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ピンボケ度で距離を知るハエトリグモの目

小柳 光正

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 6 | doi : 10.1038/ndigest.2012.120622

ハエトリグモは、クモの巣を張らない。獲物めがけてジャンプし、捕まえるのだ。その目の構造が変わっていることを知った小柳光正・大阪市立大学准教授たちは詳しく調べてみた。すると、これまでに知られていない珍しい視覚の持ち主であることが発見された1。網膜に結ぶ像のボケ具合で、ハエトリグモは獲物までの距離を測っていたのである。

–– 「ハエトリグモ」とは、おもしろい名前ですね?

小柳: 英語名をジャンピング・スパイダーと言い、その名のとおり、ジャンプして、ハエなどの虫を捕まえて食べます。クモの巣を張らないクモなのです。体長は5〜8mmくらい。家の内外で普通に見ることができますよ。

–– なぜハエトリグモの研究を?

小柳: もともとクモの目に興味があったのです。クモは、トンボなどの昆虫と同じ節足動物。ほとんどの節足動物の目は、複眼といって、小さな目がたくさん集まってできています。それなのに、クモの目は私たちと同じような目(カメラ眼と呼ぶ)。どうしてだろうと不思議だったのです。

そこで、クモの目を研究しようと思って文献を調べてみると、クモの中でもハエトリグモは、さらに変わっているとわかりました。目の奥には、光を受ける網膜がありますが、それが4層にもなっているのです。一般的には、動物の網膜は1層です。

–– 網膜に着目したのですね。

小柳: 巣を張るクモは、獲物を捕まえるときに、視覚に頼る必要があまりありません。しかし、ハエトリグモは獲物を見つけて飛びかかるので、視覚はとても重要なはずです。ですから、その網膜が4層であることは、ハエトリグモの捕食行動と密接な関係があるのではないかと思い、研究することにしたのです。

クモの目の研究は、2004年に大阪大学の助手になったときに始めました。そのときの最初の受け持ちの学生である永田崇君が、実験に携わってくれました。その後、大阪市立大学に移り、生化学・生理学が専門の寺北明久教授の指導の下で研究を続けることができ、永田君も私と行動を共にしてくれました。

ハエトリグモの目を顕微鏡で観察する永田崇さん。
「厚みのある対象物の画像のボケを数学的に除去する、擬似共焦点顕微鏡を操作しているときに、ピンボケ度が距離情報に結びつくことを思いつきました」と振り返る。このピンボケ度から距離を算出する仕組みは、コンピューター・ビジョンの分野で注目されている。

実験結果の矛盾が、発見のきっかけ

–– 具体的にはどう研究されたのですか?

小柳: 私たちが最初に仮定したのは、4層の網膜が、それぞれ波長の違う光を受け取っているのではないかということでした。

ヒトの目の場合は、レンズ特性のおかげで、1層の網膜にさまざまな波長の光が像を結びます。しかし本来は、光は波長によって屈折率が異なるため、レンズを通過して結ばれる像の位置は、波長により異なるはずなのです。例えば、青色の光は近くに、緑色の光は遠くに像を結ぶというように。そこで、4層の網膜の奥の層が長波長、手前の層が短波長を受け取れば、どの波長も鮮明な像を各網膜で結べると考えたのです。

–– なるほど。その仮説の確認法は?

小柳: 光は、網膜に存在する光受容タンパク質(オプシン)がキャッチします。ですから、網膜のタンパク質を調べれば、何色の光を受け取っているのかわかります。

–– 調べた結果は、どうでしたか?

小柳: 予想どおりではありませんでした。奥のほうから第1層、第2層と呼びますが、まず第1層に緑色の光に対する受容体があることがわかりました。そこで、第2層には、より波長の短い青色光の受容体が予測されたのですが、結果は、第2層にも緑色受容体のみだったのです。第2層には緑色光はピントの合った像を結びません。これでは第2層には常にボケた像ができてしまうはずです。

実験の間違いではないかと、何度も、しかも慎重に実験を繰り返したのですが、やはり同じ結果でした。

–– ピンボケ像を作るということは?

小柳: 解釈に行き詰まりました。生物は、鮮明な像を効率よく得る仕組みを視覚として発達させてきたと考えていたので、説明がつかなかったのです。この矛盾した結果が真実なのであれば、もうしかたないとほとんど解釈を諦めかけていました。

網膜(視細胞の層)の第2層には、ピンボケ像ができる。遠くの対象物のピンボケ度は小さく、近くのものは大きい。赤色光のみを与えた実験では、赤色光は緑色光より遠くに像を結ぶので、ピンボケ度は大きくなり、対象物が近くにあると錯覚される。写真はハエトリグモの目。2つの主眼と6つの副眼からなる。

永田崇

–– 新たな解釈をどのように思いついたのですか?

小柳: 今でも忘れません。ある日、永田君が1つのアイデアを持ってきました。ピンボケの度合いは、対象物までの距離情報に換算できるので、それで距離を測っているのではないか、と。

実は、最初にそれを聞いたとき、私は懐疑的でした。原理的には可能ですが、そのような方法で距離を、すなわち奥行きを知覚している生物は、これまで発見されていなかったからです。

そこで、奥行き情報を得ることが可能な別な仕組みをハエトリグモが持っているかどうか、永田君に文献などで調べてもらいました。すぐに、両眼視、レンズのピント調節、運動視差などといった一般的な仕組みを、ハエトリグモは持っていないことがわかりました。さらに、このアイデアを支持する証拠が次々と確認されて、私も確信しました。その夜、永田君と2人でとても興奮したことを覚えています。

–– ピンボケ度を奥行きの測定に利用しているとは、大発見でしたね。

小柳: そうです。まさに私たちは発見した気持になっていました。しかし寺北教授に、行動実験で実際に証明しなければ、発見したことにならないと諭されました。

そこで、証明するための実験に取りかかったのです。実験は、赤い光のみを与えると、ハエトリグモが、ジャンプする距離を見誤るだろうという仮説を立てて行いました。長波長の赤色光だと、緑色光のときよりも像が遠くに結ばれるので、第2層でのピンボケ度が大きくなり、対象物が実際より手前にあると勘違いする。その結果、標的に届かない短いジャンプをすると考えられます。

ハエトリグモがハエに向かってジャンプするようすをビデオで観察し、跳んだ距離のデータを定量的に処理して、この仮説を証明することができました。いつどのくらいジャンプするかわからないため、最初は、ハエトリグモの動作に一喜一憂しましたけどね。

–– クモにジャンプする距離を間違えさせるとは、エレガントな証明方法ですね。

小柳: 一言でいうと簡単ですが、実は行動実験に1年以上かかりました。実験装置の組み立てから長時間にわたる観察まで、永田君はたいへんがんばってくれました。解析方法を考えることはもちろん、ハエトリグモの目のレンズの焦点距離を測定したり、獲物までの距離の誤認量の理論値を算出したり。そういうことは、彼は物理学科出身で、お手の物でしたが。

節目節目で正しい方向に導いて下さった寺北教授にもとても感謝しています。

分子進化学がルーツ

–– 自然の奥深さにふれる発見でしたね。

小柳: 私たちが研究しなかったら、おそらく誰もこの事実を発見することはなくて、それでも私たちの生活には何の支障もないかもしれない。けれども、生物の世界にはこんなにおもしろいことがあるんだって、人が思ってくれればうれしいです。

–– 研究で大切にしていることは?

小柳: 私の研究のルーツは、大学院で学んだ分子進化学です。生物の系統関係を下敷きとして、生物の機能や進化に迫る解析や発見ができるよう心がけています。

研究のスタートは、今回のように、素朴な進化的興味から始めるとうまくいくことが多いです。今回は、分子進化的には特段の発見には至りませんでしたが、別の新しい発見に結びつきました。

–– これからはどんな研究を?

小柳: 私は、視覚を中心に研究してきました。動物にとって目は重要な感覚器で、進化の研究上も興味深いものですから。今後はそれに加え、ほかの光感覚についても考えていきたいです。生化学、生理学、物理学、遺伝学など、必要なものは何でもあり、で研究を続けていくつもりです。

–– ありがとうございました。

聞き手は藤川良子(サイエンスライター)。

Author Profile

小柳 光正(こやなぎ みつまさ)

大阪市立大学大学院理学研究科准教授。2001年京都大学大学院理学研究科生物科学専攻博士課程修了。日本学術振興会特別研究員、大阪大学助手、大阪市立大学講師を経て、2010年より現職。2006年日本比較生理生化学会吉田奨励賞受賞。分子進化学を基礎に、動物の光受容システムの進化と多様性を研究。

小柳 光正氏

参考文献

  1. Nagata T, Koyanagi M, Tsukamoto H, Saeki S, Isono K, Shichida Y, Tokunaga F, Kinoshita M, Arikawa K, Terakita A, Science. 335: 469-71 (2012)

キーワード

Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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