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ついに実現した固体メーザーの室温発振

ノイズと電子機器は切っても切れない関係にある。そしてそのノイズにもさまざまな種類がある。遠くのラジオ放送局の番組を聞こうとすると流れてくるザーザーという雑音や、チューニングがずれたテレビ画面に現れる雪のようなノイズなどはおなじみだろう。科学者や技術者は、ラジオ、テレビ、携帯電話通信などがよりクリアに伝わるよう、長年にわたってノイズと闘い続けてきた。一般的には、ノイズを最も少なくできるのは、電子機器をきわめて低い温度で動作させたときである。ところがこのたび、Mark Oxborrowら1は、並外れてノイズレベルが低く、しかも室温で動作する固体マイクロ波発振器・増幅装置を開発した(Nature 8月16日号353ページ)。この装置は、宇宙通信、電波天文学、マイクロ波分光学などへと応用される可能性が高い。

ノイズ源は大きく2つに分けられる。1つは信号にもともと含まれている内因性ノイズであり、それ自体を操作できるケースはあまりない。もう1つは外因性ノイズで、これは、信号の検出、受信、増幅などの際に、外部部品によって信号に加わるノイズである。これらの外因性ノイズ源を最小限に抑えることは可能であるが、信号とノイズを適切に処理できるかどうかは、特性周波数に大きく左右される。

信号の検出・増幅の点で非常に重要だがやっかいな周波数帯域の1つに、1~100ギガヘルツ周波数(1ギガヘルツは109Hz)のマイクロ波・ミリ波領域がある。この部分の電磁スペクトルは、監視レーダー、携帯電話通信、宇宙通信、電波天文学(地球外知的生命体からの信号の探査を含む)、各種マイクロ波分光法など、広く使われている。

これらの応用のうち、監視レーダーと携帯電話通信は、信号に対するノイズのレベルがきわめて高い。したがって、低コストの増幅器や検出器を室温で使用しても、もともと多い内因性ノイズがさらに増えることはなく、信号の質はほとんど低下しない。一方、宇宙通信、電波天文学、マイクロ波分光で扱う信号は、内因性ノイズのレベルが非常に低い。このため、信号の検出や増幅の際にノイズがほとんど発生しないよう注意する必要があり、そうすれば弱い信号でもかなりの感度が得られる。

マイクロ波領域の微弱信号を増幅する最も優れた方法として、かなり昔からメーザーが利用されてきた。メーザーとは、「放射の誘導放出によるマイクロ波増幅」を行う装置のことである。メーザーはレーザーの電波版といえるが、実はレーザーより歴史が古く、少なくとも2度のノーベル賞でエスコート役を演じた。1度目は1964年、メーザーを発明したCharles Townesに贈られたとき、2度目は1978年、宇宙マイクロ波背景放射(ビッグバンの名残)を発見したArno PenziasとRobert Wilsonに贈られたときである。後者は、メーザー増幅器を使用したからこそ達成できた偉業である。研究者らは説明のつかない電波ノイズを発見したが、メーザー検出器の信号に対するノイズの比が小さかったので、そのノイズは宇宙背景放射によると結論せざるをえなかったのだ2

図1:メーザーのポンピング
a. 従来の固体メーザー。少なくとも3つのエネルギー準位(横線)があり、2個の不対電子のスピンの組み合わせに対応している(球は電子、黒い矢印はスピン状態を表す)。系の原子媒質をマイクロ波放射でポンピングすると電子スピンが最低エネルギー準位から励起状態になり、2つの準位の電子数が均等になる。続いて電子が中間状態まで落ち、メーザー放射が放出される。線の太さは各準位の電子数に対応する。
b. Oxborrowらのメーザー1。ホスト結晶内のペンタセン分子の電子が光ポンピングされた後、「項間交差」が起こる。それにより三重項状態に落ちるが、三重項の最高準位の電子数が最も多い。この準位から三重項最低準位に落ちるときに、メーザー放射が放出される。

それらの実験に使用されたメーザーには、常磁性物質(不対電子スピンを持つ物質)をドープした結晶が用いられていた。このような系では、不対電子のほとんどが媒質の最低エネルギー準位にある。しかし、マイクロ波放射でポンピング(電子をより高いエネルギー準位に持ち上げること)すると、低エネルギー状態の電子よりも励起状態の電子が多くなる(反転分布)。ここで、励起状態の電子を低い状態に落とし込むよう誘導すると、その入射放射と同じ周波数、同じ位相の放射が放出される(誘導放出、図1a)。こうして、結晶を通り抜けたマイクロ波放射が増幅される。この放出・増幅現象はレーザーとよく似ているが、レーザーよりもはるかに低い周波数で起こる。

このタイプのメーザーは、内因性ノイズ(主として自然放出光子によって生じる)が非常に少なく、物理的限界に近い。したがって、基礎科学分野や、先端的宇宙通信、電波天文学などの応用分野では、今もなお類似の設計原理が利用されている。しかし、反転分布を実現するには、メーザーを液体ヘリウム温度(4.2K)まで冷やす極低温冷却が必要である。そのうえ、出力が限られており、動作にかなり大きな静磁場が必要になることから、メーザー技術の実用化は進まず、絶滅寸前になっていた。さらに、最近、マイクロ波技術が大きく進歩し、極低温に冷却した従来型の半導体増幅器や超伝導増幅器でもメーザーに匹敵する低いノイズレベルが実現できるようになった。出力や帯域幅性能も向上し、物理的にもシンプルになっている3,4

ところが、今回、固体メーザー動作における最もやっかいな問題が解決された。Oxborrowらが室温で動作するメーザーを実証したのだ。これは、固体メーザーの発明から50年以上経って初めて達成された偉業である。Oxborrowらが用いたのは、p-テルフェニルという有機化合物結晶にペンタセン分子をドープした特殊な系である。ペンタセン分子のエネルギー準位は、室温でも光ポンピングで大きな反転分布を実現できる(図1b)。増幅過程には、低エネルギー準位に電子がほとんど残らないような大きな反転分布が必要だが、これによりメーザーの内因性ノイズが低く抑えられる。

図2:メーザー共振器
写真の外周リングはサファイアで、その中心部に組み込まれているのが、ペンタセン分子をドープしたp-テルフェニル結晶。このメーザー共振器は、背景に見える黄色い光でポンピングされている。

REF.1

加えて、Oxborrowらは、エネルギー損失の少ないマイクロ波共振器を用いてメーザーを動作させた。この低損失共振器のおかげで、メーザーは精巧で高価な減衰器ではなく、れっきとした増幅器として機能するようになった。原理上、このメーザーを使用すれば、内因性ノイズの少ない弱いマイクロ波信号を、冷却せずに増幅できる。また、旧式固体メーザーと同様、外部磁場をかけるだけで動作周波数を調節できる。外部磁場印加は極低温冷却よりずっと容易であり、広く商業利用されているYIG発振器などのマイクロ波デバイスにも用いられている技術だ。

ただし、Oxborrowらの光ポンピングメーザーは、連続モードではなくパルスモードでの発振である。マイクロ波放射源と増幅器は、理想的には、パルスよりも有用性の高い連続モードで動作するのが望ましい。とはいっても、小型化、光励起手順の高効率化、複数の共振器の並行利用などの改良を加えれば、すでに述べたような応用には、十分に役立つであろう。この新型メーザーは、新しい宇宙通信に向けた第一歩と見なすこともできる。これを使って、いつか地球外生命体と話せるようになるかもしれない。

翻訳:藤野正美

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 11

DOI: 10.1038/ndigest.2012.121126

原文

Masers made easy
  • Nature (2012-08-16) | DOI: 10.1038/488285a
  • Aharon Blank
  • Aharon Blankは、テクニオン・イスラエル工科大学化学科に所属。

参考文献

  1. Oxborrow, M., Breeze, J. D. & Alford, N. M. Nature 488, 353–356 (2012).
  2. Penzias, A. A. & Wilson, R. W. Astrophys. J. 142, 419–421 (1965).
  3. Schleeh, J. IEEE Electron. Device Lett. 33, 664–666 (2012).
  4. Eom, B. H., Day, P. K., LeDuc, H. G. & Zmuidzinas, J. Nature Phys. 8, 623–627 (2012).