News

幹細胞のパイオニアが撤退

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 2 | doi : 10.1038/ndigest.2012.120224

原文:Nature (2011-11-24) | doi: 10.1038/479459a | Stem-cell pioneer bows out

Monya Baker

米国のジェロン社、幹細胞による脊髄損傷治療に関する臨床試験の中止を発表。

2011年11月14日、ヒト胚性幹細胞(ES細胞)の治療用製品を患者で初めて試験したジェロン社(米国カリフォルニア州メンロパーク)が、幹細胞治療法の開発から撤退すると発表した。この動きに投資家は敏感に反応し、ジェロン社は背伸びしすぎていたのではないかという疑問がわき上がった。この発表は、新薬の開発がいかに難しいかをまざまざと示すことになった。

ジェロン社の発表によると、幹細胞治療法に関する事業を中止し、今後は抗がん剤開発に注力するという。初期のジェロン社で幹細胞生物学の事業を指揮し、現在はカーペンター・グループ・コンサルティング社(米国ワシントン州シアトル)の社長を務めるMelissa Carpenterは、「ちょっと悲しいですね。幹細胞治療で、最初に商品化されると思われた製品が関門を突破できなかったとは・・・・・・。本当に残念です」と話す。

ヒトES細胞は、体のあらゆる種類の細胞になる能力を持っているため、さまざまな疾患で損傷組織の代わりとして利用できる。ジェロン社は、その中でも、脊髄損傷の治療法の開発に着手した。これは、果敢なチャレンジだった。脊髄損傷の治療にはさまざまな種類の細胞が必要だからだ。一方では、ジェロン社が、脊髄損傷治療プログラムで他社よりも多少先行していたという見方もある。ジェロン社が当時試験していた神経前駆細胞は、ヒトES細胞から容易に作製することができたからである。また、資金が必要だった時期に、動物実験で華々しい成果が得られたことも、投資家にとって魅力的だった。だが、そのような前例のない治療法の開発には、最終的にヒトで試験を行う以外に方法がない。

ジェロン社の第I相試験でヒトES細胞に由来する分化細胞が患者に注射されたのは、計画された8例のうちわずか4例にとどまった。9月に最高経営責任者に就任したJohn Scarlettは、すでに参加している被験者の追跡は継続するが、新たな被験者の募集は行わない、と話す。現在、被験者4人のいずれにも、重篤な有害事象は認められていないが、治療が功を奏しているようすも見られない(第I相試験は有効性を試験するためにデザインされたものではないが)。

今回の発表を受けて、ジェロン社の株価は、2.28ドル(約178円)から1.50ドル(約117円)へと、30%以上も下落した。しかし同社は、幹細胞研究の中止によって年間2500万ドル(約20億円)が浮くことになり、資金調達を追加しなくても、2つの抗がん剤の第II相試験を今後2年間に6件行うことができると見込んでいる。幹細胞療法の試験には、さらに多くの時間と資金が必要だっただろう。

これで、当局の承認を受けてヒトES細胞を用いる臨床試験を実施している企業は、アドバンスト・セル・テクノロジー社(ACT:米国カリフォルニア州サンタモニカ)のみとなった。ACTは、分化した網膜細胞による眼の変性疾患の治療をめざしている。

ACTの最高科学責任者であるRobert Lanzaは、ヒトES細胞の実用性と治療の可能性が再確認されることを投資家と患者は強く望んでいる、と言う。「このような新しい分野では、大成功が絶対不可欠なのです。そして、当社にとって、それが実用化への強い圧力となっています」とLanzaは語る。

ジェロン社の発表は、ヒトES細胞が関係する製品やプロセスの特許を認めないという司法判断がヨーロッパで下された直後だったが(Nature http://dx.doi.org/10.1038/news.2011.597; 2011)、投資銀行ロドマン・アンド・レンショー(米国ニューヨーク)のアナリストReni Benjaminは、ジェロン社の決定とは無関係だと考えている。長く最高経営責任者を務めたThomas Okarmaが2011年2月に突然辞任したとき、おそらくすでに水面下での動きがあったと考えられ、幹細胞療法についての一般的な決定ではなく事業戦略の転換なのだ、とBenjaminは解説する。「しかし、ジェロン社が撤退したからといって、ほかの試験にブレーキがかかるわけではありません」。

ジェロン社は、ヒトES細胞を臨床試験に進めるまでに多額の投資を行った。同社は1998年のES細胞樹立につながる研究(J. A. Thomson et al. Science 282, 1145–1147; 1998)に資金を提供し、ES細胞から分化した細胞を作製する方法を考案し、さらに大規模な動物試験に大量の資金を投入して、その分化細胞をヒトに使用しても十分に安全であることを示してきた。こうしたジェロン社の初期の努力のおかげで、他社は幹細胞の臨床試験を実施することができるのだ。「難易度は指数関数的に下がっています。規制当局が求めているものが明確になっているのです」 とLanzaは話す。

ジェロン社がこの分野に与えた恩恵は、ほかにもあるだろう。カリフォルニア大学バークレー校(米国)の幹細胞特許の専門家、Ken Taymorによれば、ジェロン社はヒトES細胞療法に関する知的財産権を広範囲に保有しており、今後同社は、幹細胞療法を開発する他社に対して積極的にライセンス供与を行う可能性があるという。

ジェロン社の決定から、どんな教訓が得られたのだろうか。1990年から1998年までジェロン社を率い、現在はバイオテクノロジー企業のバイオタイム社(米国カリフォルニア州アラメダ)の最高経営責任者を務めているMichael Westは、こうたとえる。「先陣を切って扉の前に歩み寄ってはならないのです。最初に扉を開けようとした者は、敵の矢をすべて背中に受けてしまうからです」。

(翻訳:小林盛方)

キーワード

Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

プライバシーマーク制度