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3D印刷がもたらす革命

3D印刷された模型は、分子の機能の解明に役立つ。

MOLECULES: A. GARDNER/MOLECULAR GRAPHICS LAB/SCRIPPS

Christoph Zollikoferは、現代初のネアンデルタール人誕生の場面に立ち会った。2007年、チューリッヒ大学(スイス)の彼の人類学研究室で、モーターがブンブンうなり、プラスチックがシューシューと音をたてる。ネアンデルタール人Homo neanderthalensisの乳児の頭蓋骨は、20時間にわたる無痛分娩を経て、コピー機サイズの機械の中に姿を現した。

この現代の奇跡の懐胎期間は非常に長かった。Zollikoferの共同研究者がネアンデルタール人の新生児の骨片の中から適当なものを見つけ出し、CTスキャナーで分析し、コンピューター・スクリーン上でそれらをデジタル的に組み合わせるまで何年もかかった。しかし、分娩の手順は簡単だった。Zollikoferはただ、三次元(3D)プリンターの「印刷」ボタンを押すだけでよかった。

Zollikoferは、3D印刷を研究に利用する研究者の先駆けである。20年前に彼がこの技術を利用しはじめたときの試作機は、今よりもっと高価で、その材料も溶媒も有毒なものを必要としたため、ほとんどの科学者は興味を示さなかった。けれども今では、より新しく、より安価な技術が用いられるようになっている。インクジェットプリンターが紙の上に1行ずつインクを吹き付けて絵や字を描き出していくように、最新の3Dプリンターの多くは、表面に材料(通常はプラスチック)を1層ずつ吹き付けて立体を形成していく。液体または粉末状のプラスチックが入ったバットに紫外線や赤外線を照射し、1層ずつ溶融固化させていく方式のものもある。

3D印刷では、どんなに複雑な形でも印刷することができる。形によっては、一時的に足場を利用して印刷し、後でこの部分を溶かしたり削り取ったりすることもある。米国コロラド州フォートコリンズに拠点を置くコンサルタントのTerry Wohlersの市場分析によると、最近では、個人用の3D印刷キットがわずか500ドル(約4万円)で入手でき、産業用3D印刷システムの平均価格は7万3000ドル(約584万円)であるという。また、2011年には世界中で3万台近くの3Dプリンターが販売され、1万5000~3万ドルという価格帯の製品の3分の1が学術研究機関により購入されたという。

早い時期に3D印刷を採り入れた研究者は、複雑な分子を調べたり、独自の研究ツールを製作したり、珍しい人工遺物を共有したり、本物の心臓のように脈動する心臓組織を作製したり、この技術を使っていろいろなことを試みている。実際、古生物学や人類学の学会では、3D印刷したお気に入りの化石や骨を持参する人が増えた。「人類学者は全員、しかるべきコンピューター・グラフィックス技術と3Dプリンターを持っている必要があります。さもないと、DNAシークエンサーを持たない遺伝学者のようなことになってしまいます」と、Zollikoferは言う。

ネアンデルタール人の小児(左)と新生児(右)の頭蓋骨の3D印刷模型。

M. PONCE DE LEÓN/C. ZOLLIKOFER/UNIV. ZURICH

3D出力は、従来の研究方法では不可能だった洞察を可能にする。例えば、ネアンデルタール人の新生児の化石は非常に珍しく、また壊れやすいため、通常の石膏模型で標本の複製を作るのは危険である。このためZollikoferは、冒頭で紹介したように、3D印刷により新生児の頭蓋骨標本の複製を作ったのだ。さらに、ネアンデルタール人の成人女性の骨盤も3D印刷で作った。分娩過程を文字どおり再現し、詳細に調べたのだ。一部の研究者は、ネアンデルタール人は現代人より骨盤が広いため、容易に分娩できたはずだと推測していた。しかしZollikoferは、ネアンデルタール人の新生児の頭蓋骨は現代人の新生児の頭蓋骨より大きく、骨盤の広さという利点は相殺されてしまうことを実験により示すことができた(M. S. Ponce de Leon et al. Proc. Natl Acad. Sci.USA 105, 13764-13768; 2008)。現代人と同じくネアンデルタール人も、生後に早く発達できるように、頭(と脳)が限界まで大きくなってから生まれてくるようになっていたのである。

Zollikoferは、この研究で、3D印刷した模型だけでなくバーチャル模型も利用している。コンピューター上の模型は、体積を計算したり、骨片をつなぎ合わせたりするのに都合がよい。しかし、バーチャル模型ばかり扱っていると、「化石に触れたときの感覚はもちろん、化石の寸法の感覚さえ忘れてしまうので要注意なのです」と言う。そもそも、各部分をどのように組み合わせるべきかを確認するにも、実体のある模型を使ったほうが、はるかにやりやすいという。

分子模型をもてあそぶ

化学者や分子生物学者は、分子の構造の感じをつかんだり、X線データや結晶学データを理解したりするために、ずっと前から模型を利用してきた。かのJames WatsonとFrancis Crickが1953年にDNAの構造を明らかにしたときにも、玉と棒を組み合わせて製作したグラグラの分子模型が役に立った。

30年前にスクリプス研究所(米国カリフォルニア州ラホヤ)で分子グラフィックス研究室を立ち上げたArthur Olsonによると、最近は、3D印刷を利用して、相互作用する数千個のタンパク質からなる分子環境など、はるかに複雑な系の模型さえも製作できるようになったという。3D印刷以外の方法でこうした系の模型を製作するのは不可能で、もしできるとしても非常にやっかいである。しかし3Dプリンターさえあれば、「誰でも独自の模型を製作することができるのです」とOlsonは言う。ただ、研究者の多くは、3Dプリンターを簡単には利用できる環境でなかったり、出力サービスを利用するという選択肢に気付いていなかったり、出力サービスを利用する資金的な余裕がなかったりする(3D印刷の出力サービスは1点100ドル以上になることがある)ため、誰もが3D印刷を利用しているという訳ではない。

けれどもOlsonは、3D模型は我々に重要な洞察をもたらしてくれる可能性があると言う。彼は同僚のために、チャネルを構成するあるタンパク質を3D印刷したことがあった。すると彼らは、この模型をもてあそんでいるときに、分子の内部を曲がった「トンネル」が貫いていることに気付いた。そのトンネルは、コンピューターのスクリーンの上ではよく見えなかったのだが、3D模型の片側から息を吹きこんでみたところ、反対側から空気が抜けてきたのである。こうしたトンネルの長さを決定できれば、そのチャネルが分子を輸送するのかどうか、輸送する場合にはどのような仕組みになっているかを解明する役に立つ。コンピューター上で長さを決定するには新しいプログラムを追加しなければならないが、模型なら紐1本で足りる。

Olsonによると、ディスプレイ上で分子をねじったり回転させたりするソフトウェアは非常に有用だが、それでもまだ能力が不十分だという。現状、最新のソフトウェアでさえ、2個の原子が同じ場所を占めてしまうことがある。そのうえ、コンピューターの中で分子をいじくるのは骨が折れる。コンピューターは、回転のたびに時間をかけて画像を表示しなおさなければならないし、人間の側も、絵を解釈するために頭を働かせなければならない。これに対して、現実の模型をもてあそぶことは、本当の遊びに近い。「私は何も考えずに、ただ手を動かしています」とOlsonは言う。

Olsonは今、手で触れられるという3D印刷模型の長所を、コンピューターの能力と組み合わせようとしている。彼は3D印刷模型に小さな紙のラベルを付け、これをウェブカメラで認識させることで、「拡張現実」を眺められるようにした。こうすることでユーザーは、3D印刷模型をもてあそびながら、コンピューターを利用して、任意の分子の配列のポテンシャルエネルギーなどを調べることができる。Olsonはさらに、固い材料と柔軟な材料をもっと容易に切り替えられる3Dプリンターを使って、タンパク質の折りたたみなどの分子の挙動を、より忠実に再現できるようにしたいと考えている。

立体的な細胞組織構造

3Dプリンターの「インク」は、プラスチックに限定されない。生物学者は、自然に融合するヒト細胞を、1つずつまたは複数の細胞からなる小塊として印刷する実験をしている。この技術を用いて、すでに血管や脈動する心臓組織を作製することができた。ただ、機能する臓器を印刷するという究極の夢は、たとえ実現することがあるとしても、まだまだ遠い未来のことになる。しかし、近いうちに、3D印刷した細胞構造は、ペトリ皿(シャーレ)の中で成長させた細胞によく見られる平べったい構造よりも、はるかに現実の細胞組織構造に近いものになるだろうと考えられている。

例えば、カリフォルニア州サンディエゴに拠点を置くOrganovo社は、医薬品の試験に使える3D組織構造を作るためのプリンターを開発した。彼らがこれまでに作った模型の中で最も進んでいるものは、線維症(臓器の内側の細胞と外層の間の相互作用により堅い線維性組織が過剰に形成され、瘢痕を形成した状態)の模型である。同社が次にめざすのは、この系を使って薬物の試験をすることである。化学工学技術者で、同社の最高責任者であるKeith Murphyは、「3D印刷は、そのための唯一の方法ではないかもしれませんが、よい方法です」と言う。

細胞を成長させるための足場の作成に、プラスチックまたはコラーゲンの3D印刷を利用しているグループもある。米国国立標準技術研究所(メリーランド州ゲイサースバーグ)の生体適合材料グループの生物学者Carl Simonは、足場の形状の複雑さが、細胞の成長のしかたや、幹細胞が各種の細胞へと分化する仕組みの解明に役立つという。3D印刷があれば、研究者は、さまざまな形状の足場を綿密に調べ、どの形状の足場が最もよく細胞を成長させるかを確認することができる。これに関しては、1つ問題がある。ほとんどの3Dプリンターが数十~数百µmの構造までしか印刷できないのに対して、細胞は1µmレベルの違いを感知できるのだ。シェフィールド大学(英国)で3D印刷の研究をしているNeil Hopkinsonによると、現時点で最高品質の3Dプリンターは、非常に短い波長のレーザー光を利用することにより100nmの解像度を実現しているが、これは「まだ研究段階のものです」と言う。

オリジナルの研究ツールを手軽に

その一方で、一般的なプラスチック3Dプリンターの性能も大いに向上してきているため、研究者が研究ツールを特注する必要がなくなる日も、そう遠いことではないかもしれない。グラスゴー大学(英国)の化学者Leroy Croninは、今年、3D印刷による小規模化学用プラスチック製反応容器「リアクションウェア(reactionware)」を発明したことで話題になった(M. D. Symes et al. Nature Chem. 4, 349-354; 2012)。Croninは市販の2000ドル(約16万円)のプリンターの「インク」を、シリコンベースのシャワー封水剤と触媒と反応物に交換して、全反応機構を出力できるようにした。目標は、カスタマイズ可能な化学が多くの研究者に利用されるようにすることにあると彼は言う。彼の論文は、リアクションウェアを利用して新しい化学物質を作り出したり、少量の特異的な医薬品をオンデマンドで提供したりする可能性を示した。今のところ、ほかの化学者たちは、このアイデアを巧妙な新機軸と見て、次にはどんな応用が可能になるのかと待っている。

レンセラー工科大学(米国ニューヨーク州トロイ)の環境工学者Philippe Baveyeは、この技術を今すぐ応用できる用途を見つけた。彼は3D印刷を利用して、土壌に浸透する水の流れを測定する浸透計という装置のカスタムパーツを製作している。日常的な調査には市販の装置で十分だが、より正確な調査を行うためには独自の装置を設計しなければならない。従来は何時間も旋盤に向かってこの作業をしなければならなかったが、3D印刷を利用できるようになったおかげで、各段に容易に製作できるようになったという。

Baveyeにとっておそらくもっと重要なのは、デザインファイルを公表するだけで、自分の製品を人々と共有できることである。「文献で説明される実験を再現できるという概念に、新しい意味が付与されようとしているのです」と彼は言う。

ほかの人々の意見も、3D印刷の本当の威力は、多くの人々の手に科学を届けられるようにすることにあるという点で一致している。Croninは、アフリカの僻地でも宇宙でも、誰もが自分の小さな製薬工場を3D印刷できるようにしたいと考えている。博物館は、すでに珍しい化石やデリケートな化石の正確なコピーを好きなだけ印刷して配布することができる。学生たちは、どんな分子でも3D印刷 して、じかに手で触れ、理解することができる。「3D印刷は、現実の模型を製作する能力を大衆化したのです」とOlsonは言う。

翻訳:三枝小夜子

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 10

DOI: 10.1038/ndigest.2012.121028

原文

The print revolution
  • Nature (2012-07-05) | DOI: 10.1038/487022a
  • Nicola Jones
  • Nicola Jonesは、バンクーバー(カナダ)近郊を拠点とするフリーランスの記者。