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脳のロックを解除する

米国マサチューセッツ州にあるボストン小児病院の神経科学者、Takao Hensch(ヘンシュ貴雄)は、ニューヨーク市郊外で育った。父はドイツ人、母は日本人。父親からはドイツ語を、母親からは日本語を、そして周囲の人々からは英語を学んだ。「いつも不思議に思っていましたよ。子どもの頃はあれほど簡単に言葉を覚えたのに、大きくなるとなかなか覚えられなくなるのは、いったいどういう訳なんだろうとね」とHenschは話す。

Henschは現在、この疑問を分子レベルで詳しく解明しようとする研究の最前線にいる。言語習得は、「感受性期」もしくは「臨界期」と呼ばれる期間のあるさまざまな発達過程の1つである。臨界期とは、脳の発達段階で、言語習得などさまざまな能力を獲得する過程にかかわる神経回路が、体験によって再編されたり、つなぎ替えを起こしたりすることが可能な期間のこと(図参照)で、こうした脳の柔軟性を可塑性という。臨界期にある子どもは、自分に似た顔の特徴を判別したり、話し言葉を認識したり、空間内の物体の位置を把握したりする能力を急速に発達させる。しかし、臨界期という、それぞれの能力が発達する「チャンスの窓」は、数か月もしくは数年でぱったり閉じてしまい、それ以降は、不可能ではないにしても、新しいことを覚えることは簡単にはできなくなる。

開いては閉じる
学習に対するヒトの脳の感受性(習得しやすさ)には、3つの大きなピークがあるようだ。視覚などの感覚(赤色)を担う皮質領域の臨界期は、乳児期に開始してその後きっちりと終了する。言語(黄色)や高次認知機能(紫色)の臨界期はそれより遅く開始し、完全に終了することはない。このように臨界期の波が順序よく連続して訪れるおかげで、子どもはしだいに複雑な技能(灰色文字)を習得していくことができる。

T. HENSCH; MCCAIN, M.N., MUSTARD, J.F., & MCCUAIG, K. EARLY YEARS STUDY 3 CH. 2 (MARGARET & WALLACE MCCAIN FAMILY FOUNDATION, 2011).

だが、そうとも言い切れないようだ。臨界期に関する研究分野は、今のところ小規模だが急速に発達しており、Henschら研究者たちにより、「チャンスの窓」をこじ開けることが可能なデータが示されつつある。「臨界期の基盤にある生物学的機序が、明らかになり始めているのです」とHenschは言う。これが解明されれば、成人の弱視(一方の目からの情報が脳で正しく処理されないために視力が低下する視覚障害)などの難治性障害、ひいては自閉症といったさまざまな神経疾患を治療する方法が見えてくるかもしれない。さらには、脳の可塑性を変化させて学習能力を高めたり、心の傷となった記憶の消去を助けたりする飲み薬が生み出される可能性もある。

「Takaoの行った研究で非常に興味深い点は、こうした臨界期を過ぎてもまだ、臨界期の状態に戻って能力を身につけられる可能性があると示したことです」と、ボストン小児病院の神経科学者Charles Nelsonは話す。Nelsonは、ルーマニアの孤児たちが幼少期に被った社会的剥奪(social deprivation:周りのコミュニティーと正常な文化的・社会的交流が妨げられること)が、発達にどう影響したかを研究している。「臨界期を過ぎた後でも何らかの方法で治療的介入をしてやり直せる可能性がある、という考え方には説得力があります」。

発達の臨界期という考え方は、オーストリアの動物行動学者、コンラート・ローレンツによって広まった。1930年代、ローレンツは、ハイイロガンのヒナが孵化して2、3時間以内に自分が母親に成り代わると、ヒナは成鳥になるまで彼を母親と思って後を追い続けることを発見し、このプロセスを「刷り込み」と名付けた。こうした動物の行動に関する先駆的研究により、ローレンツは1973年、ノーベル医学生理学賞を共同受賞した。

「抑制される」という新たな概念

臨界期の神経基盤を最初に調べた研究者は、ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)の神経生理学者David HubelとTorsten Wieselだった。1960年代初頭、2人は、視覚系を対象に研究を行った。彼らはまず、大人のネコの脳の視覚皮質にある多くの細胞が、どちらか一方の目からの信号に応答することを発見した。次に、子ネコの片目を縫合して見えなくすると、通常であれば縫合したほうの目に応答して発火する(活動する)はずの個々の細胞が、開いているほうの目に応答し、結果的にふさいだ目が弱視になることを明らかにした1。一方、おとなのネコの目を縫合しても何も起こらないことから、視覚皮質の細胞は、発達に重要な生後のほんの数か月の期間にプログラムされたと考えられた。

HubelとWieselは、プログラム化が分子レベルでどのように行われるかを分析するまではいかなかったが、1981年、この発見により2人はノーベル医学生理学賞を受賞した。Henschは、2人の発見に大いに刺激され、ついには大学の専攻をコンピューター科学・人工知能研究から神経生物学へと大きく方向転換してしまった。「HubelとWieselの研究のおかげで、脳の生物学的特性にはわかっていないことがたくさんあると知ったのです」と彼は言う。

その後、Henschは、PhD取得のためにカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF、米国)にあるMichael Strykerの研究室で神経科学の研究を始めた。そこで彼は、脳について学ぶすばらしい機会を得た。Strykerの研究チームは、この分野の多くの研究者と同様に、臨界期の一般的なモデルとして視覚系の臨界期を研究しており、その解明への新たなアプローチの足がかりとなる一連の論文を発表していたのだ。

当時、すでに何年か前から、脳の可塑性、あるいは臨界期の学習能力の高さは、興奮性ニューロンの働きによるものだと考えられていた。興奮性ニューロンとは、隣接するニューロンを発火させる(つまり電気的興奮を起こす)ニューロンである。しかしStrykerの研究で、隣接するニューロンの活動を抑える抑制性介在ニューロンが何らかの関与をしていることが示唆された。Strykerのチームは、臨界期にニューロン抑制を増大させる薬剤を子ネコに投与すると、HubelとWieselの実験トリックに視覚皮質が「ひっかからなくなる」ことを見つけた。視覚皮質にある多くのニューロンが、開いている目ではなく閉じられた目に応答して発火し始めたのである2

Henschは、この研究の追跡実験を、理化学研究所脳科学総合研究センター(埼玉県和光市)のMichela Fagioliniたちと共同で行った。彼らは、抑制性の神経伝達物質であるγ-アミノ酪酸(GABA)の産生量をやや少なくした遺伝子操作マウスで、臨界期を調べた。GABA低減の影響は、HenschやStrykerが想像していた以上に大きかった。実験対照のマウスは片目をふさぐと通常の臨界期を経た後に弱視となったが、GABA欠損のマウスは弱視にならないか、あるいは臨界期が全くなかった(可塑性が見られなかった)のである。可塑性は、GABAの抑制性の効果を増強させるベンゾジアゼピンの投与により、回復させることができた3

これらの結果から、視覚の臨界期を発動させる隠れた影響力の1つは「抑制」だと、研究チームは結論を出した。「当時、こうした考え方は既成概念とまるで相いれないものでした」とHenschは振り返る。「我々は常識を覆したのです」。

よくできた仕組み

それ以降、「抑制」が働く仕組みを明らかにするための研究が始まった。

2008年、Henschはコレージュ・ド・フランス(パリ)の神経科学者Alain Prochiantzと、出生後のマウスが最初に目を開けたときに、OTX2というタンパク質が網膜から視神経を通じて視覚皮質へと輸送されることを見つけた。細胞レベルでいうと、これはマラソン並みの距離である。

輸送先の視覚皮質では、OTX2が蓄積することで一連の出来事が誘発されてパルブアルブミン(PV)を含有する抑制性ニューロン(PV介在ニューロン)が成熟し、視覚の臨界期が開始する。しかし、このOTX2輸送は、視覚入力を受けた後にしか起こらない。したがって、暗室中で育ったマウスでは視覚皮質にOTX2が輸送されず、臨界期は起こらない4。「これは、自然が編み出した実に巧妙な仕組みだと思います。なぜなら、末梢の器官がちゃんと機能していて、信号もちゃんと届くことがわからなければ、わざわざ可塑的になる必要はないんですから」と彼は言う。

しかし、PV介在ニューロンがどうやって臨界期を始動させるのかは不明だった。その重要な手がかりの1つは、Strykerが、同じくUCSFのArturo Alvarez-BuyllaおよびSunil Gandhiたちとともに行った研究からもたらされた。介在ニューロンになる運命の胚細胞を幼少マウスの脳に移植したところ、Alvarez-Buyllaの言葉を借りれば、「臨界期を2回持つようになった」のだ。つまり、マウス自身の介在ニューロンが起こした通常の臨界期と、その後、移植された介在ニューロンが成熟を始めて引き起こされた臨界期である5

Strykerによれば、移植した細胞が、臨界期システムの「リセットボタン」を押したのだという。成体の大脳皮質では、成熟した介在ニューロンが一部のニューロンを抑制し、その他を抑制しないことで神経回路を確立している。情報は、その回路を通って伝達される。ところが、この移植実験では、胚細胞から成熟していく介在ニューロンが、元からあるニューロンと弱い接続(シナプス)を多数作り、すべてのニューロンを等しく抑制して、それまで定まっていた脳回路を無効にしてしまったのだ。それらの新しいニューロンが成熟すると、ようやくシナプスが「剪定」、つまり取捨選択され、強化され、最終的に新しい永久的な神経回路が作り出された。これらの知見は、PVシナプスの増設とその後の剪定という仕組みと同じものが、すべての臨界期の基盤にあることを物語っている。

Henschたちは、PV介在ニューロンが成熟すると臨界期がだんだんと終わる訳ではなく、脳が「可塑性ブレーキ」をかけることで臨界期がシャットダウンすることを見つけた。これはおそらく、新しく最適化された神経回路が、さらなる入力を受け取って乱れてしまわないようにする方法なのだろう。

Henschは、こうした「可塑性ブレーキ」を「構造的ブレーキ」と「機能的ブレーキ」の2つに分類している。構造的ブレーキは、神経細胞周囲網(perineuronal net:PNN)などの物理的構造からなる。PNNは、臨界期の終了時期の前後にPV介在ニューロンに接着する高分子複合体で、神経回路が変化できる程度を制限しているとみられている。成体ラットでPNNを化学的に分解させると、神経回路の再構築が起こりやすくなる6

一方、機能的ブレーキはLynx1などの化合物である。Lynx1はHenschたちが見つけた分子で、神経伝達物質アセチルコリンの作用を弱めることで、皮質の興奮と抑制のバランスを変化させる。マウスでの実験から、臨界期の終了時に脳内のLynx1量が増加することや、成体脳からLynx1を除去するとPNNを分解した場合と同様に、脳の可塑性が回復されることが明らかになった7

機能的ブレーキで特に注目すべき点は、比較的簡単に解除できることだとHenschは言う。その一例が、カリフォルニア大学バークレー校(米国)の検眼医Roger LiとDennis Leviが弱視の成人のために開発した行動的介入療法だ。

幼少期に白内障や内斜視などの問題があって片方の目への入力が損なわれると、弱視になり、立体視ができないままになる。この障害は、臨界期を過ぎてしまうと、治療は不可能だと考えられてきた。しかしLiとLeviが、弱視の被験者に、問題のないほうの目に目隠しをしてTVゲームを40〜80時間プレイしてもらったところ、大半の人が、視覚機能がかなり改善されたと回答した8。生まれつき内斜視で、奥行きのある世界を見たことがなかった1人の被験者の反応について、Liはこう紹介している。「彼女は自分が立体視をある程度できると気付くと、たちまち声をあげて泣き出しました」。

Henschは、TVゲームをプレイすることで、脳の機能的ブレーキの一部が解除されるのだと考えている。TVゲームのプレイ中によく見られる高い集中力は往々にして、アセチルコリンの働きを高めることが明らかになっており、そうした高まりがLynx1の抑制的作用を中和するのではないかと、Henschは指摘する。

「チャンスの窓」をこじ開ける

薬剤を使って臨界期を再開させようとする実験は、すでに始まっている。

Henschとボストン小児病院の眼科医David Hunterは、2012年5月に、脳内アセチルコリン量を増加させる薬剤で弱視を治療するための第I相臨床試験の認可を受けた。同じような研究が、2010年、カリフォルニア大学バークレー校の神経科学者Michael Silverのチームから発表されている9。正常視覚の被験者にアセチルコリン量を増加させる薬剤を投与すると、プラセボ(偽薬)を投与した被験者に比べて視力が大きく改善されるというものだ。

また、ピサ高等師範学校(イタリア)の神経生物学者Lamberto Maffeiのチームは、鬱病治療によく使われる選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)で弱視を治療するための第II相臨床試験に取りかかっている。

こうした研究から、経口薬や注射薬によって、重度の脳損傷からの回復を助けたり、あるいは、新しい言語をたやすく覚えたり、恐ろしい記憶を忘れたりできるようになるのではないかという期待が膨らむ。Henschは、可塑性ブレーキの解除は自閉症などの複雑な疾患の治療にも有用かもしれないと言う。自閉症では、誰かの顔の表情を見ながら話の内容を聞き取るといった、一度に多数の感覚から入ってくる情報の統合が困難になっている。そうした入力情報の統合には、それぞれの感覚の臨界期が特定の発達順序で連続的に起こることが必要なのかもしれないというのだ。「自閉症は、こうした各種の感覚の臨界期がタイミングを誤った場合に不都合な結果になりうることを示していると思います」とHenschは話す。

Henschの考えには、ある程度の実験的証拠はある10が、自閉症などの複雑な精神医学的障害の神経基盤に関していえば、まだ限られている。もし、一部の発達障害のリスク因子を見つけだすための検査法が考案できれば、いずれは臨床で、臨界期の最中に生物学的情報に基づいた治療的処置を施し、脳の可塑性を利用して正しい方向に発達させることができるかもしれないと、Henschは言う。

ただし、この分野の研究者は誰しも、脳の臨界期を不用意に操作すべきではないと考えている。「臨界期を再開させる場合、当然のことながら、不都合な結果になる可能性を捨てきれません」と、ハーバード大学医学系大学院の神経科医Alvaro Pascual-Leoneは言う。彼は、弱視などの障害は、本来の臨界期に有害な入力があったために起こるのだと指摘している。

また、構造的ブレーキは、機能的ブレーキに比べて解除するのがはるかに難しい。例えば、2009年に、マウスでPNNを化学的に破壊すると恐怖の記憶が容易に消去されることが報告され、こうした方法が心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの疾患の治療に使える可能性が示唆された11。しかし、ヒトでこんなことをすれば脳に広範な損傷を起こしてしまい、治療による恩恵よりも弊害のほうが大きくなってしまうおそれがある。結局のところ、脳が臨界期を終了させる仕組みは非常に複雑であり、この仕組みにはかなりのエネルギーが必要なのだとHenschは説明する。「ですから、一定期間で閉じる臨界期という仕組みが進化したのは、何らかの理由があってのことだと思われます」。

Strykerは、最後にこう釘を刺している。「年をとってもまた臨界期を体験できるという考え方は、ロマンチックなあこがれにとどめておくほうがよいのですよ。中にはどうやっても起こらないことだってあるんですから」。

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 10

DOI: 10.1038/ndigest.2012.121020

原文

Unlocking the brain
  • Nature (2012-07-05) | DOI: 10.1038/487024a
  • Jon Bardin
  • Jon Bardinは、ニューヨークを活動拠点とするフリーランスライター。

参考文献

  1. Wiesel, T. N. & Hubel, D. H. J. Neurophysiol. 26, 1003–1017 (1963).
  2. Reiter, H. O. & Stryker, M. P. Proc. Natl Acad. Sci. USA 85, 3623–3627 (1988).
  3. Hensch, T. K. et al. Science 282, 1504–1508 (1998).
  4. Sugiyama, S. et al. Cell 134, 508–520 (2008).
  5. Southwell, D. G., Froemke, R. C., Alvarez-Buylla, A., Stryker, M. P. & Gandhi, S. P. Science 327, 1145–1148 (2010).
  6. Pizzorusso, T. et al. Science 298, 1248–1251 (2002).
  7. Morishita, H., Miwa, J. M., Heintz, N. & Hensch, T. K. Science 330, 1238–1240 (2010).
  8. Li, R. W., Ngo, C., Nguyen, J. & Levi, D. M. PLoS Biol. 9, e1001135 (2011).
  9. Rokem, A. & Silver, M. A. Curr. Biol. 20, 1723–1238 (2010).
  10. Rubenstein, J. L. R. & Merzenich, M. M. Genes Brain Behav. 2, 255–267 (2003).
  11. Gogolla, N., Caroni, P., Lüthi, A. & Herry, C. Science 325, 1258–1261 (2009).