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ロシア惑星探査の悪夢

火星の衛星フォボスから土を持ち帰る計画だったロシアの探査機「フォボス・グルント」は、地球を回る軌道を離れることができないでいる。この計画は宇宙開発史上、最大の惑星探査計画であり、ロシアが太陽系探査における旧ソビエト連邦時代の栄光を取り戻すという期待も担っていた。しかし、奇跡が起きてエンジンの再始動に成功しないかぎり、2011年末までには火の玉になって地球に落下する見込みだ。

ロシアの惑星探査そのものも、フォボス・グルント探査機とともに地に落ちるかもしれない。今回の計画は、ロボットを使って衛星表面のサンプルを持ち帰るというもので、米国航空宇宙局(NASA)もまだ実現していなかった。ロシア宇宙庁(ロスコスモス)は、今回の計画が成功すれば、過去の失敗の悪夢を一挙に帳消しにできるはずだと期待していた。しかし、状況は、15年前に「マルス96」計画で火星への大胆な挑戦を試みて失敗したときと同じだ。今回も探査機は地球を回る軌道を離れることができないでいる。

モスクワにあるロシア科学アカデミー宇宙科学研究所(IKI)の元所長であるRoald Sagdeevは「マルス96も野心的すぎる計画でした」と振り返る。彼は現在、米国のメリーランド大学カレッジパーク校に所属している。Sagdeevは、予定されている今後のロシアの探査計画も、ロシアとほかの国との国際協力の可能性も今回の失敗で危うくなったとみる。「惑星探査に批判的な者たちは『どうして惑星探査などに予算を費やさなければならないのか』と言い始めるでしょう」と彼は話す。

ロシア宇宙庁の技術者たちは毎日、地球周回軌道を離脱できないフォボス・グルント探査機と通信しようと試みている。探査機の重量は13.5トンあり、NASAと欧州宇宙機関(ESA)が打ち上げた土星探査機カッシーニの2倍以上ある。月軌道よりも遠くに送られた探査機でこれまでで最大のものがカッシーニだった。フォボス・グルント(グルントは土を意味する)探査機はダメージを受けておらず、その燃料タンクは満タンとみられている。ロシア宇宙庁は、探査機を何とか正常な状態に戻してエンジンを噴射させ、2013年初めに火星最大の衛星とランデブーする軌道に乗せたいと考えていた。しかし、IKIでこの計画を担当する科学者Alexander Zakharovは、「探査機と通信しようとする試みはすべて失敗しました」と話す。IKIは、フォボス・グルントに科学研究用に搭載された20種の機器を担当している。探査機を火星へ到達させることができる地球周回軌道離脱のタイミングは、地球と火星の軌道によって決まっており、2011年11月21日に終わる。「まだ数日の時間が残っています」とZakharovは語った。

探査機は2011年11月8日にカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられ、打ち上げに使われたゼニットロケットの第1段は完全に機能した。しかし、カナダ・トロントに住むアマチュアサテライトウオッチャー(人工衛星観測家)Ted Molczanによると、ロシアの不十分な衛星追跡網を補うため、協力を求められた南米のアマチュア天文家たちは、予定された時刻になっても第2段ロケットの燃焼の炎を観測できなかった、という。Molczanは、「SeeSat-L」という、インターネットを使って組織された人工衛星観測グループのまとめ役だ。

失敗の直接の原因は、第2段ロケットの制御システムが機能しなかったことのようだ。しかし、ロシアの宇宙開発ニュースサイト「RussianSpaceWeb.com」を立ち上げ、エディターを務めているジャーナリストのAnatoly Zakは、「もっと深刻な組織的な問題があります。試験のやり方は常にずさんで、いくつもの問題が未発見のままだったはずです。一方、見つかった問題も、組織の上層部は見て見ぬふりをしました。この計画は最初から失敗する運命だったのです」と指摘する。

Sagdeevは、「ロシアの宇宙開発の強みは常にハードウエアにあり、制御系やソフトウエアは得意ではありませんでした。その伝統が旧ソビエト時代の宇宙開発から続いているのです。ロシアでは常にロケットの建造が最も重要なことだったのです」と説明している。

探査機は現在、最も低いところで地表からわずか200kmの軌道を回っている。軌道は上層大気との摩擦で徐々に下がっている。Zakharovは「探査機は2011年12月半ばに地球に落下すると予想されています」と話す。一方、探査機の減速について独自の分析を行ったMolczanは「落下は2012年1月になるかもしれません」とみている。

探査機の重量のほとんどは液体燃料(その大部分が火星からの帰りの飛行用だった)なので、再突入で巨大な火の玉が生まれるかもしれない。ロシア宇宙庁のウエブサイトは、「宇宙船は再突入の熱で爆発するので、何かが地上に達する危険性は少ないはず」との見解を掲載している。しかし、ハーバード・スミソニアン天文台(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ)の天文学者でサテライトウオッチャーでもあるJonathan McDowellは、「ヒドラジンと四酸化二窒素からなる燃料が、宇宙船が降下する間に宇宙空間で凍結し、宇宙船の一部とその積載物が再突入でも燃えつきないで残る可能性があります。そうなれば、空から2トンの有毒な泥の塊が落ちて来ることになります」と話す。

地球に墜落することになれば、ロシアの宇宙開発が醜態をさらすだけにとどまらず、今後の惑星探査計画にかなりの影響が出るだろう。Zakharovは「1億6300万ドル(約127億円)をかけたフォボス・グルント計画をもう一度やり直すのは、今のロシア宇宙庁には難しいでしょう」とみる。ロシア宇宙庁と、事業主体である宇宙機器メーカーのラボーチキン社は、月、火星、金星、水星、木星の氷でできた衛星エウロパへの探査も進めるつもりだった。しかし、こうした計画は正式に決定されたことはなく、今となってはこれまで以上に実現が危うくなっている。

ルナ・リソース計画は、インドが建造する軌道船および探査車と、ロシアが建造する月着陸船で構成される月探査機で、2014年に打ち上げられる予定だ。「ルナ・リソース計画は現在も順調に進んでいます」とZakharovは話す。しかし、Sagdeevは「フォボス・グルント探査機は小さな中国の衛星を積んでいました。それが失敗したとなれば、当然のことですが、インドはルナ・リソース計画がうまく行くかどうか懸念を抱くでしょう。インドが作った軌道船や探査車に同じようなことが起こってしまったら大変ですから」と話す。

惑星協会(米国カリフォルニア州パサデナ)の事務局長で、フォボス・グルント探査機に積載された小規模な宇宙生物学実験の主任研究者(PI)でもあるLouis Friedmanは、「かつてソ連では、失敗は大目に見られることが多かったのです。問題が解決されるまで何度も打ち上げを繰り返すというやり方だったからです」と指摘する。しかし、今では何度も打ち上げを繰り返す予算はない。ロシア宇宙庁と、宇宙時代の始まりからロシアのすべての太陽系内探査計画を立案し、機器を製造してきたラボーチキン社は、そのやり方を変えなければならないときに来ているのだ。

Friedmanは言う。「組織の抜本的な改革が行われることを期待しています。改革が行われると思うか、ですって? 残念ながら、これまでの歴史を振り返れば、それはきわめて難しいでしょう」。

翻訳:新庄直樹

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 2

DOI: 10.1038/ndigest.2012.120218

原文

Russia gets the red planet blues
  • Nature (2011-11-17) | DOI: 10.1038/479275a
  • Eric Hand
  • ※2012年1月5日、破片が太平洋上に落下。