういう理由で、1950〜60年代になって病気を引き起こし始めたのか。また、現在なぜ患者数が増えているのか。

もちろん、ほかにどんな病気が風に乗って運ばれているのかという疑問も出てくる。台湾の研究チームは、砂塵嵐の風下で鳥インフルエンザの流行が頻繁に起こっていることに気付いた。彼らは、大気試料中にインフルエンザウイルスを見つけ、砂塵嵐が中央アジアから吹いてきたときにウイルス濃度が急上昇することを報告している6。こうした状況を見れば、「ヒトの健康に大きな影響を及ぼす病原体が気流に乗って運ばれる可能性を考えない訳にはいかないでしょう」とBurnsは語った。

翻訳:船田晶子、要約:編集部

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 7

DOI: 10.1038/ndigest.2012.120710

原文

Blowing in the wind
  • Nature (2012-04-05) | DOI: 10.1038/484021a
  • Jennifer Frazer
  • Jennifer Frazerは、コロラド州を活動拠点とする サイエンスライターで、Scientific Americanのブロガー。

参考文献

  1. Rodo, X. et al. Sci. Repts 1 http://dx.doi.org/10.1038/srep00152 (2011).
  2. Kawasaki, T. Arerugi 16 178-222 (1967) (in Japanese).
  3. Burns, J. C. et al. Epidemiology 16 220-225 (2005).
  4. Shinn, E. A. et al. Geophys. Res. Lett. 27 3029-3032 (2000).
  5. Smith, D. J., Griffin, D. W. & Schuerger, A. C. Aerobiologia 26, 35-46 (2009).
  6. Chen, P.-S. Environ. Health Perspect. 118, 1211-1216 (2010).