クラゲ大襲来
昨年の夏、フロリダ東岸に命知らずのサーファーたちが集結した。沖合にはハリケーンが連なり、浜辺には次々と大波が打ち寄せていた。だが、サーファーたちは、岸に向かって迫り来るもう1つの危険な怪物は予想もしていなかった。それは、毒のとげを持つミズクラゲ。中には大きさが自転車の車輪ほどのものもあった。ゼラチンの塊のようなクラゲの群れは密度がきわめて高くなっていて、取水口が詰まる危険性が出たため、フロリダ原子力発電所が操業を一時停止したほどだった。
同じ年、フロリダに先立って、イスラエルやスコットランド、日本でも、同じようなクラゲの群れの襲来によって発電所の停止を余儀なくされている。日本近海に押し寄せた巨大なエチゼンクラゲ(Nemopilema nomurai)は、重さが200kgにもなるものもあり、漁業の妨げになるばかりか、船を転覆させるなど、近年この海域で被害を続出させている。さらに、チュニジアやアイルランドでは、クラゲが養魚場の魚に損害をもたらしており、地中海などでは、クラゲの群れが侵入しないよう、当局がネットを設置している。
一部の科学者や環境保全論者は、「人類が海の生態系のバランスを壊して世界中でクラゲを激増させている」と主張しており、実際、近年世界各地で増加しているクラゲの大発生は、こうした警告を裏付けているようにもみえる。(ちなみに、「クラゲ」というのは、典型的な刺胞動物のほか、有櫛動物〈クシクラゲ類〉や被嚢動物といった浮遊性生物を含めた約2000種の総称だ。)しかし、多くの海洋生物学者は、クラゲが海を支配し始めたという考え方には、懐疑的な姿勢をとっている。
今年2月、ある研究チームが、クラゲの個体数に関して、おそらくこれまでで最も包括的に検討し、前段階ではあるが得られた結果を発表した1。それによると、世界的に増加傾向にあるクラゲの個体数に関して、現在導かれている結論は、どれも容認に至るほど十分な裏付け証拠はないという。この研究の中心となったドーフィン・アイランド海洋研究所(米国アラバマ州)の海洋学者、Robert Condonは、「今はまだ、こうした主張を行う時期ではありません。我々はこうした論理が形成された経緯を調べたのですが、実は確かなデータや徹底的な分析に基づいていなかったのです」と語る。
研究チームによれば、クラゲは研究対象としては非常にやっかいな生き物で、そのために海洋生物学者の注目を集めることがほとんどなかったのだという。クラゲの生活環や集団、自然海洋学的サイクルに対する応答に関しては、全くといってよいほどデータがないのだ。しかし、クラゲは海の健全性を表す重要な指標として利用することができるため、クラゲ研究のデータベースの構築と、クラゲの新たな追跡法の探求が進められている。
南ミシシッピ大学海洋科学科(米国ダイヤモンドヘッド)の学科長Monty Grahamも、10年以上前にはクラゲの増加に警鐘を鳴らしていた。Grahamは現在、クラゲの増加に関する理論に疑問を投げかけている。
1996年にドーフィン・アイランド海洋研究所に加わったGrahamは、米国海洋大気庁が、メキシコ湾のミズクラゲ(Aurelia aurita)とアトランティックシーネットル(Chrysaora quinquecirrha)に関して、ほとんど未解析の長期個体数データを持っていることを見つけた。そのデータはまさに掘り出し物だった。こうした長期的な記録はほとんど存在していないからだ。Grahamは、1985年から1997年にかけて湾内の複数の場所でこれらのクラゲの生息域が拡大して個体数が増加していることを発見し、人類が生態系に手を加えたことが原因である可能性を示唆した2。
似たような知見が彼の説を後押しした。数年以上の追跡記録がある海域はごく限られているが、その1つであるベーリング海でも、クラゲは1990年代に増加している。そして、それを予測していた海洋学者からは、人類が海洋環境を悪化させて生態系を変化させているせいで、大型の魚類が減り食物網下位の生物が増えている、という警告が発せられた3,4。一方で、その恩恵を受けているのは、藻類や有毒のプランクトン、それにクラゲだろう。いわば、海がヌルヌルドロドロになろうとしているのだ。
寄せては返す
J. GUEZ/AFP/GETTY
海洋環境の悪化とクラゲとの関係は、生物学的にありうる話だ。海洋の富栄養化はクラゲへの食物供給量を増加させ、魚の獲り過ぎはクラゲの生存競争相手を減少させる。また、ある種のクラゲでは海水温の上昇が生殖の引き金になると考えられている。
論文発表でヌルヌルドロドロ説が勢力を拡大する中で、メキシコ湾では奇妙な現象が発生していた。1997年以降、湾北部のクラゲが数年にわたって減少し、その後増加に転じたことを、Graham研究室の大学院生Kelly Robinsonが発見したのだ(2月2日現在、その研究成果は発表されていない)。
やがて、メキシコ湾やベーリング海のクラゲを調査している研究者は、長期的な自然の気候サイクルがクラゲの個体数の制御に重要な役割を担っている、と考えるに至った。今ではGrahamも、「クラゲをたくさん見たって何もわかりませんよ」と話す。「皆、『なんていうことだ! 世界はもう終わりだ!』と言いますが、クラゲは真っ盛りです。繁栄するべくして繁栄しているのです」。研究で難しいのは、正常な変動と人間に責任がある変動とを区別することだ。
Grahamをはじめとする研究者は、研究を後戻りさせることにした。2009年、カリフォルニア大学サンタバーバラ校生態学分析総合センター(米国)は、Graham、Condon、および地中海高等研究所(スペイン・マリョルカ)の海洋生態学者Carlos Duarteに資金を提供して作業グループを設立させた。数十人の研究者が参加するこの作業グループは、クラゲに関する世界中の科学的データをすべてまとめあげた。さらに、予備調査を行い、世界的にクラゲが増えているという結果を支持することはできない、と結論付けた1。その理由は、綿密な監視が行われている海域はわずかしかなく、その海域でさえデータが十分でないためだ。
クラゲが多くの研究者たちに見向きもされてこなかったのは、取り扱いがあまりにも大変だということが一因だった。普通の網ではクラゲをずたずたに引き裂いてしまうため、無傷でクラゲを集めるには思い切った手段が必要なのだ。また、広島大学の海洋生態学者、上真一によれば、大相撲の力士よりも重いクラゲすらおり、小さな調査用ボートが転覆しないよう注意深く操作して、ようやく標本が1体、手に入るのだという。
さらに困ったことに、クラゲの仲間の多くは生活環が複雑だ。ミズクラゲをはじめ、いくつかの種は、有性生殖で生じた幼生が海底に根付き、イソギンチャクのようなポリプという姿になる。条件がそろうとポリプは芽を出し、1つのポリプから浮遊性のクラゲ20体が作られる。一方、条件が合わなければ、ポリプはポリプのまま数を増すか、さもなければ悪環境や環境変化に強いシストを形成し休眠状態になる。やがて環境が好転すると、ポリプは満を持してクラゲの大群を送り出すため、どこからともなくクラゲが侵略してきたかのように見えるのだろう。
ワシントン大学フライデーハーバー研究所(米国)でクラゲを研究しているClaudia Millsによれば、一握りの例外を除き、巨大クラゲの大発生をもたらすポリプのコロニーは「実に発見しづらい」のだという。Millsは、上述のクラゲ増加に関する理論の検討グループの一員であり、地球規模の大発生の可能性を調べたさきがけの1人だ。Millsによれば、大発生の引き金は季節的な温度変化と結びついているといい、海水温上昇がクラゲの個体数の急激な増加の原因である可能性があると発表している5。
一方で、クラゲの爆発的発生という考え方に疑問を投げかけている研究者の多くは、大発生が常態化してきている可能性や、少なくとも部分的には人間のせいである可能性も排除できないと考えている6。例えば日本では、長期的な記録から、2000年以前には40年程度の間隔でしか大発生が起こっていなかったと考えられるが、今ではほとんど毎年のように生じている7。さらに、大発生の源と考えられている中国近海では、水産資源の乱獲によってエチゼンクラゲの主な生存競争相手が著しく減少している。
だがそれ以外では、傾向がはっきりしないことが多い。そこで、作業グループの研究者たちは、2010年にクラゲデータベースイニシアチブ(JEDI)を発足させ、クラゲに関するあらんかぎりの科学的記録をかき集めて、そのリソースを継続的に拡張しようと試みている。また、一部の研究者は、一般からの力も借りようとしている。モンテレー湾水族館研究所(米国カリフォルニア州)が開設したJellywatch.orgというウェブサイトは、研究者と市民がクラゲの目撃情報を報告し、JEDIのデータベースの充実に貢献できる。政府間の地中海科学委員会(モナコ)も、関係海域で同様の活動を開始した。
隠されたデータ
ISTOCKPHOTO
長期的な研究は行われていないが、重要な問題の一部に関しては答えられるだけの証拠があると考えている研究者もいる。ブリティッシュ・コロンビア大学(カナダ・バンクーバー)で漁業生物学を研究する大学院生のLucas Brotzと指導教官のDaniel Paulyは、地元の人たちや研究者のインタビューといった、1950年以降の大発生パターンに関するマスコミ報道やその他の非科学的データを分析した。Brotzらは、情報量と情報の信頼性を組み合わせるランキングシステムというファジー論理を利用して、研究には理想的とはいえないデータセットに見られる傾向を明らかにした。その結果、検討の対象とした45海域のうち31海域で、クラゲが増加していた。「我々のデータからも明らかに、マスメディアによる報道や未確認の混沌としたあやふやな情報は、実は科学的データと突き合わせることが可能で、本当にクラゲが増加しているのかどうかを確かめることができるのです」と、Paulyは胸を張る。この手法については、Grahamやほかの研究者たちも高く評価はしているが、やはりそうした情報は適切でないと主張する。
今年2月、クラゲ増加の検証チームは、JEDIの全データベースの分析を開始した。これは、研究者が漁業者と協力してクラゲの集団を監視しているペルーや日本などで、活動が進展していることに触発されたものだ。しかし、それでも研究者たちは、地球全体の状況を把握するためには、さらに多くの監視活動を開始させる必要がある、と警告する。
こうした活動が実施されれば、研究者たちはクラゲの包括的なデータセットを利用して、海がどのように変化しているのかを明らかにすることができるだろう。クラゲは、これまで人間がほとんど相手にしてこなかったため、環境の理想的な指標になる、とGrahamは語る。「クラゲは海、そして海の健全性の偉大なる証人なのです」。
翻訳:小林盛方
Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 5
DOI: 10.1038/ndigest.2012.120514
原文
Attack of the blobs- Nature (2012-02-02) | DOI: 10.1038/482020a
- Mark Schrope
- Mark Schropeは米国フロリダ州メルボルン在住のフリーランスライター。
参考文献
- Condon, R. H. et al. BioScience 62, 160–169 (2012).
- Graham, W. M. Hydrobiologia 451, 97–111 (2001).
- Pauly, D., Christensen, V., Dalsgaard, J., Froese, R. & Torres, F. Jr Science 279, 860–863 (1998).
- Jackson, J. B. C. Proc. Natl Acad. Sci. USA 105, 11458–11465 (2008).
- Mills, C. E. Hydrobiologia 451, 55–68 (2001).
- Purcell, J. E. Annu. Rev. Mar. Sci. 4, 209–235 (2012).
- Uye, S. Plankton Benthos Res. 3, S125–S131 (2008).