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身体の錯覚を自由に操る科学者

Credit: N. LARSSON/AP FOR NATURE

あなたは自分の身体の外に出て、その胸をナイフで刺される。こんな経験は、めったにできるものではない。

しかし、カロリンスカ研究所(スウェーデン・ストックホルム)の神経科学者Henrik Ehrssonの研究室では、そんなことが日常茶飯事のように起こっている。Ehrssonは、錯覚を利用して、人々の自己意識を探り、拡張し、移動させる。今日は、ビデオカメラとゴーグルと2本の棒だけを使って、私が自分の身体の後方2〜3mのところに浮いているよう感じさせてくれた。仮想の胸にナイフが向かってくるのを見て、私はそれをよけようとした。私の指に取りつけた2つの電極は、反射的に皮膚からどっと出た汗を記録した。近くのノートパソコンは、私が瞬間的に恐怖を感じたことを示す鋭い波形をグラフにプロットした。

Ehrssonが作り出す錯覚は、体外離脱だけではない。彼はこれまでに、ほかの人との身体の交換1、3本目の腕の獲得2、人形サイズへの縮小や巨大化3といった錯覚を誘発することに成功している。彼の研究室の倉庫には、大小さまざまなマネキン、人形の頭部、作り物の手、カメラ、ナイフ、ハンマーが詰め込まれていて、まるで映画に登場する連続殺人鬼の地下室みたいだ。Ehrsson自身も、「ほかの神経科学者は、我々のことを、かなり怪しいと思っています」と笑う。

Ehrssonの型破りな道具は、もちろん、安っぽいトリックとは一線を画するものである。彼の目標は、人間が自分の身体の中にいると感じる自己意識の仕組みを、科学的に解明することにある。これらの道具は、そのためのれっきとした実験装置なのだ。自分の身体を所有しているという感覚は、我々に深く根づいており、この感覚を改めて考え直そうなどという人はめったにいない。科学者や哲学者も、それは疑う余地のない当然のものだとしてきた。

Ehrssonが作り出す錯覚は、視覚と触覚をものの10秒ほど欺くだけで、確信を、いとも簡単につき崩してしまう。この驚くべき順応性は、脳が感覚器官からの情報を用いて、間断なく身体所有感覚を組み立てていることを示唆する。Ehrssonは、この発見にかかわる論文をScienceをはじめとするトップクラスの学術誌に次々と発表し、多くの神経科学者の注目を集めている。

「自己意識というのは、我々に元から組み込まれていて、変化したりしないものだと思われてきました。ところが、全く違っていたのです。自己意識は、あっという間に変化します。そこが非常に興味深いところなのです」と、デューク大学医療センター(米国ノースカロライナ州ダーラム)の神経生物学者Miguel Nicolelisは言う。

Ehrssonの研究は、「自己」というとらえどころのない形而上学的な構成物を、科学者が詳細に分析できるものへと変えた。この点でも、神経科学者や哲学者の注目を集めている。ベイラー医科大学(米国テキサス州ヒューストン)で知覚の研究をしているDavid Eaglemanは、「今や、信号をこんなふうに揺さぶれば、意識体験はこんなふうに揺さぶられる、といえるのです。こんな研究手段は、これまでありませんでした」と言う。

ヨハネス・グーテンベルク大学マインツ(ドイツ)の理論哲学グループを率いるThomas Metzingerは言う。「自己に関する問題は、これまで、ハードサイエンスでは扱うことができないと思われてきました。ところが、こうした問題が、明らかに、扱いやすいものに変わったのです。Henrikの貢献は、その点でも価値が高いと思います」。

夢想から身体錯覚の研究へ

Ehrssonは、1972年にストックホルム郊外で生まれた。化学者である父親と歯科医師である祖父の影響で科学と人体に興味を持ち、カロリンスカ研究所(医科大学)で医学を勉強することになった。しかし、解剖学の長い講義にはしばしば退屈した。「講義の間、もしも自分の目がその辺にふわふわと浮いていて、自分の身体を見ることができたら、自分の意識はどこにあるのだろうか、なんて考えていました」。そして、ひと呼吸おいて言った。「私は優等生ではありませんでした」。

大学を卒業したEhrssonは、医師になるのはやめて、カロリンスカ研究所で博士号研究を始めた。それは、脳走査装置を用いて、人が物体をつかむ仕組みを調べるという研究だった。彼はその頃、身体錯覚に強い興味を持ち始めた。身体錯覚のいくつかは、よく知られている。例えばアリストテレスは、人差し指と中指を交差させて鼻に触れると、人によっては、鼻が2つあるような感覚を生じることを発見している。

Ehrssonはまた、「ラバーハンド錯覚」という身体錯覚があることを知った。これは、1960年代後半に米国の研究者によって考案された錯覚で、被験者の手をテーブルの下に隠し、ゴム製の手を目の前に置いて、両方を同じようになでていると、被験者はゴム製の手が自分の手であるような気がしてくるというものだ4。「自分でやってみると、本当にそうなりました。奇妙でシュールな経験でした」とEhrssonは言う。

Ehrssonは、博士号研究のかたわら、錯覚の研究も進めるようになった。そして、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジでポスドク研究を終えてカロリンスカ研究所に戻り、自分の研究室を持ったとき、錯覚が彼の主要な研究テーマとなっていた。多くの科学者は、視覚的な錯覚(錯視)を利用して、知覚の基本的な知識を得ようとする。しかし、身体錯覚の研究は心理学の主要テーマではなく、研究の種類も多くなかった。それでもEhrssonが研究したかったのは、ラバーハンド錯覚をはじめとする身体錯覚だった。彼は、身体の所有感覚がどのくらい容易に歪められるのか、検証したいと考えた。

Ehrssonは、ラバーハンド錯覚と同じ原理に基づいて、新しい錯覚の考案に取りかかった。彼は、ヘッドフォンやカメラや作り物の身体の一部を利用して、被験者の視覚を欺き、また、被験者の身体と作り物の身体を同じようになでたり突いたりして触覚的な刺激を与え、錯覚を生じさせようとした。2007年、Ehrssonは、この方法で、被験者に自分の身体から離脱したと信じさせることに成功した5。彼の驚くべき実験は、世界中でニュースになった。

当時、一部の科学者や一般市民は、そんな錯覚が本当に生じるのかどうか疑問視していた。しかし、私は2011年9月にEhrssonの研究室を訪れ、自らこの錯覚を体験して納得した。これは本当だ。私はまずゴーグルを装着した。ゴーグルには、私の背後に置かれたカメラからの眺めが映し出されていた(図参照)。Ehrssonはプラスチック製の棒で私の胸元を軽く突き、もう1本の棒を同じタイミングで動かしてカメラを突くようにした。私は、自分の胸元に迫ってくる棒を見て、棒が胸に当たるのを感じながら、自分自身の姿を背後から眺めていた。10秒もしないうちに、私は自分の身体から離れて、その数m後ろに浮かんでいるように感じ始めた。

被験者に自分の身体から離脱する錯覚を生じさせるのに成功して1年後、Ehrssonは、被験者に別の身体に入ったような錯覚を起こさせる方法を考案した。今度は、被験者のゴーグルには、マネキンの頭部に取りつけたカメラからの眺めが映し出されている。マネキンはうつむいているので、被験者は、マネキンの胴体を見せられることになる。実験者がマネキンと被験者の腕または腹を同時に数回つつくだけで、被験者に、マネキンの身体が自分の身体であると信じさせることができた。彼らはさらに、被験者に新しい身体から元の身体を見つめさせ、元の自分と握手させることもできた。その間ずっと、錯覚は消えなかった1。自らこの錯覚を体験した米国立衛生研究所(メリーランド州ベセスダ)の神経学者Mark Hallettは、「この錯覚は非常に強烈で、信じられないほど速やかに生じます」と言う。

2011年5月に発表された最新のトリックでは3、小さなバービー人形の中に入り込んだと被験者を信じさせることに成功した。Ehrssonが人形の脚をつつくと、被験者は自分が巨大な物体につつかれているように感じた。彼は、自分でもこの錯覚を試している。錯覚が生じているときに同僚に頬を触られると、顔を上げて、「子ども時代の自分に戻り、母親を見上げているように感じた」という。

こうした錯覚は、すべての人が体験できるわけではない。ダンサーや音楽家など、視覚に頼らずに自分の四肢の位置を正確に把握できる人々は、普段の実験で被験者になってくれる学生たちよりは錯覚を経験しにくいのではないか、とEhrssonは考えている。けれども、彼が作り出す錯覚は、おおむね5人中4人に対しては有効だ。被験者が錯覚を生じているかどうかは、どんな感じがするか直接尋ねたり、「新しい身体」をナイフで脅したりすることで確認する。自分の身体から離れたり、小さくなったり、マネキンになったりする錯覚を生じている被験者は、新しい身体にナイフを向けられると、(私が経験したように)反射的な神経性発汗を生じるのだ。注目すべきは、ナイフで脅されても錯覚が消えないことである。Ehrssonの言葉を借りるなら、この錯覚は「認知的に堅固」なのだ。

2011年の初め、Ehrssonはラバーハンド錯覚に改良を加えて、被験者に第三の手を持っていると思わせることに成功した2。ラバーハンド錯覚の考案者の1人であるプリンストン大学(米国ニュージャージー州)の神経科学者Matthew Botvinickは、「彼は、こうした基本的なアイデアを、どこまで拡張できるか研究しているのです」と言う。「彼は、身体表象がどんなに極端であり、どんなに順応性があるかを示しました」。

欺かれる自己

Ehrssonの次なる挑戦は、こうした錯覚が脳について何を教えているかを明らかにすることだ。教科書によれば、人間は、身体の各部位の相対的な位置を示す皮膚や筋肉や関節からの信号(固有感覚)を利用して、自分の身体を知覚しているという。しかし、Ehrssonが誘発する錯覚は、視覚と触覚からの情報も身体の知覚において重要な部分を占めていること、そして、脳は休むことなくこれら感覚器官から情報を収集して自己意識を組み立てていることを示唆している。被験者の固有感覚が脳に「自分の身体は椅子に座っている」と告げているときにも、Ehrssonが与える正確に同期した視覚・触覚信号は、それが全く別のところにあると脳に確信させることができるのだ。

Ehrssonは、そのような錯覚は「多感覚」ニューロンの働きによって生じると考えている。多感覚ニューロンは、主としてサルについて研究されており、サルはこのニューロンの働きにより視覚情報と触覚情報を結びつけて、物体とうまくかかわり合うことがわかっている。「これらの回路は、外部の物体を表象するだけでなく、自分自身の身体と、身体と外界との境界を表象する点でも重要であると考えています」とEhrssonは言う。彼は、多感覚ニューロンがさまざまな感覚器官からの情報を統合して、一貫性のある身体の表象を作り出すと考えている。彼が被験者に錯覚を起こさせるとき、このニューロンに流れ込むデータを変化させることで、その表象を操作しているのだ。

今のところ、これは作業仮説にすぎない。「多感覚の統合についての詳細は、よくわかっていません。それは、私にとってのミッシングリンクです」とBotvinickは言う。Ehrssonらは現在、fMRI(機能的MRI)で被験者の脳血流量を測定しながら錯覚を誘発するという方法で、多感覚ニューロンがヒトの脳のどの部位にあるかを特定しようとしている。しかし、実験結果にはばらつきがある。

Ehrssonは、身体を完全に交換したという錯覚を体験している被験者の腹側運動前野(運動の視覚的ガイドに関与することが知られている部位)が特に活性化していることを見いだした6。これに対して、この分野の数少ないほかの研究者の1人であるローザンヌ大学(スイス)のOlaf Blankeは、被験者が体外離脱の錯覚を経験しているときに、その近くの側頭頭頂接合部が活性化することを示した7。彼は、脳のこの領域に負った損傷や腫瘍は体外離脱の感覚を生じさせると指摘する。「どちらが正しいかを判断するのは困難です。現時点では、神経科学的データの量があまりにも少ないからです」とBlankeは言う。

魂を探して

Ehrssonは時々、体外離脱体験をしたことがあるという人々から、怒りの手紙を受け取るという。「彼らは、自分の魂が肉体から離れたのだと信じているので、似たような経験が実験室で誘発できると聞くと、自分自身が脅かされたように感じるのです」とEhrssonは言う。彼はそうした抗議に対しては、「自分には彼らの主張を反証することができない」という、そつのない答えを用意している。しかしMetzingerは、もっと率直だ。「Henrikの研究は、魂だとか脳から独立した自己だとかいったものは、要するに存在しないと証言しているわけです」。

Ehrssonは今、この錯覚を実用的な面で役立てることに取り組んでいる。それは、より優れた義肢の開発だ。腕を失った人々の多くは、幻肢といって、なお自分の腕が存在すると感じている。そして、義手のことを、自分とは異質の存在であると感じている。「もしも義肢に対して自己所有感覚の錯覚を生じさせることができれば、より使いやすい義肢となったり、また、より良いボディーイメージを持ったりすることができると思うのです」とEhrssonは言う。

この目標を達成するため、彼はラバーハンド錯覚を応用した。腕を失った人々は、切断端上の特定の点を刺激されると、ないはずの指があるような錯覚(幻指)を生じることが知られている。Ehrssonらは、被験者の切断端上のこれらの点と、ロボットの「サイバーハンド」の対応部位を同時になでることにより、金属製の義手に対する自己所有感覚を生じさせることに成功した8

しかし、この感覚は、なでるのをやめると約10~15秒で消失してしまうため、錯覚を持続させるには、刺激し続ける必要がある。Ehrssonは現在、これに取り組んでいる。「我々が考えているのは、指先のセンサーと、切断端を刺激する装置を組み込んだ、高度な義手です」と彼は言う。ほかのグループも装着者の感覚を利用する同様の装置を開発しているが、Ehrssonは、自分の装置は、人工の指からの感覚と、切断端の対応部位の刺激を完全に一致させて、自己所有感覚の錯覚を生じさせる点で異なるという。

Ehrssonには、さらに大きな野心がある。自己所有感覚の錯覚は、人々が全く異なる身体(それは、仮想的な身体でも、ロボットでもよい)を制御することを容易にする。この錯覚を利用すれば、今日、ロボットやアバターの操縦に用いられているジョイスティックなどのコントローラーよりも、緻密な操縦が可能になるはずだ。例えば、ロボットを操縦する人々は、ゴーグルを用いてロボットの視点からものを見て、モーション・キャプチャー・スーツを利用してこれを動かし、ロボットの手に組み込まれたセンサーとつながったグローブから触覚的フィードバックを受けることができる。

Ehrssonは、人間と機械の間で100ミリ秒以内に信号をやりとりすることができれば、「完全な身体錯覚が生じるだろう」と予測している。その際、新しい身体のサイズは重要でない。外科医は、患者の体内で極小のロボットを制御することができるだろう。その逆に、巨大なロボットに、壊れた石油掘削装置を修理させたり、原子力発電所を解体させたりすることもできるはずだ。こうした可能性を考えるとき、Ehrssonの顔には自然と笑みが浮かぶ。

翻訳:三枝小夜子、要約:編集部

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 3

DOI: 10.1038/ndigest.2012.120310

原文

Master of illusion
  • Nature (2011-12-08) | DOI: 10.1038/480168a
  • Ed Yong
  • Ed Yongは、ロンドン在住のフリーライター。ブログNot Exactly Rocket Science(そんなに難しくない科学)を開設している。

参考文献

  1. Petkova, V. I. & Ehrsson, H. H. PLoS ONE 3, e3832 (2008).
  2. Guterstam, A., Petkova, V. I. & Ehrsson, H. H. PLoS ONE 6, e17208 (2011).
  3. van der Hoort, B., Guterstam, A. & Ehrsson, H. H. PLoS ONE 6, e20195 (2011).
  4. Botvinick, M. & Cohen, J. Nature 391, 756 (1998).
  5. Ehrsson, H. H. Science 317, 1048 (2007).
  6. Petkova, V. I. et al. Curr. Biol. 21, 1118-1122 (2011).
  7. Ionta, S. et al. Neuron 70, 363-374 (2011).
  8. Rosen, B. et al. Scand. J. Plast. Recons. http://dx.doi.org/10.3109/02844310903113107 (2009).