シャーレの中の造形芸術
in vitroにおいてマウス胚性幹細胞(ES細胞)から機能的な胎児臓器を作製することに、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(兵庫県神戸市)の須賀英隆らが成功し、Nature 2011年12月1日号57ページに発表した1。須賀らは、下垂体の前駆構造であるラトケ嚢の形成を誘導し、さらにそのラトケ嚢からホルモン分泌細胞を分化させることに成功した。今回の成果は、下垂体の発生についての研究や、再生医学を利用した下垂体機能低下症の適切な治療管理について著しい進歩をもたらすだろう。また、組織間の相互作用により誘導される臓器形成の過程が、制御を受けたほぼ自発的な様式で開始されることが実証され、さらに複雑な臓器でさえも研究室で発生させることができる可能性が示唆された。これは、たいへん有望な成果である。
脊椎動物では、下垂体は、脳の視床下部の制御下にあり、成長、思春期の発達、生殖器の成熟など、不可欠な生理学的過程を調節する。ヒトの下垂体機能不全は先天的なものと後天的なものがあるが、新生児3000〜4000人に1人の割合で罹患が見られる。治療としてはホルモン補充療法が有効とされるが、この療法では正常なホルモン分泌パターンを再現できず2、さまざまな不都合が生じている。
初期胚では、視床下部は最も前方(吻側)の神経上皮、ラトケ嚢は口腔外胚葉細胞層から形成される。つまり、視床下部とラトケ嚢を形成する予定の組織は隣接している(図1)。これらは密接な接触を維持したまま後方に移動し、予定視床下部は口腔外胚葉に作用してラトケ嚢の形成を誘導する。また出生後は、視床下部は下垂体ホルモンの産生を調節する機能を持つ3。
研究チームは、これまでの研究ですでに、ES細胞凝集塊から視床下部の吻側が分化できることを報告している4。今回の実験の成功の理由について、研究チームは、ES細胞凝集塊でさらに頭部前方の特徴が誘導できたことによって、同時に、神経上皮に沿った口腔外胚葉の発生(下垂体の発生に必須)が可能になったのかもしれないと考えている1。今回、須賀らは、口腔様外胚葉細胞が外層を、視床下部様神経上皮細胞がその内層を形成する浮遊細胞凝集塊を得た。さらに、この細胞凝集塊をソニック・ヘッジホッグ(マウスでのラトケ嚢の適切な発生に必要なシグナル伝達分子)5の活性化剤で処理すると、形や位置だけでなく、発現する分子マーカーもin vivoのラトケ嚢に非常に類似した、陥入して内腔のある小嚢が見事に形成された。
in vivoでラトケ嚢の形成に必要なソニック・ヘッジホッグや骨形成タンパク質、繊維芽細胞増殖因子などが、in vitroの小嚢形成にも必要であることは、意外なことではない。しかし、このような単純な細胞培養系で、「組織化」と言える程度まで構築できるとは思いも寄らなかった。in vivoでは、形態形成運動(頭褶の発生と神経管閉鎖)がラトケ嚢の最終的な位置に影響を与える。しかし、須賀らの実験系においては、少なくともこの小嚢では、同様の形態形成運動が「頭」という概念にそぐわない形で再現された。さらに注目すべきは、in vivoでの状況とは対照的に、これらの細胞凝集塊には、中胚葉組織あるいは神経堤組織が含まれていなかった。これまでのデータからは、ラトケ嚢の発生には少なくとも中胚葉が必要であることが示唆されているにもかかわらず、だ6。
研究チーム1は、Notchシグナル伝達経路(細胞運命決定に関与し、多くの系で分化に対して前駆細胞の維持に関与する)の阻害が、副腎皮質刺激ホルモン分泌細胞の分化誘導に十分であることも見いだしている。副腎皮質刺激ホルモン分泌細胞は、下垂体前葉の内分泌細胞で、副腎皮質刺激ホルモンを分泌する。このことは、Notch変異マウスで得られたこれまでのin vivoデータ7,8を実に見事に再現している。また、ラトケ嚢を採取して細胞を培養すると、ex vivoでも副腎皮質刺激ホルモン分泌細胞が自発的に形成される9,10。すべての内分泌細胞種が同じ発生時期に分化を開始することから11、副腎皮質刺激ホルモン分泌細胞の分化は、ex vivoでもin vitroでも、おそらく、副腎皮質刺激ホルモン分泌細胞に特異的な誘導事象が起こったというよりも、副腎皮質刺激ホルモン分泌細胞という特別な細胞種への分化が可能な、発生初期段階での分化の許容範囲を反映しているのだろう。実際に、須賀らは、効率は低いが、下垂体前葉のほかのすべての内分泌細胞種の分化を報告している。この結果は、in vitroで成体の下垂体の幹細胞や前駆細胞に由来する細胞球から、すべての内分泌細胞種が分化するという結果に一致している2。
さらに、in vitroで作製された副腎皮質刺激ホルモン分泌細胞を含むこの細胞凝集塊を下垂体除去マウスに移植したところ、血中の副腎皮質刺激ホルモンや副腎皮質ホルモンの濃度が上昇し、マウス生体内で機能していることが明確に示された。これまでの研究12でも、成体の下垂体に由来する前駆細胞は、血管を含むマイクロチャンバーで、in vivoの分化ができることが示されている。しかし、この方法では細胞の収率や分化効率が低く、再生医療での利用が制限されていた。今回、須賀らの研究では、in vitroで内分泌細胞を提供できる、制限条件のない細胞供給源を可能にした。このことは、理論的には、患者由来の人工多能性幹細胞(iPS細胞)から内分泌細胞が得られる可能性を示唆しており、下垂体機能低下症の治療管理を向上させるかもしれない。
in vivoとin vitroでのラトケ嚢の発生にはどのような類似性があり、またどのような違いがあるのかを理解し、内分泌細胞の分化効率を向上させるためには、さらに研究を重ねなければならない。おそらく、研究チームが示唆しているように、この系に、分化を支持する組織や血管構造などが必要だろう1。さらに、今回の胚様下垂体細胞が、完全に成熟しているかどうかも調べるべきである。
成熟下垂体前葉内では、さまざまな細胞種が複雑なネットワークで互いに結びついている。このネットワークが、視床下部あるいは末梢からの指示に応答して、ホルモン放出を協調させることに役立っていると考えられている13。この応答の一部として、細胞の移動性とこのようなネットワークの構成が変化することがある14。in vitroで誘導された研究チームの下垂体では、この現象が模倣されているのだろうか? また、下垂体には可塑性があり、そのために思春期の発達や妊娠・授乳などに応答して、異なるホルモン分泌細胞種の相対的な比率を変化させることができる。こうした可塑性の一部は、下垂体内の幹細胞や前駆細胞の集団に依存しているのかもしれない2。
下垂体の異常はさまざまな変異によって引き起こされる。しかし、これらの異常が、下垂体の特定の細胞種に固有のものであるのか、下垂体発生の特定の局面に固有のものであるのか、あるいは、どこか別の部位での下垂体への誘導的相互作用を損なう異常によって引き起こされる二次的な制限のためであるのかは、必ずしも明確ではない。だが、須賀らの方法から、さまざまな下垂体異常がどのように生じるのかを解明する道が見つかるかもしれない。例えば、この方法と生体組織イメージングの強力な技術とを組み合わせることも可能かもしれない。
近年、組織工学の分野は、大きな進展を遂げている。特に、さまざまな臓器を作り出す目的で、組織特異的幹細胞を培養できる天然および人工のマトリックスの利用が進歩した15,16。しかし、おそらく、今回の論文1が示すように、初期胚の組織はすでに何をすべきかがわかっているのだ。実際、多能性幹細胞に由来する奇形腫は、無秩序ではあるが、歯、皮膚、消化器などの組織の複雑な混合物を含む場合があることが、長い間知られていた。須賀らは、こうした多能性を利用して、しっかりした分化の秩序と方向性のある系を得ることに成功した。肺、肝臓、膵臓など、より複雑な臓器の作製においても、下垂体と同様の自発的な組織化誘導過程が機能するのだろうか17?
翻訳:三谷祐貴子
Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 3
DOI: 10.1038/ndigest.2012.120324
原文
Organ recital in a dish- Nature (2011-12-01) | DOI: 10.1038/480044a
- Karine Rizzoti & Robin Lovell-Badge
- Karine RizzotiおよびRobin Lovell-Badgeは、MRC国立医学研究所(英国)に所属。
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