Editorial

かけがえのない命の証を、神経疾患研究に生かせ

子どもの脳の研究が進めば、自閉症や統合失調症などの解明が進み、治療への道も開かれると言われる。しかし、そうした恩恵よりも前に、はっきりしているのは問題のほうだ。突然子どもを失って嘆き悲しんでいる両親から、子どもの脳の献体を受けなければ、話は前に進まないのである。

微妙な問題であるため、科学者、研究機関、研究助成機関ともに、新生児や乳幼児の脳、あるいは人工中絶された胎児の脳について、その利用を大きな声では主張していない。こうした中で、米国の一部の患者グループが声を上げた(Nature 2011年10月27日号442ページ参照)。彼らの活動は支援されるべきだし、さらに野心的な目標、すなわち、数万点にも及ぶ乳幼児と胎児の国際的な脳組織バンクの創設に向けて、米国内外の科学機関は支持と取り組みを進めるべきである。このほどNatureは、この脳組織バンクに対する支援を約束した。

こうした施設が必要なのは、突き詰めれば、発生初期段階の脳を研究したいと考える科学者が増えているからだ。また、生物学的技術の進歩によって、不完全な脳の発生が原因となる神経疾患について、豊富な情報が得られるようになっている。自閉症、統合失調症、双極性障害などの神経発達障害は、社会にとって大きな負担となっているが、効果的な治療法は少ない。米国では、統合失調症だけでも毎年数百億ドル(数兆円)の医療費がかかっている。

こうした疾患の研究者で、若年者の脳組織を利用できる人は少ない。既存の脳バンクに関する非公式な調査によれば、胎児、乳幼児、10代の青少年から集めた脳は合計で1300点ほどしかないのだ。

子どもの脳は、まさに子どもの人格が宿る場所であり、慎重に扱う必要がある。そのうえで、科学研究への提供量を世界的に増やすためには、どうすればよいのだろうか。供給不足の一因として輸送上の問題が挙げられるが、この問題は成人脳ですでに解決済みで、成人と子どもに差はない。

最大かつ慎重を要する問題は、献体を両親に持ちかけることだ。いずれにせよ、最終的にはこの問題と向き合わねばならない。米国では、苦悩する両親との対話を重ねてきた自閉症の患者支援グループが、ここの議論を主導している。自閉症患者支援グループは、子どもが事故で命を失った場合、脳を献体するのが価値ある行為であることを親に納得させる活動を進めてきた。これと並行して、米国立衛生研究所(NIH)は、子どもの脳を含む脳検体を収集するための全国ネットワーク作りに合意した。

歩みは遅いが状況は進展しており、世界レベルで加速させる時期が来たと言えるかもしれない。参加国が増えればドナーも増える。それに、脳は自然の個体差が大きいため、統計的有意性を持つには、大量の検体が必要になることもあるからだ。

脳バンクの国際ネットワークという試みは過去にもあった。10年前に設立されたBrainNet Europeがその一例で、ヨーロッパの19か国で収集された脳組織のための統一ポータルだったが、子どもの脳はほとんど集まらなかった。また、米国の患者支援団体Autism Speaksは、その脳バンクに英国の収集拠点(オックスフォード)を加えている。

国際的な取り組みが必要なもう1つの理由として、胎児の脳の問題がある。米国では、過去20年間に人工中絶手術にかかわった8人(医師4人を含む)以上が、その活動を理由に殺害されている。それもあって、NIHのような機関も、胎児脳の収集に関して明確な声明を出していない。

しかし、米国メリーランド州ボルティモアに設立された神経発達障害の橋渡し研究を専門とするリーバー脳発達研究所が、今年に入って正式に活動を始め、その研究プログラムを支援する若年者脳の収集プログラムを構築した。胎児脳の収集については、反対勢力が比較的弱いヨーロッパの3拠点(スコットランド、デンマーク、ブルガリア)で始める。リーバー脳発達研究所は、個人的・政治的感受性を適切に配慮しつつ、小児脳/胎児脳バンクを推進するためのモデルを、実践によって検証しようとしている。

翻訳:菊川 要

Nature ダイジェスト Vol. 9 No. 1

DOI: 10.1038/ndigest.2012.120132

原文

A priceless resource
  • Nature (2011-10-27) | DOI: 10.1038/478427a