「分離脳」が教えてくれたこと
てんかん治療としての脳梁離断
Vickiは、脳外科手術を受けた後の数か月間、食料品の買い出しに行くたびに腹立たしい思いをした。スーパーマーケット内の通路に立ち、陳列棚にある商品に目をやり、それをショッピングカートに入れたいと思っても、それができないのだ。「欲しい物に右手を伸ばそうとすると、そこに左手が割り込んできて両手が争う形になりました。まるで反発し合う磁石のようにね」と彼女は話す。その週は、食品を買い込むのに2時間、時には3時間もかかり、ひどく難儀した。着替えるのも同様で、自分が着たいと思う服を、両手が実際に着せてくれなかったのである。時には、一度に3着の服を身につけてしまうこともあった。「服を全部ベッドの上に脱ぎ捨て、気を取り直して、もう一度始めねばならなかったわ」。
しかし、手術前よりも確実によくなっていたこともある。それはもう、てんかん発作に苦しむことがないことだった。彼女の発作は、人生を投げ出したくなるほど重く深刻だった。火のついた旧式オーブンに倒れ込み、背中に跡が残るほど火傷を負ったこともある。「実際、まともに生活ができませんでした」と回想する。1978年に神経科の主治医は彼女に、少々過激で危険も伴うが、治療に役立つ見込みのある外科手術を持ちかけた。それを聞いて彼女はほとんどためらわなかった。もし最悪のことが起これば、幼い娘の世話は彼女の両親がしてくれるはずだった。「でも、もちろん心配でしたよ。いったん左右の脳を切り離せば、もう元通りにはならないんですから」。
1979年6月に行われた手術は10時間近くかかり、医師たちはVickiの脳梁を切断して、発作を抑えるための「防火帯」を作り出した。脳梁は、左右の大脳半球をつなぐ神経繊維の束である。この大胆な手法は「脳梁離断術」と呼ばれ、言語、意識的思考、運動制御を担う大脳新皮質の左右半球を分断する。Vickiがスーパーマーケットで陥った窮状は、言ってみれば、脳が2つの心を持っているかのように振る舞った結果だった。
しかし、手術後約1年で問題は軽減した。「動作を1つにまとめられるようになりました」とVickiは言う。ほとんどのことを自分一人でできるようになった。野菜を切ったり、靴ひもを結んだり、トランプをしたり、水上スキーさえできるようになった。
しかし、手術のせいで自分が神経科学研究のスーパースターになることまでは、予想できなかった。Vickiは、10人余りしかいない「分離脳患者」の1人になったのである。こうした患者の脳や行動は、何時間もの実験や何百本もの科学論文の研究対象となり、古い世代の心理学のほぼすべての教科書で取り上げられてきた。しかし今、こうした分離脳患者の数は減りつつある。
分離脳患者が教えた左右脳の機能
分離脳患者の研究によって、健全な脳は、2つの別々の装置(つまり左右の大脳半球)が互いにケーブルで接続し、さまざまなデータを逐次やり取りしている状態であることが明らかになった。この主要ケーブルが切断されると、一方の大脳半球だけに情報(言葉、物体、絵など)を提示しても、他方の半球はそれに気がつかなくなる。
カリフォルニア大学サンタバーバラ校(米国)の認知神経科学者で、現在の分離脳研究の第一人者でもあるMichael Gazzanigaによれば、これらの患者を50年にわたって研究してきても、脳梁切断の影響をじかに観察するのは、いまだにスリリングだという。「分離脳患者の状態がどういうものかを知りたければ、1枚の絵を見てもらうといいでしょう。患者はその絵が何なのかを言うことはできませんが、いろいろな物の入った袋から絵と同じものを取り出すことができるのです」とGazzanigaは話す。「思わず胸がドキドキしますよ!」
こうした患者を対象にした研究で、左右の大脳半球の違いが、少しずつ明らかにされてきた。例えば、左半球は通常、発話や言語の情報処理にかかわり、右半球は視覚−空間情報処理や顔の認識に特化していることが明らかになった。「実際に分離脳の研究から、左右半球はどちらも、たいがいのことはできるが、同時に、この世界をそれぞれ別の像としてとらえていることがわかりました」と、カリフォルニア大学バークレー校(米国)認知脳科学研究所の所長であるRichard Ivryは言う。この「2つに分かれた意識(dichotomous consciousness)」という概念は一般社会の注目を集め、「創造性は右脳にある」という極端な言い方が広まってしまった。
しかし、さらに分離脳患者で試験を行った結果、もっと繊細な全体像が得られた。我々の脳は、特定の仕事を特定のハードウエア区画が担うコンピューターのようにはなっておらず、むしろ、非常に太くて送受信量の多い広帯域ケーブルで複数のコンピューターがつながったネットワークのようなものに近い。つまり、活動領域どうしの接続性の良し悪しのほうが、それぞれの脳領域の働きよりも重要なのだ。「分離脳患者では、脳の特定部分に損傷を与えることなく、ネットワークの分断による影響を見ることができます」と、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の心理学者Michael Millerは説明する。
ダートマス大学ヒッチコック医療センター(米国ニューハンプシャー州レバノン)で神経外科医長を務めるDavid Robertsは、分離脳研究から重要な教訓を手に入れている。彼は分離脳患者集団の何人かの手術を担当し、Gazzanigaと密に連携して研究している。「医学でも一般的な科学でも、被験者の多さ、研究室、診断法、統計的有意性などが重要視されます」とRobertsは話す。例えば新薬を評価する際には、こうした要素が重要になる。しかし彼は、分離脳の患者たちのおかげで、1つの症例からいかに多くのことが学べるかを思い知った。「1人の患者を慎重に詳しく調べることで、人類全体に適用できる結論が引き出せると実感したのです」と彼は話す。
現在、分離脳患者たちは高齢化している。数人が死亡し、1人は脳卒中になった。年齢が上がり、じっと座ったり注視したり集中したりするといった負担の大きい作業課題には適さなくなってきている。脳梁離断術は近年ではほとんど行われず、薬剤療法やもっと穏便な外科処置に置き換わっている。また、脳機能を見る手法としては、画像化(イメージング)技術が主役になっている。これなら、作業課題中にどの脳領域が活動しているかを観察するだけでいいからだ。
しかし、MillerやIvryやGazzanigaたちに言わせれば、分離脳患者は今なおきわめて貴重な情報源であるという。例えば、画像化技術で確認できるのは、言語処理をしているときに右の大脳半球よりも左の半球のほうが活動している、ということだけだ。しかし分離脳患者では、これが劇的な形で現れる。患者は「パン」という言葉が右半球に投射されたとき、この言葉を声に出して言えなくても、パンの絵を指し示すことができるのだ。「このような事実を見て、右半球は、脳内の運動系にアクセスして発話させることはできなくても、読み取る能力はあるとわかるのです」とIvryは話す。「画像化技術は、何かが起こっている場所を探すのには非常に優れていますが、患者が参加する実験だと、それがどのように起こっているかを知ることができるのです」と彼は付け加えた。
脳内のケーブル切断
脳梁の切断が重度のてんかんの治療法として初めて使われたのは1940年代のことで、米国ニューヨーク州ロチェスターで26人の患者に実施された。その目的は、てんかん発作の「電気的な嵐」を、片側の大脳半球のみに限定させることだった。最初、この処置は効果が上がらないように見えたが、1962年に、1人の患者でかなりの改善が見られた。この手術は、侵襲的で危険が伴うし、薬剤で症状が軽減できる患者も多かったため、登場してから数十年経過する中で、一度も好ましい治療法として扱われたことはない。しかしそれでも、難治性てんかんの治療法としては最後の手段となっている。
当時、カリフォルニア工科大学(米国パサデナ)には神経生物学者で神経心理学者のRoger Sperryがおり、Gazzanigaはその研究室に大学院生として在籍していた。彼らは分離脳患者たちから、ヒトの脳に見られる「側性化」、つまり、左右の脳半球が別の機能を担うことについて、新たな知識が得られると考えた。そのころ、この問題に関する意見は2つに分かれていた。
1940年代に最初の分離脳患者を調べた研究者たちは、脳梁切断は思考や行動にさほど影響を及ぼさないという結論に達した(Gazzanigaたちは、これらの初期の手術では切断が不完全だったと推測しており、手術で発作が改善されなかった理由もそれで説明できると考えている)。しかし、1950年代にSperryたちが行った研究からは、脳梁離断術を施した動物では、脳機能が大きく変化することが明らかになった。SperryとGazzanigaは、この矛盾をどうしても解明したいと考え、答えを見つける道を分離脳患者に求めたのである。
2人の最初の患者は、W.J.という名の男性だった。彼は第二次世界大戦中にパラシュート部隊にいた兵士で、ドイツ兵にライフル銃の台尻で頭を殴られてから発作を起こすようになった。1962年にGazzanigaは、脳梁切断手術を受けた後のW.Jに、画像が見えたらボタンを押してもらう視覚心理実験を行った。W.J.の右または左の視野に、文字画像や明るい光などの視覚刺激をパッと一瞬見せた。左の視野の情報は右の大脳半球で、右の視野の情報は左半球で処理されるので、片側の視野に画像を一瞬見せると、逆側の脳半球だけに画像の情報が送られることになる(上図参照)。
左半球だけに刺激を送った場合、W.J.は悩むようすを見せなかった。ボタンを押して、自分が何を見たかを研究者に伝えた。しかし右半球に刺激を送った場合、W.J. は何も見えないと言いながらも、左手はボタンを押していたのである。「左脳と右脳は、お互いが何をしているのかわかっていなかったのです」とGazzanigaは言う。これは、左右の脳半球が誰も予想していなかったほど機能をきっちり分担していることを明らかにした。まさに、通説を打ち破る発見だった1。
情勢は急転し、研究レースは脳機能の「側性化」の探究へと向かうこととなった。しかし、研究対象となる患者をさらに見つけるのは難しいことがわかった。Gazzanigaは、少なくとも100人以上の患者が脳梁離断術を受けていると見積もった。ただし、この手術を受ける患者は、ほかにも発達や認知の重大な問題を抱えている傾向が見られる。脳梁がきれいに切断されていて、なおかつ研究に役立つほど神経学的に健全な症例は、ほんの少数なのだ。W.J.のような患者がほかにも現れるかどうか、SperryやGazzanigaたちはしばらくの間は確信が持てなかったのである。
しかし、神経外科医との交流やてんかん治療センターとの連携、多くの潜在的患者の評価をすることで、カリフォルニア州で研究に適した少数の人々が見つかり、その後、米国東部でVickiをはじめとする患者集団が見つかった。分離脳研究は1970年代から1980年代初めにかけて発展し、神経科学では特に右の大脳半球の持つ能力に関心が集まった。「右脳」とも呼ばれる右半球には、言語の情報処理や発話の能力がないと一般に考えられた。
Gazzanigaは私の前で、自慢の孫を紹介する祖父のような面持ちで、彼の「果てしなく辛抱強い患者たち」の名前を順に、W.J.、A.A.、R.Y.、L.B.、N.G.と呼び上げていった。医療の守秘義務のため、患者の名前はイニシャルでしか明らかにすることができないのだ。(Vickiは、姓と現在住んでいる町を公表しない条件で、この記事に名前を出すことを了承してくれた。)
2011年5月にオレゴン州ポートランドで開催された米国神経外科学会の年次総会で、Gazzanigaは基調演説を行い、P.S.という名の患者を対象とした1976年の実験の際の、画質の粗い映像を2、3本紹介した(当時、患者はわずか13か14歳だった)。研究者たちは、患者の脳の右半球だけに見えるように書き文字を提示した場合の反応を見たがった。
Gazzanigaのビデオでは、その少年の右半球だけに「ガールフレンド」という言葉を一瞬見せて、「あなたの好きなのは誰ですか」と尋ねた。この場合、予想どおり、少年は言葉では返答することができなかった。彼は肩をすくめ、頭を振って、W.J.の場合と同じように、何の言葉も見ていないと言った。しかしそれからクスクスと笑った。それは、十代の若者がよくやる照れ隠しで、声が漏れて顔が赤らんだ。彼の脳の右半球はメッセージを見ていたが、言語野のある左半球はそれに気がつかなかったのだ。
その後、少年は左手でゆっくりと、前に置かれた「スクラブル」(アルファベットの文字の書かれた駒を並べて単語を作るゲーム)の駒の中から3つの駒を選び、「L-I-Z」と並べた。彼のクラスにいる可愛い女の子が「Liz」なのだろう。「この実験によって、彼が右脳で言語を理解できたことがわかりました」とGazzanigaは講演の後に私に話してくれた。「この少年は、ヒトの大脳の左右半球のどちらでも言語が理解できることを初めて実証した例の1つです。彼は、左右どちらの大脳半球に課題を提示した場合でも、言語を使って一連の質問に答えることができました」。
こうした初期の観察結果のもつ意味合いは「絶大だった」とMillerは言う。「右半球は、左視野を通して世界を見ているが、ジェスチャーや左手の動作を介してしか、それを表現できない」ことが明らかになったのだ。その2、3年後、研究チームはVickiでも、右半球に発話能力があることを見つけた2。こうして、完全な脳梁切断による左右半球の連絡遮断は、ある程度普遍的な結果となったが、個人差がかなりあることも判明した。
1981年、Sperryは分離脳研究の業績でノーベル医学生理学賞を共同受賞した。「受賞は当然でした」とGazzaniga は言っている。Sperryは1994年に死去したが、そのころにはGazzanigaが分離脳研究の第一人者になっていた。20世紀末になると、彼をはじめとする分離脳研究者の関心は新しい謎に向けられた。それは、脳梁離断術が劇的な影響を及ぼすにもかかわらず、W.J.やそれ以降の患者は、不完全な感じがするとは一言も報告しなかったことだ。Gazzanigaが何度も述べているように、左右の大脳半球は互いに相手を恋しがることはないのだ。
Gazzanigaは、分離脳患者も含めた人々が自己や精神生活の統一感を持てる理由を説明するために、「解釈者理論(interpreter theory)」という理論を編み出した3。この理論が生まれたのは、分離脳患者の脳の右半球にのみ提示し、右半球によってのみ遂行される動作を、言葉(こちらは脳の左半球を使う)で説明してもらう課題からだった。「左半球は、実行の状況に合わせて事後の答えを作り出したのです」。
Gazzanigaのお気に入りにこんな事例がある。患者の右半球に「微笑む」という単語を提示し、左半球に「顔」という言葉を提示して、患者に見たものを描いてもらった。すると、「彼の右手は、微笑んでいる顔を描きました。『なぜそれを描いたんですか』と尋ねると、彼はこう答えたんです。『あなたが描いて欲しかったのは悲しい顔なんですか。悲しい顔を描いて欲しい人などいませんよ』とね」。左脳の「解釈者」は、実際に起こったことの説明を考え出したり、次々と入ってくる情報を選別したり、外界を理解する助けになる物語を組み立てたりするために、誰もが利用しているものだ、とGazzanigaは言う。
コロラド大学病院(米国オーロラ)の神経外科医Robert Breezeは、2011年のGazzanigaの講演を聴いた後、分離脳研究は現在、「研究の非常に重要な柱の1つ」になっていると語った。しかしBreezeは、ほかの多くの神経科学者と同様に、分離脳研究は時代遅れだと思っている。「現在では、こうした脳内の出来事を可視化して観察できる技術がありますからね」。機能的磁気共鳴画像法(fMRI)などのツールで、脳機能のありかをきわめて詳細に調べることができるのだ。
しかしMillerはこの意見に与しない。「この種の患者は、fMRIでは絶対に知ることのできないことを教えてくれるのです」と彼は言う。
興味の対象
Vickiは小さい楕円形のダイニングテーブルに座り、ラップトップパソコンと、いくつかの大きい赤と緑のボタンのある操作盤に向かった。アバディーン大学(英国)の心理学者David Turkが、1週間の滞在で一連の実験を行っているところだった。
Vickiの白髪は後ろでポニーテールにまとめられている。秋の冷え込みにもかかわらず、彼女はシンプルな白いスニーカーとショートパンツを身につけていた。彼女はあまり暖かい格好をしたくなかった。暖かくすると、眠くなって集中力がなくなり、丸1日かかる実験が台無しになりかねないからだ。
休憩中にVickiは古い写真アルバムを持ってきた。脳の手術後すぐに撮った1枚の写真では、彼女が病院のベッドに座っている。手術のために剃った髪は再び黒く生え始めており、娘と2人でにっこりと笑っている。アルバムの別のページには、The Journal of Neuroscienceの1981年の論文がやや色あせて挟まっていた。この論文は、Vickiのデータが入った初めての研究論文で、そこには、P.S.と同様に彼女の右半球もある程度の言語能力を持っていることが報告されている4。
科学研究が生活に入り込むことで何がいちばん困ったかと聞くと、常に陽気なVickiは、デュアル・プルキンエ・アイトラッカーという装置をつけなければならないことだと答えた。この古風な装置では、被験者の視野の左右どちらかに正しく画像を提示できるよう頭を静止させるため、装着した被験者にバーを口でくわえてもらう。Vickiは、地球上の誰よりも長く、このバーをくわえて時間を過ごしたと思われる。
ほどなく、また実験の時間がきた。Turkは、両面粘着テープを少し使って、Vickiの細い金縁の遠近両用眼鏡の前面に3D眼鏡を貼り付けた。この実験の目的は、視覚情報処理に果たす脳梁の役割を、もっと深部にあって脳梁離断術による影響を受けない「皮質下の」神経接続の役割から切り離すことである。Vickiはスクリーンの中央に注目して、写真が1つの家からさまざまな顔へ、またその逆へとゆっくり切り替わるさまを見つめ、画像の変化に気づいたらボタンを押すよう指示された。彼女は椅子の高さを調節し、自分の鼻梁を見下ろすようにスクリーンを見つめ、準備ができたとTurkに言った。
深い結びつき
このほか、両手の協調した動きに大脳皮質下の連絡がどう関与しているかを調べている研究者もいる。分離脳患者は、「両手で行う」課題はほぼ難なくこなすことができ、Vickiと少なくともほかの1人の患者は車の運転もできる。2000年に、オタゴ大学(ニュージーランド)のLiz Franzの研究チームは、分離脳患者に、両手を使う慣れた課題と新規の課題の両方をやってもらった。漁師の経験がある患者は、釣り糸を結ぶジェスチャーをすることができたが、針に糸を通すという慣れないしぐさはできなかった。ここからFranzは、よく訓練された両手を使う技能は皮質下レベルで調整されており、そのため、分離脳患者でも両手を滑らかに統制して動かせるのだと結論した5。
MillerとGazzanigaは、道徳的な理由付けに、右半球が果たす役割の研究にも着手している。これは高次の脳機能で、左半球が仕切っていると以前は考えられていた。ところが、ここ数年の画像化技術を用いた研究から、他者の情動・意図・信念を読み取る情報処理に、右半球が非常に大きくかかわっていることが明らかになった。こうした情報処理は「心の理論」として多くの学者に理解されている6。Millerによれば、問診を使った研究分野によって、分離脳研究の価値が十分に明らかになるという。なぜなら、画像化技術だけでは答えは見いだせないからだ。
MillerとGazzanigaたちは2009年に始めた研究で、2人の分離脳患者に一連のストーリーを提示した。それぞれのストーリーには、予期せぬ危害もしくは意図的な危害が盛り込まれている。つまり、上司を毒殺しようとするが、砂糖を殺鼠剤と勘違いしたために失敗する人物と、殺鼠剤を砂糖と間違えて上司をうっかり死亡させてしまう人物とが、道徳的に同程度だと感じるかどうかを調べたのである7。大半の人は、前者のほうが道徳的に非難されるべきだと考える。研究チームはこの話を患者に読み聞かせ、その音声入力は左半球に向かう。そして、「解釈者」のメカニズムに誘導された左半球が回答を作成するよう、患者に言葉で回答してもらった。さて、分離脳患者は左の脳だけを使って一般的な道徳的判断を下せたのだろうか。
結果はノーだった。分離脳患者たちは、どちらのシナリオも道徳的に等しいと判断したのである。この実験結果からみて、こうした論理的判断のかかわる課題には、左右両方の大脳皮質が必要だと考えられるのだ。
しかし、この知見から新しい謎も生まれた。それは、分離脳患者の血縁者や友人たちが、患者の異常な判断や「心の理論」の破綻に気付かずに過ごしている点だ。実験では左右半球の連絡分断の影響が表に現れるが、日々の生活では、ほかの理論的判断機構がこの影響を補っているのではないかと、Millerのチームは推測している。彼は今後、この仮説を検証するつもりでいる。
分離脳を研究する機会が減りつつあるため、Gazzanigaは、過去の実験記録のデジタル化に精力的に取り組んでいる。なかには50年以上も前の記録もある。「1つ1つの場面がついこの間のように思い出され、感無量です」と彼は言う。「我々は、驚くようなことを実にたくさん見てきました。ほかの人にも、これらのビデオを通じて同じ体験をしてもらいたいですね」。きっと、ほかの研究者がさらに何か新しいことを見つけ出してくれるだろうと彼は話す。
研究対象になりそうな分離脳患者はほかにもいるだろうし、例えば実際にイタリアにも少数の患者がいる。しかし、画像化技術による研究と競合することや、分離脳に関する最大の発見の多くが自身の業績である点などから、Gazzanigaは、すでに分離脳研究の栄光の日々は過ぎ去ったことを認めている。「実験対象になる患者という面から見れば、この研究分野は終わりに近づきつつあります。でも、何もかもが終わったという気持ちには、まだなれません」。
確かに、まだ終わりはしないかもしれない。左右に分かれた脳の機能や接続性や連絡に関する新しい疑問に取り組もうとする研究者がいるかぎり、そして、Vickiや彼女の仲間たちが健在で、実験にまだ参加する意思を持っているかぎりは。長年にわたる実験や研究への協力は、決して自分のためだけではなかったとVickiは言う。「私は常に情報を提供する側でしたが、それらはきっとほかの人々に役立ってくれるでしょう」。
翻訳:船田晶子
Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 6
DOI: 10.1038/ndigest.2012.120616
原文
A tale of two halves- Nature (2012-03-15) | DOI: 10.1038/483260a
- David Wolman
- David Wolmanは、米国オレゴン州ポートランド在住のフリーランスライターで、最近刊行のThe End of Moneyの著者でもある。
参考文献
- Gazzaniga, M. S., Bogen, J. E. & Sperry, R. W. Proc. Natl Acad. Sci. USA 48, 1765–1769 (1962).
- Gazzaniga, M. S. Brain 123, 1293–1326 (2000).
- Gazzaniga, M. S. Science 245, 947–952 (1989).
- Sidtis, J. J., Volpe, B. T., Wilson, D. H., Rayport, M. & Gazzaniga, M. S. J. Neurosci. 1, 323–331 (1981).
- Franz, E. A., Waldie, K. E. & Smith, M. J. Psychol. Sci. 11, 82–85 (2000).
- Young, L. & Saxe, R. NeuroImage 40, 1912–1920 (2008).
- Miller, M. B. et al. Neuropsychologia 48, 2215–2220 (2010).
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