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インフルエンザ伝播の研究は急務である

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 4 | doi : 10.1038/ndigest.2012.120407

原文:Nature (2012-02-09) | doi: 10.1038/nature10884 | Flu transmission work is urgent

河岡義裕

H5N1鳥インフルエンザ研究をめぐり、議論が巻き起こっている。インフルエンザ研究者、河岡義裕は、インフルエンザのパンデミック(世界的大流行)を防ごうとするなら、 哺乳類で伝播する鳥インフルエンザウイルスの研究を継続することが必要だと主張する。

1997年、香港で、高病原性H5N1鳥インフルエンザウイルスによる初めての死者が出た。2003年以降、578件のH5N1ウイルス感染例が確認されており、それによる死者数は累計340人に上る。H5N1ウイルスは現在、東南アジアおよび中東の一部に広がっており、家禽などの殺処分も含めると何億羽という鳥が死亡している。

現在までのところ、ヒトの間でのH5N1ウイルスの伝播は見られない。専門家の中には、H5N1ウイルスはヒトの間で伝播するようにはならないと考える向きもある。しかし、いったんパンデミックが起こった場合に想定される種々の影響を考えると、H5N1ウイルスがヒトの間で伝播するようになるかどうかを知ることはきわめて重要である。我々のチームによる研究(Natureで論文受理)、および、エラスムス医療センター(オランダ・ロッテルダム)のRon Fouchierのチームによる別の研究(Scienceで論文受理)の成果は、H5N1ウイルスが哺乳類において伝播する可能性があることを示唆している。現在、この種の研究を行うことやその成果の公表に伴うリスクが議論されているが、私は、高病原性鳥インフルエンザウイルスの伝播に関する研究は緊急の課題として進めるべきだと考えている。

私の研究チームは、ヒトからヒトへH5N1ウイルスが伝播する可能性を見極めるため、H5N1ウイルスのH5亜型の赤血球凝集素(HA)遺伝子と、2009年にパンデミックを起こした新型H1N1インフルエンザウイルスに由来するそのほかの遺伝子とを組み合わせたウイルスを作製した。鳥のH5N1ウイルスと、ヒトで大流行した2009年のウイルスは、実験条件下で容易にハイブリッドウイルスを作る。また、ヒト由来ウイルスの遺伝子は、ウイルスが哺乳類体内で効率よく増殖するのに重要である。我々は、HAに変異を持つ上述のH5 HA/2009ハイブリッドウイルスが、ウイルスを感染させたフェレットから別のケージに入れた未感染フェレットに、飛沫を介して伝播することを確認した(フェレットは哺乳類でのインフルエンザウイルスの伝播を調べるためのモデルとして使われる)。つまり、H5 HAタンパク質を持つウイルスは哺乳類の間で伝播しうるのだ。

我々の研究結果からは、哺乳類において伝播するH5 HAを保有するインフルエンザウイルスがすべて致死的ではないことも明らかになった。フェレットでは、我々の調べた変異H5 HA/2009ウイルスの病原性は、2009年のウイルスと同等以下であり、感染させたフェレットは1匹も死ななかった。さらに重要なことに、ワクチンや抗ウイルス薬がこの変異ウイルスにも有効なことがわかった。

Fouchierの研究チームも同様に、哺乳類において伝播するH5 HAを持つウイルスを作製した。つまり、H5 HAを持つウイルスがフェレット間で伝播可能なことを、2つのチームが独立に実証したわけである。ただし、Fouchierたちの変異H5 HAウイルスは、H5N1ウイルスをもとにして作製されており、感染したフェレットは死亡した。

この種の研究は、研究から得られる恩恵よりも、ウイルスの悪用や流出事故などのリスクのほうが大きい、と考えている人もいる。それに対しては、自然界に広まっているH5N1ウイルスがすでに脅威になっていると反論したい。なぜなら、インフルエンザウイルスは絶えず変異しており、パンデミックを起こして大勢の死者を出す可能性があるからである。20世紀には、鳥由来のインフルエンザウイルスによる「スペイン風邪」のために、2000万~5000万人が命を落とした。哺乳類の間で伝播するH5N1ウイルスが自然界で出現する可能性がある以上、その出現のメカニズムを研究しないことのほうが無責任であると私は思う。

今回の研究は、パンデミックに対する備えにも関係してくる。H5ウイルスに対するワクチンの開発・製造・配布を促進させることや、抗ウイルス薬の備蓄を早急に進めることが求められる。2つの研究からは、H5 HAを保有するウイルスがフェレットで伝播するようになるのに必要なHAの変異が明らかになった。これらの変異の一部は、特定の国に広まっているH5N1ウイルスですでに検出されている。したがって、哺乳類において伝播するようになった場合に撲滅活動やワクチン株の選択などの対応策を講じられるよう、こうしたウイルスを厳しく監視することが必須である。

以上のことから私は、今回の2つの研究成果のもたらす恩恵、つまり、H5 HA保有ウイルスに大流行のリスクがあるとわかったこと、そしてそれらの監視や対応策を可能にすることは、研究に伴うリスクを上回ると考える。実験に際して高水準のバイオセーフティーやセキュリティーを確立することは可能である。実際、我々の実験は、封じ込め度の非常に高い施設内で、高度の訓練を受けた少数精鋭のスタッフが、ウイルス流出事故防止のための厳しい手順に従って行った。

しかし、米国のバイオセキュリティーに関する国家科学諮問委員会(NSABB)は、2つの研究について、どちらも詳細な内容(哺乳類間での伝播力を付与する変異など)の公表を限定的な範囲にとどめ、知る必要がある特定の人だけに完全な内容を公表すべきだと勧告した。NSABBの諮問機関としての役割は認めるが、私はこの決定には同意できない。

NSABBがこの勧告を正当化する第一の理由は、データの公表により、「悪事をたくらむ人間が実験を再現できてしまう」からというものだ(go.nature.com/nywkdy)。しかし、たとえ特定の情報を公表しないように我々の論文を編集しても、悪用の可能性は排除できないだろう。なぜなら、哺乳類で伝播できるH5 HA保有ウイルスを作るための情報は、現在すでに公表されており、入手可能だからである。

また、米国政府が論文データの公開のために提案している仕組みも煩雑である。今回の研究内容を知ろうとする何千件もの申請が予想され、申請者の身元確認は管理業務に多大な負担となるだろう。高まるパンデミックの脅威に立ち向かおうとするなら、時間をむだにはできない。たとえ効率のよい仕組みを確立できたとしても、研究者たちに長期にわたり秘密保持を強要することは難しいだろう。

むしろ逆に、データを広く配布すれば、他分野の研究者が参入してインフルエンザ研究に寄与してくれるはずだ。緊急を要するインフルエンザの課題の中には、解決のために新しいアイデアが必要なものもあり、新規参入が必要不可欠である。例えば、我々が見つけたいくつかの変異をみても、ウイルスの伝播は予想以上に複雑で、HAの受容体結合特異性だけでなくほかの生物学的特性や物理学的特性も絡んでいることが明らかだ。

リスクを低減させようと特定の情報を公表しないように論文を編集しても、まともな研究者が情報を得ることが難しくなるだけで、悪用しようとする者に対する防御策にはならないだろう。両刃の剣であるこの問題のよりよい解決策を見いだすためには、世界各国の研究者たちが集まって、いかにリスクを最小限に抑えつつ科学的発見を促すかを議論すべきであろう。私も含めインフルエンザ研究者たちは、現行の議論を鑑み、鳥インフルエンザウイルスの伝播の研究を60日間中断することに合意した(http://nature.asia/avian-flu1)。とはいえ、この研究の緊急性は今も変わらない。ここで中止するわけにはいかないのだ。

(翻訳:船田晶子)

河岡義裕は、東京大学医科学研究所(東京都港区)、およびウィスコンシン大学(米国)所属。

編集部註:インフルエンザウイルスのA型とB型の表面には、赤血球凝集素(Haemagglutinin)とノイラミニダーゼ(Neuraminidase)という糖タンパク質がある。特にA型では、アミノ酸配列や抗原性の違いにより、16種類のHと9種類のNの亜型が確認されており、種々の組み合わせを持つウイルスが存在する。

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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