Editorial

三次元印刷技術は、何をもたらすか

SF小説には“レプリケーター”が欠かせない。名前もわからないネバネバした材料をこの装置に投入すると、栄養たっぷりで味も抜群の食事から高出力プラズマ連続体濃縮発電機まで、何でも作り出すことができるのだ。

現実世界でこのレプリケーターにあたるのが三次元印刷機で、分子模型から希少な化石まで、どんなものでも大量複製できる。ごく最近まで、三次元印刷はきわめて高コストで、時間がかかり、新奇な化学物質が使用されていた。しかし、Nature ダイジェスト 2012年10月「3D印刷がもたらす革命」の記事(Nature 2012年7月5日号22ページ)で紹介されているように、今日の三次元印刷は、コストも少し下がり、所要時間の短縮も図られ、さまざまなインク(例えば浴室用シリコーン系シーラント)も使えるようになっている。

科学、製造業、建設業、経済、生活に対する三次元印刷の影響となると、予測するのは簡単ではない。おもしろそうな機械があってもそれを家庭で複製できるなら、店やインターネットで購入することはしないだろう。しかし、そんなことをすれば、知的財産がらみの紛争が起こることは想像にかたくない。同様の紛争のために、音楽産業は原形をとどめないほど変容し、出版業でも同じことが起ころうとしている。

ただし、二次元印刷であっても、安価なインクカートリッジが使えて、5分おきに問題を起こすことのない低価格プリンターは、まだ発明されていない。

そもそも印刷がヨーロッパに到来したのは15世紀のことである。George SampsonはThe Concise Cambridge History of English Literature(Cambridge University Press, 1941)の中で、「頑固な中世精神の外塁を打ちつけるハンマーの音が鳴り響き、それによって、旧世界はばらばらになっていった」と記した。

ヨハネス・グーテンベルクが初めて印刷した聖書は1455年にドイツのマインツで出版された。「印刷の到来は、15世紀で最も重要な出来事である。なぜなら、ペンが剣よりも強いのと同様に、印刷機はペンよりも強いからだ」とSampsonは記した。ヨーロッパで印刷された初期の書物はラテン語で書かれていた。これに対して、1476年にイングランド初の印刷所を開設したWilliam Caxtonは、英語で書かれた書物の印刷を始めた。その多くは、彼自身が英語に翻訳し、学問的序文を書き加えたものだった。

その後まもなく、Caxtonの印刷所には、自らの著作を書物という劇的な媒体で出版しようと、数多くの文筆家が列をなした。「いくつかの歴史書の印刷を終え、偉大な征服者や諸侯による歴史的な業績や現在の成果を伝える出版を構想しているとき、イングランドの貴族や高貴な人々が印刷所を訪れてきて、何度も印刷出版を求めるようになった」。Caxtonは1485年版のトマス・マロリーの『アーサー王の死』の序文で、こう記した。こうした初期の書物は特注品であり、その流通量は過去に発行された手写本よりは少し多い、という程度だった。

その後のことは、歴史が物語っている。印刷は、識字能力の向上に貢献し、英語に計り知れない影響を与えた。印刷が登場するまで、英語は、相互にほとんど理解不能な方言の集合体であって、文筆家は、話し言葉をそのまま文章にしていた。

現代の読者がジェフリー・チョーサーの14世紀の小説『カンタベリー物語』をさほどの苦労を感じずに読めるのは、現代英語がロンドンの方言を起源としており、チョーサーがロンドンで活躍していたからにすぎない。『ガウェイン卿と緑の騎士』は、チョーサーと同時代の無名の作家によって書かれたが、イングランド北西部の作家だったため、チョーサーも頭を悩ませたであろうし、現代の読者にとっては、それ以上に難解な著作となっている。それでも、印刷のおかげで、現代の書き言葉の英語は、17世紀までにほぼ標準化された。

Caxtonの二次元印刷機は、我々が使う印刷機と同様に、おそらく技術的問題や機械的問題に悩まされたと思われる。それでも、印刷が社会、経済と言語に与えた影響は、重大かつ劇的なものだった。果たして、三次元印刷は、こうした大革命をもう一度引き起こすことになるのだろうか。

翻訳:菊川 要

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 10

DOI: 10.1038/ndigest.2012.121031

原文

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  • Nature (2012-07-05) | DOI: 10.1038/487006a