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福島の負の遺産

田尾陽一は、事故を起こした福島第一原子力発電所から約40 kmのところにある飯舘村で、シャベルを使って土を取り除く作業に精を出している。

これは、田尾の本職とはかけ離れた作業である。彼は大学では高エネルギー物理学を専攻したが、その後は会社の設立運営などを手がけ、現在は工学院大学(東京)の客員教授として情報セキュリティーシステムの講義をしている。2月のよく晴れた日の朝、彼と12人のボランティアは、地元の農家の人々とともに、放射性物質により汚染された田んぼの表面の土を厚さ数cmだけ取り除く作業をしていた。「表面の土が凍っているときには、板をはがすように簡単に除去することができるのです」と田尾は言う。田んぼの一画には穴が掘ってあり、その内側には吸着シートが敷いてある。彼らは、はぎ取った土をこの中に投げ捨てている。「春になると氷は溶けますが、放射性セシウムはシートに吸着されるため、外に漏れ出すことはありません」と彼は説明する。

ボランティアの大半は研究者で、自分たちのことを非公式に「ふくしま再生の会」と呼んでいる。彼らの車には、GPSとリンクさせたヨウ化ナトリウムシンチレーターとガイガーカウンターが積み込んである。臨時に作られたボランティアグループが、除染作業に役立つこのような装置を持っているのは、技術先進国日本の面目躍如といったところだろうか。

しかし田尾の活動には、別の側面もある。彼が飯舘村に来ているのは、彼を含めた多くの人々が、日本政府に対する信頼を失ったからだ。「震災をきっかけに、国民は政府から資金提供を受けている科学者を信用しなくなりました」と田尾は言う。「彼らが信用するのは、政府からの資金提供を受けずに活動する科学者およびそれに協力する人々なのです」。

日本で核の危機が始まってから1年が経過した今、Natureが接触した研究者たちは皆、今回の原発事故と原子炉がはらむ危険について、客観的な証拠に基づいて理解ができるだけの十分な知見が得られていると語った。こうした知見は、公衆衛生、環境除染、経済復興にかかわる決定のための情報源となる(『放射性物質の放出状況』参照)。しかし、事態の推移を見守る部外者だけでなく、一部の日本人批評家からも、「日本政府が市民からの信用を失ったことと、政治家たちが信用を取り戻そうとしてやっきになっていることが、除染と再定住に関する合理的な意思決定を難しくしてしまうのではないか」と懸念の声が上がっている。これは、原発周辺地域からの避難を余儀なくされた10万人以上の住民の未来と、この地域の数千億円規模の経済活動にかかわる大問題だ。

メルトダウン

2011年3月11日に、危機は起きた。太平洋の海底でマグニチュード9.0の地震が発生し、日本の海岸線に向けて、逆巻く水の巨大な壁を送り出した(「津波からの復興」参照)。当時、福島第一原発で稼働していた3基の原子炉は、地震発生とともに自動停止した。しかし、その41分後、防波堤を越えた大津波が原子炉建屋に押し寄せ、非常用発電機が水浸しとなり、原子炉の冷却システムを動かすための電源が喪失した。その間も、放射性崩壊により炉心の温度は上がり続けていた。制御室の作業員たちは、懐中電灯や近くの自動車からかき集めてきたバッテリーを使って、重要な設備を動かそうと奮闘した。しかし、それから数日のうちに、最後の非常用システムも稼働しなくなり、3基の原子炉はメルトダウンを起こした。この過程で水素ガスが発生し、やがて原子炉建屋内での水素爆発を引き起こした。そして、揮発性の放射性物質、特にヨウ素131とセシウム137が、大気中と海に拡散することとなった。

1986年にチェルノブイリ原子力発電所4号機の爆発事故が発生したとき、旧ソ連政府は徹底した情報管制を行った。しかし福島の原発事故は、これとは全くと言ってよいほど違っていた。日本政府は、事故発生から24時間以内に、放射線量の計測値の報告を始めた。その後、大学の研究者、自衛隊、各国のモニター、米国政府代表、田尾のように現状を危惧する市民が一斉に情報提供を始め、数日~数週間にわたって情報の氾濫が起きた。

「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR、ウィーン)のMalcolm Crick事務局長は、「情報量は多すぎるほどでした」と言う。国連から要請を受けた同委員会は、この半年間、どのデータがどこから来て、どのように較正されているかを確認してきた。2012年5月には、その予備的な知見を発表する予定になっている。Crickによると、今回放出された放射性物質の量やその行方、および原発作業員や一般市民の被曝線量などが、詳細に明らかにされるはずだという。

被曝限度量の引き上げが招いた不信

ドイツ連邦放射線防護庁(ミュンヘン)の物理学者で、UNSCEARの委員長であるWolfgang Weissは、福島第一原発の周辺住民が、迅速な避難と慎重なスクリーニングのおかげで健康被害を受けずにすんだことは明白であると言う。彼の同僚が事故後の早い時期に行った非公式な分析の結果からも、福島県の一般市民のうち、危険なレベルの被曝をした人は1人もいなかったことが示唆されている。

彼らの見解は、福島県立医科大学が2011年の夏に開始した県民健康管理調査でも裏付けられている。この調査では、約200万人の福島県民全員の健康状態を今後30年にわたってモニターすることになっており、782億円の予算が組まれている。2012年2月20日に発表された最新の調査結果によると、原発に近い地域の住民9747人のうち99.3%は、原発事故後4か月間の累積被曝線量が10ミリシーベルト(mSv)未満であった。被曝線量が最も多かった人でも23 mSvで、癌のリスクがわずかに高まるとされる被曝線量:100 mSvよりもはるかに少なかった。

しかし、原発事故が一般市民の健康に与える長期的な影響を明らかにするというこの大規模な取り組みの前に、「市民の不信」という大きな壁が立ちはだかっている。調査への参加が盛んに呼び掛けられているにもかかわらず、実際に参加している避難住民の割合はわずか21%にとどまっている。南相馬市と飯舘村からの避難住民を支援している福島市のNPO法人シャロームの大竹静子代表は、「私がここで出会った人々のほとんどが、質問票への記入を拒否しています。彼らは政府を信用しておらず、『これはモルモット実験と同じだ』と言っています」と言う。

原発事故直後の混乱した日々が、国民の不信を芽生えさせることになった。当局の説明は二転三転して、彼らが発表する放射線量の計測値もしばしば訂正された。原発から放射性物質が広がり始めると、政府は住民と原発作業員の被曝限度量を繰り返し引き上げざるを得なかった。限度量を引き上げないと、法的に直ちに避難させなければならないレベルになってしまっていたからだ。その結果、国民は、政府は道徳的に腐敗している、あるいは無能であると考えるようになった。多くの人が「政府の言うことはころころ変わる」と感じていると大竹は言う。

アルゼンチンの原子力規制機関(ブエノスアイレス)の放射線防護の専門家であるAbel Gonzalezは、日本政府が被曝限度量を引き上げざるを得なくなったのは、当初の基準を、原発事故やそれに伴う緊急作業で被曝線量が高くなる可能性を想定しない国際基準に基づいて、決めていたからだと言う。明確なガイドラインがない中で、日本政府が作業員に仕事を続けさせて原発を制御下に置くためには、被曝限度量を引き上げるしか方法がなかったのだと彼は指摘する。このやり方の欠点は、「事故の最中に管理限度を緩めると、途端に信用を失ってしまう」ことだ。

失われた信用を取り戻すべく、日本政府は、これまでで最も徹底的に、そして最も多額の費用をかけた除染活動を計画しているが、一部の専門家は、この計画は非現実的だと見ている。2011年の秋、日本政府は、警戒区域や計画的避難区域のできるだけ広い範囲で、原発事故による追加被曝線量が年間1 mSv以下になるようにするという目標を掲げ、除染計画を発表した。しかし、この目標値は、原発が正常に稼働しているときの被曝線量の国際基準に基づくものであって、原発事故後を想定したものではない。

原発事故のベテランの目から見ると、年間1 mSv以下という目標など、到底達成できるものではないという。福島県は、山が多く樹木が生い茂っているというのが主な理由である。「チェルノブイリでの経験からすると、最も効果的な除染方法は、土の表面から深さ1 mのところまでを、文字どおりひっくり返してしまうことです」とWeissは言う。「しかしそんなことをしたら、生態系が完全に破壊されてしまいます」。

当局もこの点については理解しており、福島県内でさまざまな除染方法の試験を始めている。なかでも目立つのは、日本原子力研究開発機構(JAEA、茨城県東海村)が2011年11月に始めた、推定予算109億円の除染技術実証試験事業である。JAEAは、大成建設、大林組、鹿島建設という3つの主要な建設会社が率いる共同企業体に除染事業を委託した。この共同企業体は、現在、住民の大半が避難したままである11の市町村の除染のために、さまざまな技術の実証試験を進めている。

「除染作業によって出た廃棄物から放射性セシウムを除去するために、各社は、既存の技術を利用した新しいアイディアを次々と提案してきています」と、JAEAの福島環境安全性センターの中山真一副センター長は言う。例えば、道路にこびりついた放射性セシウムは、高圧洗浄機で洗い流しても、汚染水が道に広がるだけで本当に除染したことにはならない。そこで、技術者たちはこのシステムを改良し、汚染水を回収し、浄化して、再利用できるようにした。

被災地の自治体の多くは、自分たちの力で除染問題に対応している。彼らは、田尾のような独立の研究者の助けを借りて汚染された土壌を除去したり、そのほかの除染作業を行ったりしている。しかし、除染活動の中心となる処理施設がないため、現在の除染は、新たな放射性廃棄物を生み出すことになっている。「放射性廃棄物を外に運び出すことは許可されていないので、彼らは自分の所有地に穴を掘って、すべてを埋めているのです」。

チェルノブイリ原発事故の影響を調べてきたウクライナ国立戦略研究所(キエフ)の放射線生態学者Oleg Nasvitは、政府が無謀な除染目標を掲げると、それによって国民が不必要な恐怖を抱くようになり、避難者が不利益をこうむるおそれがある、と指摘する。1986年、旧ソ連当局は、チェルノブイリ原発事故による追加被曝線量が5 mSv/年を超える地域の住民に「強制避難」の指示を出した。避難者は移住に苦労しただけでなく、その多くが、「汚染地域から来た人々」という汚名をきせられた。「率直に言って、この措置は住民に恩恵をもたらすどころか、多くの不利益をもたらしました」と、彼は言う。

住民の被曝線量を少なくしようとする日本政府の取り組みは、すでに福島周辺の経済活動への打撃という形で裏目に出ている。厚生労働省は2012年4月から、野菜、穀物、およびその他の食品に含まれる放射性セシウム濃度の許容基準を、1 kg当たり500ベクレル(500 Bqkg-1)から100 Bqkg-1へと引き下げようとしている(『被曝線量限度と食品中の放射性物質の許容基準』参照)。しかし、東京大学放射線植物生理学研究室の中西友子は、放射性物質濃度が500 Bqkg-1以下の食品が人体に悪影響を及ぼすことはないと言う。そのうえ、福島第一原発から放出された放射性物質の影響が小さい地域で生産された食品も、以前から環境中に存在していた放射性物質のせいで、厳しい新基準値を上回ってしまうおそれがあるという。例えば、原発から200 km以上も南に位置する千葉県で生産された一部のキノコの放射性物質濃度が100 Bqkg-1を超えていたが、その放射性同位体の存在比は、福島の原発事故ではなく、1950年代から1960年代の大気圏核実験、ないしはチェルノブイリ原発事故で放出された残留放射性物質の特徴を示していた。

福島県は日本を代表するコメの生産地である。農林水産省は当初、平成23年産のコメの放射性セシウム濃度が100 Bqkg-1を超えた土地での作付けを禁止することを検討していた。東京大学の中西らは、厳しすぎる安全対策は、被災地の農業の復興を妨げるだけでなく、科学的データの収集も不可能にするおそれがあると危惧している。「将来、この土地がどうなるかを予測するためには、稲作を続けることが非常に重要です。平成23年産のコメに高濃度の放射性セシウムが検出された水田でも、平成24年産のコメに同じことが起こるかどうか、まだわかっていないのです」。

農林水産省は、最近、農家からの強い要請を受けて、放射性セシウム濃度が100 Bqkg-1を超えるコメが流通しないように市町村が対処するという条件付きで、福島県内の大部分の地域でコメの作付けを許可することを決定した。しかし、平成23年産のコメの放射性セシウム濃度が500 Bqkg-1を超えた地域では、実験的な作付けだけを許可する予定である。

2012年4月には、環境省が、国としての除染プログラムを本格的に開始する。このプログラムは、予算9900億円の復興ロードマップの中心となるもので、環境省は、科学的な裏付けのあるものにしたいと考えている。除染ロードマップを策定した牧谷邦昭は、「政府主導の除染技術実証試験事業からのフィードバックだけでなく、ほかの科学的データも利用して、詳細な計画を立てたいと考えています」と言う。環境省はすでに、極端な高線量地域や低線量地域よりも、中線量地域の除染を優先することを決定している。これは、除染により最大の利益を受ける地域を優先する動きと見ることができ、除染プロジェクトをより信用できるものにするとNasvitは言う。

現時点では、避難住民の帰宅の許可について、明確な計画はない。政府の目標は、避難住民が帰宅したときに年間被曝線量が1 mSvを超えないようにすることだが、これは厳格な規則ではない。原発から20 km圏の警戒区域の外側で、年間被曝線量が20 mSvを超えるおそれのある計画的避難区域では、希望者は帰宅することができる。しかし、学校をはじめとする多くの公共施設は、いまだ再開をしていない。Nasvitは、その地域の年間被曝線量が20 mSv以下なら、住民は帰宅するべきだと考えている。Gonzalezも同じ考えで、世界には年間自然被曝線量が10~100 mSvになる場所もあると指摘する。

しかし、東京大学アイソトープ総合センターの児玉龍彦所長は、どの数値までなら安全か、そう明確に区切れるものではないと考えている。「年間被曝線量が1~20 mSvの地域ではどのようにすべきか、さまざまな解釈があります」と彼は言う。けれども彼は、どの道をとるべきか、最終的に選択するのは住民であるという点には同意する。「住民の考えを尊重することが何よりも大切です。我々は、彼らの決定に基づいて計画を進めなければなりません」。

UNSCEARのパネルに参加している放射線科医のFred Mettlerも同じ意見だ。必要なのは、厳しい数値や上限を設定することではなく、柔軟な議論である。「我々は人々に、そこに何があり、どんな結果になったかを伝えます。そのリスクを受け入れるかどうかは、彼らが決めることなのです」。

(翻訳:三枝小夜子)

放射性物質の放出状況

原発事故発生から1年が経過した今も、原子炉と周辺環境の危険はまだ去っていない。

福島第一原発の原子炉

原発事故直後、作業員は、過熱してしまった原子炉を冷却するために、消防車をポンプ代わりにして海水をかけることしかできなかった。しかし現在では、状況は劇的に改善している。冷却水は腐食性である海水から真水に変わり、さらに冷却に使われた水はろ過装置で放射性セシウムを除去した後、再び冷却に用いられている。

このシステムは、それなりによく機能しているようである。2011年12月、震災発生時に稼働していた3基の原子炉の温度がいずれも100℃を下回ったことを受け、当局は、原発が「冷却停止状態」になったと発表した。しかし、危険が去ったわけではない。冷却システムからの水漏れは相次いでいる。ある日本人研究者は、最近の地震活動は次の地震の予兆かもしれず、これにより原発が再び危機に陥るかもしれないと警告している。

日本政府は、福島第一原発以外の原子力発電所の再稼働にあたり、安全性を評価するために、いわゆる「ストレステスト」の実施を決めた。しかし、国内に54基ある原子炉のうち、現在稼働しているのは2基のみである。

周辺環境

福島第一原発からの大気中への放射性物質の放出は止まった。海に放出された放射性物質は、ほとんど影響を及ぼすことなく拡散したようである。しかし、一部の生物は、いまだに原発から放出された放射性物質を体内に蓄積し続けている可能性がある。

一方、森林総合研究所(つくば)の研究者は、原発から26 kmの場所にある福島県川内村のミミズから、1 kg当たり2万Bq近い放射性セシウムを検出した。また、サウスカロライナ大学(米国コロンビア)の放射線生態学者Tim Mousseauは、福島県内の鳥の個体数が3分の1ほど減少したようだと言っている(A. P. Moller et al. Environ. Pollut. 164, 36-39; 2012)。さらに、ウッズホール海洋研究所(米国マサチューセッツ州)の海洋化学者Ken Buesselerは、海に放出されたプルトニウムと放射性ストロンチウムは、原発付近の海に生息する魚類や底生生物に取り込まれているようだとしている。

G.B. & I.F.

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2012.1205s05

原文

Japan's nuclear crisis: Fukushima's legacy of fear
  • Nature (2012-03-08) | DOI: 10.1038/483138a
  • Geoff Brumfiel & Ichiko Fuyuno