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分化能を失った神経系前駆細胞が、再びニューロンを作り出した!

–– はじめから神経幹細胞の研究をされていたのでしょうか?

後藤: いいえ、元は東京大学理学部や京都大学のウイルス研究所において、MAPキナーゼ経路の同定や、この経路による細胞増殖制御の研究をしていました。細胞は、外からの情報に従ってMAPキナーゼ経路を活性化させ、核内にシグナルを伝えます。私は、研究の過程で、このシグナルが細胞の増殖だけでなく、分化にも関わっていることを見いだしました。同じシグナル伝達経路を利用しながら、細胞が状況に応じて巧妙に応答を変えることに、驚きと感動を覚えました。

この成果から、「細胞の運命を制御するシグナル伝達」、そして「生体をかたちづくる幹細胞の運命制御」へと興味が広がっていきました。さらに、生体の中で最も複雑かつ精緻で高度な機能を担う脳が、構造体としてどのように作られるのか、その根本の原理を探りたいと思うようになりました。まず、留学先のフレッド・ハッチンソンがん研究所とハーバード大学において、MAPキナーゼの研究を続けながら脳研究の基本を学びました。1999年に帰国し、東京大学分子細胞生物学研究所で独立する際に、本格的に脳神経系の発生研究を始めました。

分化能を失う「神経系前駆細胞」

–– 神経幹細胞というと、成人の脳にも存在することが明らかになっていますね。

後藤: はい、成人でも海馬と側脳室に幹細胞があります。ただし、これらと、今回、私たちが対象にした「胎生期の神経幹細胞」とでは、性質が大きく異なります。幹細胞の定義は、「自己複製能と多分化能を併せ持つ細胞」とされています。成人の神経幹細胞は、まさに、幹細胞と呼ぶべき細胞です。

ところが、胎生期における神経幹細胞の多くは、胎生中期には盛んに増殖しつつニューロンを作りますが、胎生後期から生後になるとニューロンを作る能力を失い、グリア細胞を作って、やがて分裂しなくなります。つまり、神経幹細胞というよりは「神経系前駆細胞」と呼ぶべき細胞といえます(以降は、胎生期の神経幹細胞を神経系前駆細胞とする)。

–– その神経系前駆細胞を用いて、どのような実験をされたのでしょうか?

後藤: ニューロンは、突起、膜構造、機能などが特異な細胞です。神経系前駆細胞がニューロンに分化する際には、非常に多くの遺伝子の発現状態が変わりますが、そのカギを握る根本のプログラムは明らかにされていません。一応、「ニューロン分化決定因子」が同定されているのですが、ニューロンに分化するにはこの因子だけでよいのか、この因子がどのような仕組みでニューロン分化に寄与しているのか、といった点には未解決の部分が多く残されています。

図1:マウスの神経系前駆細胞(大脳新皮質)における、クロマチンの凝集レベルの変化。
胎生中期にはHMGA遺伝子が多く発現し、クロマチン構造は緩く、ニューロンへの分化能が維持されている。胎生後期および生後になると、HMGA遺伝子の発現レベルが低下し、クロマチンが凝集してニューロンへの分化能が低下する。

今回の研究は、助教の岸雄介さんが、ニューロン分化プログラムの制御とクロマチン構造との関連に興味を持っていたことから始まりました。クロマチンはDNAとタンパク質からなる構造体で、その束ねられ方、つまり凝集のレベルの変化が、遺伝子の発現レベルを変えることがわかってきています。

具体的には、マウスの大脳を対象に、ニューロン分化能を持つ胎生中期の神経系前駆細胞と、グリア細胞しか作れなくなった胎生後期の神経系前駆細胞とで、クロマチン状態を比較してみました。それぞれの神経系前駆細胞から核を取り出し、DNAを切断する酵素(ヌクレアーゼ)で処理したうえで、電気泳動したのです。クロマチンの凝集度が高ければ、ヌクレアーゼはDNAに近づけないので、泳動されるDNA断片は大きくなります。逆に凝集度が小さければ、DNAはヌクレアーゼによって切断され、小さな断片になります。解析の結果、胎生中期ではヌクレアーゼで切断されたDNA領域が全ゲノムの42%だったのが、胎生後期では11%に減ることがわかりました1。このことは、胎生中期と後期とでは、神経系前駆細胞中のDNAの束ねられ方が大きく異なることを示唆しています。

クロマチン構造に関わる HMGA

–– HMGAに注目された理由は?

後藤: ここまでの段階で、私たちは、これだけ大きなクロマチン構造の変化は、もしかすると多くの遺伝子の発現を一括して制御し、「ニューロンを作れるのか、グリアしか作れないのか」という分化能を根本的に制御しているのではないかと考えました。そこで、胎生中期と後期のマウスの神経系前駆細胞で発現が大きく変化する遺伝子を対象に、「クロマチン構造の変化に関わることが知られている遺伝子」を探したところ、HMGAが出てきたのです2,3。HMGAは、胎生期のさまざまな部位でたくさん発現しているのですが、加齢とともに減少することが知られており、細胞の増殖に関与するタンパク質であるとされてきました。ところが、ニューロン分化能への寄与については全く知られていませんでした。

図2
右は、出生後にHMGA遺伝子を導入したうえで強制発現させ、生後8日目に固定した大脳新皮質の蛍光顕微鏡写真。
左は何も操作を加えない場合。

–– 実験による検証もされましたか?

後藤: はい、「胎生中期においてHMGA遺伝子の発現を抑制する実験」と、「HMGA遺伝子の発現が低くなる胎生後期および出生後に強制発現させる実験」を行いました。前者では、神経系前駆細胞からニューロンが作られなくなりました1。後者では、胎生15日目あるいは出生後1日目のマウスの神経系前駆細胞(脳室の内側部位)に、HMGA遺伝子を導入して強制発現させました。このとき、発現マーカーとなるGFP遺伝子も付けておきました。ニューロンへの分化が終わり、グリア細胞しかできなくなる生後8日目に標本固定し、さらにニューロン前駆細胞だけを赤く染める操作を加えました。その結果、HMGA遺伝子の発現部位には、正常ならばすでに失われているはずのニューロン前駆細胞が存在し、再びニューロンを作り出せるようになっていることがわかりました1

–– 一連の結果から、どんなことが示されるのでしょうか?

後藤: HMGA遺伝子が存在すると、ニューロンへの分化の終了時期が先延ばしされることを端的に示したといえます。さらに、通常はニューロン分化できなくなっている生後の神経系前駆細胞であっても、HMGA遺伝子を導入するだけでニューロンを再び作るようになった。すなわち、生体内で「神経系前駆細胞の若返り」と呼べる現象が見られたことが、特に新しく、特筆すべき点だと思います。私たちは、HMGA遺伝子が機能することでクロマチン構造が一括して緩まり、ニューロン分化に関わるさまざまな遺伝子のスイッチをオンにする因子がアクセスできるようになるのではないかとの仮説を立て、分子レベルの検討に入っています。HMGA遺伝子の発現が胎生期のさまざまな部位で高いことを考えると、今回明らかにした現象が、ほかの組織や臓器が作られる際にも見られる可能性が高いと思っています。

期待される応用

–– 今回の成果は、医学分野に応用できるのでしょうか?

後藤: 可能性としては、HMGA遺伝子の発現を操作することで、本来ニューロンが作られないような部位でニューロンを作らせたり、脳損傷後にニューロンとグリア細胞をバランスよく分化させるといったことが考えられますが、治療に結びつくかどうか、全くわからない状況です。

脳構造を作るためのルールを解明するのが私の夢ですが、今回の成果はその一歩になったと思います。

–– ありがとうございました。

聞き手は西村尚子(サイエンスライター)。

Author Profile

後藤 由季子(ごとう・ゆきこ)

東京大学分子細胞生物学研究所 情報伝達研究分野 教授。1987年3月に東京大学理学部卒業、1992年に理学博士を取得。その後、京都大学ウイルス研究所 助手、フレッド・ハッチンソンがん研究所(Jonathan Cooper ラボ)研究員、ハーバード大学医学部(Michael Greenbergラボ)研究員を経て、1999年東京大学分子細胞生物学研究所 助教授として研究室を主宰。2005年より現職。

後藤 由季子氏

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 10

DOI: 10.1038/ndigest.2012.121019

参考文献

  1. Kishi, Y. et al. Nat. Neurosci. 15, 1127-1133 (2012).
  2. Nishino, J. et al. Cell 135, 227-239 (2008).
  3. Sanosaka T et al. Neuroscience 155, 780-788 (2008).