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細胞の再プログラム化に、ノーベル医学生理学賞

2012年のノーベル医学生理学賞は、分化した体細胞を再プログラム化して胚細胞に近い状態に戻せることを発見し、幹細胞研究を大きく発展させたJohn Gurdonと山中伸弥に贈られる。

再プログラム化された細胞は、さまざまな型の細胞へ分化できる能力、すなわち「分化多能性」を獲得する。この方法で作製された細胞は、再生医療の分野で応用が期待されている。損傷を受けた臓器や病変した組織と置き換えるためだ。再プログラム化研究は、今でこそ生物学の最もホットな分野の1つになっているが、その礎となった両氏の発見は、どちらも最初から素直に受け入れられた訳ではなかった。

Gurdonは、成熟細胞を再プログラム化できることを示した最初の研究者だ1。それを発表した50年前、細胞の特殊化(つまり分化)は一方通行の過程であって、逆行させることはできないとされていた。その定説を覆したのが彼の発見だった。Gurdonはカエルの卵細胞から核を取り除き、そこに、オタマジャクシの腸の細胞から取り出した核を移植した。すると驚いたことに、移植した核の「細胞時計」の針を戻すことができたのだ。つまり、その核はすでに特殊化の過程を進んでいたのに、卵細胞内に移植されると卵の核のように振る舞い、正常なオタマジャクシになったのである。

Gurdonがこの研究に取り組んでいたのは、オックスフォード大学(英国)の大学院生の時だった。その後、1960年に博士号を取得し、カエルたちを欧州に残してカリフォルニア工科大学(米国パサデナ)に博士研究員として移った。彼がこの核移植の研究結果を発表したのは、博士号取得から2年が経ち、オタマジャクシが正常なカエルになったことを確認してからのことである。「大学院生が定説に逆らったのですから、異論や反対意見がたくさん出てきました」と回想する。

Gurdonのこの「核移植によるクローン作製」法は、哺乳類の細胞ではあまりうまくいかなかった。哺乳類最初のクローンであるヒツジの「ドリー」が誕生したのは1996年で、Gurdonの報告から実に35年近くも経っていた。しかもドリーは、277回試して唯一生きて誕生した個体であり、その後も、哺乳類のクローン作製は運任せの状況が続いていた。

研究者たちは、このシステムに関与する詳しい分子プロセスを解明し、成功率を上げようと懸命に取り組んだ。そこに登場したのが京都大学の山中伸弥だ。彼が生まれたのは、奇しくもGurdonがカエルのクローン作製の論文を発表した年だった。山中は培養マウス細胞を使って、まず、胚の細胞を未成熟な(つまり未分化の)状態に保つ遺伝子群を突き止めた。次に、成熟した細胞を再プログラム化して分化多能性を持たせる遺伝子を、その遺伝子群の中から探し出した。

2000年代半ばには、幹細胞研究者たちの間で、山中の研究が話題になっていた。「2006年のキーストーン・シンポジウムで、彼がそのデータを発表したときのことは忘れられません」と、ブリュッセル自由大学の幹細胞生物学者Cédric Blanpainは話す。「その時、彼は因子群の名前を明かさなかったので、皆、魔法の因子の正体をあれこれ憶測したのです」。

その数か月後、国際幹細胞研究学会(ISSCR)の2006年度総会がカナダのトロントで開かれ、山中の講演には聴衆が殺到した。すし詰め状態の会場が静まりかえる中、山中は驚くほどシンプルな「レシピ」を公表した。わずか4つの遺伝子を活性化するだけで、成体の線維芽細胞という体細胞を、分化多能性を持った幹細胞の状態に戻せることを示したのである2。そうして作られた人工多能性幹(iPS)細胞は、培養条件次第で神経細胞や心筋細胞などのさまざまな種類の成熟した細胞へ分化させることができた。

Gurdonは来年80歳になる。豊かな髪に皮肉の効いたユーモアのセンスを持つ「典型的な英国紳士」で、現在も、その名を戴いたガードン研究所(英国ケンブリッジ)で、カエルにおける再プログラム化の分子基盤に関する研究をしている。彼は折りに触れて、「自分の名前を冠した研究所を持つほどの栄誉は、普通は故人にしか与えられないものなのだが……」と話し始める。これには同僚たちも微笑んで応えるしかない(研究所の名称は、2004年まで「ウェルカムトラストがん研究所」だった)。「Johnは今も現役バリバリの研究者です」と同研究所の主任研究員Azim Suraniは話す。

山中はまだ50歳だが、Gurdon同様、同僚たちからの評判がとてもよい。整った身だしなみだけでなく、礼儀正しく、細やかな配慮を欠かさない人だという。彼はノーベル財団(ストックホルム)のインタビューに対し、「受賞の電話が来たとき、ちょうど洗濯機を直そうとしていたところでした」とユーモアを交えて応えた。

山中は最初、整形外科医の道に進んだが、「向いていなかったため、臨床から基礎研究への転身を決心しました」と話す。「今でも自分は医者だと思っています。幹細胞の技術を患者さんのために活かすことが私の目標であり、その実現のために全力で取り組みます」。

山中はiPS細胞の実用化のために日本政府に働きかけ、これまで多額の支援を得ている。2010年には、京都大学が彼の研究ためにiPS細胞研究所(CiRa;サイラ)を設立し、また最近では、臨床使用のための幹細胞バンク設立にも政府の支援が決まった3,4

どちらの受賞者も、それぞれの発見が「再生医療への応用」という形で実を結ぶには、年月がかかることを承知している。「だからこそ、基礎研究への支援は重要なのです。最初の発見から実際に人々が恩恵を受けられるようになるまで長い時間がかかるのは、よくあることですから」と、Gurdonはノーベル財団に語っている。

(翻訳:船田晶子)

追記:初の臨床応用に向けて

10月26日、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸市)の高橋政代プロジェクトリーダーは、iPS細胞を使った臨床研究の実施をセンター内の倫理委員会に申請したことを明らかにした。倫理委員会による承認を経た後、厚生労働省の審査を通過すれば、iPS細胞を使った初の臨床応用となる。研究チームは、2013年度の開始をめざしている。

高橋博士は、幹細胞からの網膜再生の研究に取り組んでおり(Nature ダイジェスト 2012年11月号4~7ページ参照)、この臨床研究では、加齢により網膜中心部の黄斑に障害が生じた「加齢黄斑変性」の患者に対し、患者の細胞由来のiPS細胞から網膜の細胞シートを作って移植する。

(編集部)

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 12

DOI: 10.1038/ndigest.2012.121202

原文

Cell rewind wins medicine Nobel
  • Nature (2012-10-11) | DOI: 10.1038/490151a
  • Alison Abbott

参考文献

  1. Gurdon, J. B. J. Embryol. Exp. Morph. 10, 622–640 (1962).
  2. Takahashi, K. & Yamanaka, S. Cell 126, 663–676 (2006).
  3. Cyranoski, D. Nature 51, 229 (2009).
  4. Cyranoski, D. Nature 488, 139 (2012).