糖鎖に応答する新たなエピゲノム制御を発見
核内受容体からエピゲノムへ
–– エピゲノム研究を始められたきっかけは?
加藤: 実は、5年ほど前までは、自分の研究がエピゲノムの領域にあるという認識すらありませんでした。私は一貫して、ステロイドホルモンやビタミンAやDなどの「脂溶性の低分子生理活性物質」の研究を続けてきました。このような生理活性物質は、核内の受容体(核内受容体)を介して機能を発揮します。核内受容体は48種が知られているのですが、私はそれらのリガンドとなる新規の生理活性物質の探索や機能解析をしてきました。
例えば、男性に女性ホルモンを投与すると体が女性化しますが、これは女性ホルモンに「女性特異的な遺伝子」を活性化する作用があるためです。こうした現象は40年以上前から知られ、私たちの研究仲間の間では、「ステロイドホルモンには、染色体レベルの変化を引き起こし、特定の遺伝子を活性化させる働きがあるにちがいない」と考えられてきました。まさにこれがエピゲノムだったわけですが、当時はエピゲノムの概念すらなく「クロマチンメモリー」などと呼ばれていました。
その後、1995年頃から、「核内受容体には、特定の遺伝子を活性化させる転写因子としての機能がある」との報告がなされるようになりました。要約すると「核内受容体は、ホルモンと結合しない状態では転写抑制共役因子と結合しており、転写因子として働かない。ところがホルモンと結合すると、転写抑制共役因子が外れ、今度は転写活性共役因子と結合して染色体を開き、活性化し始める」とするモデルです。
–– 2004年から「加藤核内複合体プロジェクト」を始められました。
加藤: はい、科学技術振興機構(JST)のERATOプロジェクトとして採択されたもので、2009年に終了しました。それ以前に、核内受容体に結合するのは単独のホルモンではなく、複数の因子からなる複合体であることがわかり、そのような複合体を取り出す生化学的な手法を開発していました。動物細胞を大量に培養したうえで核抽出液を採取し、複合体だけを取り出す職人技的な手法です。ERATOでは、この手法を使って核内受容体に結合する複合体を探し、詳細な解析を始めました。取れてきた複合体の中には、DNAを束ねるヒストンタンパク質にメチル基を付加するメチル化酵素や、逆の作用をする脱メチル化酵素などが含まれていました。
ほぼ同じ頃、これらの酵素がエピゲノムのカギとなることが明らかにされ、私は「自分の研究がエピゲノム領域にある」との認識を持つようになりました。つまり、私たちが転写共役因子としていたものは、ヒストンを修飾する酵素の複合体だったのです。現在までに、メチル化、脱メチル化、ユビキチン化、脱ユビキチン化、リン酸化、脱リン酸化などの機能を持つ、9種ものヒストン修飾酵素が知られています。
糖鎖1つの有無でスイッチ
–– 具体的に、どのような研究をされたのでしょう?
加藤: レチノイド(ビタミンA)の核内受容体と結合することで複合体を構成する因子を探索してみたところ、「ヒストンタンパク質のアミノ酸配列の4番目のリジン」をメチル化する酵素(MLL5)が取れてきました1。この酵素は、染色体を開いて活性化させるエピゲノムマーカーとして知られるもののファミリーでした。私たちが同定したMLL5を含む複合体には大きさの異なる2種があったのですが、それぞれで染色体活性の有無を調べてみたところ、大きい複合体のほうにしか活性がありませんでした。
そこで、大きい複合体をさらに詳細に解析し、そこにアミノ糖(N-アセチルグルコサミン:GlcNAc)が付加されているか否かが、活性化スイッチのオンオフの役目を果たしていることを突き止めました。MLL5が酵素として機能するには、複合体に糖転移酵素(OGT)が結合し、このOGTによってアミノ糖が付加されないとだめだということがわかったのです1。OGTは細胞内外に多く存在しますが、核内にまで入って重要な機能を担うことは知られておらず、大きなインパクトとなりました。
–– 糖鎖が関与する制御であることがわかってきたのですね。
加藤: はい、ここまできて、糖に応答したエピゲノムの仕組みがあるにちがいないと確信し始めました。さっそく、動物細胞由来の核抽出液からアミノ糖が付加されているタンパク質だけを取り出し、質量分析してみたところ、四量体のヒストンタンパク質のバンドが現れました。次に、遺伝子工学の手法でヒストンタンパク質を作り、アミノ糖を付加させてみたところ、二量体の状態のときにだけアミノ糖が付加されることがわかりました。さらに解析を進め、付加される位置が「112番目のセリン」であることも突き止めました2。
一方で、このアミノ糖の付加が、ヒストンタンパク質の特定部位をモノユビキチン化し、この変化が4番目のリジンのメチル化を可能な状態にするということも明らかにしました2。これまでどのようなメカニズムによってモノユビキチン化されるのかが謎でしたので、その答えも導けたことになります。
エピゲノムが糖尿病にも関与?
–– 今回の成果は糖尿病などとも関連するのでしょうか。
加藤: はい、そのとおりです。今回、私たちは、OGTが働くには細胞外が一定の糖濃度レベルに維持されていることが必要であることも明らかにしました。糖があるときにのみ、一連のパスウェイが活性化され、アミノ糖が核内にまで入ってくると考えられます。糖はATPを作る原料などにもなる基本的な栄養素です。おそらく、染色体の再構成というきわめて重要で基本的な制御にも使いやすかったのでしょう。この仕組みは、多細胞生物に広く共通していると思われます。
糖尿病は、細胞外の糖濃度が異常になる疾患ですので、当然、糖応答性のエピゲノムの異常を引き起こすと考えられます。データベースを用いた計算では、今回の糖応答性の転写制御を受ける遺伝子が全遺伝子の5%に上ることがわかっています。この割合は細胞の種類によって上下すると思いますが、糖尿病患者では全身のさまざまな遺伝子で発現がおかしくなると推測できます。特に末期には、どのような治療にも反応しなくなってしまいますが、その一因が、エピゲノムによる不可逆的な遺伝子発現の異常にあるのは間違いないでしょう。
–– 成果は医療や創薬にも役立ちそうですね。
加藤: 私はこれまでも研究成果をアウトプットし、医学部や製薬会社との共同研究を続けてきました。すでに、骨粗鬆症や糖尿病の治療薬として上市されているものもあり、今回のプロジェクトにも共同研究者の中に製薬会社が入っています。現在は、得られた成果を糖尿病の診断マーカーの開発に応用できるかどうかといったことを調べ始めており、その後で糖尿病の新たな薬の開発が可能かどうかを考えたいと思っています。
–– 最後に、今後の目標についてお話しください。
加藤: 次の課題としては、糖以外の栄養素に応答するエピゲノムの仕組みがあるかどうかの検討に入ったところです。農学部出身なので研究の応用にも興味がありますが、私自身は基礎研究に軸を置き、成果の応用は共同研究者に託していきたいと考えています。研究を続ける中で、脂溶性の生理活性物質の新たな分子機構やパスウェイなどを見つけられたら幸せだと思いますね。
–– ありがとうございました。
聞き手は西村尚子(サイエンスライター)。
Author Profile
加藤 茂明(かとう・しげあき)
東京大学分子細胞生物学研究所核内情報分野教授。1983年、東京大学農学部農芸化学科卒業。1988年3月、農学博士。1988年4月から1996年2月まで東京農業大学農学部農芸化学科助手。1996年2月から東京大学分子細胞生物学研究所助教授。1998年12月から同教授。2010年4月から同エピゲノム疾患研究センターのセンター長を兼務。
Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 3
DOI: 10.1038/ndigest.2012.120322
参考文献
- Fujiki R, Chikanishi T, Hashiba W, Ito H, Takada I, Roeder RG, Kitagawa H, and Kato S. GlcNAcylation of a histone methyltransferase in retinoic-acid-induced granulopoiesis. Nature 459: 455-459, 2009.
- Fujiki R, Hashiba W, Sekine H, Yokoyama A, Chikanishi T, Ito S, Imai Y, Kim J, He HH, Igarashi K, Kanno J, Ohtake F, Kitagawa H, Roeder RG, Brown M, and Kato S. GlcNAcylation of histone H2B facilitates its monoubiquitination. Nature 480: 557-560, 2011.
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