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量子コンピューターに、最初の買い手がついた

Nature ダイジェスト Vol. 8 No. 9 | doi : 10.1038/ndigest.2011.110907

原文:Nature (2011-06-02) | doi: 10.1038/474018a | First sale for quantum computing

Zeeya Merali

D-Wave Systems 社の量子コンピューターが、ロッキード社に販売された。しかし、このマシンはまだブラックボックスのようなものだ、という批判もある。

D-Wave社の共同設立者であるGeordie Roseと、同社の量子コンピューター「D-Wave One」。 | 拡大する

DOMINIC SCHAEFER PHOTOGRAPHY

それは後に、量子コンピューティングにとって節目となる出来事であったと評価されることになるかもしれない。2011年5月下旬、D-Wave Systems社(カナダ・ブリティッシュコロンビア州バーナビー)は、世界的軍需企業のロッキード・マーチン社(米国メリーランド州ベセズダ)に、市販用量子コンピューターを初めて販売したと発表した。

問題のコンピューターの名はD-Wave Oneといい、黒い一枚岩のような、印象的な外見をしている。考えようによっては量子コンピューターにふさわしいのかもしれないが、D-Wave Oneが実際にどのように動作するかについては、なお「不確定性」が残っている。コンピューター科学者たちは以前から、D-Waveのシステムは本当は量子物理学を利用していないのではないかと疑っている。同社は5月にNatureに論文を発表し(M. W. Johnson et al. Nature 473,194-198; 2011)、それが本当に量子コンピューターであることの立証に役立てようとした。しかし、一部の人々はまだ、ここに用いられている技術を疑っているのだ。

量子コンピューターは、古典コンピューターには手も足も出ないタイプの問題に取り組むことができ、革命を起こすことが期待されている。古典コンピューターは、データを「ビット」という単位で格納したり処理したりしている。個々のビットは1つのスイッチとして理解することができ、スイッチはオンまたはオフの状態をとる。

量子ビット(キュービット)の強みは、オンとオフの状態を同時にとれる点にある。量子もつれ(エンタングルメント)を利用して十分な数のキュービットを結合させることができれば、コンピューターは、複数の計算を並列に驚くべき速度で実行できるようになる。

しかし、量子コンピューターを実際に製作するのは非常に困難であることが知られており、ほとんどの研究チームは、わずか数個のキュービットをもつれさせるのにも、悪戦苦闘しているのが現状だ。だから、D-Wave社が128キュービットのプロセッサーを完成させたと主張したことは、同社がそれまで査読のある科学ジャーナルで自社の技術の詳細について発表するのを渋ってきたこととあいまって、専門家の眉をひそめさせていた、とマサチューセッツ工科大学(米国ケンブリッジ)のコンピューター科学者Scott Aaronsonは解説する。

しかし、ロッキード・マーチン社は、専門家のこうした懸念には動じなかった。広報担当のThad Maddenは、同社が1年がかりでD-Wave Oneコンピューターを吟味したうえで購入を決めたと説明している。量子コンピューターの具体的な用途について、D-Wave社は語ろうとしないが、Maddenによると、ロッキード・マーチン社としては、ソフトウェアと環境センサーを統合した「サイバー物理システム」の構築にこの技術を役立てたいと計画しているそうだ。

D-Waveの共同設立者であるGeordie Roseは、今回、D-Wave Oneに買い手がついたことは、量子コンピューティングがその数十年来の約束をついに果たしたことの証明である、と語っている。しかしAaronsonは、コンピューター科学コミュニティーを納得させるには、それだけでは足りないと考えている。「大企業がシステムを購入したというだけでは、それが実際に機能する証拠にはなりません」。

コンピューター科学コミュニティーの不信は、D-Wave社が数独パズルを解ける16キュービットのコンピューターをデモンストレーションした2007年までさかのぼる。このとき、多くのコンピューター科学者と物理学者が、同社のコンピューターはごくふつうの古典物理学の原理によって動いていると指摘した。これに対してD-Wave社は当時、その可能性を否定する発表を一切行わなかったのだ。

しかし、同社がNatureで発表した論文は、ニオブの超伝導ループからなる8キュービットの系で、確かに量子的な挙動が見られることを実証するものだった。系が問題のパラメーターを定義するまでは、キュービットの結合したエネルギー状態を磁場で操作している。この系は量子的重ね合わせの状態にあるため、異なる解を表す複数のエネルギー状態を同時に「探る」ことができるのだ、とRoseは説明する。系を冷却すると、この重ね合わせの状態は、最終的な解を表す1つの低エネルギー状態へと移行する。これは「量子アニーリング」と呼ばれる手法である(W.D.Oliver Nature 473, 164–165; 2011)。D-Wave Oneは、この8キュービットのセルを16個使用している。

懐疑的な人々は、この系は量子効果ではなく熱ゆらぎを利用してキュービットにさまざまなエネルギー状態をとらせている可能性がある、と主張していた。しかし、こうした古典的効果が強く効いてくるのは温度が45mK(ミリケルビン)以上の場合であり、D-Wave社の最新の論文は、その系が機能している温度が45mKよりも低く、量子効果のみが効いていることを示している。

Aaronsonは、この論文は正しい方向に一歩踏み出すものであるが、その歩幅は小さいと言う。「彼らがここでやってみせたように、8キュービットの系である種の量子効果を実証することと、計算的に興味深いタスクを従来のコンピューターよりも高速に実行できる128キュービットのチップを製作したと主張することとの間には、途方もなく大きな隔たりがあります」と彼は言う。大部分の物理学者は、キュービットのもつれは量子コンピューティングにとって必要不可欠な性質であると考えているが、Aaronsonは、D-Wave Oneのキュービットのもつれは実証されていないと指摘する。「私は、D-Waveの成功を心から願っています」と彼は付け加える。「ただ、証拠を見せてもらわないと、その成功を信じることはできないのです」。

(翻訳:三枝小夜子)

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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