Editorial

東日本大震災の教訓

2011年3月11日、大規模な地震と津波が東北地方の太平洋沿岸部を襲った。その津波は、18時間後に南極に到達して特大の氷山を誕生させたほど巨大だった。日本では、死者および行方不明者が1万9000人を超える大災害となり、福島第一原子力発電所では炉心溶融事故が引き起こされた。Nature 2012年3月8日号では、東日本大震災に関して、この1年間で明らかになった事実と課題を詳しく紹介している。

地震と津波の大きなリスクを抱える日本は、ほかのどの国にも増して防災計画に力を入れてきたが、今回の災害が未曾有の複合災害であったこともあり、万全な対応をすることはできなかった。ただ、科学者、技術者、救急関係者の働き、そして、一般市民の地震に対する備えがなかったならば、死者の数はさらに膨れ上がったに違いない。

今回の災害への対応には、よかった点もあれば悪かった点もある。そこから見えてくるものが、地震、津波、その後の原発事故からの復興をめざす日本の今後の指針になるはずだ。

対応の成功と失敗

まずは、地震と津波への対応のうち、うまくいった点に目を向けよう。地震そのものを原因とする死者が比較的少なかったことは、日本の厳格な建築基準や緊急警報システムが優れたものであることを証明している。気象庁が地震発生から3分以内に津波警報を発令したことも称賛に値する。地震発生当初はその規模を過小評価してしまったものの、津波警報によっておそらく数十万人の人々が津波から生き延びることができた。

一方、失敗した点については、まず、日本の科学者と当局が、東北地方の沿岸部が大規模な地震と津波に襲われる可能性を示唆する過去の地震の痕跡を見落としていたことが挙げられる。それにより、沿岸部の各都市や福島第一原発などの重要施設では、十分な防災体制をとることができていなかった。また、気象庁は地震発生当初、地震と津波の規模を過小評価したため、迫り来る危機を十分に伝えることができなかった。東日本大震災の生存者に関するある調査結果によれば、津波警報を聞いても直ちに避難を始めなかった人が全体の40%を占めていた。

さらに日本は、持っていた技術を最大限に活用できなかった。東北地方の太平洋沖に設置された水中センサーは、50 km沖に迫った津波を検知していた。しかし、この検知結果を活用するための仕組みがなく、貴重な時間が失われてしまった。気象庁が当初の過小評価を修正したとき、すでに沿岸部は津波に襲われていた。

改善すべきこと

ただ、今回の災害で、改善すべきことも含めて見えてきたことがたくさんある。現在、東北沿岸地域では、次の津波に備えて、危険地帯をどう設定するか、物理的な防御施設をどうするかという検討が進められている。地球科学者は、日本の地震史の解明をさらに進め、地盤変動を常時把握し、大きな被害をもたらす地震が予測される地域を見つけ出す必要がある。また社会科学者は、今後の地震にどう備えるべきかを知るために、地震発生前および発生時の災害情報に対して人々がどのような行動をとったのか、調査する必要がある。

さらに、東北地方の復興計画とほかの沿岸地帯の防災体制の強化のためには、巨大津波が襲来した場合に地域に及ぼす影響のシミュレーションを見直す必要がある。このシミュレーションの作成にあたっては透明性を確保し、外部専門家による検討なども可能にすべきである(「津波からの復興」参照)。また、日本と米国は、大きな損害をもたらす津波を予想するセンサーシステムの改良に着手しているが、これまで以上に迅速なデータ解析を行うことが求められる(「次の津波に備える」参照)。

地震学者の金森博雄(かなもり ひろお)は、津波予報官は、地震が起こっている間にその規模と機構の両方を分析する能力を高めていかなければならないと指摘している(「地震研究の成果を最大限に活かすために」参照)。地質学者Thorne Layは、過去10年間に世界で相次いだ巨大地震により、地震学で欠落していた多くの知識が得られつつあることを示している(「想定外の巨大地震がなぜ続くのか」参照)。

また、福島原発事故をきっかけに、各国が原子力政策の見直しを行っているが、エネルギー政策の専門家Peter Bradfordは、賢明な政策立案の重要性を指摘している(「原子力発電を取り巻く情勢」参照)。

福島原発事故

福島原発事故もまた、日本の長所と短所を浮かび上がらせた。日本政府は現場の混沌とした状況にもかかわらず、福島第一原発から半径20 km以内に居住する数万人の人々を数時間以内に避難させた。こうした迅速な対応により、住民の大部分が大量の放射線被曝を免れたであろうことが、複数の健康調査から示されている。これらの健康調査もまた、日本の強さ、つまり政府が原発事故の影響を受けた地域と住民に関する広範な調査の実施能力を持っていることを、明確に示している。

福島第一原発では、高い技能を持つ従業員が現場にとどまって、被害拡大の抑制に成功した。危機発生直後数時間の杓子定規な対応によるつまずきばかりがクローズアップされがちだが、高度な訓練を受けた従業員は、原発施設内部の停電という条件下にありながら、原子炉への注水と中性子を吸収するホウ酸の注入を敢行した。その後、科学者と技術者たちは、限られた時間の中で冷却水の除染のためのろ過装置を作り上げた。放射性物質の漏出や停電が繰り返し起こり、決して完璧とはいえないシステムだったが、それでも見事な解決策だった。

このように、現場の技術的な対応には高く評価できる点があった反面、政府がこの緊急事態の危険性を十分に伝える努力をしなかったという事実は厳然として残っている。事故発生当初、政府高官は、この危機的状況を控えめに扱った。後に炉心溶融事故の全容が明らかになっても、放射線量測定値の報告書が脈絡のない形で発表され、内容の誤りもあった。それに加えて、政府は一部の情報の発表を怠った。放射性物質の拡散をリアルタイムで示す緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の一般公開は、事故発生から12日後である3月23日まで差し止められていた。

このように、2011年3月11日の日本観測史上最大の地震、その後発生した津波、それにより引き起こされた福島原発事故は、日本のさまざまな側面を浮かび上がらせた。特に大きいと思われるのは、福島原発事故に関してずさんで不十分な公表がなされ、政府と科学者に対する不信感が国民の中に植え付けられてしまったことだ(「福島の負の遺産」参照)。政府の過ちから生まれたこの不信感は、簡単に消えることはないだろう。日本が今回の危機から学び、立ち直るためには、この不信感を乗り越えていくことが最大の課題となるかもしれない。

翻訳:菊川要、三枝小夜子、再構成:編集部

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2012.1205s02