Editorial

チューリング生誕100周年

この夏、ロンドンオリンピックが開催されるが、人類史上最高の知性の1人とされるアラン・チューリングが、優れたマラソン・ランナーであったことを知る人は少ない。コンピューターのパイオニアで、第二次世界大戦中は暗号解読に従事した博識家のチューリングは、1912年6月23日にロンドンで生まれた。もしけがをしていなければ、1948年のロンドンオリンピックにマラソンの英国代表として出場していた可能性が高い。彼の自己最高記録は2時間46分で、その年の金メダリストと11分しか違わなかったからだ。

彼の誕生日から100年と1か月後の今年7月、ロンドンで再びオリンピックが開催される。このエピソードは、知の巨人とその科学的業績について、改めて見直してみるよい機会であることを教えている。それが、Natureが2012年2月23日号でチューリングの特集を組んだ理由でもある(455ページ以下のチューリング特集とwww.nature.com/turing参照)。

チューリングのマラソン記録は彼の身体能力の高さを定量的に示す。しかし、彼のたぐいまれな科学的才能と功績を測るとなると、そう簡単にはいかない。チューリングの伝記を執筆したオックスフォード大学の数学者Andrew Hodgesは、同号441ページで、そのことを指摘している。コンピューターの開発においてチューリングが果たした役割については議論があるが、チューリングの知性の普遍性と多様性については、科学の世界では万人が認めるであろう。

チューリングの業績は並外れて広い。数学の分野では、ダフィット・ヒルベルトによる決定問題(Entscheidungsproblem)に答えを出した。暗号作成者と歴史家の間では、ナチスドイツの「エニグマ」暗号を解読して、第二次世界大戦の早期終結に貢献した人物として知られる。工学分野では、デジタル時代と人工知能の生みの親と見なされ、生物学では形態形成の理論の提唱者、物理学では非線形力学のパイオニアとなった。ただ、哲学の分野では、論理と直観の限界に関する指摘から、眉をひそめる人も少なくない。1947年のロンドン数学会における講演で、チューリングは「機械に完全無欠を求めるなら、その機械は知的にはなり得ない」と言い切った。

チューリングは、自分自身が直接行った実験結果、鋭い観察、厳密な理論と実用的な応用を組み合わせることに抜群の能力を発揮した。彼の分野横断的な研究手法だけを見ても、Natureに論文を書いていておかしくないと思う。しかし、純粋数学、コンピューター科学、人工知能などに関する最高の論文がNatureには1つも残されていない。我々はそれを残念に思う。

チューリングの功績を調べ、一連のComment論文(同号459ページ以下)を執筆してくれた研究者も同じ思いだろう。これらの解説論文は、それ自体が示唆に富むだけでなく、チューリングの原著論文(例えば、B. J. Copeland (ed.) The Essential Turing; Clarendon, 2004)への橋渡しになるはずだ。チューリングの論文は、知的概念を深く厳密に突き詰めながらも、なお読みやすさと明快さを備えており、まさに論文のお手本と言えるものだ。そして、物理学と生物学における対称性の比較、知能におけるランダム性、組織化されていない機械における学習など、さりげないコメントが宝石のようにちりばめられている。

チューリングの知性は、まさに彼独特のものであり、それが彼の人生の悲劇の一因となった。彼は、同性愛を理由に英国当局から迫害され、41歳のとき、青酸を使って自殺した。

今年2012年は、全世界でチューリングの記念行事が数多く行われる(例えば、www.turingcentenary.eu参照)が、その大部分はボランティアによって進められている。これは2005年の世界物理年と対照的だ。あのときは、アインシュタインが4編の画期的な論文を発表した「奇跡の年」の100周年を讃えるためにドイツ政府が支援した。

2012年のアラン・チューリングの年は、どう名付ければよいのだろうか。Natureは、「インテリジェンスの年」としたい。最も優れたタイプのインテリジェンス、すなわち、人間の知能・人工知能・軍事情報活動という分野において、まさに世界を変える貢献を果たしたのは、多分チューリングだけと思われるからだ。

翻訳:菊川 要

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 5

DOI: 10.1038/ndigest.2012.120528

原文

Turing at 100
  • Nature (2012-02-23) | DOI: 10.1038/482440a