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自閉症者の秘めたる能力

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自閉症に関する助成金申請の計画書や研究論文、概説は、たいがいが「自閉症は深刻な障害だ」という言葉で始まる。しかし私の論文にそんな言葉はない。

私は、自閉症の認知神経科学を主な研究テーマとする研究者であり、臨床医であり、研究室の責任者でもある。私の研究チームには8人の自閉症者がいる。4人の研究アシスタント、3人の学生、そして1人の研究者である。

彼らの仕事は、人生経験を分かち合ったり、データを入力する単純作業をしたりすることだけではない。彼らが私の研究室にいるのは、その知的および人格的な資質の高さゆえである。彼らは、「自閉症にもかかわらず」ではなく、「自閉症ゆえに」、科学に貢献できるのだと私は考えている。

並外れた記憶力や計算能力を持つ自閉症者の話はよく知られている。例えばStephen Wiltshireは、ヘリコプター・ツアーに一度参加しただけで、記憶を頼りに都会の景色をすみずみまで細かく描くことができる。だが、私の研究室には、そういう特殊な才能を持った自閉症者はいない。いるのは「普通」の自閉症者だ。だが、全員をひとまとめにして平均すれば、知能検査など各種の検査課題で、自閉症でない人(非自閉症者)より成績がよい場合も少なくない。

私は臨床医として、自閉症は、日常生活が困難になる場合がある能力障害の1つだということも、嫌というほど承知している。自閉症者10人のうち1人は会話ができず、10人に9人は定職を持たず、成人5人のうち4人は未だに親に依存している。我々の社会は、自閉症者が重要と思ったり関心を持ったりすることを前提に構築されていない。彼らはそうした厳しい状況に直面しているのだ。

しかし、私の経験からいえば、自閉症は利点にもなりうる。特定の環境では自閉症者が非常にうまくやっていけるのだ。そうした環境の1つが科学研究である。私には、7年前から心強い共同研究者となってくれている自閉症女性がいる。名前をMichelle Dawsonという。私は彼女のおかげで、自閉症でも高い知能と科学への関心があれば、研究室にすばらしい貢献をしてくれることを知ったのである。

私がDawsonと知り合ったきっかけは、自閉症に関するテレビのドキュメンタリー番組のインタビューを一緒に受けたことだった。彼女は当時、郵便局で働いていたが、インタビューの後しばらくして、雇用主に自閉症だということを知られてしまい、仕事がやりにくくなってしまった。そこで彼女は、障害のある従業員の処遇に関する法律をすべて覚えたのである。私は、Dawsonに優れた学習能力があることを知り、私のところで研究アシスタントをやらないかと誘った。手始めに、彼女は私の論文のいくつかを編集してくれたが、非常に優れた意見を述べ、私は彼女がすべての参考文献を読んでいたことがよくわかった。Dawsonは文献を読むほどに、この研究分野について理解を深めていった。10年ほど前、私は彼女に研究員としてのポジションを申し出た。我々は、これまでに研究論文13本と数冊の本の章を共著者として世に出している。

仮説の検証

Dawsonは、私の研究室のメンバーになって以来、自閉症に関するさまざまな仮説や研究アプローチを考える手助けをしてくれている。その1つが、常に問題となっている自閉症者の認知機能についてである。自閉症は、言語障害やコミュニケーション障害、同一行動の繰り返し、限局的な興味といった、ネガティブな一連の特徴によって定義されている。こうした診断基準の中に、自閉症のさまざまな長所は入っていない。自閉症の幼児を対象とする教育プログラムのほとんどは、自閉的行動を抑えて、子どもが通常の発育過程をたどるようにすることを目的としている。自閉症者のユニークな学習過程を踏まえたものは1つもないのだ。

自閉症の症状が有害な場合(子どもが何時間も壁に頭をぶつける行動など)には、言うまでもなく介入することが望ましい。しかしほとんどの場合、自閉症者の行動は特殊ではあるが、順応はできるのだ。

例えば、自閉症の特徴の1つに、他人の手を使って何かを頼むという行動がある。自閉症の子どもは、母親の手を冷蔵庫の上に置いて食べ物をねだったり、ドアノブに置いて外に出たいと訴えたりする。この行動は独特なものだが、こうすることで子どもは言葉を使わなくてもコミュニケーションを取れるのだ。

自閉症を調べている研究者でさえも、自閉症者に対してネガティブな偏見を示すことがある。例えば、機能的磁気共鳴イメージング(fMRI)を用いる研究者は一様に、自閉症者グループの異常として一部の脳領域の活性化に変化があると報告している。こうした活性化の変化が、通常とは異なる(時には、いい結果に終わる場合もある)自閉症の脳の組織化を表したものにすぎないとは、見なされないのである。

同様に、大脳皮質の容積の変動が自閉症で見られた場合でも、皮質が想定より厚いか薄いかには関係なく、障害のせいにされてきた1

自閉症者が特定の作業に関して非自閉症者よりも能力が上回っている場合、そうした長所は、ほかの異常を補うものだと考えられることが多い。たとえ異常が実際に確認されていなくても、そう見なされてしまうのだ。

自閉症者は、特定の作業をするときの脳の使い方が異なっている。このfMRIの画像は、非言語性の知能検査を受けている最中に、非自閉症者よりも自閉症者で活動が活発になっている脳の知覚領域を表している。

REF. 4

確かに、自閉症者の脳の働き方は普通の人とは違う。最も注目される点は、言語中枢にあまり頼らないことだ。例えば、自閉症でない人が画像を見たときには、視覚情報と言語の両方を情報処理する脳領域が活性化する。ところが、自閉症患者では、発話情報処理のネットワークよりも視覚情報処理ネットワークのほうが活発になる2。これは、さまざまな作業に関して自閉症で見られる安定した特徴の1つのようである3。もしかすると、こうした脳機能の再分配は、自閉症者の並外れた能力と関連しているのかもしれない4(上のfMRI画像を参照)。

こうした違いは、発話障害のようにマイナスに働く可能性もあるが、何らかの利点をもたらす場合もある。研究報告が増えるにつれて、自閉症者は、まぎらわしい背景から1つの模様を見つけ出すといったさまざまな知覚課題で、神経学的に普通の子どもや大人よりもよい成績をおさめることが明らかになりつつある5

ほかの研究でも、自閉症者の大半が、聴覚課題(音の高さを区別する6など)や視覚構造の感知7や、頭の中での複雑な三次元形状の操作に関して、非自閉症者よりもよい成績をおさめることが報告されている。また、自閉症者はレーヴン色彩マトリックス検査(図案の欠けた部分にあてはまるものを選択肢の中から選ぶ古典的な知能検査)でも成績がよい。私の研究チームがこの検査を行ったところ、自閉症者は非自閉症者よりも平均で40%も速く終わらせることができた4

見方を変える

REF. 8

2、3年前、私は同僚たちと、自閉症者と非自閉症者の成人および小児に2種類の知能検査を行い、その成績を比較した。一方の検査は、言葉を介さずに解答するレーヴン色彩マトリックス検査のような非言語性検査で、もう一方の検査は、言葉による指示や説明を基に解答する言語性検査である。その結果、非自閉症者は全体として、一方の検査で50%の成績であればもう一方の検査でも50%前後になるというように、どちらの検査でも同程度の成績をおさめる傾向が見られた。ところが、自閉症者では言語性検査よりも非言語性検査のほうがよい成績を挙げる傾向が見られた(右のグラフ「自閉症者の知能」参照)。場合によっては、正答率が90%にもなる例もあった8

私も以前は、たとえ自閉症者がレーヴン色彩マトリックス検査でよい成績をおさめても、知能を調べるには言語性検査が最適だと考えていた。この「常套手段に固執する」主観が誤っていることを気付かせてくれたのが、ほかでもないDawsonだった。彼女は私にこう尋ねた。「非自閉症者の知能を調べるのに使われている課題で、自閉症者が優れた成績をおさめているのに、なぜ、これが自閉症者の知能を表すものだと考えてもらえないのでしょう」。

現在の私は、研究者たちが自閉症者の知的障害を評価するのに、いまだに不適切な検査法を使い続けていることに驚いている。こうした検査では、自閉症者のほぼ常に約75%が知的障害があることになる。だが、自閉症者のうち、脆弱X症候群のような知能に影響する神経疾患を伴うのは10%にすぎない。

私は今では、自閉症には知的障害がつきものだとは考えていない。真の知的障害者の比率を見積もるためには、言葉による説明をいっさい必要としない検査法のみを使うべきである。聴覚障害がある人の知能を調べる場合には、手話を使って説明できないような検査項目はためらわずに除外されるはずだ。だとすれば、自閉症者の場合も同じにすべきではないのか。

もちろん、自閉症はコミュニケーションや社会的行動、運動能力などのほかの機能にも影響を及ぼす。こうした特異性のため、自閉症者は他人への依存が大きくなりがちであり、日常生活もより困難になる。私の主張は、そうした側面を過小評価しようとするものではない。

ありがちなことだが、雇用主は自閉症者が得意とする職能をよく知らず、単純な作業をひたすら繰り返す労働に従事させる。しかし私が察するに、ほとんどの自閉症者はもっと高度な仕事で社会に貢献したいと思っており、適した環境さえ与えられればそれは可能なのだ。そもそも、自閉症者に適した仕事を見つけることが最大の困難なのだが、この問題の解決に向けた組織作りが現在行われつつある。例えば、米国イリノイ州ハイランドパークに本部のある「Aspiritech」というNPOは、ソフトウエアをテストする職に自閉症者(主にアスペルガー症候群)を斡旋している(www.aspiritech.org)。また、デンマークの企業Specialisterne社は2004年以降、170人以上の自閉症者の就職を支援してきた。その親会社のSpecialist People Foundationは、100万人の自閉症者に意義のある仕事を斡旋することをめざしている(www.specialistpeople.com)。

私は、多くの自閉症者は科学研究に向いている、と考えている。彼らは、幼少時から数や文字、メカニズムや幾何学パターンなどの情報や構造に興味を持つことがあるが、これらは科学的思考の基礎になるのだ9。高い集中力のおかげで、関心のある科学分野の独学を続けて専門家となる場合もある。例えばDawsonは、科学に関する学位は持っていないが、神経科学の論文を2、3年にわたって読むことで、特定の種類の研究を行うのに十分な知識を身につけ、そして十分な成果を生み出した。この点から言えば、彼女はPhDを授かる資格がある。

驚くべき記憶力

平均的な自閉症者が研究に直接役立つ長所を持つことは、これまでの研究から一貫して明らかになっている。彼らは、大規模データセットなどの大量の知覚情報を同時に処理することができ、その能力は非自閉症者を上回っている10。また、並外れた記憶力を持っていることも多い。非自閉症者の多くは10日前に読んだものの内容を思い出せないが、一部の自閉症者はあっさりと思い出せる。この能力は、科学で大いに役立つ。自閉症の顔面認知に関する研究で使用されているさまざまな手法は、私にとってはどれも同じように思えるが、Dawsonは即座にそれらを細かく思い出せる。

多くの自閉症者は、大量のデータの中に潜む繰り返しパターンや、そうしたパターンが乱れた事例をうまく見つけ出すことができる。Dawsonは、さまざまな種類の治療法に適用されている基準にある矛盾点を見つけた。薬剤を開発するためには、無作為化した比較対照臨床試験などの手の込んだ研究を行う必要があるのだが、これは自閉症者の行動療法に関しては必要がないという点だ。しかも、こうした療法には高額な費用がかかり(1人当たり年間最大6万ドル<約470万円>)もかかるうえ、自閉症治療ではネガティブな結果となることもある。今、私が懸念しているのは、フランスなど一部の国が、自閉症者に「通常」の学習や社会的行動を行わせることを目的とした、強制力のある療法を提唱していることだ。これらの療法はまだ、ほかの研究分野で使われているような基準で検証されていないのである。

Dawsonの鋭い洞察力のおかげで、私の研究室は科学の最も重要な部分、すなわち「データ」に集中し続けることができる。彼女にはボトムアップ型の問題解決能力があり、入手できる事実から着想を得る。利用するのはたったそれだけである。その結果、彼女のモデルは決して行き過ぎの過大解釈にならず、ほぼ完璧に正確である。ただし、彼女は結論を導くのに非常に大量のデータを必要とする。一方私は、トップダウン型のやり方をとり、少ない情報資源から一般論を導いて、いろいろ検討する。そして、ようやく構築したモデルについて、もう一度事実を検証して、モデルの妥当性を考察するのである。同じ研究グループ内にこうした2つの型の脳が併存すると、生産性は大いに高まる。

たとえ優れた科学者であっても、「出世の政治学」のしがらみのために、本意ではないことをやらざるをえない事態に陥ってしまうことがある。だが、自閉症者にとっては、データや事実だけが最も重要なものであり、そんなことには無関心だ。評判や昇進も望まず、論文を大量生産しようともしない。むしろ、自分の優れたアイデアを論文として発表などせずに、ウェブ上にさらしてしまいかねない。

2004年にDawsonは、自閉症の子どもに適用された厳しい行動療法の倫理的欠陥を詳しく述べたエッセイを、インターネット上に掲載した。それによって、自閉症者コミュニティー内や自閉症研究者、臨床医の間で名が知られるようになった。

もちろん、自閉症者がすべての職種でうまくやっていけるわけではない。社会的行動の特異性を考えると、小売業や顧客サービス業といった人間相手の領域では苦労する場合が多いだろう。理想的なのは、自閉症者それぞれにコーディネーターがついて、自閉症者を不安にさせるような状況の打開に手を貸してくれることだろう。彼らが不安を感じるのは、計画の変更やコンピューター・トラブルといった想定外の出来事や、否定的なあらさがしなど周囲の悪意ある態度などである。

こうした留意点はあるものの、多くの場合、自閉症者は治療以上に社会ときちんとかかわれる機会や支援を必要としている。そのことを、Dawsonをはじめとする自閉症者たちが私に教えてくれた。そして、私の研究グループだけでなくほかの研究グループも、自閉症をヒトという種の中の多型の1つと見なして研究すべきだと考えるようになっている。こうした遺伝子の塩基配列や遺伝子発現の変化は、適応あるいは不適応のどちらかの結果を招くだろうが、彼らを矯正すべき「自然のエラー」だと言ってしまうことはできない。

文化的先進的社会というのは、同性愛者、異なる民族、障害者といった、少数派の行動や表現型をも寛容に包み込むことである。行政は、時間と費用をかけて視覚障害者や聴覚障害者に必要な物を提供し、公共機関のバリアフリー化を進め、職探しを支援してきた。同じことを自閉症者に対しても実施すべきである。

研究者も、自閉症者の障害について研究するだけでは不十分だ。自閉症者の能力や長所を明らかにし、どうやったら自閉症者が普通の環境で学習し成功をおさめることができるかを解明し、自閉症を矯正すべき障害であるかのように表現する言葉は使わないようにすべきだろう。こうすることで、研究者も社会的議論の方向性を定めるのに一役買うことができるのだ。

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 2

DOI: 10.1038/ndigest.2012.120220

原文

The power of autism
  • Nature (2011-11-03) | DOI: 10.1038/479033a
  • Laurent Mottronは、モントリオール大学(カナダ)の教授で、自閉症認知神経科学についてのプログラム「Marcel & Rolande Gosselin Research Chair」を運営。また、Rivière-des-Prairies病院で自閉症プログラムの主任も務めている。

参考文献

  1. Gernsbacher, M. A. Observer 20, 43–45 (2007).
  2. Gaffrey, M. S. et al. Neuropsychologia 45, 1672–1684 (2007).
  3. Samson, F., Mottron, L., Soulières, I. & Zeffiro, T. A. Hum. Brain Mapp. http://dx.doi.org/10.1002/hbm.21307 (2011).
  4. Soulières, I. et al. Hum. Brain Mapp. 30, 4082–4107 (2009).
  5. Pellicano, E., Maybery, M., Durkin, K. & Maley, A. Dev. Psychopathol. 18, 77–98 (2006).
  6. Heaton, P. J. Child Psychol. Psyc. 44, 543–551 (2003).
  7. Perreault, A., Gurnsey, R., Dawson, M., Mottron, L. & Bertone, A. PLoS ONE 6, e19519 (2011).
  8. Dawson, M., Soulières, I., Gernsbacher, M. A. & Mottron, L. Psychol. Sci. 18, 657–662 (2007).
  9. Mottron, L., Dawson, M. & Soulières, I. Phil. Trans R. Soc. Lond. B 364, 1385–1391 (2009).
  10. Plaisted, K., O’Riordan, M. & Baron-Cohen, S. J. Child Psychol. Psyc. 39, 765–775 (1998).